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ED後

キーボードを叩く音が絶え間なくその空間に響いている。ちらりと見た時計は既に十二時を回っており、それでもまだ目を通さなければならない書類がいくつかあることに日向はとうとうため息を漏らした。
鞄の中に忍ばせておいた栄養ドリンクは、確か本日四本目だった気がする。いや、日付はもう変わったのだから、今日はまだ一本目と言ったほうが正しいのだろうか。
うまく思考が回らない頭でそんなことをつらつら述べながら、日向は瓶の蓋を開け一気に中身を煽った。目頭に親指で圧をかけ深呼吸。
まだいける、まだ大丈夫。そう自分に言い聞かせ、再び日向はパソコンの画面へと視線を落とした。
更生プログラムから目覚め、苗木たちの働きもありこうして居場所を与えられたものの、元絶望の日向たちをよく思っていないやつはごまんと居るわけで。今の居場所を、大切な仲間たちを守るため、日向を含めた七十七期生たちは未来機関へ貢献する日々を送っていた。
しかし、それぞれの得意分野を生かしながら日々の業務をこなす七十七期生と違い、プログラムを経て人格を取り戻した日向の身体には一度宿ったはずの才能の塊は綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。
凡人へと戻ってしまった日向にできることといえば、こうして深夜まで残り彼らの二倍も三倍も業務をこなすことだった。確かに自分には誇れる才能はないが、それでも彼らの仲間の一員なのだ、迷惑をかけたり、足を引っ張るわけにはいかない。
居場所を守る為、彼らの役に立つ為、そして才能のない日向に蔑んだ視線を送るあいつに認めてもらう為に、日向はその日も明け方までパソコンの画面にかじりついていた。



「ねぇ」
缶コーヒーを片手に俯きながら部署に向かう日向の視界に、黒い革靴が現れた。低く、どこか機嫌の悪そうなその声に日向の肩がぴくりと動く。
「……なにか、用か?」
緩々と日向が顔を上げると、そこにはやはり狛枝が立っていた。険しい表情を浮かべ日向を睨みつける鋭い視線が、ぐさぐさと日向の身体に突き刺さる。
プログラムから目覚めて以来、日向に対する狛枝の態度はいつだって辛辣なものであった。顔を合わせると途端に表情を曇らせ、口を開けば予備学科と罵られる。才能のない元予備学科が希望ヶ峰学園の元本科生と同様の扱いを受けているのが面白くないのか、はたまた一度手にした希望を自ら絶望に堕としたことを憎んでいるのか。嫌われる理由がぽんぽんと簡単に思い浮かんでしまうところが悲しい。
しかし日向は決して忘れたわけではなかった。二度目の修学旅行で狛枝と過ごしたあの穏やかな日々を。
才能がなくても結果を出せば、狛枝は自分のことを見直してくれるかもしれない、認めてくれるかもしれない。もう一度狛枝のあんな風に笑い合いたい、楽しく話をしたい、そんな密かな願いも日向がこうして業務に励む理由の一つであった。
「……あのさ、そんなゾンビみたいな顔して未来機関のオフィス這いずり回らないでくれる?見ててすごく不快なんだけど」
こめかみに指を当て、そう刺々しく言い放つ狛枝に若干の腹立たしさを感じる。
仕方ないだろ、三時間しか寝ていないのだから、そんな文句も思い浮かんだが、残念ながら今の日向には狛枝の言葉に反論するほどの元気は残っていなかった。
それに言い争いをする暇があるのなら、自分はその時間を仕事に当てるべきなのだ。
そう判断した日向は、自身を睨みつける狛枝から目を逸らし、無言で狛枝の横を通り過ぎようと足を前に出した。






「…………いい加減にしろ」
ダンッッッと激しい音が廊下に響いたあと、低く怒気を含んだ声が静かに落とされた。
突然の事態に日向の心臓がバクバクと音を立てる。すっかりと覚醒した頭で何が起きたのか把握しようとした日向がまず目にしたのは、壁を使って日向の行く道を塞いでいる狛枝の足だった。
「……なん、だよ……びっくり……しただろ……」
そう言いながらぎこちなく顔を上げた日向は、二度驚く羽目となった。視線の先にいた狛枝が、かつて見たことないほど怒りの色をその顔に浮かべていたからだ。
本能的に恐怖を感じ足を一歩後ろに下げると、その分だけ狛枝が距離を詰めてくる。そうやって逃げようとしたのがまた癇に障ってしまったのだろうか、狛枝は無言で日向に詰め寄ると、壁と自身の腕を使い完全に日向の逃げ道を絶った。
間近で見る狛枝の瞳からは怒りしか読み取れない。どうしてこんなにも追い詰められなければならないのだろうか、狛枝は、そんなに自分の存在が許せないのだろうか。そう考えると無性に悲しかった。
「……なんで、お前そんなに怒ってんだよ……俺、なんもしてないだろ……?」
苦しくて悔しくて、拳を握り締めながら日向はそう問いかける。すると、狛枝の眉がぴくりと動いた。
「何も、してない……?…………はぁ、もういいや」
狛枝は盛大なため息を漏らし、だらりと腕を下ろす。まるで失望したよと言いたげなその姿に、また少し日向が胸を軋ませた瞬間だった。
「な、」
狛枝が日向の手首を掴み、自身の方へ引っ張った。当然、日向の身体は狛枝の方へ傾く。かちりと合った瞳はゆっくりと閉じられていき、それが完全に瞑ったと同時に、唇に柔らかい感触。キスをされてる、そう気が付いたのは自身の口を塞いでいる柔らかなそれが、食むように動いた瞬間だった。
「んっ……!ん、んんっ……!」
抵抗しようともがいてみるも、寝不足で疲れ切っている身体ではうまく力が入らない。それに狛枝の手が日向の首と腰をがっちりと押さえており、日向はされるがままの状態だ。
唾液を滴らせた舌の感触にぞくりと身体が震える。深く、深く奥まで、まるで酸素を奪うかのような口付けに、いつしか日向は狛枝に縋らなければ立っていることさえできなくなっていた。
「んーっ!ん、ん……ぅ…………」
口内を弄る舌の感覚が気持ちよくて、頭がぼんやりする。ああ、キスってこんなにも気持ちいいのか。そう感じてしまうのは狛枝が上手いから?それとも、相手が狛枝だから?
意識を手放す寸前、日向が思ったのはそんなことだった。








