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アイマネ

‪またやってしまった。‬
‪「はぁ……」‬
‪楽屋のドアを開けて、俺は盛大なため息を吐く。撮影中の今あいつ専用の楽屋は当然もぬけの殻で、一人になるには丁度良かった。‬
‪ 俺は手近にあった椅子を引いて力なく腰を下ろす。用意されてたペットボトルの水を幾らか口に含むと、乱れていた気持ちが少しだけ落ち着いた気がした。‬
‪ 今日は、とあるミステリードラマの撮影日だ。主役の片腕、即ち準主役を務めるのは、人気急上昇アイドルの狛枝凪斗。俺がマネジメントしているタレントであり……俺の、恋人でもある。‬
‪ ドラマの撮影は順調に進んでいて、クランクアップもまもなくだ。準主役である狛枝にとっては今日がクライマックスの撮影……つまり最大の見せ場なのである。‬
‪ そんなあいつにとって大事な撮影シーンを、俺は見守ることが出来ずにあろうことか現場から逃げ出してしまっていたのだ。理由はその山場が『ラブシーン』だったから。そんな単純で、ツマラナイ理由。‬
‪ 狛枝が向ける色を込めた視線も、優しく触れる指先も、形の良い唇から紡がれる愛も。全部全部俺の物なのに。そんな真っ黒で汚い気持ちが心の中で渦巻いて、気付けば俺は逃げるように現場から立ち去ってしまっていたのだ。‬
‪ 仕事に私情を持ち込むべきじゃない。そんなのことはわかっている。けれど俺は、そこまで割り切れるほど出来た人間じゃなかった。辛いものは辛いし、見たくないものは見たくない。 ‬
‪ けれど、俺は恋人の前にあいつのマネージャーなのだ。なのに、あいつにとって一番大事な時に側にいてやれないなんて、情けなくて仕方ない。不器用な自分が、本当に嫌になる。‬
‪「はぁ……」‬
‪溜まった嫌な気持ちを吐き出して、俺は机に突っ伏した。‬
‪ 撮影、上手くいったかな。昨日も寝る前に台本読み込んでたから、大丈夫だとは思うけど。きっと、良い演技してるだろうな。思わず見惚れてしまうくらい。‬
‪ あぁ。本当に妬けてしまう。‬
‪「ここに居たんだね」 ‬
ガチャリと音が響いて柔らかな声が耳に届いた。心臓がどきりと跳ねて、俺は勢いよく顔を上げる。
‪「こ、狛枝!えっと、撮影、終わったのか?」‬
俺は立ち上がって狛枝のそばに駆け寄った。
‪「ん……ちょっとNG出しちゃってね。休憩貰ってきた」
狛枝の言葉に俺は眉を寄せる。狛枝がNGを出してしまったのは……。
‪「……俺の、せいだよな」
‪「……まぁ、いきなり居なくなったからね。具合悪くなったのかなって心配してたけど……そうじゃ無さそうだね」
狛枝はそう言って俺のほっぺたをそっと撫でてくれた。きっと、俺がなんで居なくなったかわかってるのだろう。
「ごめんな。覚悟してたつもりだったんだけど、やっぱり……ちょっとキツかった。お前の大事なシーンだったのに」
俺は、蚊の鳴くような声で謝罪した。狛枝の仕事を邪魔してしまった。何よりも演技に集中して欲しかった時に、気を遣わせてしまった。情けないし、悔しい。こんなの、マネージャー失格だ。
「あは、謝らないでよ。確かに演技は乱れちゃったけど……ボクは、嬉しいよ」
「え?」
「キミはいつもボクのことを考えてくれてるけどさぁ……七割、いや八割くらいはボクのマネージャーとしてでしょ?でも、今はボクの恋人としてボクのことを考えてくれてる。……浮かれるなって方が無理だよ」
狛枝はそう言って俺の肩に頭を預けてきた。触れる肌はほんのりと熱い。演技ではない、俺だけが知る狛枝の本当の気持ちがありありと伝わってくる。
「でも、今は仕事中だから私情を優先させちゃいけなかったんだ」
「はぁ……本当キミは真面目だよね。ま、そういうところが可愛いんだけど」
狛枝はつまらなそうにため息をついて顔を上げた。さりげなく吐かれた台詞に俺の心臓は喜んでたけど、今は喜んでる場合じゃないんだぞ!静まれ!俺の心臓!
