エリカの幸い(影浦)
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「うあー…」
空っぽになりそうだった冷蔵庫の中身を補給してシャワーで汗を流した後、ここ数日で定位置となりつつあるベッドに横になった。
倫ちゃん、他の面子にも話したかなあ。スマホ見るのが怖い。黙ってたこと怒られませんように。
運動して疲れたのか、気怠さを感じる身体を投げだして目を閉じる。ほどよい疲れが意識を眠りへと誘い、落ちそうになる寸前。
──ピーンポーン
「んあ?」
不意に聞こえたチャイムの音に目を開ける。誰だ、宅配便は頼んでないぞ。
のろのろとベッドを降りて上着を羽織り、人前に出ても支障のない程度に身だしなみを整える。と、ガンッという音が聞こえて玄関の扉が揺れた。
「ええ!?こッわ!取り立て屋かよ」
恐る恐るドアスコープを覗くと、そこにあったのは見知った顔だった。
「カゲ?」
『とっとと開けやがれ鈍間』
「おっと久々に会って早々に罵倒されたぞ」
まあこいつはこれが通常運転だ。
チェーンを外してドアを開けると、コンビニの袋をぶら下げた同級生、影浦雅人が入ってきた。
「何の用〜?っておい無視か」
私の声を完全スルーして部屋に上がり込み、我が物顔でリビングに居座るカゲ。
その視線の先に寒々しいダンボールの山があるのを見て、ああなるほど、とその来訪の理由を悟った。
「聞いたんだ」
倫ちゃんから、いや、荒船か穂刈かな。
ギロリとこちらを見る視線は刺々しく、慣れない者なら思わず一歩後ずさること間違いなしだ。もう付き合いも長いので、カゲのそうした態度に怖気づくことはない。
帰る気はなさそうだと判断してお茶を淹れる。その間私の背中にキツイ視線を寄越しつつも、カゲは黙って座っていた。
「お茶淹れたよー」
「おい」
向かいに腰掛けようとしたところでぐいっと腕を引かれる。突然のことでなんの気構えもしていなかった私は、あっさり体勢を崩した。
「ちょっ、あふふぁあ?」
「……チッ」
ぐいーっとほっぺを引っ張られた挙句、舌打ちを頂戴しました。たしかにめっちゃ不細工な顔をになってるだろうけどさ、やったのお前だから。やっといて舌打ちとかどういう了見だっつの。
何しやがる、と眉根を寄せて近い距離にある顔を見上げると、カゲは口をへの字に曲げた。大層不機嫌らしい。
「吐け」
「は?」
えっいきなり何言ってんのこの人、頭大丈夫か?
正気を疑う目を向けたら本日二度目の舌打ちを頂戴した。おいおい会ってまだ十分くらいだぜ、飛ばしすぎだろ。
「話せっつってんだ。普段通りにしてるつもりかしんねぇが、全然出来てなくてウゼェんだよ。いいからとっとと思ってること吐き出しやがれ」
「は……」
両頬を引っ張っていた手が解かれて、頬を包み込む。大きな手のひらからじんわりと体温が伝わってきて、思考回路を鈍らせた。
「取り繕ってるつもりかよ」
「………」
「言え。思ってること全部、オレに」
「あ、の……」
「寂しいなら寂しいって、言えっつってんだよ」
ゆらり。至近距離にあるカゲの姿が揺らいだのは、いつのまにか眦に浮かんだ液体のせいだ。
わかってるくせに。サイドエフェクトで私の気持ちなんかわかってるくせに、口に出して言えという。吐き出してしまえと。吐き出した気持ちを受け止めてやるからと。
『心を読む?はー…そりゃまた気苦労の多そうなサイドエフェクトなこって。んじゃアレだ、疚しいこと考えてる時はバレないように全力でお前から逃げるわ』
『アホか』
『はっはー!だって思ってることバレてもモーマンタイって言い切れるほど綺麗な人間性してないからね!影浦もチクチクするよかその方がマシだろー?』
『志摩…お前相変わらず気遣いとかできねえな』
『んだと荒船コラ、いきなり逃げたら影浦きゅんが傷付くかなーと思って前もって言っといたんじゃねーか。むしろ気遣いに満ち溢れてるだろ』
『気遣いの意味を辞書で引け』
『キメェ呼び方すんなブス』
