エリカの幸い(影浦)
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ピコン、ピコン。
スマホが点滅している。
のろのろとロック画面を見ると、トークアプリの通知だった。未読が随分溜まっている。
『明日も学校休むのか?』
『鋼が心配してるぞ』
『大丈夫〜?』
『体調悪いなら見舞いに行こうか。
ほしいものがあったら言ってくれ』
『生きてるか?』
「生きてるよー…」
連勤明けでしばらくボーダーが休みだから、つい学校をサボってしまった。いや、一応連絡は入れてあるし忌引き扱いになるのかな。さすがに3日はないか。
部屋の片付けやら遺産手続きやらでここ数日忙しくしていたから、返信を忘れていた。同級生のグループ画面を開いて生存報告を流す。すぐに既読がついた。
『生きてた』
『やっぱりサボリか』
「ちげーし」
この分だと忌引きのことは知られてないようだ。プライバシーを守ってくれてありがとう先生。
両親が死んだとき、難しい手続きだのなんだのは全て姉がやってくれた。塞ぎ込む私に喝を入れて、親代わりを担ってくれた。
その姉はもういないのだから、私がしっかりしないと。自分の足で立たないと。
そう思うのにどうにも体に力が入らない。ここ数日ぼーっと無為な時間を過ごしている。駄目人間ここに極まれりだ。
「しっかりしなきゃ」
然り飛ばしてくれるお姉ちゃんは、いないんだから。
「あー…。しっかりって、どうすりゃできるんだろ」
急募、落ち込んだときの立ち直り方。
♢
「便利な世の中だなあ」
知恵袋先生が立ち直り方を教えてくれたよ。曰く『筋肉があればなんでも出来る』だってさ。脳筋か。
「まあ一理ある、のか?」
病は気から。でもって、健全な精神は健全な肉体にってやつか。しっかり飯食って運動して寝たらちょっとは気力も湧くだろう。
ボーダーには身内を亡くした人というのは珍しくない。私も両親を亡くしてたわけだし。というか、三門市に住んでいる人は皆、思い出のつまった家であったり、家族であったり友人であったり、何かしら失くした経験を持ってるだろう。
みんなすごいなあ。ちゃんと前向きに生きて、周囲の人に心配かけない振る舞いができて。見習えよ私。
両親が死んだとき、周りも被害を受けて誰もが悲しみを抱えていた。復興作業で慌ただしく時間が過ぎる中、お姉ちゃんと抱き合って一晩中泣いて眠りについて、目が覚めたら明日を生きるために忙しく雑務に追われた。そうやってるうちに気付いたら立ち直ってたから、今回のこの静かな喪失をどう受け止めたらいいのかわからないのだ。
ボーダーに入って戦う力を身につけて、市民の平和を守るために日々の任務をこなして。そうして肝心の一番大切な人を守れないとか、なんだそれ。バカじゃん。なんのためにボーダー入ったんだっつーの。
私ならまだわかるよ。だって戦闘員だし。自分の危険性はちゃんと認識してたよ。でもさあ、お姉ちゃんは通信オペレーターだったんだよ。なんでだよ。なんでお姉ちゃんなんだよ。
「…いかん。またネガティブ思考になってる」
家の中に閉じこもってるからこんな暗い思考に陥るんだきっと。外に出よう。
ジャージに着替えて履き慣れたランニングシューズに足を突っ込み外に出る。
久方ぶりに吸う外の空気が肺に満ちて少し気が晴れた。
例えば朝起きて顔を洗った後、二つ並んだ歯ブラシとタオルを見た時。例えばお風呂上がり、早く髪を乾かしなさいと注意する声がないこと。例えばご飯を食べる時、向かいに誰もいないこと。例えば冷蔵庫の隅に陣取る一向に減らない缶ビール。それらを片付けた後もずっと、おはようもいってらっしゃいもおやすみも、交わす相手はもういないのだと、ふとした瞬間まざまざと喪失を突き付けられる。決して普段からべったりくっついていたわけじゃないのに、いなくなるとこんなにも強烈にその姿を思い起こす。じわじわと胸の穴が広がっていくような、気付いてなかった穴の存在を執拗に確認させられるような。
「──千里?」
「ん?あ、倫ちゃんだ」
馴染みのある声が聞こえて視線をやると、そこには荒船隊のオペレーター加賀美倫ちゃんがいた。
「びっくりした、荒船くんから学校休んでるって聞いてたから。体調はもういいの?」
「この通り元気だよ。倫ちゃんはこれからボーダー?」
「ええ。千里は最近基地に来てないみたいだけど…」
「大規模侵攻のあと散々こき使われたからね、振替休暇だよ。明日には顔出すつもりだったし」
へらりと笑って返した私に、倫ちゃんはじっと静かな眼差しを向けた。ど、どないしたんや。
「千里、顔色悪いよ。本当はまだ良くなってないんじゃない?」
「え…そう?自分ではなんともないんだけど」
寝不足は十分に解消されたし。首を傾げる私に、倫ちゃんは物言いたげな顔になった。
「元気ない顔してる。何かあった?」
「…………」
え、私そんな顔に出てる?しっかりしなきゃと思って立ち直るために運動してたのに、さっそくしっかりしてないとか。駄目じゃん。
「何か…えーっと、うーん……」
あったといえばあった、けど。これ言うべき?こんな暗い話題を道端で会った相手にブッこむとかなかなか冒険だと思うんだけど。
でも遅かれ早かれ発覚するだろうし、言っちゃった方がいいんだろうか。後からバレてなんで言わなかったって怒られるよりは自分から言った方がいい、のか…?
