エリカの幸い(影浦)
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「ん…………あれ」
目を覚ますと、カーテンの隙間から陽光が差し込んでいた。橙色のそれは時刻が夕方であることを示している。
「うっわ……どんだけ寝てたんだか」
カゲが訪ねて来たのが昨日の日没。それから泣いたりなんやかんやあったりして、寝たのは多分朝方だ。
「っ、びっくりした、」
起き上がろうとして、隣に寝ているカゲの存在に気づいた。
「なぜ上半身が裸なんだこの男は…」
寝る時の格好は人それぞれだと思うけども、人の家で裸族はやめようや。
「というかいつのまに服脱いだんだろ?」
体を起こしてリビングへ向かうと、テーブルの上に「タオル借りた」というメモを発見した。どうやらずっと寝こけていた私と違って、カゲは一度起きてシャワーを浴びたらしい。
「そのまま帰らなかったんだ」
もしかして、目が覚めるまで待っていてくれたんだろうか。自分の思考に頬が熱くなって、慌ててかぶりを振る。顔洗おう、そして煩悩を飛ばそう。
「ちくしょう、カゲのせいで変なこと考えてしまう…」
そうだ。私がこんな乙女みたいなこと考えるのはカゲのせいに違いない。あいつが頭おかしいことするから。
「って、ヤバい!時間……!」
今日はボーダーに顔出さなきゃいけないんだった!
豆乳飲料を30秒で飲み干し、カゲに鍵の場所を示す書き置きを残して家を出る。
三日ぶりに纏った制服姿で、本部に向かって慌てて駆け出した。
「意外と余裕だったな」
ボーダーに入ってから続けている走り込みの成果だろうか。ローファーの割になかなか良いタイムだった気がする。
基地には相変わらず人が沢山いて、久しぶりの賑やかな雰囲気に妙な懐かしさを覚えた。たった三日空けただけなのに可笑しなことだ。普段任務が入っていない時でもランク戦やら指導やらでなんやかんやと入り浸ってるせいかな。ボーダーが自分にとっての『日常』に組み込まれているのだということを実感して、柄にもなく感慨のようなものを抱いた。
「あっ志摩さんだ〜!おっひさ〜」
「うわ、めずらしっ!志摩さんの制服姿って初めて見たかも」
「マジだ。今日どうしたんすか?」
「おお三馬鹿、お久ー」
緑川に米屋に出水。若くしてA級に名を連ねる優秀な、しかし頭のつくりは割と残念な三人衆がやってきてわらわらと囲まれる。
「相変わらず仲良いなお前ら」
「志摩さん写真!写真撮っていい?」
「はい却下ー。断固拒否しまーす」
「えー」と口を尖らせる緑川の頭にチョップを食らわせる。撮ってどうすんだそんなもん。
「なんでトリオン体じゃないんすか?」
「今日はちょっとね、この後用事があるから」
「えー。てことはもう帰っちゃうんすか?ランク戦したかったのになー」
「スナイパーとランク戦してどうすんのさ…」
米屋は相変わらずの戦闘バカだ。B級スナイパーがA級アタッカーとランク戦とか試合にならんわ。荒船みたく孤月も使えるならまだしも。
「おーいいずみん〜、太刀川さん見なかっ……」
「あ、柚宇さん。太刀川さんなら……柚宇さん?」
あ、やべ。これ知ってるっぽい。
太刀川隊オペレーターにして友人の国近柚宇は、私の姿を見留めるとぴたりと停止した。これは同級生辺りはみんな知ってそうだな。
目が合って苦笑すると、ふらふらと近寄ってきてぎゅう、と力いっぱい抱きしめられる。柔らかくて華奢で、カゲとはまるで違う体つきで、でも暖かさは同じだった。
「……千ちゃん、痩せた」
「そう?嬉しいな」
「褒めてないよ〜。今度ご飯いこうね、約束」
「楽しみにしとく」
ずいぶん心配をかけてしまったらしい。気にかけてくれていたのが嬉しくて、私よりも少し低い位置にある柚宇の頭を撫でる。
出水たちの手前、声には出さず視線で「大丈夫?」と問いかけてくる柚宇を安心させるように微笑んだ。
なんだなんだと首をかしげる下級生トリオをやんわり宥めていると、廊下の向こうから太刀川さんと風間さんがやってきた。太刀川隊大集合である。あっ、唯我のことナチュラルに忘れてた。めんご。
