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その他パロ

- とある館の書生の日記より -
序章

 想っているヒトがいる。自分と同じ、書生としてこのお屋敷にお世話になっているヒナタハジメという青年だ。どこにでもいる平凡な青年ではあるが、十人程度いる書生の中で群を抜いて真面目で、努力家で。だけどそれを鼻にかけることもなく、誰に対しても分け隔てなく接することができる、なんとも不思議な魅力を持った青年だった。
 そんな彼に自分はどうしようもなく惹かれていた。同性であることが些細な問題に感じるくらい強く、だ。
 けれど、自分はこの気持ちを打ち明けるつもりはない。書生である自分には色恋事にうつつを抜かす暇などないし、第一叶わぬ想いであるということは明白だった。
 彼に想いを伝えるつもりはないが、想いを捨てる気もなかった。だからこの気持ちは、自分の青春の一頁として胸に仕舞い込み、墓場まで持っていくつもりだ。
 彼の友人として隣に居続け、彼の笑顔を見続ける。それが今の自分の幸せで、胸に満ちる幸福がいつまでも続けばいいと願っていた。



其の一

 ある晩の事だった。物音で目を覚ますと、部屋を後にするヒナタの姿を見た。
 はて、どうしたのだろう。自分は首を捻る。勉学はいつも明け方にしているヒナタがこんな夜更けに何処か行くなんて。
 どうしてもヒナタの行方が気になった自分は、ヒナタの後をつけることにした。
 音を立てぬようひっそりと廊下を往くヒナタの後に続く。彼は迷う事なく歩み続け、そうしてとある部屋の中へ入っていった。自分はギョッと目を剥く。そこは、この屋敷当主の子息であるコマエダナギト様の部屋だったのだ。
 どうしてヒナタがご子息様の部屋に。まさか何か粗相をして折檻を?
 あのヒナタに限ってそんなことは。渦巻く不安を雲散するかのように首を振りかぶる。もし、罵声や張り手の音が聞こえたら助けに入ろう。彼を助ける為ならば、主人に逆らうことも躊躇わない。そう固く決意して、自分はご子息様の部屋の戸に耳を傾けた。
『あっ……』
聞こえてきたのは、艶やかな嬌声だった。予想だにしていなかったあまりにも色っぽい声に、びくりと心臓が跳ねる。
『んっ……凪斗様、なぎと、様……』
戸一枚越し、籠もって聞こえるその声は紛れもない。ヒナタの、声だ。
『凪斗様……もう、大丈夫、です……』
『大丈夫って……まだ少ししか慣らしてないよ?』
『へーきです……時間が惜しいんです、少しでも貴方を感じていたい……』
『……そんなの、ボクだって……!』
『……っあ!あ、あぁ…!凪斗様、なぎとさまぁ……!』
『っう……ん、はぁっ……創クンっ……』
━━━愛してる。   
 最後に聞こえた台詞は、多分そうだった。しかし、それを聞き終える前に自分は走り出していた。
 自分の知らないヒナタの姿に、酷く動揺した。あんな甘い声で名を呼んで、女のように艶やかな声を発して。心臓に針が千本撃ち込まれたような心地だった。  
 何でご子息様が、よりにもよってヒナタを。悔しくて腹立たしくて涙が止まらなかった。けれど、下半身はどうしようもなく昂ってそれがまた情けなかった。



