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ガチャン、とビールジョッキの重ね合わさる音を鳴らし久方振りの再会を記念してプチ女子同窓会を繰り広げている社会人である私達は、元・青葉城西に通っていた花の女子高生であった。片手に冷えたビールジョッキ、片手にニンニク濃いめの唐揚げを摘んでは、あの時はあーだったこーだった、なんて甲高い声と昔話に花が咲く。
「ーーあ!オリンピック見た?及川くん、帰化してアルゼンチン代表枠で戦ってたよね。やっぱり安定のイケメンだったわー」
「見た見た!私つい会社の人に同級生なんですーなんて自慢しちゃった。そんな及川くんの勇気にも乾杯!」
「あーあ…当時、及川くんともし付き合って結婚出来てたら…今頃、有名スポーツ選手の奥様になってたって事?あれだ、私も有名人的な!?テレビに出れたかも!」
「~~いやいや大変でしょ。例えばもし奇跡的に付き合えたとする。そして長続きしたとして結婚に至るまでの高校卒業後の期間は?遠恋にしたって着いてくにしたって相当な覚悟が無いと。後は彼に対しての日々の健康、精神、栄養管理、得意以上な料理の腕必須、その他、彼の妻の義務である立ち振る舞いやら諸々「ごめん!儂が悪うございました…仕事の後の唐揚げ枝豆ビールの為に生きてやす!」…解ればヨロシ」
友人達の会話に、あはは…なんて苦笑いしながらビールに口をつければ、プツプツする泡が唇のグロスを覆い独特な違和感を感じて少しだけ眉間に皺が寄る。と、同時に及川と何度も交わした口付けと共に当時の淡く秘密の恋物語を思い出させた。
◇◇◇
「〜~あのさぁ及川、何で私の前だと何時も疲れてんの?んで次いでに羽根伸ばしてるの?お忘れだと思いますが此処は図書室です。本読むか勉強したら?」
「えー?だってなまえちゃんと居ると心が落ちつくんだよね。疲れた時には特に最適でさ。邪魔しないから此処に居ても良い?」
「仕方ないなぁ…私も勝手させて貰うから居ても良いけどあんまり話し掛け無いでね。図書委員の仕事もあるし周囲の迷惑になるから」
「ハイハーイ」
当時も今も絵画や書籍が好きな私は、高校時代には文芸委員会の仕事を率先し絵画や書籍に携わっており、役割の一つである図書室の受付をしていた際に及川との接点を持つ事になる。私から見たら普段の彼は気紛れな猫の様な人だった。好きな時に現れて満足すれば目の前から消えるーー暫くは気紛れな事を一方的に言われるだけで、私達の間には特に目立った会話も無く、ただただ同じ空間を共有する日々が続く。まぁ、気が向いた時にゴロゴロ…と喉を鳴らしながら傍に来られても、特に困る事も無く此方としても特に気兼ねなく日々を過ごして居た。ーー筈だったのだが、日を重ねる内に彼曰く"穏やかな時間"を共に過ごす中で、不覚にも惹かれていった。
「毎日毎日、女の子からの黄色い声援が凄いね。色々と疲れない?」
「随分と淡白だね。応援してくれる女の子は大切にしなくちゃ!…なまえちゃんも今度見学と応援しに来てよ。ーーもっと頑張れる気がするからさ」
「及川が私に求めてたのは安らぎじゃ無かったっけ。てか私に求めるのも間違ってると思うけど」
「間違ってなんか無いよ。それにーー今はもっと欲張りかな?」
「ーー気が向いたらね」
惹かれる彼から不意に唇を求められれば、結局は目を閉じて応じるしか手立ては無かった。だって私は及川が好きだから。口ではあんな風に淡白に言葉を紡いだが、やはり嬉しくて体育館へ足を進める。あの私が知る気紛れな猫な様な彼が、コートの中では虎の如く豹変する姿を確認し新たな一面を知り得た際には、非常に驚いた。ーー反面今思えば、彼のバレーボールに対する情や責任から目を背ける始まりの鐘を鳴らす。そして彼を好きになれば成る程に悲しくも加速したのだ。"バレー強豪校且つ主将だし気迫迫るに決まってる"なんて上から自分本位に誤魔化し塗り潰し続けた結果、我に返った時には高校生活も中半戦に差し掛かって居た。既にその時にはもう彼の心に触れるのさえ怖くなって居たのだ。
