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夫婦狛日

「何これ?」
夕飯の片付けを終えてソファーに座りながらテレビを見る俺に、凪斗が珈琲を片手に訪ねてきた。
「『略奪の愛』」
「は?」
「昼にやってる連ドラだ」
俺は画面から目を離さず手短に答える。今直子(主人公)がようやく心から愛する人(浮気だけども)と結ばれようとしているんだ。最初は暇潰しに見始めたものだったけど、なかなか引き込まれるものがあって最近はこの昼ドラを見ることが俺の楽しみだったりするんだ。
「ふぅん、昼間はこんなのがやってるんだね」
「あぁ。いつもはリアルタイムで見てるんだけど、今日は買い物に行ってたからな」
凪斗の抑揚のない声音から、このドラマに全く興味を示していないことは明らかだったけれど、俺が夢中になって見ているからかそれを言葉に出しては来なかった。凪斗が珈琲を啜りながら大人しく俺の隣に腰を下ろす間に、物語は一気に熱を上げる。
『直子……』
『真司さん……』
画面の向こう側で直子と真司がきつく抱擁をする。互いの体温をしっかりと受け入れてから、ゆるりと腕の力を抜き濡れた瞳で互いを見つめ合う。
画面が二人の顔を大きく映す。半開きになった直子の唇にゆっくりと真司の唇が近づく。そして、互いの瞼が徐々に落ちていき……と、その時だった。
『直子!』
『!……明夫さん……』
直子と真司の逢瀬を切り裂く声。これは直子の旦那の明夫の声だ。
『直子その男は誰だ!まさか俺以外の男と……』
『今更夫ぶらないでよ!仕事が忙しいとか疲れてるとか言って散々私のことほったらかしたくせに!』
『みっともないぞ!そんな若い男となんて……!』
『初めてなのよ!あんなに身も心も満足したのは……!あなたとなんかは大違いよ!』
愛しい人との密事を邪魔されてヒスを起こす直子と、妻の不貞に激しく怒りを示す明夫。
急展開を迎える場面に、俺は一層引き込まれ釘付けになってテレビを見つめる。
うーん、なんだかすごい展開になってきたぞ。この後一体どうなるんだろう。
直子の幸せを願いハラハラする心臓を抱え、今後の展開を見守っていた時だった。
突然、プツンと音を立てて画面が真っ暗になった。
「え、あれ?」
今まで部屋に響いていた騒々しい夫婦喧嘩の声はピタリと止み静寂が包む。真っ暗の画面には、口を開けて目をパチクリと開閉する俺の間抜けな顔が映っていた。ついでに、隣で画面に向かってリモコンを向ける凪斗の姿も。
「おい凪斗。何するんだよ、せっかく今いいところだった……」
「創」
む、と眉を寄せる俺の眼前に、凪斗の人形みたいな綺麗な顔が迫った。同時に身体も寄せられ、俺はそのまま凪斗の身体に押し倒される形でソファーに上半身を沈める。
「なに、」
「したい」
「へ」
「したいんだ、創」
「んむっ……」
言葉を返すより早く、凪斗が噛み付くように唇を重ねてきた。
中途半端に開いた唇の隙間から強引に舌をねじ込まれ、口内の柔らかな部分を凪斗の舌が犯す。歯列、内頬と次々に凪斗の舌に味われる感覚に、耳のあたりがじぃんと痺れ、瞳に薄い水の膜が張った。特に上顎を丹念に舐られたのは、そこが俺の口の中で一番弱いところだって知ってるからだろう。
「んっ……ふ、ぅ……は……っ」
絶え間なく注がれる唾液は飲み込む他ない。喉を嚥下するたびに、つられて凪斗の舌が更に奥へ入り込んでくる。粘液をまとうそれらが絡み合う感触に、下腹部がきゅうんと疼くのを感じた。
くるしい、きもちいい、もう、何も考えられない。
「はふっ……ん、んぅ……」
経口による甘い毒に視界も思考もぼやけてきた頃、ようやく凪斗の舌が俺の口から引き抜かれた。だけど、まだ凪斗は俺のことを離してくれない。
唾液と呼気で濡れそぼる唇に、今度は啄ばむようなキスを何度もしてきた。最後に残った理性をも食べ尽くすかのように、何度も何度も、甘えるように俺の唇にちゅ、ちゅと音を立てて凪斗がキスを繰り返す。
「創……」
凪斗のか細い声が聞こえた。だから俺は、やっと凪斗からの激しい愛撫が終わったことに気付いた。
「なぎ、と……?」
必死に酸素を肺に取り込み、瞬きを繰り返し瞳に張った雫を目尻に滲ませて俺は俺を見下ろす凪斗を見つめる。
上気した頬に俺と同じく酸素を取り込む為に揺れる肩。それから眉を八の字に曲げて瞳を滲ませた情けない顔。
これは、凪斗の思考が良くない方向にいってる時の顔だ。
俺は散り散りになった理性の糸を掻き集め何とか思考を動かす。今の短い時間の中で、凪斗の思考が変な方向に向かったきっかけというと……。
「……お前、さ……もしかしなくても……さっきのドラマ見て、変なこと考えたんだろ……」
「……んぅ」
解答にたどり着くまで、時間はそうかからなかった。俺の言葉に、凪斗がゆるりと頷いてそれから俺の胸元に顔を寄せる。
「……創、浮気はダメだからね」
「するわけないだろ」
「……でもだってキミ、あのドラマものすごく熱心に見てたじゃない……ボクの知らないだけで、もしかしたらキミに寝取られたい性癖があるのかもって思ったら……」
「あのなぁ……」
凪斗の暴走っぷりに俺はとうとう溜息をついた。頭悪いわけではないのに、俺のことになると変な方向に走るんだから。
まぁ、それもそれだけ想われているって思うと、悪くはないけれど。
「……俺にはそういう性癖はないし、さ」
「うん……」
「何より……俺の身も心も、全部凪斗のものだからな」
俺の胸に埋まる白い綿毛を撫でながら呟くと、そいつはようやく先程よりマシな顔を見せた。
「うん……せっかくドラマ見てたのに、ごめんね?」
そう言って俺の身体からゆっくり離れる凪斗を、その手首を俺はきゅっと掴む。
「何で、離れるんだ……?」
「え、だって、ドラマの続き見なくていいの?」
「……酷いやつだな」
掴んだ手首を自分の口元に寄せ、凪斗の白くて骨ばった指先を口に含む。人差し指に舌を這わせ、指の間を舌先でくすぐって、最後に指先にちゅうと吸い付いて唇を離した。
「……言ったろ。身も心も、お前のものだって」



翌日、使い物にならなくなったソファーカバーを買いに急遽出かけたのはまた別の話。

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