あやかりたい
「自殺するみたいだった。私はこれから自殺をしますって宣言してるみたいな」
それはあたたかくてでもやっぱりどこかさみしい言葉に聞こえた。
山下が卒業をするって聞いたのは世間に発表される前の選抜発表よりも前の、3期生の何人かでご飯を食べに行ったときだった。山下がここ行こうよ!ここ!と無邪気に会うたびにうんざりするほど言っていた焼肉屋さんで、その報告はあっけないものだった。
「私、卒業するから、5月」
まるでタン塩焼けたよ〜くらいのテンションで言ってきたからはじめは何を言ってるのかが分からなかった。他のみんなもどうやらそんな感じで山下に何度も聞き返していた。
「卒業を決めたの。ちゃんと自分の意思で。今日それを報告したくて」
山下はトングを持って肉をお皿からロースターに移しながら他のみんなから飛び交う質問に答えている。プチ質疑応答だ。でも私はその間、何もできなかった。お肉を食べることも、水を飲むことも、他のみんなの阿鼻叫喚に耳を貸すことも、山下の話を受け止めることも。頭が真っ白になって、ただ山下が5月には居なくなる。それだけが心の真ん中の方にこびりついて離れなかった。
結局その日は割とすぐに解散になった。山下は明日もドラマの撮影があるらしい。何人かのメンバーは泣いて卒業を撤回させようとしていたけれど、それを決めた人の意志の固さも、それを決めるまでの壮絶なまでの自分との戦いの様も知らない私たちじゃなかった。それでも引き留めたくなってしまうのはきっと山下だったからだと思う。
「くぼもバイバイ、また焼き肉食べようね」
「……うん」
言葉としてギリギリ認識できるくらいの声量で私は山下に応えた。
帰り道、なんとなく電車に乗りたくなくて、女ひとりでも大丈夫そうなできるだけ明るくて大きな道を選んで歩いた。明日は休み、明後日は雑誌の撮影が入ってるから身体のメンテナンスに時間を使おうと思った。(私、卒業するから)思考を止めてしまうとふっと山下の言葉が降りてくる。そして少しだけ罪悪感に苛まれる。(くぼが月なら私も月だよ)(くぼちゃんが居てくれていなかったら)一度降ってきた山下の言葉はまるで雨のように次々に私の心の窓を叩く。山下は私と対等でいようとしてくれた。自信がない、魅力がない、アイドルらしくない。そんな私と対等にアイドルをしようとしてくれた。そのことの意味は分からないけれど、久保にとっての山下と山下にとっての久保はたぶん似ていた。直接聞いたわけじゃないからそんなこと理想でしかないのだけれど。大きな道の先に大きな月は昇る。日なたを作ってくれるのが太陽なら、月影を作ってくれるのが月だった。私は月の出ている夜が好きだ。生きることに自信がない人を月は照らしてくれている気がするから。大きな大きな、月は昇る。大きな大きな、月は照らす。大きな大きな、月がどこか遠い惑星のもとへワープしてしまって地球から見ることができなくなったとしたらどうしよう。私はきっと、どこかの宇宙から新しい月を探しにいく冒険に出かけるんだろうな。なんてことを思った。
季節が巡ることに意味と価値を見いだそうとしてしまうのは人間の悪い性だと思う。でも今年の春には意味が欲しかった。価値が欲しかった。そう思った5月。「山下美月卒業」が大々的に発表されて卒業コンサートを行うことも同時に発表された。発表されてしまった、と言った方が私の感覚的には正しかった。こんなことに例えたらたぶん失礼なんだろうけど、なんてことないただの友達関係だったふたりが肉体関係を持ってしまってもう戻れない。みたいな感覚に近い。もう戻れないんだなぁ。と東京ドームの天井で膨らむ風船屋根のことを見上げながらそう思った。リハーサルは少し長めの休憩が入った。機材関係でトラブルが起きたらしい。メンバーはそれぞれ楽屋に戻る人もいればステージに残って振り付けと動線の確認をしているメンバーもいる。なんとなく私はそのどちらの気持ちにもなれなくて、ステージ全体が見渡せる花道の一番端っこの方に腰掛けた。ステージの装飾はいつ見ても綺麗だなと思うけれど、メンバーの卒業コンサートとなるとそのメンバーの個性が出てそれもそれで良いなぁと思う。私はぼんやりとステージを見ていた。