「なまえちゃんは夢中になる事とかある?やっぱり文芸関連?」
「…そうだね。沢山の絵画を見たり本に触れたりする事かな」
「そっか。将来は文芸に関する職業を目指すの?出版者や作家、後はーー」
「どうして夢中になる事がイコール全て職業になるの?そんなの趣味の範囲内に決まってるでしょ?私は大学へ進んで一般企業に就職するよ。甘い世界じゃ無いんだから」
ーーねぇ、やっぱりそうなの?及川の人生には引き続きバレーボールが存在するの?好きだけじゃ、貴方とは一緒に居られないの?決死の極論では在るけれど、平凡である私と付き合って普通の日常を過ごすのと、バレーボールを基盤とし常に上を見上げ"挑戦者"として立ち続ける日々、何方を望むの?そして貴方は決して口に出しては言わないけれど、分かり切った答えに私は強く頷ける?彼を支えられる?ーー私は、その辺に何処にでも居る女の子なんだよ。
及川の茶色い瞳が一瞬だけ大きく開いては直ぐにはふわり、とした彼特有の優しい雰囲気を落とし静かに頷かれては優しく撫でられた。及川は猫の様だけど、私が言う事に対して爪を立てたり逆毛を立てたりは決してせず、目の前で負の感情的になる事は無かった。ーー彼はどんな時でも私を喉元を指で擽る様に甘やかしてくれる。唯、其れが偶に辛くて痛かった。
「…私、及川の事が好きだよ」
「俺も。なまえちゃんと同じ時間を過ごすと穏やかになるんだよ」
凄く自分勝手だとは思う。酷く欲張りであって及川の彼女は紛れもなく私だと自負がある。本来は声を高らかにして言いたい。誰も及川に構わないで、私のものだから、と。其れは、周りの女性達のみならずバレーボールに対してもそうだ。自身だって馬鹿馬鹿しいなんて思うし、彼が彼自身の人生に於いて常に隣にあったのは重々承知しているから拒否したり辞めて欲しい、とかその様な思考は決して無い。唯、ある一定のラインを守って欲しい、と願うのだ。要は彼が趣味に留まらず生活の術として選択すると成れば、私にとって酸素を求めて深海を彷徨う感覚だった。おそらく彼を好きに成ると云う事及び彼を好きで居続ける為にはーーバレーボールが常に付き纏う、という現実が生じるのであろう。現実か非現実的かと考えた時、高校三年生の進路、将来への選択肢である今の現実に向き合った時、趣味と業は別の話であると言って仕舞いそうに成る。
「…勿論、大学に入っても文芸は大切にしていくつもりだよ。及川だって大学に行ったらバレーボールサークルやクラブチームだってあるだろうし、どんな形だとしてもこれからもバレーボール続けていったらいいじゃん」
折角、青葉城西に通ってるのに…そんな気持ちを込めながら、我ながら意地悪な言葉を投げ掛けたと思う。ーー丁か半か、或いは私にとって助けを求める様な叫びであるのには間違い無いのだ。
◇◇◇
「ーー今まで、一度も勝てないでいる」
青城が白鳥沢と云う学校に負けた時やウシジマさん、と云う人の話をしていた時だって、全てに於いて私の知るいつもの優しく余裕を見せる及川の顔では無い。勿論、バレーボールを追いかける彼はとても魅力的であるし尊敬するが、知らない表情をする彼と面する回数を重ねて行く内に、私の中で何だか呼吸が苦しくなる感覚が強く成りつつもあってーーだったら、貴方をそんな表情をさせて仕舞うバレーなんてさっさと辞めたら良いのに、なんて僅かでも心を掠めてハッとして急いで誤魔化した。
ーーー
ーー
ー
「(受験生なのに部活引退しないんだ…)」
