エリカの幸い(影浦)
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「お姉さんは三門市のためよくボーダーに尽くしてくれた。ボーダーの司令官として哀悼の意を示そう」
「…ありがとうございます」
亡くなった通信オペレーターの中には、私のように遺族が未成年者しかいなかったり、そもそも天涯孤独だったりという人が何人かいたため、ボーダーが代表して告別式を執り行ってくれた。参加者がボーダー職員に偏っているため、有事に備えて式は本部の大会議室で行われた。
粛々とした雰囲気の式の後、城戸司令がわざわざ言葉をかけてくれた。強面だし、己にも他人にも厳しい人だけど、冷徹なだけの人ではない。組織のトップを頂くに相応しい人格者なのだと思う。帰る前にもう一人話がしたくてあたりを見回すと、きっちりと喪服を着こなした目的の人物を発見した。
「唐沢さん」
「ああ、志摩くん。お姉さんのご冥福をお祈りするよ」
「ありがとうございます。後見人の件や引っ越し先の物件のことで色々助けていただいて」
「それくらいしか出来ないからね。困ったことがあったらなんでも相談してくれ」
「助かります」
城戸さん、鬼怒田さんもに唐沢さんも、色んな人に助けられた。戦闘員として任務をこなしてお金をもらってはいても自分はまだ子どもで、できることはごく少ないのだと今回のことで痛感した。進路という目先の問題もあることだし、これからは嫌でも大人にならなきゃいけないだろう。
唐沢さんにもう一度深く頭を下げて会場の外に出ると、もういい時間だからか、廊下には人の気配がなかった。
「…帰ろう」
お通夜とかお葬式の帰りは、寄り道したら駄目なんだっけ。
お姉ちゃん。心配しないでね。私はたぶん大丈夫。カゲとか柚宇とか、ボーダーの職員さんとか、色んな人が気にかけてくれるから。これからも落ち込んだりするかもしれないけど、一人じゃないから、きっと元気でやってけるよ。お姉ちゃんも天国で幸せだといいなあ。
静かな空間に私の足音だけが響き渡る。見知ったはずの建物が妙に物寂しく感じるのは、人気のなさ故だろうか。
「おい」
「………カゲ?びっくりした。なんでいんの?」
俯いていたから気づかなかった。壁に背を預けて立っている、夕刻ぶりのカゲの姿に目を見開く。
カゲは組んでいた腕をほどくと手をポケットに突っ込んで私に背を向け、首だけで振り返って「帰んぞ」と短く言った。
「え…もしかして迎えに来てくれたの?」
トリオン体じゃないし、任務じゃなさそうだし。こんな人気のない場所をまさか偶然通りかかるなんてこともなさそうだ。私の問いには答えず、もう一度「帰んぞ」とだけ言ってさっさと歩き出すカゲの背中を見て、私はゆるゆると口を手で覆った。
だって、なんだそれ。優しすぎかよ。なんなのお前本当。
嬉しいやら泣きたいやらで胸がいっぱいになって、うまく言葉が出てこない。小走りで駆け寄ったカゲの背に、ちいさく「ありがとう」と呟いた。あんまり小さな声だったものだから、もしかしたら届いていないかもしれない。もう一度、今度は心なし大きめに「ありがとう」と告げた。
街灯が照らす夜道を無言で歩いた。私に合わせてくれているんだろうゆったりとした足取りで、ふたり静かな町並みを往く。そうしてしばらくたった頃、どちらともなく私たちは手を重ねた。
♢
「冷蔵庫なんかあったっけ」
送ってくれたカゲをそのまま帰らせるのはあまりに忍びないので、せめて何か食べてってもらおうと思ったんだけど。
「おい」
「んー?ちょっと待ってたしかこっちの棚に、」
「お袋からだとよ」