「よーっすお前ら。お、志摩は制服か。いいな〜、女子高生って感じがする」
「太刀川さん変態くさい」
「えっ嘘、マジで?」
マジだよ。見てみろよ風間さんのあの冷たい目。
「久しぶりだな志摩。その格好、お前も出るのか」
「あ、風間さんは知ってるんですね」
例の人型近界民は風間隊が相手どったらしいから、おそらくそれでだろう。風間さんは「ああ」と変わらない表情で頷いた。
「俺も式には参加させてもらう」
「…そうでしたか」
ボーダー歴の長い風間さんだ。亡くなったオペーレーターとも知り合いだったのかもしれない。少ししんみりしていると、「あ」と声を上げた柚宇が肩をつついた。
「ねえねえ」
「ん?どした?」
なにやら目を好奇心で輝かせて、耳元で囁いたのは。
「昨日カゲとなんか進展あった〜?」
「……………ん゛!?」
思わず漏れた声に、風間さんだけでなくランク戦の話で盛り上がっていた太刀川さんと三馬鹿までこっちを見た。
「あ、なんでもないですお構いなく」
「おかまいなく〜」
にっこりなんとか笑顔を作って誤魔化した後、柚宇を壁際の方に引っ張って声を潜める。
「ちょっとまって、ん?どういうこと、進展って何」
「え?だから昨日、カゲに慰めてもらったんでしょ〜?」
「な ぜ 知 っ て る ! ! っじゃなくて、えっ進展?進展てなに?」
進展て。なんかその言い方だとまるで…まるで………あああっ!考えないようにしてたのに昨日のアレ思い出しちゃったじゃんもう!!
思わず両手で顔を覆うと「あれれぇ〜?」というやけに楽しそうな柚宇の声が聞こえた。
「ね、もしかしてついに告白されちゃった?」
「こッ!!!!!」
く、はく……!?
またも大きな声を出してしまって、こちらに視線を向けた風間さんたちになんでもないです〜と手を振ってアピールする。
「されてないされてない!ていうか柚宇さんや、ついにってどういうこと? や、じゃなくて告白って……え、」
もしかして…なんだけど。
もしかしてカゲって、私のこと、好き………なの、か?
「そこからか〜」
半眼かつ半笑いという非常に呆れた表情ながら、柚宇は私の言葉を否定しなかった。
「え。ええええええっ!マジで!?えっ、ちょっとまってうそ、え、えぇー…」
「そんなに驚くほど気づいてなかったのか〜」
「いや待って!昨日のアレはもしかしてもしかするとそういうアレなのかな?ってちょっと考えたりはしたけどでも…!えええぇ…」
びっくりである。だってカゲだよ?あのつんつんしてて口悪くて態度も悪くていや実は良い奴なのはよく知ってるけどでも恋愛とか全然興味なさそうなカゲが…!
「し、信じられん……」
「昨日のアレが何かはあとでたっぷり聞かせてもらうとして〜。本当に気づいてなかったの?千ちゃんはちょっと可哀想なくらい鈍いね〜」
「可哀想!?」
え、ほんとに?ほんとにカゲが?
まってどうしよう顔あつい、赤くなってたらどうしよう、やばい何これ…!
「荒船とか〜当真とか鋼くんとか〜あとは影浦隊なんかも知ってるんじゃないかな〜?」
「そんなに!?嘘でしょ!?」
「ほんとほんと〜。そもそもカゲ、別に隠してなかったしね〜。わざわざ言ったりする性格じゃないけど、それでも見る人が見ればわかったと思うよ?」
「…………全然気づかなかった」
「そうだね〜びっくりするくらい鈍いね〜千ちゃんは」
「みんなが鋭すぎるだけだと思います…」
柚宇はまだわかるよ、女の子はそういうの鋭そうだし。いや私のことはさておき。
でも荒船とか当真まで気づいてたって……うっそだろ。お前らいつもアホみたいな話しかしてなかったじゃん。誰が一番遠くからゴミ箱に缶捨てられるかとかそんなことばっかじゃんだいたいいつも話してるの。お前らは絶対私と同じ側だと思ってた……。え?実は恋愛経験豊富だったのお前ら?マジで?
「だめだ、頭がこんらんしている」
「あはは〜。で、結局昨日はどうだったの〜?」
「きのう…きのうは……ぎゅうってされて……それから……、っ」
それ、から……きっ、………す、を、された…ん、だよね?