これから自身らにとっては将来の為に向けて勝負の時期でありラストスパートであるのにも関わらず、部活に費やすなんて私には到底出来ないと思った。ほぼ他の三年も残るとの事らしいけど彼らにとって…特に及川なんかは惰性に似た"集団心理"と云う言葉は皆無なのだろう。それから最後の春高予選だかなんかの大会に向けて及川が更に練習に没頭する時期の最中、勉学に励む私と彼は皮肉にも出会って仕舞った。
「ーー良かったら、みょうじさんのお勧めの本を教えてよ」
図書室受付の当番の際に彼から話し掛けられ、まぁ或る意味これも仕事の一環かな?と一冊を紹介する。内容としては在り来りである運命的な出会いを果たした主人公とヒロインの身分違いからなる悲しき恋の小説ーー…背景や立ち位置は違えど、何となく私と及川を重ね合わせて読んで仕舞っており、深く心に焼き付いた一冊であったからだ。然しながら彼に紹介する本では無かったと後に後悔する。
「みょうじさんらしいね」
「それは…どういう意味?」
「だってこれ自分に重ねて酔ってるんでしょ?」
嗾けた意図が全く見えないが不意打ちである図星にカァッと顔も自尊心も茹でる如く刺激され、自身の手の甲に無許可に添えられた彼の掌をバチッ、と払っては「…帰って」と面し思い切り睨み付けた。他にも沢山素敵な本は存在するのに何故この本を選択して仕舞ったのだろうと…悔しくて涙も滲んできた。
「ーー今、君が居る絡まり合う状況から助けて欲しいんじゃないの?俺にはそう見えるんだよね」
「何、言って」
「…みょうじさんの事がずっと好きだったよ。…君と及川が付き合うよりも前からずっと」
急所を突かれた如く自身の瞳から涙がぽたぽた…零れ落ちてその数滴が受付シートに滲んでやっと我に返った瞬間、全てを見透かす彼の黒い瞳と視線を交えれば抗えずいとも簡単に射貫かれた。
「毎回言ってるけど、私は及川が好きなんだよ」
「別に如何のして欲しい訳じゃないんだよ。其れに図書室で一緒に勉強するくらい受験生なんだから普通でしょ?都合も効率も知識的にもプラスに成るしみょうじさんにもメリットあるよ。なんとジュース奢っちゃう」
勿論(言っては失礼だが)平凡であるこの彼が、あの風貌や風格の及川に見た目で勝る訳がない。然しながら其れを凌駕する程に、私とは趣味も理想も感性も挙げ句にはジュースの好みも共通点が多かったのだろう。物語は物語、現実は現実なんてドライな面が互いに良く似ていて、何より一歩一歩と掻い潜る様に忍び込み、音を立てずに心にへと踏み込んでくる彼との時間を過ごす事が自然と増えて行ったのだ。ーー遂に歯車が狂ったのだろう。彼に酷く安寧を感じていたのだ。私の心情も私を取り巻く環境下に於いても。しっくりと心地よかった。私は及川とは違うーー彼の様な才を隠し持つ訳でもない。恋をして学校行って就職して結婚して何れかは子供を産んで…世に言う一般的な普通の幸せを願っているのだ。
◇◇◇
薄暗くなった放課後の図書室。部活を行って居た生徒も帰宅した頃合の為、周囲にはもう誰も居ない。見回りの人が来る前に鍵を返さないと、と云う浮ついた私一人佇む寂しい余韻と、ぽつり、ぽつり、と零した一言は此の儘、歴史や知性の宝庫に吸い込まれて消えていくのかと思ったのにーーカタン、と物音に遮られては水色の器にちゃぷん、と貯まる。
「ーーなまえちゃん、こんな時間まで如何して残ってるの?」
「!?及川…」
「…俺の事を待っててくれた、って未だ思っても良い?」
「……ッ、ねぇ私の今の言葉、聞いた?」
「帰ろうよ。送ってくから」
「~~ねぇってば…!」
私の問いを無視して腕を引くものだから、私もつい感情的になり言葉を当て付けた瞬間、私の知る優しさの茶色の瞳がギッ、と鋭くなって、無理矢理に口付けをされる。
「…ごめん…」
少し前までは陽だまりの様なキスだったのに何だか冷たく感傷に浸る。及川が好き。其れは紛れも無い心情なのに。
「…彼をもっと早く好きになれば良かった、という言葉はどういう意味、って聞けば正解?」