「そこまで罪悪感に苛まれてるのなら……そうだな、お詫びでもしてもらおうかな」
「お詫び?」
「うん。キミが誠意を持ってお詫びしてくれたら……一回でOK出してくるよ」
狛枝は顎に手を当ててにっこりと微笑んだ。ずっとこいつのそばにいたからわかるけど、こういう顔している時のこいつは、決まって良くないことを考えている。けれど、こいつのモチベーションの為なら俺は何だってしてやる。
「お詫びって……具体的には何をすればいいんだ?」
訝しんでジッと見つめていると、狛枝の両腕が俺の腰を抱えた。グッと、あいつとの距離が近くなる。
「……キス、してよ」
一瞬、時間が止まったような気がした。まるで映画のワンシーンに巻き込まれたかのような、そんな錯覚に陥る。けれどすぐに時は動き出して、俺は目を剥いた。
「キ、キスってお前……!できる訳ないだろ!ここ職場だぞ!?だっ、誰かに見られたら……!」
「大丈夫だよ。ほら、ボク運いいし。誰も来ないって。……早くしてくれないと休憩終わっちゃうんだけど」
狛枝は冷ややかな目で唇を突き出しながら、グイグイと俺の腰を引っ張りキスを促す。仕事中、狛枝の為、マネージャーとしての立場、恋人として触れたい。様々な感情が俺の中で混ぜこぜになって、ぐるぐると頭の中で回る。この場において何が正しいのかなんて、もうわからなかった。けれど、狛枝の気持ちにマネージャーとして、恋人として両方の面で応えてやるのがきっと……。
「っ……」
唇をキュッと結んで、あいつの唇にそっと押し付ける。薄いけどしっかり柔らかい、あいつの唇の感触。ふわりと香ったのは、現場に行く前俺が付けてやった保湿リップクリームの甘い香りだった。
「っ……が、頑張って、こい……!応援してるから……!」
「ふふ……ま、及第点ってとこかな」
歯切れ悪く激励の言葉を送ると、ようやく身体の拘束が緩んだ。
「お詫びしてもらったし、そろそろ戻ろうかな。キミはここで待ってていいから。すぐ戻ってくるつもりだし」
狛枝は不敵に笑った。すぐにということは、一発OKをもらってくるつもりなのだろう。いや、つもりなんかではない。狛枝は、一発OKをもらってすぐに俺の元に戻ってくる。だって、こんなにもきらきらと希望に溢れた、良い顔をしているのだから。
「……わかった。行ってこい」
「うん。だから、ね。すぐにキミのとこに帰ってきたら……」

 ──今度はお詫びじゃなくて、ご褒美がほしいな。




「まだ昼のこと気にしてるの?」
「うぅ……だって、マネージャーとしてお前のこと考えなきゃいけなかったのに……しかも、仕事中なのにあんなことしちゃったし……」
時刻は夜の九時過ぎ。仕事を終えた俺たちは狛枝の家で一日の疲れを癒していた。あの後の撮影はというと、狛枝の宣言通り一発OKで無事終了。今日はあの撮影が最後だということもあり、二人で夕食を取って今に至る。
「そんなに気にすることじゃないと思うけどな。ボクだって人間だし、完璧に仕事できないよ?」
「うん……分かってるけどさ。やっぱり、俺はどんな時でもそばでお前のこと見守ってやりたいんだよ」
俺はソファーの上で膝を抱えながら呟いた。今の俺の楽しみは、狛枝の成長を近くで感じて見守ることだ。どんな仕事でもどんな姿でも近くで成長を見たいと願っているのに、狛枝の恋人としての俺がそれを邪魔する。
「だから、ああいうシーンも慣れなきゃなって……頭では理解してる、つもりなんだけどさ……」 
「慣れなくていい」
「え……わ、」
不意に横からとんっと身体を押された。膝を抱えていた俺の身体は、簡単に傾きソファーの上に身を沈ませる。二、三度瞳を瞬かせると、視界に表情に色を宿した狛枝が映った。