途端、意識しないようにしていた記憶が鮮明に蘇り、カッと頬が熱を持った。思わず口を手のひらで覆う。
「えっ!その反応はもしかしてチューでもされた?」
「ちっ、が………!」
「違わないんだ〜!カゲってばやるぅ〜!」
もう無理。勘弁してください。ていうかなんで廊下でこんな話してんだ私ら。いや、多分柚宇はしんみりした空気を避けてあえて明るい(?)話題振ってくれてるんだろうけど、私の心が死ぬ。羞恥心で。
「うぅ、いやでもあれはその場の勢い的なそれだった可能性もなきにしもあらずで…!別に告られたわけじゃないし!」
「えぇ〜カゲ告ってないの? ダメだな〜」
「駄目というか、ほら、まだカゲが私のこと好きって決まったわけでは」
「それはないでしょ〜。カゲがその気もない相手にキスとか絶対しないって」
「そ、れは…」
たしかにそうかもしれないけども。一応カゲも男なわけだし。まったく可能性がないわけじゃないと思うんだ。
もごもごと言い訳にもならないことを言っていると、さっきとは逆に柚宇が私の頭を撫でた。
「千ちゃんは恋愛的な情緒がまったく育ってないからなぁ。そういうことされたらびっくりしてテンパってる間に流されて、気づいた時には引き返せなくなっててそのままぺろっと食べられちゃいそうでお姉さん心配だよ〜」
「なにその恐ろしく具体的な予言らしきもの。怖い」
だってボーダー以外にもバイトとか家事とか色々やることあって忙しかったし。そもそも戦略練ったり新しい技考えたりするのが楽しくて、別に誰かと付き合いたいとか考えたこともなかった。恋愛とかしなくても毎日楽しくて忙しくて、十分すぎるほど充実してたから。
「志摩」
風間さんの声に呼ばれて顔を上げる。「時間だ」と言われて腕時計を見ると、もうすぐ18時を回る頃だった。
「あ…。ごめん柚宇、私そろそろ行くね」
「はいよ〜」
ひらりと手を振る柚宇に同じく振り返して、風間さんに並んだ私の背に声がかかった。
「お?二人どこ行くんすか?」
「あー…」
なんと言ったものか。緑川たちの前でわざわざ言うことでもない、と思うのは、彼らを侮っていることになるのかな。私よりよほど修羅場をくぐっているだろうA級隊員には無用な気遣いなのかもしれないとも思う。けれどどうしても口が重くなってしまう私の代わりに、風間さんが告げた。
「先日亡くなったボーダー職員の告別式だ。お前たちも参加するか?」
「え」
「っあー…」
質問した米屋が軽く目を見開いた。出水も緑川もさっきまでのおちゃらけた雰囲気はない。案の定気まずくなった空気に「あちゃー」という気持ちになる。
「いんや、このあと任務なんで。風間さんが俺らの分まで線香あげといてください」
「そうか。わかった」
こういう所でさらりと口を出せるあたり、やっぱり太刀川さんは年上なんだなぁ。普段は残念要素の方が高くて忘れがちだけど、A級一位部隊を率いる隊長なのだ。
感心したので「太刀川さん、式であげるのは線香じゃなくて焼香ですよ」とは言わないでおいた。
♢
去って行く風間と志摩の背が角を曲がり見えなくなったところで、太刀川が口を開いた。
「なあ国近。風間さんが行くのはまあ分かるんだが、志摩の奴はそういうことなのか?」
「…うん」
「そうか」
そのやり取りで、米屋と出水も察したようだった。「え?どういうこと?」と首を傾げる緑川に「あとでな」と米屋が取りなす。
「18歳組でめいっぱい甘やかす予定だから大丈夫ですよ〜。それにぃ、カゲのおかげですでに結構立ち直ってるっぽいし」
「影浦?なんだあいつら付き合ってんのか?」
「まだこれからだけど、時間の問題って感じかな〜」
「マジか!はー、影浦がなぁ」
「マジかー」と仕切りに頷く太刀川とにやにや楽しげな国近に三馬鹿がなんだなんだと加わり、「ええええ!」「マジか!あの二人が!?」「知らなかったーマジかーマジでかー」……と、こうして本人の知らない所で事情を知る者が増えていくのであった。