「え?」
勝手知ったるというように冷蔵庫からカゲが取り出したのは、見覚えのないタッパー。お袋って、カゲのお母さん?マジか。ご飯作ってくれたのか。
「うわ、ありがたい。今度お礼言わなきゃ。カゲもありがとね」
私の現状なんて、カゲから伝えない限りカゲのお母さんが知ってるはずがない。
タッパーに入っていた生姜焼きを皿に移して温める間、カゲは冷蔵庫からお茶を出したり皿を並べたりしてくれた。家がご飯屋さんだからかこういう手伝いさらっとこなすんだよね。手早くレタスを千切って手抜きもいいとこなサラダを盛り、温め終わった生姜焼きと一緒にテーブルに置く。向かい合って椅子に座り「いただきます」と手を合わせた。
「………」
「んだよ。こっち見んなウゼェ」
「ええ、横向いて食べろってか」
正面に座ってるのに見るなとかひどくないですか。
ちょっとこの家で誰かと一緒にご飯食べるの久々だなあって見入っちゃっただけじゃん。昨日は食卓じゃなくてローテーブルでコンビニ飯だったし。
「そういえば一回家帰ったんだ?」
「ああ。つーかテメェ外出るなら起こしていけよ」
「えぇ、寝てるとこ起こすのなんか悪いじゃん」
誰かと一緒にお喋りしながらご飯を食べるって、やっぱ楽しい。嬉しくて、けどお姉ちゃんを思い出して少し寂しくて、どうにも変な顔になってしまう。
食べ終えた食器を洗ってソファでくつろぐ私の隣に、カゲがどかりと腰を下ろした。体重の差でカゲの方に傾きそうになって慌てて手をついた。
「うおっ」
「チッ。危なっかしいんだよお前は」
ソファの柔らかい生地に、ついた手がぐらりとなって支えを失う。その手を攫うようにしてカゲが私の体を支えた。
「どうもすいません」
「お前のことしっかりしてるとか寝言ほざいてる奴らに見せてやりてぇな」
「えっ私しっかりしてるでしょ!?」
「は?」
「ガチトーンやめれ…」
正気か?とでも言いたげな顔をするカゲ。異議あり、私は後輩のB級隊員たちの間じゃしっかりもののお姉さんで通ってるんだからな。B級に上がったばかりでまだ隊を組んでない子たちを指導してるのもあって、歳下には結構頼られること多いんだからな!
というかカゲ、いつまでいるんだろう?夕飯の件からして親御さんも事情は知ってるっぽいけど、昨日も泊まったのにいいんだろうか。いや早く帰れって言いたいわけじゃなくて。
……………本当に。
昨日からずっと、カゲに助けられてばっかりだ。
「カゲ、ほんとにありがとね」
「あ?んだ急に」
「急じゃないよ。ほんとに感謝してるんだ。カゲがいなかったら私、今もまだうじうじしてたかもしんない。今日も迎えに来てくれて、一緒にご飯食べてくれてすごい嬉しかった。ありがとうカゲ」
「…よく面と向かってんなこと言えるな、テメェ」
「挨拶とありがとうとごめんなさいは、どんな時でも忘れずにって言われて育ったからね」
ふいと視線を逸らすのは、多分照れているから。そのくらいは察せる仲だ。「ふふ」と笑うと黙れという様に頬を掴まれた。片手だ。大きい。
全然力のこもってないその手を外して笑う。こんな風に笑えるのもカゲのおかげだろうな。
「カゲは良い奴だなぁ」
心からそう思って、にへにへとだらしなく緩む頬を抑えながら言った。その言葉に、カゲがこちらを見た。
「誰にでもはしねえよ」
静かな声だった。
瞬きする私をカゲがじっと見つめている。友達思いだよね、と続けようとした声が喉の奥に消えた。
『ついに告白されちゃった?』
『その気もない相手にキスとか絶対しないって』
待て。なんで思い出した。なぜ、今このタイミングでそれを思い出すのか……!