「綺麗でしょ、月のオブジェ」
いきなり下から山下の声が聞こえてきて思わずぎゃっと声を上げた。それを見た山下はゲラゲラ笑っていた。どうやら中央ステージの下から出てくるリハーサルをやっていたらしく、ぐいーんと山下がステージに上がってきた。
「くぼちゃん休憩中?」
「うん、なんか機材トラブルだって」
「あちゃー」
「やまは?」
「私も休憩、隣座っていい?」
「うん」
「いや〜大変だね、高校の卒業式ってもっと静かだったんだけどな」
「高校の卒業式とアイドルの卒業比べたらだめでしょ」
「そう?でも、やっぱり青春だったな、この場所は」
「そっか」
山下は東京ドーム一面を見渡してそれから少しずつ楽屋から戻ってきてステージでわちゃわちゃしているメンバーの方を見つめながらそう呟いた。
「ねぇ、くぼちゃん私が卒業するのさみしい?」
「鋭いとこ聞くね」
「気になるじゃん」
「さみしい、のかな。きっとかなしいのかもしれない。でもどこかでうれしいって思ってて。たのしいっても思ってる」
「なんかくぼちゃんっぽい」
「くぼだもん」
「逆に卒業することをみんなに報告したとき、どんな気持ちだった?」
「うーん、言葉強くなっちゃってもいい?くぼちゃんを傷つけたいわけじゃなくて自分の感想として」
「うん、いいよ」
「自殺するみたいだった。私はこれから自殺をしますって宣言してるみたいな」
「あー」
「よくさ、アイドル卒業してタレント活動始めるとさ、第二の人生って言うじゃん。それでもし私が結婚して子どもが生まれたとしたら、今度は第三の人生って言うでしょ?だから私って自殺してるんだって思った」
「なんかやまっぽい」
「だってやまだもん」
ふふっ、てふたりして笑いあってそれでその後ふたりして黙りこんだ。私は山下美月という人のことを咀嚼したかったし、きっとやまも同じことを思っていると思う。
「恋愛、するの?」
「えーどうしよっかな〜?」
「まさかもう本命の人とか居るんでしょ!」
「ふふ、居ないよ。居るわけないじゃん、私がどれだけアイドルを本気でやってきたと思ってんの」
「ま、そうだよね」
「恋愛かぁ」
「やまってどんな人がタイプなの?」
「うーん、これずっと思ってて、周りには変だって言われてるんだけどね」
「うん」
「海を一緒に眺めたいって思った人が好きかな」
「海?」
「そう、ただ浜辺に座って時々会話もするけど、海をじっと眺めるの」
「へー、なんか素敵」
「でしょ!くぼちゃんなら分かってくれると信じてた」
心はどうして目には見えないんだろう。山下美月という人間は私にはとても透き通った心を持っているように昔から感じる。限りなく透明で少しだけブルー。レースのカーテンみたいに向こう側が見えちゃうくらい透き通っている。
真剣な情熱ほどどうして言葉にできないんだろう。言葉にしようとすると呆れるほど情けなくてなんだかふざけてるみたいになって笑えてしまう。たった二文字。それだけなのにな。私は山下美月という人間に出会ったときから、不思議な気持ちがこの胸をあふれている。
「ねぇ、やま」
「ん?」
「好きだよ」
「……うん」
「うんと好き。どこまでも好き。あなたはきっとみんなのために太陽になれる人。耐えられないくらい熱いだろうに。それでもあなたはそうする人。限りなく好き。果てしなく好き」
「くぼちゃん」
「ん?」
「卒業したら、一緒に海見に行こうね」
「ふふ、うん」