「……っ、」
「…俺は…なまえちゃんの事、本当にーー」
「…好きなんて簡単に言葉を繋ぐより、バレーでボールを繋ぐより、及川自身の将来を繋ぐ様に真剣に考えてよ…!私の事だって今の私達の立場だって、もっとちゃんと現実を見てよ…!きっと及川が考えてる事って険しくて辛くて困難な道だよ。私はそんな不安定な状況がとても怖いの…!」
キィン、としたなまえの涙声が二人の大切な場所に響き渡れば、夕焼け色から藍色に空が移り変わる様に、なまえの中でも及川との思い出の場所から彼との思い出の場所、と無常に移り気に香る。
「ーー帰ろうか。送っていくから。二人の事を、これからの事を、ちゃんと話そう」
及川は猫の様だけど私が言う事に対して爪を立てたり逆毛を立てたりは決してせず、目の前で負の感情的になる事は無かった。ーー彼はどんな時でも私を喉元を指で擽る様に甘やかしてくれるのだ。其れが偶に、辛くて痛かった。
「及川…ごめんなさい…。及川が私に安らぎを求めてたんじゃない。いつも私が及川に安らぎを強く求め過ぎてた…きっと貴方の気持ちなんて、考えて無かった…たくさん、傷付けてきたよね」
「…そんなもんは惚れた弱味で全部チャラだよ。決着着けたく無いな…」
でもさ、及川。上手く笑えて無いよ。
私だって人の事なんて言えやしない。お互いがお互いを好きな筈なのにーー愛が藍色に染まり零れる運命前夜。もう少ししたら私達はもう子供なんかじゃない。
色褪せていく紫陽花の残り香と、ポツ、ポツ、と雨が染み渡る私達の帰路に萼が零れては、落花流水を見事に着飾る。要するに別れ際に脱いでしまえば、萼片も香りも情景もヒラヒラと散り去くだけである。
◇◇◇
「なまえ、どうした?まさかもう酔った?」
「ーーあ、いや。及川も此の儘、幸せになってくれれば良いなと」
「…!ハイハイ、皆さんお待たせしました!今からなまえちゃんの惚気タイムです!」
「なまえって今付き合ってる公務員と結婚間近なんだっけ?羨ましいわ。一生安泰」
「式には呼んでよね!あわよくば新郎側の招待客との良い出会い見つけちゃる…!」
友人の声掛けにハッ、として現実に引き戻り、引き続き人生を謳歌しては満足し今を生きる。
神秘的な乙女の愛と薬指に光る指輪と自身の手が、月日を重ねた意味を偲ぶ絵画の額縁を指先で辿り添えるのだ。
「ーーあ!オリンピック見た?及川くん、帰化してアルゼンチン代表枠で戦ってたよね。やっぱり安定のイケメンだったわー」
「見た見た!私つい会社の人に同級生なんですーなんて自慢しちゃった。そんな及川くんの勇気にも乾杯!」
「あーあ…当時、及川くんともし付き合って結婚出来てたら…今頃、有名スポーツ選手の奥様になってたって事?あれだ、私も有名人的な!?テレビに出れたかも!」
「~~いやいや大変でしょ。例えばもし奇跡的に付き合えたとする。そして長続きしたとして結婚に至るまでの高校卒業後の期間は?遠恋にしたって着いてくにしたって相当な覚悟が無いと。後は彼に対しての日々の健康、精神、栄養管理、得意以上な料理の腕必須、その他、彼の妻の義務である立ち振る舞いやら諸々「ごめん!儂が悪うございました…仕事の後の唐揚げ枝豆ビールの為に生きてやす!」…解ればヨロシ」
友人達の会話に、あはは…なんて苦笑いしながらビールに口をつければ、プツプツする泡が唇のグロスを覆い独特な違和感を感じて少しだけ眉間に皺が寄る。と、同時に及川と何度も交わした口付けと共に当時の淡く秘密の恋物語を思い出させた。
◇◇◇
「〜~あのさぁ及川、何で私の前だと何時も疲れてんの?んで次いでに羽根伸ばしてるの?お忘れだと思いますが此処は図書室です。本読むか勉強したら?」
「えー?だってなまえちゃんと居ると心が落ちつくんだよね。疲れた時には特に最適でさ。邪魔しないから此処に居ても良い?」