「慣れるってことはつまりさ、ボクがキミ以外の人に触れても、キミはなんとも思わないってことでしょ?……そんなの、ボクは嫌だよ」 
俺を見下ろす狛枝は、我が儘を言う子供みたいな顔をしていた。
「嫉妬は悪じゃないよ。それは、ボクに恋をしてる証拠だろ?だから……その感情も大切にしてよ」
その瞬間、俺はようやく気づく。俺は狛枝のマネージャーであり恋人なんだ。二つの立場に優劣なんてない。そんな当たり前のことに今更気づくなんて。
「狛枝……」
俺は狛枝の方に手を伸ばした。漏らした声は自分でも驚くくらい甘くて、恥ずかしささえ覚える。けれど、今は羞恥心も難しいことも全部忘れてしまっていいだろう。
 だって今の俺は、狛枝凪斗のマネージャーじゃない。狛枝凪斗の恋人なのだから。
「ね、昼の約束、覚えてる?」
狛枝の額がコツンと俺の額に当たった。ああと頷く前に、俺は熱く吐息を漏らして狛枝の唇に同じものを重ねる。優しく、慈しみを込めて唇を食むと、じわりと胸に愛おしさが広がった。ちゅ、ちゅ、と控えめに鳴る水音が、心地よく脳裏に響く。
 程よく唇を濡らしたところで、狛枝は唇の隙間からちろりと舌を覗かせた。誘われる蝶のように俺も舌を突き出し、空中でそれらをいやらしく絡める。
「ふっ……はぁ……んむぅっ……」
柔らかな粘膜を擦り付ける感覚は気持ちよくももどかしかった。焦ったかったのはお互い様で、今度はむしゃぶりつくように激しいキスを交わす。
 狛枝の舌は結構長いのだ。その長い舌が俺の口の中で自在に動き回って、俺の全てを貪り尽くす。
 俺を求めてくれる狛枝の気持ちに応えたくて、俺は何度も角度を変えてキスをし、舌をくねらせた。
 俺だけが知る狛枝の味、狛枝の熱情。今だけは堂々と感じていいんだ。
 狛枝は俺のものだって。
「ん……こんな情熱的なキスをしてくれるなんて……頑張った甲斐あったなぁ」
濡れそぼった唾液を舌で舐めて、狛枝がうっとりと吐息を溢した。その様が妙に色っぽくて、見つめているとまた一つキスをされる。優しく、可愛がるようなキスだった。
「……なぁ」
「うん?」
「そ、その……ベッド、行かないか?」
もじもじしながら所謂"お誘い"をすると、狛枝の白い肌がパッと桃色に上気する。
「……何?今日のご褒美は随分奮発してくれるね」
「それは、違うぞ」
「わっ」
俺は狛枝の方に腕を伸ばして身体を抱きしめた。だって、今から言うセリフは、俺にとってはすごく恥ずかしくて、真正面からじゃ言えないから。
「ご褒美じゃなくて……お、俺がお前に抱かれたいんだ。……そういうのは、だめか?」
狛枝の耳元にぽそぽそと注いで、俺は狛枝の反応を待った。が、一向にアクションがない。
 どうしよう。俺、誘い方下手だったか?そう思った矢先、狛枝がやたら熱いことに気付いた。よく見たら顔が、耳が茹で蛸のように赤い。
「……狛枝?」
「っ……ごめん、今取り繕う余裕ないっ……だってキミっ……あぁもうっ」
狛枝は口を塞いだり顔を覆ったり、稀に見ない程取り乱していた。珍しい狛枝の様子を口をあんぐり開けて観察していると、徐に手を引かれて立たされる。連れ去られた先は、勿論シーツの海だ。
「……明日、使い物にならなくなったらごめんね」
「……それは、お互い様、だな」
狛枝の熱い吐息が肌に触れ、再び口付けがなされる。
 明日朝イチで電話したら二人揃って有給取れるかな?半日でも休めたらいいんだけどな。本のちょっぴり心配していた明日の事は、熱い口付けがすぐに溶かした。
 ああ、そうだな。今はこの激しくて甘い時間にただただ身を委ねてしまおうか。
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