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ED後

リラックス効果のある入浴剤を貰ったんだ。折角だから使ってみない?



180近い男が二人入ってもそれ程狭くない浴槽は、今のご時世では十分すぎる贅沢だった。
『えーっと『たっぷりと張ったお湯の中に入れゆっくりと掻き回し完全に溶かしてからお楽しみください』……だってさ」
裏側に書かれていた注意書きを読み上げ終え、狛枝は花柄が散りばめられた包みのリボンを解く。逆さになった袋から日向の両手に転がり落ちてきたのは、薔薇色の球体だった。ふわりと香る上品な匂いに日向は思わず苦笑する。成人済みの男の入浴に、手のひらのソレは不相応にも程があると思ったからだ。……あぁ、前言撤回しよう。目の前のこの男が使う分には、なんら違和感はないかもしれない。
「入れないの?」
「ん、あ、いや」
入浴剤の使用方法の項を今度は黙読していた狛枝は、いつまで経っても薔薇色の球体を両手に収めている日向に首を傾げる。
お前は中性的だから女性の使うような入浴剤を使っても違和感ないなと思って。そう正直に言えば、彼は直ぐに機嫌を損ねるだろう。そうなると面倒な事になるのは目に見えていたから、日向はゆるりと首だけを振り静かに入浴剤をお湯の中に沈めた。
湯に浸かった薔薇色の球体が、ジュワリ、ジュワリと音を立て崩れていく。まだ日向の掌に残っているカケラを柔く揉めば、それは瞬く間にホロホロと溶けていった。
日向の隣で狛枝が浴槽に腕を突っ込み、湯を搔きまわす。何度も円を描く狛枝の腕の動きに、粉末と化した入浴剤が水面下でみるみるうちに広がっていく。ものの数秒で、透明だったお湯は見事な薔薇色に染まり上がっていった。
「ご苦労様」
「ん……匂いついた?」
スッと狛枝が日向の鼻に手の甲を近づけてくる。スンスンと鼻を鳴らすと、ほんのりと薔薇の香りが日向の鼻孔を擽った。
「お、いい匂い」
確かにこの匂いに包まれながら身体を温めれば、リラックス効果はありそうだ。
入浴剤を溶かしている間にすっかり身体は冷え、日向は今すぐ暖かい湯船に浸かりたい気持ちに駆られる。しかし、今日一日で掻いた汗を洗い流さないまま、湯船に浸かるわけにはいかなかった。
日向は一度湯船から視線を外し、シャワーのコルクを捻る。無数の穴から噴出される水が温かくなってきたところで、くるりと振り向き手招きをした。
「ほら、こいよ狛枝。髪の毛洗ってやるからさ」



日向は狛枝の髪を洗うのが結構好きだった。自分のごわごわした髪とは違う、細くて手触りの良い柔らかな髪質。水にしっとりと濡れた髪にもこもこの泡を纏わせた感触も好きだったし、何より、泡が目に入らないように上を向いている狛枝の顔をこっそり覗くのが好きだった。伏せられた長い睫毛に、気の抜けた無防備な表情。この男に残る少年らしい部分は、きっと自分しか知らない。そう思うと優越感にも浸れた。
「痒いところはないか?」
「ん……キミ、髪洗うの上手いよね」
「そうか?」
「うん……もしかしたらキミ、超高校級の洗髪師って才能があったんじゃない?」
「もしそうなら、俺は今頃お前以外の何人もの髪を洗ってるんだろうなぁ……こんな風にさ」
「……今のなし。キミはやっぱり凡人だよ」
伏せられていた瞼が上がり、じっとりとこちらを見つめる灰色と目が合った。
勝手に想像して勝手に嫉妬する。何とも子供地味た面倒なところも、もう慣れたものだ。はいはいと適当に遇らい、日向は狛枝の髪に残る泡を注ぎ落とす。仕上げにヘアクリップで髪を一纏めにし、日向は狛枝の肩をポンと叩いた。
「終わったぞ」
「ありがと……ねぇ、ボクもキミのこと洗ってあげようか?」
にぃ、と悪戯っぽく笑いながら狛枝は日向の方へ手を伸ばし、その胸元を撫で上げる。吐息が溢れてしまったのは仕方がない。日向の身体はとうに狛枝の手により躾けられてしまっているのだから。
「助平」
「男なんてそんなものだろ?」
確かにその通りだ。だけど、未だに狛枝にも下心というものがあるということに日向は、妙に納得しきれないところがある。
「俺は早く湯船に浸かってみたいんだ」
胸元に這い寄る不埒な手を、日向はペシリとはたき落とす。
「ちぇー」
「そういうのはまた今度な」
「今度ならいいんだ?」
ツンと口先を尖らせた狛枝が、再度口の端を持ち上げる。日向はバツが悪そうにふんと鼻を鳴らした。