其の二

「ヒナタ、ご子息様に何か脅されたりしているのか?」
次の日、自分はヒナタに昨夜の事について詰め寄った。
 一晩寝て冷静になってあれこれと思考したのだ。ヒナタとご子息様はホントウに恋仲なのだろうか、と。
 何度も言うがコマエダナギト様はこの一帯を昔から治めている由緒正しいお家のご子息様、つまりこのお屋敷の次期当主だ。そんな上の身分の方が、一書生であるヒナタに熱を上げているなんて普通に考えれば有り得ない。行き着く答えは二つだ。ヒナタがご子息に脅され無理やり夜伽の相手をさせられているか、ヒナタが一方的にご子息様を慕い、その気持ちを利用されているか。
 どちらにせよヒナタは弄ばれているのだろう。ふつふつと怒りが込み上げてくる。この愛しい人を凌辱し悲しませるなんて。そうだ、あの片隅により自分が、自分こそが、ヒナタに相応しい。
「……どうして、そんなことを聞くんだ?」
ヒナタは抑揚のない声で返してきた。まるで自分の事を拒んでいるかのような、冷たい印象を受けた。
「昨日、見たんだ。オマエがご子息様の部屋に入って……その……」
その瞬間昨夜戸越に聞いた声が脳内で響いた。カァッと熱が集まる頬。自分はパッとヒナタから視線を逸らす。とてもじゃないが、彼を直視することができなかった。
「そうか……」
ヒナタの表情は、驚く程変わらなかった。
「それで、オマエは俺にどんな答を望んでいるんだ?」
無表情のまま、彼は自分に問いかける。答?答も何も無い。
「自分はただ、真実が……オマエの気持ちが知りたくて……」
ヒナタの黄金の瞳に見つめられると、どうしても狼狽してしまった。全てを見透かすような、真っ直ぐと澄んだ瞳。自分のこの恋心まで見透かされてしまうのでは。そう、錯覚してしまいそうになった。
「……ご子息様を……凪斗様を、お慕いしている。……これが、すべてだ」
凛と洗練された声。偽りのない、真の言葉。返す言葉が見つからず口の開閉を繰り返してしまうのは、失恋の衝撃が思いの外大きかったからだ。
「……オマエに守る義理なんてないけれど、このことは秘密にして貰えると……助かる。……いつか、散ってしまう恋なんだ。もう少しだけ、夢を見させてくれ」
最後に儚く笑んで、ヒナタは自分の前を去っていった。
 喪失感とやるせなさ。それらを怒りと嫉妬が食い潰す。
 嗚呼、やはりヒナタは弄ばれていたのだ。あのお高くとまったご子息様に!
 自分なら、ヒナタにあのような顔させないのに。きっと対等に、幸せになれるのに。
 もし自分が勇気を出してヒナタに気持ちを伝えていたのならば、今頃ヒナタは自分の隣でとびきりの笑顔を見せてくれたのだろうか。
 今となっては遅すぎる後悔が、いつまでも自分の中に残っていた。



