このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

本予備

──チャリチャリチャリチャリチャリンッ
小気味の良い音を立てながら投入口に吸い込まれていく大量の五百円玉を、日向は半ば呆れ若干引きつつ眺めていた。連投の末に表示された赤いアナログ数字は三十。UFOキャッチャーの残り回数としては到底見たこともないような数は、つくづく目の前にいる男が風変わりであるをことを日向に知らしめていた。
大きく爪を広げゆっくりと下降するアーム。やがてそれは最大値まで下降を終え、これまたゆっくりとアームを閉じた。一連の流れを見守る日向の拳に力が入る。しかし、そんな日向の緊張は、何も掴めず上昇するアームによってすぐさま脱力へと変わった。
「あー……惜しかったな」
ぎこちなく口角を上げ、日向はガラスの向こうに鎮座する景品と睨めっこしている狛枝に声をかける。
日向の声かけに狛枝はうんともすんとも言わなかった。横からでもわかる恐ろしく整った顔に険しさを浮かべて、彼は再びボタンを押してアームを動かす。
狛枝が狙っている景品は、バッグチャームになりそうな可愛らしい猫のぬいぐるみだった。白、黒、茶色と三種類の猫がそれぞれ饅頭、大福、草餅と和菓子を抱えているちょっと変わったデザインのぬいぐるみ。
男が狙うには些か不相応な可愛さだと思われるが、狛枝が付ける分には違和感がないどころか寧ろそこにあるのが当たり前かのように馴染んでしまうだろう。狛枝のバッグに揺れるふわふわの塊を想像して、日向は一人うんうんと頷く。
しかしだ。いくら普段物欲の無い狛枝が珍しく気に入ったからといはいえ。……そろそろ止めないと不味いのではなかろうか?
投入した金額はもうそろそろ五桁になろうとしていた。そしてそれ程投入したのにも拘らず景品が取れない事から察するに、このゲームセンターはあまり良心的では無いらしい。
他のゲームセンターに行くか、いっそのこと買った方が安いという事は脳を動かさなくてもわかる事だった。
尚も真剣な眼差しで狛枝はガラスの向こう側にいる景品と対峙している。三十もあった赤いアナログ文字は、早いものでもうすぐ零になろうとしていた。
零になったら狛枝が財布を取り出す前にここを出よう。狛枝を引きずってでも出よう。あいつの金銭感覚を俺が正してやらないといけない。
ある種の使命感に駆られ日向が強く頷いた時、とうとう赤いアナログ文字は零になった。
運命の一回。アームがゆっくりと狛枝が押すボタンに従い軌道を描く。横に二秒、縦に三秒。そうしてUFOは徐々に下降していき。
「あ、」
爪が、ぬいぐるみのてっぺんに繋がる紐に引っかかった。閉じるアームに伴い、宙に浮く白猫。ぷらぷらと揺れながら下降口に
近づく最中、茶色の猫に白猫がぶつかる。ぶつかった茶色の猫はコロリ、コロリとぬいぐるみの山を転げ落ち取り出し口へと落ちていった。白猫も後を追うように穴へ吸い込まれていく。
「あ……取れた!狛枝よかったな!取れたぞ!!」
奇跡とも言える瞬間をポカンと口を開け食い入るように見ていた日向は、一瞬遅れてやや興奮気味の声を漏らす。
流石の狛枝も日向同様驚いた様子であった。ボタンに指をかけたまま動かない彼に代わり、日向は取り出し口に転がる二匹の猫を救い出す。白と茶色の猫は、日向が想像していたよりずっと手触りがよくふわふわしていた。
「ほら狛枝!やったな!」
二匹の猫を狛枝の胸に押し込むと、狛枝は渡されるがままにそれを受け取った。しかし、ようやく手に入れた念願の物を前に、彼は喜ぶどころかニコリともしない。
ジッと猫を見つめ動かない狛枝に、日向が首を傾げた時だった。
「……あげる」
グッと日向の胸に二匹の猫が押し付けられる。
「へ?」
「……キミに、あげる」