「仕方ないなぁ…私も勝手させて貰うから居ても良いけどあんまり話し掛け無いでね。図書委員の仕事もあるし周囲の迷惑になるから」
「ハイハーイ」
当時も今も絵画や書籍が好きな私は、高校時代には文芸委員会の仕事を率先し絵画や書籍に携わっており、役割の一つである図書室の受付をしていた際に及川との接点を持つ事になる。私から見たら普段の彼は気紛れな猫の様な人だった。好きな時に現れて満足すれば目の前から消えるーー暫くは気紛れな事を一方的に言われるだけで、私達の間には特に目立った会話も無く、ただただ同じ空間を共有する日々が続く。まぁ、気が向いた時にゴロゴロ…と喉を鳴らしながら傍に来られても、特に困る事も無く此方としても特に気兼ねなく日々を過ごして居た。ーー筈だったのだが、日を重ねる内に彼曰く"穏やかな時間"を共に過ごす中で、不覚にも惹かれていった。
「毎日毎日、女の子からの黄色い声援が凄いね。色々と疲れない?」
「随分と淡白だね。応援してくれる女の子は大切にしなくちゃ!…なまえちゃんも今度見学と応援しに来てよ。ーーもっと頑張れる気がするからさ」
「及川が私に求めてたのは安らぎじゃ無かったっけ。てか私に求めるのも間違ってると思うけど」
「間違ってなんか無いよ。それにーー今はもっと欲張りかな?」
「ーー気が向いたらね」
惹かれる彼から不意に唇を求められれば、結局は目を閉じて応じるしか手立ては無かった。だって私は及川が好きだから。口ではあんな風に淡白に言葉を紡いだが、やはり嬉しくて体育館へ足を進める。あの私が知る気紛れな猫な様な彼が、コートの中では虎の如く豹変する姿を確認し新たな一面を知り得た際には、非常に驚いた。ーー反面今思えば、彼のバレーボールに対する情や責任から目を背ける始まりの鐘を鳴らす。そして彼を好きになれば成る程に悲しくも加速したのだ。"バレー強豪校且つ主将だし気迫迫るに決まってる"なんて上から自分本位に誤魔化し塗り潰し続けた結果、我に返った時には高校生活も中半戦に差し掛かって居た。既にその時にはもう彼の心に触れるのさえ怖くなって居たのだ。
「なまえちゃんは夢中になる事とかある?やっぱり文芸関連?」
「…そうだね。沢山の絵画を見たり本に触れたりする事かな」
「そっか。将来は文芸に関する職業を目指すの?出版者や作家、後はーー」
「どうして夢中になる事がイコール全て職業になるの?そんなの趣味の範囲内に決まってるでしょ?私は大学へ進んで一般企業に就職するよ。甘い世界じゃ無いんだから」
ーーねぇ、やっぱりそうなの?及川の人生には引き続きバレーボールが存在するの?好きだけじゃ、貴方とは一緒に居られないの?決死の極論では在るけれど、平凡である私と付き合って普通の日常を過ごすのと、バレーボールを基盤とし常に上を見上げ"挑戦者"として立ち続ける日々、何方を望むの?そして貴方は決して口に出しては言わないけれど、分かり切った答えに私は強く頷ける?彼を支えられる?ーー私は、その辺に何処にでも居る女の子なんだよ。
及川の茶色い瞳が一瞬だけ大きく開いては直ぐにはふわり、とした彼特有の優しい雰囲気を落とし静かに頷かれては優しく撫でられた。及川は猫の様だけど、私が言う事に対して爪を立てたり逆毛を立てたりは決してせず、目の前で負の感情的になる事は無かった。ーー彼はどんな時でも私を喉元を指で擽る様に甘やかしてくれる。唯、其れが偶に辛くて痛かった。
「…私、及川の事が好きだよ」
「俺も。なまえちゃんと同じ時間を過ごすと穏やかになるんだよ」
