【TL】今日もいつもの。
「今日も1杯頼むよ」
男性がカウンターにつくなり注文を投げる。
半年前、私がこのバーで働き出した時からこの人は既に常連だった。
背丈は180弱。歳は37。近所のIT企業で働いていると聞いた。
コスプレ衣装のようなものを着て接客をするというコンセプトのバーであるため、たまに面倒な客が来ることもある。
当然お触りは禁止だが、こっそりセクハラまがいのことをしてくる客がいるのも事実だ。
しかしこの男性はそんな類のことは一切無い人だった。
目と目を見て話してくれ、愚痴も聞いてくれる。
しっかりとした大人、という感じでまだ22の私にとっては、相談相手としてとても大事に思っているお客さんだ。
「最近駅前に大きな飲み屋できましたね」
「あぁ、あそこね。でも大変でしょ、客取られたり」
「けど、この店は常連さんも多いですし、案外客層は変わらないですよ。お兄さんみたいな人が支えてくれてますから」
「お兄さんって、俺もうアラフォーよ?」
「ふふっ。でもまだまだお若いじゃないですか」
今日も他愛もない話で盛り上がる。
私がお兄さんの話に付き合っている、というより、お兄さんが私の話に付き合ってくれている。
「あ、もうこんな時間だ。ごめん、お会計」
「もっと居てくれていいのに」
「二日酔いで仕事なんて、後輩に見られるとなんて言われるかわからないからね」
お兄さんはいつも決まって終電3本前には帰る。
終電過ぎても飲み明かす人もいる中、飲み方も真面目な人だ。
二日酔いな顔も見たい、なんて邪な気持ちはそっと胸にしまっておく。
「あの常連さんに気があるの?」
「わ、店長!」
背後から店長にいきなり声をかけられ反射的に距離をとってしまう。
「どうしてそう思うんですか」
「やぁねぇ、顔見てればなんとなくわかるわよ」
店長はやけに鋭い。
いや、鋭いって……別に私はそんな気は無いはずだが。
「ま、誰に惚れるのも自由だけど、客とデキると働きにくくなるわよ」
そんなこと分かっている。
「お兄さんにはきっと素敵な彼女がいますもん」
「あらそうなの?」
そんな話をしたことがあるわけでは無い。
なんとなくお互い恋愛絡みの話は少ししづらかったのだ。
けれど終電までには帰るということはきっとそういう事情があるに違いなかった。
あの落ち着き方から見て、結婚していてもおかしくない。
指輪こそしていなかったけれど、今時指輪の有無とパートナーの有無なんて簡単にイコールでは結びつかない。
っていうか、そもそもあの人のことそんなふうに見てるわけじゃ無い。
のにどうしてここまで頭の中でお兄さんのことがぐるぐる回っているのだろう。
「きょ、今日はお疲れ様です!」
自分の思考を遮断するように店長に上がりの報告をする。
私は店員で、お兄さんはお客さん。
そうだ、そういうこと。簡単なことじゃん。
結局家に帰って眠りに着くまで、この思考を止めることはできなかった。
次の週の同じ曜日、お兄さんは店に来なかった。
そんな週、今までも何度かあったのに、今日ばかりは少し胸がザワザワしてしまう。
店員と客という立場をはっきりさせておきたかったから連絡先など交換していない。
もしお兄さんのLINEを知っていたら「今日は来ないの?」なんて簡単に送れるのに。
「はぁ……」
深いため息をつく。
この気持ちの正体に気づいてしまったら、どうすれば良いのか分からない。
いっそこの店やめてしまおうか。
けど、ここを辞めたら私はどこに行けばいいんだろう。
大学を中退してフリーターをしてるけど、将来はまだまだ不安だ。
仕事終わり、既に日が昇り始めた明け方、私はそんなことを考えながら家路についていた。
「櫻子さん!」
私の名を呼ぶ声がする。
誰かと身体ごと振り向く。
「やっぱり……櫻子さんだね」
「お、お兄さん……!?」
私の名を呼ぶのは間違いなく、あのお兄さんであった。
「良かった、会えて」
お兄さんはほっとしたような表情を見せた。
「今日は行けなくてごめん。会社の飲み会があってね」
「そ、そんな、わざわざ気を使ってもらって……」
「僕が会いたかったんだ」
お兄さんの顔を見ると、いつもよりほんのり赤く染まっている。
酔っている?