「…………ぅ」
ふと意識が浮上して、真っ先に身体が重いと感じた。疲れているとかそういう意味ではなく、物理的に。そう、何かが上に乗っかっている感覚。
「…………?」
ゆっくりと瞼を上げると、白くてふわふわしたものが視界に飛び込んできた。
何だこれ。
覚醒しきってない頭ではそれが何なのか答えはすぐ出てこず、日向は何の躊躇いもなしにその白い塊をぽふぽふと叩く。
「…………日向、クン?」
白いもふもふ、喋った。率直な感想のあとで、日向はその声が聞き慣れたものであること、そしてその正体が誰であるかを知る。
「……え、あ、こま、えだ……?」
名前を呼ぶと日向に覆い被さっていた狛枝が、白い髪を揺らしながらむくりと起き上がった。
「え、と……おれ、何してるんだ……?」
微睡んだ瞳で狛枝に問いかけたあと、日向はゆっくりと視線を狛枝以外へ向ける。視界に映った光景には見覚えがあった。そう、つい数時間前も見たものと同じ。どうやらここは仮眠室のようだ。
今の状況を理解した日向は、今度は何故自分がベッドの上で寝ていたのか解を探る。確か、仕事に向かう途中で狛枝に会って、それから、それから……。
「……!し、仕事……!狛枝、おれ、仕事……」
記憶を辿り自分のしなくてはならないことを思い出した日向は、一気に意識を覚醒させる。ああ、なんで眠ってなんていたのだろうか。自分にはこんなことしている暇はないはずなのに。
「狛枝……っ、退いてくれ、俺仕事しなきゃ……」
起き上がろうにも日向の身体は狛枝の体重を受止めて、うまく動かすことができない状態である。身動ぎ狛枝の身体を揺さぶって訴えかけてみるも狛枝は微動だにせず、それどころか狛枝 は日向の身体を抱き締め離れようとしなかった。
「……こま、」
「……だめ、絶対に退かない」
日向の肩口に顔を埋め、狛枝は日向を抱いている腕に力を込める。
「……みんな、キミのこと心配してるんだよ。いつか、倒れちゃうんじゃないかって」
「……え?」
耳に近い位置で落とされた言葉は、狛枝がいつも日向に発してるような辛辣な言葉、苛立ちを含んだ声色ではなく、いつかの南の島で聞いたようなあの優しげな声。
「……もっと他の人を……ボクを、頼ってよ……」
すり、と狛枝の鼻が日向の肌を撫でる。狛枝の言葉が、その声色が、日向を抱き締める腕の強さが、自分がどれだけ周りに、そして狛枝に心配かけていたのかを教えていた。
「キミの仕事はボクがやっておくから、とにかく今は眠ってよ……」
ゆっくりと狛枝の身体が離れていく。くっついてた体温が引いていくのが少しだけ寂しかった。
日向から身を引いたことで見ることが叶った狛枝の表情は、残念ながらいつもと変わらず仏頂面なものだ。だけど、日向の頬に手を当て目元をなぞるその所作だけで十分だった。
「……狛枝、俺……俺、頑張らなくても……狛枝 と前みたいに話したりできるかな?」
目を細め穏やかな表情でそう漏らせば、狛枝はふんっと鼻を鳴らした後でボソッと呟く。
「……その目元の隈が治ったら……考えてあげなくもないよ」
「……ははっ、そっか……よかった……」
じゃあ、早く治さないとな。
最後の言葉を口の形だけ作ったものの、それは発せられることなく、代わりに静かな寝息だけが小さな部屋に響いた。








「……あぁ、もう」
仮眠室の扉を静かに、静かに閉め狛枝は思わず腰を下ろし頭を抱えた。
何もかもが気に食わなかった。初めて友達になってくれて、好意を持った人に裏切られたことも、彼が希望とはかけ離れた存在であると知っててなお、彼のことを求めてしまっていることも、そんな彼があんなふらふらの状態でいたことも、そして唇を奪ったのにそれをなかったことのように扱われたことも。
いや、最後のはきっとそこまで頭が回らなかっただけだろう。あの様子を見るに睡眠もろくにとっていなかったのだから無理もない。それに、忘れたというのならば、もう一度、今度は脳に刻みつけ忘れられなくすればいいだけの話だ。
立ち上がった狛枝は振り返り扉をそっと撫でる。
だから、早く元気になってよね。
言葉で発することなく、胸の内だけだそう呟き狛枝は日向の仕事を片しに仮眠室から離れた。
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