凄く自分勝手だとは思う。酷く欲張りであって及川の彼女は紛れもなく私だと自負がある。本来は声を高らかにして言いたい。誰も及川に構わないで、私のものだから、と。其れは、周りの女性達のみならずバレーボールに対してもそうだ。自身だって馬鹿馬鹿しいなんて思うし、彼が彼自身の人生に於いて常に隣にあったのは重々承知しているから拒否したり辞めて欲しい、とかその様な思考は決して無い。唯、ある一定のラインを守って欲しい、と願うのだ。要は彼が趣味に留まらず生活の術として選択すると成れば、私にとって酸素を求めて深海を彷徨う感覚だった。おそらく彼を好きに成ると云う事及び彼を好きで居続ける為にはーーバレーボールが常に付き纏う、という現実が生じるのであろう。現実か非現実的かと考えた時、高校三年生の進路、将来への選択肢である今の現実に向き合った時、趣味と業は別の話であると言って仕舞いそうに成る。
「…勿論、大学に入っても文芸は大切にしていくつもりだよ。及川だって大学に行ったらバレーボールサークルやクラブチームだってあるだろうし、どんな形だとしてもこれからもバレーボール続けていったらいいじゃん」
折角、青葉城西に通ってるのに…そんな気持ちを込めながら、我ながら意地悪な言葉を投げ掛けたと思う。ーー丁か半か、或いは私にとって助けを求める様な叫びであるのには間違い無いのだ。
◇◇◇
「ーー今まで、一度も勝てないでいる」
青城が白鳥沢と云う学校に負けた時やウシジマさん、と云う人の話をしていた時だって、全てに於いて私の知るいつもの優しく余裕を見せる及川の顔では無い。勿論、バレーボールを追いかける彼はとても魅力的であるし尊敬するが、知らない表情をする彼と面する回数を重ねて行く内に、私の中で何だか呼吸が苦しくなる感覚が強く成りつつもあってーーだったら、貴方をそんな表情をさせて仕舞うバレーなんてさっさと辞めたら良いのに、なんて僅かでも心を掠めてハッとして急いで誤魔化した。
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「(受験生なのに部活引退しないんだ…)」
これから自身らにとっては将来の為に向けて勝負の時期でありラストスパートであるのにも関わらず、部活に費やすなんて私には到底出来ないと思った。ほぼ他の三年も残るとの事らしいけど彼らにとって…特に及川なんかは惰性に似た"集団心理"と云う言葉は皆無なのだろう。それから最後の春高予選だかなんかの大会に向けて及川が更に練習に没頭する時期の最中、勉学に励む私と彼は皮肉にも出会って仕舞った。
「ーー良かったら、みょうじさんのお勧めの本を教えてよ」
図書室受付の当番の際に彼から話し掛けられ、まぁ或る意味これも仕事の一環かな?と一冊を紹介する。内容としては在り来りである運命的な出会いを果たした主人公とヒロインの身分違いからなる悲しき恋の小説ーー…背景や立ち位置は違えど、何となく私と及川を重ね合わせて読んで仕舞っており、深く心に焼き付いた一冊であったからだ。然しながら彼に紹介する本では無かったと後に後悔する。
「みょうじさんらしいね」
「それは…どういう意味?」
「だってこれ自分に重ねて酔ってるんでしょ?」
嗾けた意図が全く見えないが不意打ちである図星にカァッと顔も自尊心も茹でる如く刺激され、自身の手の甲に無許可に添えられた彼の掌をバチッ、と払っては「…帰って」と面し思い切り睨み付けた。他にも沢山素敵な本は存在するのに何故この本を選択して仕舞ったのだろうと…悔しくて涙も滲んできた。
「ーー今、君が居る絡まり合う状況から助けて欲しいんじゃないの?俺にはそう見えるんだよね」
「何、言って」
「…みょうじさんの事がずっと好きだったよ。…君と及川が付き合うよりも前からずっと」
急所を突かれた如く自身の瞳から涙がぽたぽた…零れ落ちてその数滴が受付シートに滲んでやっと我に返った瞬間、全てを見透かす彼の黒い瞳と視線を交えれば抗えずいとも簡単に射貫かれた。
「毎回言ってるけど、私は及川が好きなんだよ」