それはあたたかくてでもやっぱりどこかさみしい言葉に聞こえた。
山下が卒業をするって聞いたのは世間に発表される前の選抜発表よりも前の、3期生の何人かでご飯を食べに行ったときだった。山下がここ行こうよ!ここ!と無邪気に会うたびにうんざりするほど言っていた焼肉屋さんで、その報告はあっけないものだった。
「私、卒業するから、5月」
まるでタン塩焼けたよ〜くらいのテンションで言ってきたからはじめは何を言ってるのかが分からなかった。他のみんなもどうやらそんな感じで山下に何度も聞き返していた。
「卒業を決めたの。ちゃんと自分の意思で。今日それを報告したくて」
山下はトングを持って肉をお皿からロースターに移しながら他のみんなから飛び交う質問に答えている。プチ質疑応答だ。でも私はその間、何もできなかった。お肉を食べることも、水を飲むことも、他のみんなの阿鼻叫喚に耳を貸すことも、山下の話を受け止めることも。頭が真っ白になって、ただ山下が5月には居なくなる。それだけが心の真ん中の方にこびりついて離れなかった。
結局その日は割とすぐに解散になった。山下は明日もドラマの撮影があるらしい。何人かのメンバーは泣いて卒業を撤回させようとしていたけれど、それを決めた人の意志の固さも、それを決めるまでの壮絶なまでの自分との戦いの様も知らない私たちじゃなかった。それでも引き留めたくなってしまうのはきっと山下だったからだと思う。
「くぼもバイバイ、また焼き肉食べようね」
「……うん」
言葉としてギリギリ認識できるくらいの声量で私は山下に応えた。
帰り道、なんとなく電車に乗りたくなくて、女ひとりでも大丈夫そうなできるだけ明るくて大きな道を選んで歩いた。明日は休み、明後日は雑誌の撮影が入ってるから身体のメンテナンスに時間を使おうと思った。(私、卒業するから)思考を止めてしまうとふっと山下の言葉が降りてくる。そして少しだけ罪悪感に苛まれる。(くぼが月なら私も月だよ)(くぼちゃんが居てくれていなかったら)一度降ってきた山下の言葉はまるで雨のように次々に私の心の窓を叩く。山下は私と対等でいようとしてくれた。自信がない、魅力がない、アイドルらしくない。そんな私と対等にアイドルをしようとしてくれた。そのことの意味は分からないけれど、久保にとっての山下と山下にとっての久保はたぶん似ていた。直接聞いたわけじゃないからそんなこと理想でしかないのだけれど。大きな道の先に大きな月は昇る。日なたを作ってくれるのが太陽なら、月影を作ってくれるのが月だった。私は月の出ている夜が好きだ。生きることに自信がない人を月は照らしてくれている気がするから。大きな大きな、月は昇る。大きな大きな、月は照らす。大きな大きな、月がどこか遠い惑星のもとへワープしてしまって地球から見ることができなくなったとしたらどうしよう。私はきっと、どこかの宇宙から新しい月を探しにいく冒険に出かけるんだろうな。なんてことを思った。
季節が巡ることに意味と価値を見いだそうとしてしまうのは人間の悪い性だと思う。でも今年の春には意味が欲しかった。価値が欲しかった。そう思った5月。「山下美月卒業」が大々的に発表されて卒業コンサートを行うことも同時に発表された。発表されてしまった、と言った方が私の感覚的には正しかった。こんなことに例えたらたぶん失礼なんだろうけど、なんてことないただの友達関係だったふたりが肉体関係を持ってしまってもう戻れない。みたいな感覚に近い。もう戻れないんだなぁ。と東京ドームの天井で膨らむ風船屋根のことを見上げながらそう思った。リハーサルは少し長めの休憩が入った。機材関係でトラブルが起きたらしい。メンバーはそれぞれ楽屋に戻る人もいればステージに残って振り付けと動線の確認をしているメンバーもいる。なんとなく私はそのどちらの気持ちにもなれなくて、ステージ全体が見渡せる花道の一番端っこの方に腰掛けた。ステージの装飾はいつ見ても綺麗だなと思うけれど、メンバーの卒業コンサートとなるとそのメンバーの個性が出てそれもそれで良いなぁと思う。私はぼんやりとステージを見ていた。