会社の飲み会と言っていたし。
けれど、お兄さんはちょっとやそっとで酔う人間では無いことを私は知っている。
……っていうか、「僕が会いたかった」って……?
「私に会うためにわざわざこんな時間に……?」
「毎週この曜日は櫻子さんに会う日だから。まぁ、日付超えちゃったけどね。あはは」
お兄さんは頭を掻きながら答える。
ただの店員とお客さんの立場とわきまえていたのに、私の鼓動はどんどん早まっていく。
「あ、あの、お兄さん、その……」
「ん?」
「こんな時間までこんな飲み屋街にいて、彼女さんとか、心配されますよ」
お兄さんがキョトンとする。
なにか変なことを口走ってしまっただろうか。
「彼女なんて居ないよ」
「えっ!?」
予想外の答えで今度は私が目を丸くしてしまった。
「もしかして、こんな歳だから結婚してるとも思ってた?」
図星だ。
「いないよ、彼女も妻も」
つまり、お兄さんはシングルなんだ。
それを知った瞬間、心のどこかで期待している自分がいた。
「だって、僕には想っている人がいるから」
「えっ……?」
気がつくとお兄さんは私の腕を引いて歩き出した。
「お兄さん!?」
私の問いかけを無視して、そのまま二人人気のない路地裏に入る。
「ねぇ、櫻子さん」
「はい……」
「僕は君のことが好きだ」
お兄さんが……?
私のことを……?
「なに言ってるんですか!店員と客ですよ!」
「わかってる。でも、そんなの関係ないじゃないか。人目見た時から、僕は君のことしか見えていなかった。もう我慢できない」
お兄さんは私の両肩を掴み、じっと見つめてくる。
熱い視線が刺さり、自分の身体が火照っていくのを感じた。
「僕のこと、嫌いだったらここで殴り飛ばしてくれたって構わない。店にももう行かない」
お兄さんの目は本気だった。
お酒のせいか、それとも私の見間違いなのか、彼の瞳には涙が溜まっていた。
そんな顔を見てしまっては、私も覚悟を決めるしかない。
「わ、わたし……」
「うん」
「わた……、私は……」
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」
お兄さんの優しい声音に、思わず心が溶けてしまいそうになる。
「私は……」
深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「私は……お兄さんのことが好きです……」
明け方の静かな街に私の決意がこだまする。
「櫻子さん……」
瞬間、私の目の前がお兄さんでいっぱいになった。
お兄さんの匂いに包まれる。
抱きしめられている。そう理解するのに時間はかからなかった。
しかしその時間は私に思考の猶予を与えるのにも十分だった。
「ま、待って、やっぱり」
お兄さんの手を振りほどく。
「やっぱり、ダメか……?」
そんな悲しそうな顔をしないで。
お兄さんが好きなのは本当。
だけど……
「一緒になったら、私もうお店にいられなくなる……」
「そっか……」
再びお兄さんは私を抱き寄せる。
「居られなくなってもいいじゃん」
「え……?」
「僕のとこにくればいい」
お兄さんの意外だった言葉に言葉が出なくなる。
「櫻子さんさえ良ければ、僕が養うよ」
「そんな……、簡単に言わないでくださいよ……」
「簡単なわけない。僕にとっては一世一代の告白だ」
「……」
「それに……」
と続けるお兄さんの声が震えている。
「櫻子さんと一緒に生活したら、きっと毎日が楽しいと思うんだ。僕にとって、君が隣にいるというだけで幸せなんだ」
いつの間にか私の頬を一筋の雫が伝っていた。
「さ、櫻子さん、ごめん、突然こんなこと……」
「……嬉しい…………」
「え……?」
「すごく、嬉しかったです……、私もずっとお兄さんのことが好きだった……」
「櫻子さん……」
「本当に私なんかで良いんですか……?」
「もちろん」
お兄さんは再び私を強く抱き寄せた。
「絶対に幸せにする」
「あ、でも私もちゃんと働きますからね!」
「ふふっ、櫻子さんらしいね」
私たちはお互い笑い合った。そしてどちらともなく唇を重ねる。
朝焼けの空は私たち2人を祝福するように光輝いていた。