じわりじわりと顔が熱くなって、逃げ出したい心地に駆られた。やばい、今赤くなったら、カゲの言葉を『そういう』風に受け取ったってバレる、待って。
「まさかとは思うけど、未だに『友達だから』とかお花畑なこと考えてねぇよな?」
「おはなばたけ…」
言ってることは辛辣だけど、お花畑というワードがカゲの口から出たことにちょっとそわっとした。わかってる、これは思考逃避だ。
狼狽える私の首の後ろに手が添えられた。
「ダチ相手にキスなんざするかよ」
「──んっ」
昨日の、噛み付くようなキスとは違う。唇と唇をくっつけるだけの、短いキスだった。
「か、かげ、あの」
「嫌なら突き飛ばせ。そうじゃないなら……目ぇ閉じろ」
ど、どうしよう。どうしたらいいんだ。眉がたれ下がって情けない顔になる。だってこんな、こんな経験今までしたことないし。
突き飛ばすか、目を閉じて受け入れるか。カゲが示した二択を考える。
昨日といい今といい、カゲにキスされて私はどう思ったのか。困惑した。羞恥も抱いた。ちょっと怖くもあった。
…………けど、嫌だとか気持ち悪いとかはなかった、んだよね。
カゲは黙って私の返答を待っている。至近距離で浴びせられる視線にたまらなくなって、私は顔を覆って俯いた。
……答えはもう、出ている。
「カゲ」
私よりずっと広い肩にぽすりと額を預ける。顔は見れない。恥ずかしくて。袖の余った生地を引っ張って、震えまくった小さな声で告げた。
「…いやじゃない」
次の瞬間、呼吸を奪われた。
「んぅ、……っ、は……」
唇を割って入り込んできた舌が、私の舌を絡め取って裏側を舐め上げる。首裏に回された手が髪を梳いて、そのわずかな感覚にすら肩が震えた。
「鼻で息しろ」
「、ふ、ぁ……ッ」
はな。鼻で息、まって、頭まわらなくて、はなでいき、むずかし、
「かげ、もっと…っ」
ちが、そうじゃなくて。飲み込まれそうなほど一層激しさを増した舌の動きに息も絶え絶えになる。もっとしてじゃなくて、もっとゆっくりって言いたかっただけなのに。
上顎の敏感なところを舐られ、きゅっと手に力がこもる。握りしめたカゲの服に皺が寄った。息が苦しくて、頭がぼうっとして視界が滲む。多分生理的なものだろうけど、目尻に涙が浮かんだのを見たカゲが口を離した。
「っは、あ、死ぬかとおも、った…!」
「キスで死ぬ奴がいるかよ」
「っの……!」
ハッと笑うカゲにムカついて悪態を吐く。カゲはぐったりする私を腕の中に囲い、後ろから抱きしめた。背中から体温が伝わってきて温かい。落ち着くその体制に気を抜きそうになった私の項を、濡れたものが伝った。
「ぃ、っなに…!?」
「んー…」
「ちょっとカゲ、っひぅ、ん…!」
がじ、と甘噛みされて、ついた歯型を舌でなぞられる。しばらくどれだけ文句を言っても聞こえないとばかりに吸われて甘噛みされて、泣きが入ったところでようやく私の訴えは聞き入れられた。
「うぅ、カゲこのやろー覚えとけよちくしょー…何なのさもう」
「ちょっと跡つけただけでうだうだ言ってんじゃねぇよ。むしろこれで止めたオレを褒めろ」
「なんでそんなえらそうなの」
デフォルトだってか。知ってた。
「ていうか跡?いま跡って言った?ちょっと待ってまさかあんた…」
「ああ。キスマつけたけど」
「鬱血痕て言って…!」
悪びれなーい!しれっと言ってんじゃねーぞお前、だってこんな、普通見えるとこにつける!?いや見えないとこなら良いってことじゃなくて。
「ああぁぁああ…」
「なに嘆いてんだよ」
消せないんだから嘆くくらいさせてくれ。ちょっと大人の階段登る速さが予想外に早くていっぱいいっぱいなんです。髪下ろせば見えないだろうけど、念のため絆創膏…は、あからさますぎるか。コンシーラーで………首の後ろって自分でできるかな?
「カゲのばーかばーか」
「ガキかテメェは」
「うるせーほっとけ…」
もうどうにでもなれ、と体の力を抜いてカゲに寄りかかる。髪を梳く手が心地よくてそっと目を閉じた。
ひとりの寂しさを知ったあとだからか、人肌の温もりがこの上なく心地よくて、包み込むような安心感に身を任せた。
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