「綺麗でしょ、月のオブジェ」
いきなり下から山下の声が聞こえてきて思わずぎゃっと声を上げた。それを見た山下はゲラゲラ笑っていた。どうやら中央ステージの下から出てくるリハーサルをやっていたらしく、ぐいーんと山下がステージに上がってきた。
「くぼちゃん休憩中?」
「うん、なんか機材トラブルだって」
「あちゃー」
「やまは?」
「私も休憩、隣座っていい?」
「うん」
「いや〜大変だね、高校の卒業式ってもっと静かだったんだけどな」
「高校の卒業式とアイドルの卒業比べたらだめでしょ」
「そう?でも、やっぱり青春だったな、この場所は」
「そっか」
山下は東京ドーム一面を見渡してそれから少しずつ楽屋から戻ってきてステージでわちゃわちゃしているメンバーの方を見つめながらそう呟いた。
「ねぇ、くぼちゃん私が卒業するのさみしい?」
「鋭いとこ聞くね」
「気になるじゃん」
「さみしい、のかな。きっとかなしいのかもしれない。でもどこかでうれしいって思ってて。たのしいっても思ってる」
「なんかくぼちゃんっぽい」
「くぼだもん」
「逆に卒業することをみんなに報告したとき、どんな気持ちだった?」
「うーん、言葉強くなっちゃってもいい?くぼちゃんを傷つけたいわけじゃなくて自分の感想として」
「うん、いいよ」
「自殺するみたいだった。私はこれから自殺をしますって宣言してるみたいな」
「あー」
「よくさ、アイドル卒業してタレント活動始めるとさ、第二の人生って言うじゃん。それでもし私が結婚して子どもが生まれたとしたら、今度は第三の人生って言うでしょ?だから私って自殺してるんだって思った」
「なんかやまっぽい」
「だってやまだもん」
ふふっ、てふたりして笑いあってそれでその後ふたりして黙りこんだ。私は山下美月という人のことを咀嚼したかったし、きっとやまも同じことを思っていると思う。
「恋愛、するの?」
「えーどうしよっかな〜?」
「まさかもう本命の人とか居るんでしょ!」
「ふふ、居ないよ。居るわけないじゃん、私がどれだけアイドルを本気でやってきたと思ってんの」
「ま、そうだよね」
「恋愛かぁ」
「やまってどんな人がタイプなの?」
「うーん、これずっと思ってて、周りには変だって言われてるんだけどね」
「うん」
「海を一緒に眺めたいって思った人が好きかな」
「海?」
「そう、ただ浜辺に座って時々会話もするけど、海をじっと眺めるの」
「へー、なんか素敵」
「でしょ!くぼちゃんなら分かってくれると信じてた」
心はどうして目には見えないんだろう。山下美月という人間は私にはとても透き通った心を持っているように昔から感じる。限りなく透明で少しだけブルー。レースのカーテンみたいに向こう側が見えちゃうくらい透き通っている。
真剣な情熱ほどどうして言葉にできないんだろう。言葉にしようとすると呆れるほど情けなくてなんだかふざけてるみたいになって笑えてしまう。たった二文字。それだけなのにな。私は山下美月という人間に出会ったときから、不思議な気持ちがこの胸をあふれている。
「ねぇ、やま」
「ん?」
「好きだよ」
「……うん」
「うんと好き。どこまでも好き。あなたはきっとみんなのために太陽になれる人。耐えられないくらい熱いだろうに。それでもあなたはそうする人。限りなく好き。果てしなく好き」
「くぼちゃん」
「ん?」
「卒業したら、一緒に海見に行こうね」
「ふふ、うん」
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