男性がカウンターにつくなり注文を投げる。
半年前、私がこのバーで働き出した時からこの人は既に常連だった。
背丈は180弱。歳は37。近所のIT企業で働いていると聞いた。
コスプレ衣装のようなものを着て接客をするというコンセプトのバーであるため、たまに面倒な客が来ることもある。
当然お触りは禁止だが、こっそりセクハラまがいのことをしてくる客がいるのも事実だ。
しかしこの男性はそんな類のことは一切無い人だった。
目と目を見て話してくれ、愚痴も聞いてくれる。
しっかりとした大人、という感じでまだ22の私にとっては、相談相手としてとても大事に思っているお客さんだ。
「最近駅前に大きな飲み屋できましたね」
「あぁ、あそこね。でも大変でしょ、客取られたり」
「けど、この店は常連さんも多いですし、案外客層は変わらないですよ。お兄さんみたいな人が支えてくれてますから」
「お兄さんって、俺もうアラフォーよ?」
「ふふっ。でもまだまだお若いじゃないですか」
今日も他愛もない話で盛り上がる。
私がお兄さんの話に付き合っている、というより、お兄さんが私の話に付き合ってくれている。
「あ、もうこんな時間だ。ごめん、お会計」
「もっと居てくれていいのに」
「二日酔いで仕事なんて、後輩に見られるとなんて言われるかわからないからね」
お兄さんはいつも決まって終電3本前には帰る。
終電過ぎても飲み明かす人もいる中、飲み方も真面目な人だ。
二日酔いな顔も見たい、なんて邪な気持ちはそっと胸にしまっておく。
「あの常連さんに気があるの?」
「わ、店長!」
背後から店長にいきなり声をかけられ反射的に距離をとってしまう。
「どうしてそう思うんですか」
「やぁねぇ、顔見てればなんとなくわかるわよ」
店長はやけに鋭い。
いや、鋭いって……別に私はそんな気は無いはずだが。
「ま、誰に惚れるのも自由だけど、客とデキると働きにくくなるわよ」
そんなこと分かっている。
「お兄さんにはきっと素敵な彼女がいますもん」
「あらそうなの?」
そんな話をしたことがあるわけでは無い。
なんとなくお互い恋愛絡みの話は少ししづらかったのだ。
けれど終電までには帰るということはきっとそういう事情があるに違いなかった。
あの落ち着き方から見て、結婚していてもおかしくない。
指輪こそしていなかったけれど、今時指輪の有無とパートナーの有無なんて簡単にイコールでは結びつかない。
っていうか、そもそもあの人のことそんなふうに見てるわけじゃ無い。
のにどうしてここまで頭の中でお兄さんのことがぐるぐる回っているのだろう。
「きょ、今日はお疲れ様です!」
自分の思考を遮断するように店長に上がりの報告をする。
私は店員で、お兄さんはお客さん。
そうだ、そういうこと。簡単なことじゃん。
結局家に帰って眠りに着くまで、この思考を止めることはできなかった。
次の週の同じ曜日、お兄さんは店に来なかった。
そんな週、今までも何度かあったのに、今日ばかりは少し胸がザワザワしてしまう。
店員と客という立場をはっきりさせておきたかったから連絡先など交換していない。
もしお兄さんのLINEを知っていたら「今日は来ないの?」なんて簡単に送れるのに。
「はぁ……」
深いため息をつく。
この気持ちの正体に気づいてしまったら、どうすれば良いのか分からない。
いっそこの店やめてしまおうか。
けど、ここを辞めたら私はどこに行けばいいんだろう。
大学を中退してフリーターをしてるけど、将来はまだまだ不安だ。
仕事終わり、既に日が昇り始めた明け方、私はそんなことを考えながら家路についていた。
「櫻子さん!」
私の名を呼ぶ声がする。
誰かと身体ごと振り向く。
「やっぱり……櫻子さんだね」
「お、お兄さん……!?」
私の名を呼ぶのは間違いなく、あのお兄さんであった。
「良かった、会えて」
お兄さんはほっとしたような表情を見せた。
「今日は行けなくてごめん。会社の飲み会があってね」
「そ、そんな、わざわざ気を使ってもらって……」
「僕が会いたかったんだ」
お兄さんの顔を見ると、いつもよりほんのり赤く染まっている。
酔っている?