いつかの会話を思い出して、なんだかなあという気持ちになる。今私が抱えてる感情なんて、決して気持ちいいもんじゃないだろうに。不快なはずのそれを我慢してまで、私に会いに来たというのか。会わないように、会うのはちゃんと立ち直ってからって思ってたのに、お前の方から会いに来るとか。
「お前ほんとなんなの……」
「ァア?」
「なんで来たんだよもう…、今、いまは、駄目なんだって……ほんとに、」
「何が駄目なんだよ」
察してくれ。
駄目なんだよ本当に。
「って、まだ…気持ち、立て直せてな…から、」
「立て直してえならまず認めろ。んで吐き出せ。飲み込んでどうにかなると思ってんのか」
「う〜…っ」
あ、むりだ。
ぼろりと感情が溢れた。
「っく、…う、ぁ……っ」
ほろり、ほろり。次々と溢れて頬を伝う雫が、カゲの手を濡らす。呻る私にため息をついて、カゲは頬に添えていた手を頭の後ろへ回した。そのまま軽く押されて、肩にもたれかかるような体勢になる。
服濡れちゃうのに、何してんのほんと、やめてくれ、頼むから。
「かっ、かげぇ、おね、おねえちゃんが……っ、お姉ちゃん、が……っう、」
お姉ちゃんが死んじゃった、といい歳して子供みたいに泣き出した私を、カゲは黙って抱きしめた。宥めるように、どこか恐る恐るといった不器用さで背中を叩かれて余計に涙が溢れる。その優しさはわたしに効く。
「あああぁっ、ぅ、あ…っ」
ひとりで食べるご飯が美味しくないの。朝おはようって言ってくれないと寂しいの。テレビを見ても感想を言い合える相手がいなくて嫌なの。もういないなんて嘘だ。あの温かな、無条件で甘えられる居場所がもうないなんて嘘だ。なんで。なんでお姉ちゃんが。
お父さんとお母さんが死んで、お姉ちゃん、まだ大学生だったのに私の面倒見て、決まってた進路も取りやめて、働いてくれてたんだよ。そんなん、そんな人が幸せになれないとか嘘でしょ。やだよそんなん。そんな世界くそじゃん。お姉ちゃん幸せになってくれないとやだ、いや、生きて、生きて誰よりも、幸せに、
「ひっ、んく、ううぅ〜っ」
「擦んなっつの」
恥も外聞もなく、ついでに可愛げもなく心のままに泣いた。熱を孕んで腫れぼったくなった瞼を拭おうとした私の手を奪い、カゲが頬を伝う塩水をべろりと舐めた。
「っひ、………う、ぇ……え?」
「しょっぺえ」
舐め……うん?舐めた?
「なっ、な………な!?めぇ!?!?っど、どうしたカゲ大丈夫か!!」
「何がだよ。つーかこの距離で叫ぶなウルセェ」
「何が…?えっわたしがおかしいのこれ?えっ??」
え、えぇー…。だって普通舐める?目の前に泣いてる人いたら舐めるの??何それ初聞き。まあカゲってなんか獣っぽいっていうか怪獣っぽいからそういうアレ的な?ほーん?いやどれだよ。
「…ちょっと顔を洗ってきます」
頭冷やそ。
♢
よく考えたらさっきまで私たちすごい距離近くなかった?カゲの肩にもたれて泣くってつまりそれカゲの腕の中にいたってことだよ。今さらになって羞恥心が湧き上がってきた。
洗面所から戻ると、カゲが冷蔵庫にコンビニの袋を突っ込んでいた。あ、それ私用に買ってきてくれたの、ありがとう。
「カゲ、あー、えっと……ごめん。肩のとこ濡れちゃったでしょ」
「別に。もういいのかよ」
顔を合わせるのが恥ずかしくて微妙に顔を背けながら謝ると、フッと笑われた。
同級生に号泣見られるとか。死にてぇ。
「うあぁ゛ーっ!忘れてぇ!!」
「無理だなァ」
「ちくしょー!いや、まあその……うぅ、ありがとう。おかげですっきりした」
涙腺が干からびちゃったわじゃないかってくらいずっと泣けなかったのに、カゲの体温に包まれたとたんびっくりするほどあっさり涙が出たから驚いた。
「いつまでも突っ立ってねぇで座れよ」
「えっここ私の家…」
「座れ」
「はい」
家主と立場が逆転してるな?と思ったけどカゲがあまりにも当たり前の顔して言うからつい従ってしまった。お前なんで人ん家でそんな堂々とできんの。どういうメンタルしてんだよ笑うわ。
のそのそとソファにもたれかかるように座ると、またも腕を引っぱられる。驚いて顔を上げた。
「カゲ?──んっ」
ピントが合わないほどの至近距離で、目が合った。
……………え。
「っん、……っ、?」
な、なん……なん………なにが、おこって、る?