ぴちゃん。天井から滴り落ちてきた雫が、薔薇色の水面を叩いた。ぽわんと波紋が広がった後、水面は元の穏やかを取り戻す。
「はぁ……」
日向は深く息を吸い込み、うっとりと吐息を漏らす。温かな湯にすっかり解れた身体。加えて胸を満たすスッキリと甘い薔薇の香りは、十分日向にリラックス効果を与えていた。
夢心地とも言える気分に、日向はくったりと頭を後ろに預ける。日向の後ろで日向を抱き締めるように湯船に浸かっていた狛枝は、先程から仕切りに日向の肩や背中に湯をかけていた。彼の奇行が日向の手を取りその指の間を丹念に揉む程までに及んだ頃、日向はとうとう開口する。
「なぁ……さっきからお前何してるんだ?」
「香り付けかな」
依然日向の手の甲を親指で丹念に磨りあげながら狛枝が言う。
「香り付け?」
「うん、最近のキミちょっと汗臭いから明日はマシになりますようにって」
「……俺、そんな体臭きついか……?」
「あは、嘘冗談」
ショックをわかりやすく顔に出した日向に、狛枝はすぐ言葉を付け足しそれからケラケラと笑う。
「でも、香り付けっていうのは間違いないよ」
剥れた日向の頬に狛枝が掌に掬ったお湯を擦り付ける。
「きっとキミ明日色んな人にこう思われるよ『あれ、日向さん今狛枝さんと同じ匂いさせてたな』ってさ」
後ろから伸びてきた狛枝の両腕が、日向の身体を包む。ふわりと香る華やかな香り。狛枝の身体に染み込んだそれは、きっと日向の身体も同様染み込んでいるのだろう。
日向は狛枝にバレないようそっと息を漏らす。同じ屋根の下に住んでいるのだ。こんなことをしなくても勘のいい人はとうに自分たちの関係に気付いているだろうに。いや、狛枝も自覚はあるはずだ。それでも尚、或いは鈍い人にもわかるようなアピールをしたかったのかもしれない。どこまでも独占欲の強い男なのだ。
「で、それだけか?」
「え?」
「入浴剤もらってきた理由。それだけかって聞いてるんだ」
「……鋭いね」
狛枝がもらってきたという入浴剤は、女性が使うような可愛らしいものだった。要らないものを押し付けられた訳ではないのは明白で、そこから導き出される答えはそれは誰かが下心ありきで狛枝にプレゼントしたということだ。それを分かっていて、ただ受け取るだけの狛枝ではないことを日向は知っている。狛枝は狛枝なりに何か下心があってそれを受け取ってきたのだろう。
「それで、お前これを何の口実にしようと思ってたんだ?」
「ん、んぅ……」
途端に狛枝の歯切れが悪くなる。余程恥ずかしい事なのだろうか。
狛枝は暫く視線を彷徨わせた後、小さな声でこう呟いた。
「…………キミに、久しぶりに髪の毛洗ってもらいたかったんだ」
きゅうとしがみつくように狛枝の腕に力が入る。日向の肩口にグリグリと頭を擦りつけるのは甘えと照れ隠しからくるものだろうか。
「……馬鹿だな」
盛大に溜めた割には可愛らしい狛枝の本音に、日向は口元を緩める。それから後ろ手で狛枝の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「髪くらいいつでも洗ってやるって」
「……!」
狛枝の顔は見えない。だけど、揺れる空気から彼の喜びようは十分日向に伝わってきた。
狛枝のいじらしさに胸を満たす一方で、日向はほんの少しだけこれを狛枝に贈った名も知らぬ誰かに同情をした。
せっかくのプレゼント、俺たちがいちゃつく為に使ってごめんな、と。
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