会社の飲み会と言っていたし。
けれど、お兄さんはちょっとやそっとで酔う人間では無いことを私は知っている。
……っていうか、「僕が会いたかった」って……?
「私に会うためにわざわざこんな時間に……?」
「毎週この曜日は櫻子さんに会う日だから。まぁ、日付超えちゃったけどね。あはは」
お兄さんは頭を掻きながら答える。
ただの店員とお客さんの立場とわきまえていたのに、私の鼓動はどんどん早まっていく。
「あ、あの、お兄さん、その……」
「ん?」
「こんな時間までこんな飲み屋街にいて、彼女さんとか、心配されますよ」
お兄さんがキョトンとする。
なにか変なことを口走ってしまっただろうか。
「彼女なんて居ないよ」
「えっ!?」
予想外の答えで今度は私が目を丸くしてしまった。
「もしかして、こんな歳だから結婚してるとも思ってた?」
図星だ。
「いないよ、彼女も妻も」
つまり、お兄さんはシングルなんだ。
それを知った瞬間、心のどこかで期待している自分がいた。
「だって、僕には想っている人がいるから」
「えっ……?」
気がつくとお兄さんは私の腕を引いて歩き出した。
「お兄さん!?」
私の問いかけを無視して、そのまま二人人気のない路地裏に入る。
「ねぇ、櫻子さん」
「はい……」
「僕は君のことが好きだ」
お兄さんが……?
私のことを……?
「なに言ってるんですか!店員と客ですよ!」
「わかってる。でも、そんなの関係ないじゃないか。人目見た時から、僕は君のことしか見えていなかった。もう我慢できない」
お兄さんは私の両肩を掴み、じっと見つめてくる。
熱い視線が刺さり、自分の身体が火照っていくのを感じた。
「僕のこと、嫌いだったらここで殴り飛ばしてくれたって構わない。店にももう行かない」
お兄さんの目は本気だった。
お酒のせいか、それとも私の見間違いなのか、彼の瞳には涙が溜まっていた。
そんな顔を見てしまっては、私も覚悟を決めるしかない。
「わ、わたし……」
「うん」
「わた……、私は……」
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」
お兄さんの優しい声音に、思わず心が溶けてしまいそうになる。
「私は……」
深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
「私は……お兄さんのことが好きです……」
明け方の静かな街に私の決意がこだまする。
「櫻子さん……」
瞬間、私の目の前がお兄さんでいっぱいになった。
お兄さんの匂いに包まれる。
抱きしめられている。そう理解するのに時間はかからなかった。
しかしその時間は私に思考の猶予を与えるのにも十分だった。
「ま、待って、やっぱり」
お兄さんの手を振りほどく。
「やっぱり、ダメか……?」
そんな悲しそうな顔をしないで。
お兄さんが好きなのは本当。
だけど……
「一緒になったら、私もうお店にいられなくなる……」
「そっか……」
再びお兄さんは私を抱き寄せる。
「居られなくなってもいいじゃん」
「え……?」
「僕のとこにくればいい」
お兄さんの意外だった言葉に言葉が出なくなる。
「櫻子さんさえ良ければ、僕が養うよ」
「そんな……、簡単に言わないでくださいよ……」
「簡単なわけない。僕にとっては一世一代の告白だ」
「……」
「それに……」
と続けるお兄さんの声が震えている。
「櫻子さんと一緒に生活したら、きっと毎日が楽しいと思うんだ。僕にとって、君が隣にいるというだけで幸せなんだ」
いつの間にか私の頬を一筋の雫が伝っていた。
「さ、櫻子さん、ごめん、突然こんなこと……」
「……嬉しい…………」
「え……?」
「すごく、嬉しかったです……、私もずっとお兄さんのことが好きだった……」
「櫻子さん……」
「本当に私なんかで良いんですか……?」
「もちろん」
お兄さんは再び私を強く抱き寄せた。
「絶対に幸せにする」
「あ、でも私もちゃんと働きますからね!」
「ふふっ、櫻子さんらしいね」
私たちはお互い笑い合った。そしてどちらともなく唇を重ねる。
朝焼けの空は私たち2人を祝福するように光輝いていた。
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