其の三

「ねぇ君、ちょっといいかな?」
それからしばらく経ったある日、ご子息様に声を掛けられた。表面に出さぬよう取り繕ったが、内心困惑と緊張でいっぱいだった。
 ついて来てと言われ、向かった先はご子息様の部屋。初めて中に踏み込んだそこは、物こそ少なかったが机も椅子も寝具も丁寧な細工が施された一級品が連なっていた。特に寝具なんかは見たこともない形状をしていて、全体が薄いヴェールで覆われている。
 あの晩……いや、あの晩に限らず、ヒナタはここでご子息様に……。
「……そのベッドが気になるのかい?」
ハッと我に返り声の方へ眼をやると、柔和な顔を浮かべたご子息様と目があった。
「いえ、別に」
とっさに自分は顔を逸らしてしまう。ご子息様と会話する事は勿論、顔を合わせることも初めてだったが、何て言うかこの人は不気味だ。何を考えているのか一切分からない。仏蘭西人形のようなえらく整った相貌もそれを助長させているかのように思える。
「そんなに警戒しないでよ」
ご子息様が川のせせらぎのような声で語りかけてくる。
「ボクはね、君に少しだけ親近感を感じているんだよ。だって、そうだろ?」
ご子息様の眼が、すぅと薄く開眼した。
「同じヒトを想い、焦がれるなんてさ」
自分は酷く狼狽した。顔にボォッと熱が集まる。バレている。自分の、ヒナタへの恋心が。
「な、んで、」
誰に言ったことも、悟られたこともなかった。だのになんで、よりによって今日初めて真面に会話をするご子息様が知っているんだ。 
「何でって……気付くよ普通。想っているから、あの子にお節介焼いたんだろ?ま、当の方人は気付いてなかったけど……あぁ、あの子ちょっと鈍いんだ」
まるでヒナタのすべてを知っているかのような口振りに、自分は激しく苛立った。
 身分を振りかざしてヒナタを弄んでいる癖に。ヒナタの純情を踏み躙ってる癖に。
「……御言葉ですがご子息様。貴方は本当にヒナタを想っているのですか?」
「……は?」
ご子息様は、明らかに不機嫌な声を漏らした。だけど自分は引かない。
「遊びのつもりなら速攻ヒナタから手を引いて頂きたい!」
一度啖呵を切ったら止まらなかった。
「貴方は由緒正しい御身分の方だ!将来子を成す務めがあり、その為縁談だってすることでしょう!その刻が来たら貴方はヒナタを捨てるのでしょう!?散々遊んだ後!無残に、」
「どうだっていいよ。“狛枝“の姓なんて」
自分の喚き声を、ご子息様の冷たい声が裂いた。
「彼と遊びで付き合っているだって?そんな訳ないだろう。ボクは、本気だよ。本気で彼に惚れている。家なんてどうだっていい。身分だって捨ててもいい。彼と一緒になる為ならば、ボクは喜んでそれらを捨てる。……そういう覚悟で、ボクは彼と交際している」
お飾りのような綺麗な貌が剥がれ現れたのは、敵意を剥き出した一人の男の顔だった。自分を真摯に見つめる眼は一点の曇りもない。
 自分は言葉を失った。ご子息様に浴びせようとしていた不満は、唾液と共に胃へ降りていく。
 嗚呼、このヒトは何よりもヒナタを愛しているのだ。それが、よく理解した。理解してしまった。
 ご子息様は自分同じくらい、いや、悔しいけれど……自分以上に、ヒナタを……。
「……今日キミを呼んだのは、宣戦布告する為だよ」
ご子息様は自らを落ち着かせるように深く呼吸をし、再び自分を射抜くように見る。
「彼は……創クンは、渡さない。当主に言いつけても構わないし、邪魔だってすればいいさ。だけど、ボクは彼の手を離さない。……絶対に」
それだけ言うとご子息様は自分に背を向けた。
「もう下がっていいよ」
ご子息様はもう自分を視界に入れるつもりも言葉を交わすつもりもないらしかった。だから自分は黙って部屋を後にする。自分はとぼとぼと重い足取りで自室へ戻った。
 胸に占めるのはたった一つ。敗北感だ。身分、頭脳、顔立ち、そしてヒナタへの想いまで。ご子息様の何もかもが、自分よりずっと上だった。それを鈍器で殴られたかのように強く、この身に叩き込まれた。勝てる訳がない。悔しいが認めざるを得なかった。
 だけど同時に、こうも思った。どれだけ互いに想いあっても、身分の差はどうしようもできないと。
 ご子息様はヒナタの手を離さないと云っていたが、それはご子息様の感情でどうこうできる物ではない。二人の間にある障害は、遥かに大きいのだ。いずれきっと、二人の間に亀裂が走るだろう。  
 その刻が、機会だ。傷心のヒナタを優しく抱擁し慰めるのは、自分の役目だ。
 妄想を巡らせながら、まるでそれではハイエナのようだと自嘲した。自分のいやらしさを情けなく感じたけれど、自分にはもう、そうして二人の仲が引き裂かれることを願うしかないのだ。
 それしか、この恋心を慰める術はなかった。