グイグイと力強く押し付けられ、日向は思わずそいつらを腕で抱えるようにして受け取る。
再び日向の元に帰ってきてしまった猫達。日向はそいつらと狛枝を交互に見比べ、困惑を浮かべながら口を開いた。
「な、何で……お前コレが欲しくて頑張ってたんだろ?何で俺なんかに……」
「別に欲しかったわけじゃないよ」
さらりと言ってのけた言葉に日向は耳を疑った。目の前の男は確かに思考回路が普通じゃないものの、欲しくないものに一万もの金をかける非効率的な男では無かったはずだ。
ますます困惑する日向に、狛枝は視線を逸らしてこう言った。
「……先週ここに来た時キミ言ってたじゃないか……『これ可愛いな』って」
「え……あ……」
そういえば、と日向は先週の出来事を思い出した。
先週、狛枝と文具店に向かう最中にわか雨に降られたのだ。雨宿りに選んだゲームセンターで暇潰しに店内を回ってる途中、そのぬいぐるみを発見した。日向の好物である草餅を持っていたこともあり、暫くそいつらに視線を注いでいたのを狛枝は見ていたのだ。
「じゃあ、お前が金使って粘ってたのって……俺の為、なのか……?」
トクトクと僅かに心音をが高まり、むず痒い感覚が日向に襲いかかる。まっすぐ狛枝を見つめながら問うと、彼は一瞬だけ日向と視線を合わせイエスともノーとも言えぬ曖昧な吐息を吐いた。
「……キミってばボクが何か欲しいものある?って聞いてもいつも無いっていうじゃないか。……そんなキミが珍しく見つめていたものだからさ……あの時は財布の中にカードしかなくてできなかったけど」
日向の腕に収まる二匹のぬいぐるみに手を伸ばし、狛枝は茶色い方の毛を指先で撫でる。
「だけどまぁ、ここまで時間かかったのは誤算だったよ。全く、慣れないことはするもんじゃないね」
依然狛枝は日向と目を合わせようとはしなかった。それが、照れているからだということを日向は知っている。
狛枝は、肌が白いのだ。冷気に長時間当たったり興奮したりすると、その白い頬は薄紅色に染まり上がる。表情や口調を偽ることは出来ても、心臓には嘘をつけないらしい。
「そういうことだからさ。キミの大好きな勿体無い精神でこいつら引き取ってやってよ」
茶色に猫から狛枝の手が離れる。咄嗟に日向はその手を掴んで叫ぶように言った。
「おっ、お揃い!お揃いにしよう!」
「……おそ、ろい?」
狛枝は抑揚のない声で、ただ日向の発した単語を繰り返すように言った。日向はコクコクと頷きながら互いの眼前に二匹の猫を掲げる。
「取ったのは狛枝だしっ、丁度、奇跡的に二つ取れたし!なぁ、狛枝はどっちがいい?」
「……じゃあ、こっち」
くりくりと灰の瞳を左右に動かして。狛枝は遠慮がちに茶色の猫に手を伸ばした。
「じゃあ俺はこっちの白い方な!」
日向の手中に残った白猫を、日向は大事そうに鞄の奥にしまい込む。鞄に付けても良かったが、自分が付けるには可愛すぎるし、何より白い毛はすぐに汚れてしまいそうだったから部屋に飾っておくことにした。
「それにしても随分金使わせちゃったな。ハンバーガーセットくらいなら俺奢るぞ?」
「いいよ別に。苦学生が見栄を張るもんじゃないよ?」
「何だと!?」
軽口を叩き合いながら、日向と狛枝はゲームセンターを後にする。
一番初めに日向の視線を捕らえた草餅を持つ茶色の猫は、狛枝の物となった。しかし、日向は狛枝がそちらを選んでくれて良かったと心の底で思っている。
何故なら、白い綿毛に桃色の饅頭を持ったその猫が狛枝のように思えてきて、手離し難くなっていたからだ。
「日向クン何してるの?置いてくよ?」
「あ、悪い今行く!」
日向の数メートル先で狛枝が訝しげな顔でこちらを見ている。短く返事を返し、日向はもう一度鞄の中にいる小さな狛枝に微笑みかけ、大きな狛枝の背を追い歩き出した。
4/6ページ
スキ