キャパオーバーして目を見開いたまま固まる私の後頭部に手を添えて、カゲは一度唇を離したあと、角度を変えてもう一度口を塞いだ。
え……これってあれだよね、あの…その……きっ、キスだよね?え?なんでキス?なんっ……なんでキス!?!?
口付けられたというより、噛み付かれたという表現に近い。
あまりにも突然の暴挙に固まっていた頭が、状況を把握して混乱も混乱したままとりあえず距離を取ろうとカゲの肩を押す。というか叩いた。反射だったからわりと容赦なく叩いたのにビクともしなくて、そうこうしている間に下唇を甘噛みされてぴゃっと跳ねた。
「口開けろ」
「は──っんぅ」
馬鹿ぁああ私の馬鹿ぁあああ!!
『は?』って言おうとしたのほんと馬鹿、これじゃ指示に従ったみたいじゃんか何してんのほんと何してんのっていうかカゲが何してんの。
再び唇と唇がくっついて、開いた隙間から舌が入り込んできた。
「っ、あ……、ふ…っ」
熱の塊が舌に絡まって、じゅっと音を立てて吸い上げられる。
ぐにゃりと骨が溶けたように身体の力が抜けて、全身をもたれかかってしまう。ていうかこれ、いつまで続くの…っ
「か、げ……っも、むり…っ、ひ、しんじゃう、」
「…………ハァーー…」
「えっうぁ、〜〜んんっ」
むりってゆった!むりってゆったのに!!やめるどころかこの人さらにし、舌…っ!!!
両手で頭を押さえつけるように抱え込んで、カゲの舌がわたしの口内を好き勝手蹂躙する。口の中で触れられていない場所はないんじゃないかと思うほど、隅々まで舐め上げられ、溜まった唾液が溢れて顎を伝った。ていうか息、いき、できない……死ぬ…っ!
「やぇ、やぇてって…っひぅ、いっへ……っん」
「お前ちょっと黙れ」
「なんっ…〜〜!ま、って…!こぇ、これいじょ…っ、されたら、んむ、しっ、しんじゃうからあ…っ!!」
半泣きで訴えたらようやく解放されたけど、お前マジふざけんな。
「殺されるかと思った…」
「息継ぎしろよ」
「どうやって!!!」
なんでこんな悪びれないんだコイツは!ギッと睨めつけると、カゲは口の端を片方だけ持ち上げる獰猛な笑みを浮かべた。
「教えてやろうか」
「お…っ!?い、いい!いいですっ!!」
カゲがご乱心である。助けてゾエ、わたしにはもうどうしたらいいのかわかりません。
「っていうか、なんできっ………したんですか」
「お前テンパるとたまに敬語んなるよなァ」
「今そんな話してないです」
唾液で濡れた唇をごしごし擦っていると、強い力で腰を抱き寄せられ、胡座をかいた脚の上に乗り上げる体勢になる。
「ち、近い…!なんか今日ずっと近いよ!!」
「お前分かりやすいよな」
「はい!?」
「慣れてねぇの丸分かり」
「なっ…〜〜れてるわけないでしょうが!!」
むしろお前はなんでそんな慣れてるっぽいんだと問いたい。いや答えられても困るけど。
「テメェが言ったんだろうが。寂しいって」
「はあ…?」
「人肌分けてやってんだよ。感謝しろ」
「はあぁ?」
え?つまり私が寂しいって言ったからキスしたの?何それ??
骨ばった指で髪を梳かれて、不覚にも心地よく感じてしまう。たしかに人肌って安心するかもしれない。
「いやでもキスする必要あった?」
「あ?オレがしたかったからした」
「俺様か!!」
反射的に突っ込んで睨みあげると、思いがけず至近距離にカゲの顔があって怯んでしまった。ち、ちかい。うわなんかすごい恥ずかしいんだけどどうしよう。
「っく……くく」
「何わらっ……ぁああああっ」
さ、サイドエフェクトぉおお!えっつまり私のこの羞恥のあまり死にそうな気持ちとか顔見れないくらいドキドキしてるのとかバレてる!?むりしぬ!!
「は、はなしてえぇ!」
「お、っまえ…っ心臓、はやすぎ」
「もう勘弁してよぉお」
このいじめっ子!
くつくつ喉を震わせるカゲを手のひらで叩く。笑いながらカゲは私の背に腕をまわして、次の瞬間私たちの距離はゼロになった。隙間が見当たらないほどぴったりと抱き込まれて、緊張したのは一瞬で、次第に安堵が胸に湧いた。
変なの。涙と一緒に胸に凝っていた黒い何かが洗い流されたみたいだ。ずっと胸に巣食っていた黒いものがいつのまにかなくなって、たしかな安心感に包まれていた。