うだうだ口ごもる私を急かすことなく、倫ちゃんは真剣な表情で私が口を開くのを待っている。ええ子や。
「あー…その、うん、なんていうか。こないだの大規模侵攻で通信室のオペーレーターが亡くなったっていうのは聞いてると思うんだけど。その中に私の姉がいまして」
倫ちゃんが目を見開いた。
「それで姉の私物の片付けとか遺産とか保険とかの手続きを色々してたら忙しくて学校休んじゃいました、みたいな?」
「──そ、れは…」
なんていうか。あらためて自分の口から言葉にすると、ああ本当にお姉ちゃんは死んじゃったんだなって、変な言い方だけど実感した。
言葉を詰まらせる倫ちゃんに、任務前に気持ちを乱すようなこと言って悪いことしちゃったなと反省する。
「ありがとね、倫ちゃん。なんか口に出したらちょっと受け入れられた気がする。ここ数日ゆっくり休んで大分気持ちも整理できたから大丈夫だよ。任務頑張ってね!」
「え…あ、ちょっと千里!」
あんまり長話して倫ちゃんが任務に遅れちゃったらことだし、ひらりと手を振ってその場を去った。引き止める声が聞こえた気がしたけどごめん、ちょっと今、どんな顔したらいいかわかんなくて気まずいからばっくれさせてくれ。埋め合わせは今度します。
♢
「───荒船くん!」
「加賀美?どうした、そんなに慌てて」
荒船隊の隊室。いつも落ち着いて大人びている同級生の珍しい慌てた様子に、荒船と穂刈は目を瞬かせた。
息を切らせて隊室に駆け込んできた荒船隊オペレーターの加賀美倫は、膝に手をついて呼吸を整えると、黒い瞳にめいっぱいの不安と心配と焦燥を浮かべて二人に詰め寄った。
「二人とも、千里が学校を休んでる理由は知ってる?」
「志摩?体調不良じゃないのか?」
「やっぱり」と顔を歪める加賀美に、荒船と穂刈は顔を見合わせる。
ここしばらく顔を見ていない同級生兼悪友がどうかしたのだろうか。嫌な予感に眉根を寄せた。
「大規模侵攻で殺された通信オペレーターの中に、千里のお姉さんがいたって」
「「───!」」
息を呑んだ。オペレーターに被害が出たことは知っていたが、それが身近な人物の身内だと聞くと一気に実感が湧いてくる。
「荒船。たしか第一次大規模侵攻の時に両親を亡くしてるって言ってたよな、志摩は」
「…ああ。つーことはあいつ……」
家族をみんな亡くしたのか。
知らなかった友人の身に起きた不幸に、三人の表情が苦々しく歪む。
グループラインの『生きてるよー』という一言を見て、返信ができるなら大したことはないだろうと安心していた。文字から画面越しの相手の気持ちを完璧に推し量るなんて、出来るはずないというのに。
「チッ、あの馬鹿が」
言えよ、と思う。けれど人に言えるほどに受け入れられていないのかもしれないと考えたら、言わないことを責められるはずもなかった。それでも言ってほしかったと思う気持ちは消えないが。
「どうする?」
「こういう時はアイツが適任だろ」
「だな」
これから任務の自分達に出来ることは、せめてなんとかしてくれそうな相手にこのことを知らせるくらいだ。水臭い友人の心が少しでも晴れることを祈って、彼らは任務へと出動した。