其の四

 今朝は屋敷が騒がしかった。ご子息様の縁談が決まったのだ。やれお相手はかの有名なお家のご令嬢だとか、大層別嬪だとか。兎に角屋敷中が縁談の話で持ちきりだった。自分はというと表向きでは適当に話を合わせていたが、その実待ちに待った刻の到来にほくそ笑んでいた。
 嗚呼、やっとご子息様がヒナタの手を手放す日が来たのだと。
 そわそわさせながら勉学と日課の雑用を済ませ、隙間を見つけて自分はヒナタを探して走る。
 今日の彼は、こちらが見ていて辛くなる程酷く窶れた顔をしていた。きっと今頃、傷付いた心を抱えて小さくなっているに違いない。失恋の辛さはよくわかる。大丈夫。自分なら、それを直ぐに忘れさせてやれる筈だ。
「っ…ーーーっ!」
ヒナタを探し彷徨い、館の裏にある森林地に足を踏み入れた時だ。微かに人の声が聞こえた。耳を澄ませ声の方へそぉっと近く。やがて自分の目は二つの人影を視認した。ご子息様とヒナタだった。
「縁談なんて断るに決まってるじゃないか!第一あの話は勝手に決められたんだ!ボクも今朝知ったばかりで……!」
「いいんです、凪斗様。元々俺と貴方じゃ身分が違い過ぎたんです。……俺、幸せでした。貴方に恋をして、貴方と肌を重ねることができて」
茂みをかき分け様子を盗み見する。
 焦りの表情を浮かべヒナタに迫るご子息様と、諦めを帯び取り繕った笑みを見せるヒナタ。推測するにヒナタが別れ話を切り出したのだろう。
「縁談相手のご令嬢様は、とても美人な方だと聞きました。自分なんかよりずっと凪斗様に相応しいに決まっている。……凪斗様、幸せになってください。俺はずっと、貴方の幸せを願っています。……貴方の幸せをお側でみまも、ら、せて……」
ヒナタが、袖をくしゃりと握り締めた。拳はぷるぷると震えている。涙を堪えているのだと分かった。今直ぐ飛び出してご子息様を殴り飛ばしヒナタを攫ってしまおうか。そんな気持ちをグッと押し殺す。
 嗚呼ご子息様。早くヒナタを突き放してくれ。恋の隷属から、彼を解放してやってくれ。そしたら、自分は、自分が───。
「……キミを失ったボクが、幸せになれると……キミは本当にそう思っているのかい?」
か細く、頼りない声が空気に混じって溶ける。まるで、幼子を彷彿させるかのような声だった。
「キミは……キミはボクに、好きでもないヒトと結婚して、そのヒトと子を成して……愛しいキミが近くにいるのに触れることすら叶わぬまま、ボクに生きろっていうの……?そんなの、絶望的だ……死んだ方が、マシ、だよ……」 
ぽたり。地面に滴が落ちる。ご子息様が流した涙だった。
「ひとりぼっちだったボクを救ってくれたのはキミだった。ボクに愛を教えてくれたのはキミだった。……キミと一緒になる為なら、ボクは、ボクの持ってるもの全てを捨ててもいい。……それとも“狛枝”を失ったボクは、キミに相応しくないかな?」
「……っ凪斗様!」
ありったけの思慕を孕んだ涙混じりの声と共に、ヒナタがご子息様の胸へ飛び込んだ。腕を伸ばしご子息様に縋るヒナタを、ご子息様は強く、強く抱擁する。
「おれっ、おれ……っ、嫌です!凪斗様が他のヒトが結ばれるなんて……!俺以外のヒトが貴方に優しく名を呼んでもらうなんて……!俺以外のヒトが貴方に抱かれる心地よさを知るなんて……想像しただけで、耐えられない……嫉妬で、おかしくなりそうです……」
ヒナタは、グシャグシャに泣きながら感情を吐露した。強く重なり合う二人に、境目などなかった。啜り泣きが落ち着いた頃、ふとご子息様が口を開く。
「逃げよう。何処かとおくへ。ボクの手を取ってくれるね?」
「……はい。いつまでも、どこまでも、凪斗様のおそばで添い遂げさせてください……」
「もう”様”は要らないよ……ボクらは対等になるのだから……」
互いにジッと目を合わせ、彼らは静かに口付けをした。
 二人は永遠の愛を誓ったのだ。重なる二人は身体こそ別々だけれど、魂は一つだった。
 漸く思い知らされた瞬間だった。二人の間に隙間なんて少しもないということを。二人の間にあった障害こそが、二人を真に結ぶ架け橋だったのだと。
 結ばれた二人は、美しくて、美しくて、それと比べた自分が酷く卑しく、下等な存在に思えた。
 その日は涙が止まらなかった。


終章

 それから三日後だった。ご子息様が忽然と姿を消した。館中は縁談の話が出た日と比べ物にならないくらい大騒ぎして大変だった。誘拐されただの、神隠しにあっただの、駆け落ちしただの。暫く色んな噂が飛び交い、やがてその噂さえも途絶えた。
 ご子息様が居なくなった狛枝家はというと驚く程変わりなくて、ご子息様に代わる次期当主はなんと住まわせている書生から選出するらしかった。自分を含めた書生は、現在狛枝家の当主になることを夢見て勉学に励んでいる。そして勉学の筆を休める際は皆必ず彼の話題を出すのだ。
『書生の中で群を抜いて優秀なヒナタが居なくなってよかった』
と。
 ヒナタは知らぬ間に居なくなったものとされていた。いつ居なくなったのか、どうして居なくなったのか知るヒトは誰もいない。自分一人を除いて、だ。
 あれから一年が経った。かつて慕ったヒトは、もう居ない。何処で、何をしているかさえ分からない。
 けれどきっと、幸せに暮らしているのだろう。愛しい彼のそばで。笑顔を咲かせながら。そうであって、欲しい。
 今となってはもう、錆びついた恋心を心の片隅に大事に仕舞い込みながら、彼の幸せを願うばかりだ。
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