「別に如何のして欲しい訳じゃないんだよ。其れに図書室で一緒に勉強するくらい受験生なんだから普通でしょ?都合も効率も知識的にもプラスに成るしみょうじさんにもメリットあるよ。なんとジュース奢っちゃう」
勿論(言っては失礼だが)平凡であるこの彼が、あの風貌や風格の及川に見た目で勝る訳がない。然しながら其れを凌駕する程に、私とは趣味も理想も感性も挙げ句にはジュースの好みも共通点が多かったのだろう。物語は物語、現実は現実なんてドライな面が互いに良く似ていて、何より一歩一歩と掻い潜る様に忍び込み、音を立てずに心にへと踏み込んでくる彼との時間を過ごす事が自然と増えて行ったのだ。ーー遂に歯車が狂ったのだろう。彼に酷く安寧を感じていたのだ。私の心情も私を取り巻く環境下に於いても。しっくりと心地よかった。私は及川とは違うーー彼の様な才を隠し持つ訳でもない。恋をして学校行って就職して結婚して何れかは子供を産んで…世に言う一般的な普通の幸せを願っているのだ。
◇◇◇
薄暗くなった放課後の図書室。部活を行って居た生徒も帰宅した頃合の為、周囲にはもう誰も居ない。見回りの人が来る前に鍵を返さないと、と云う浮ついた私一人佇む寂しい余韻と、ぽつり、ぽつり、と零した一言は此の儘、歴史や知性の宝庫に吸い込まれて消えていくのかと思ったのにーーカタン、と物音に遮られては水色の器にちゃぷん、と貯まる。
「ーーなまえちゃん、こんな時間まで如何して残ってるの?」
「!?及川…」
「…俺の事を待っててくれた、って未だ思っても良い?」
「……ッ、ねぇ私の今の言葉、聞いた?」
「帰ろうよ。送ってくから」
「~~ねぇってば…!」
私の問いを無視して腕を引くものだから、私もつい感情的になり言葉を当て付けた瞬間、私の知る優しさの茶色の瞳がギッ、と鋭くなって、無理矢理に口付けをされる。
「…ごめん…」
少し前までは陽だまりの様なキスだったのに何だか冷たく感傷に浸る。及川が好き。其れは紛れも無い心情なのに。
「…彼をもっと早く好きになれば良かった、という言葉はどういう意味、って聞けば正解?」
「……っ、」
「…俺は…なまえちゃんの事、本当にーー」
「…好きなんて簡単に言葉を繋ぐより、バレーでボールを繋ぐより、及川自身の将来を繋ぐ様に真剣に考えてよ…!私の事だって今の私達の立場だって、もっとちゃんと現実を見てよ…!きっと及川が考えてる事って険しくて辛くて困難な道だよ。私はそんな不安定な状況がとても怖いの…!」
キィン、としたなまえの涙声が二人の大切な場所に響き渡れば、夕焼け色から藍色に空が移り変わる様に、なまえの中でも及川との思い出の場所から彼との思い出の場所、と無常に移り気に香る。
「ーー帰ろうか。送っていくから。二人の事を、これからの事を、ちゃんと話そう」
及川は猫の様だけど私が言う事に対して爪を立てたり逆毛を立てたりは決してせず、目の前で負の感情的になる事は無かった。ーー彼はどんな時でも私を喉元を指で擽る様に甘やかしてくれるのだ。其れが偶に、辛くて痛かった。
「及川…ごめんなさい…。及川が私に安らぎを求めてたんじゃない。いつも私が及川に安らぎを強く求め過ぎてた…きっと貴方の気持ちなんて、考えて無かった…たくさん、傷付けてきたよね」
「…そんなもんは惚れた弱味で全部チャラだよ。決着着けたく無いな…」
でもさ、及川。上手く笑えて無いよ。
私だって人の事なんて言えやしない。お互いがお互いを好きな筈なのにーー愛が藍色に染まり零れる運命前夜。もう少ししたら私達はもう子供なんかじゃない。
色褪せていく紫陽花の残り香と、ポツ、ポツ、と雨が染み渡る私達の帰路に萼が零れては、落花流水を見事に着飾る。要するに別れ際に脱いでしまえば、萼片も香りも情景もヒラヒラと散り去くだけである。
◇◇◇
「なまえ、どうした?まさかもう酔った?」
「ーーあ、いや。及川も此の儘、幸せになってくれれば良いなと」
「…!ハイハイ、皆さんお待たせしました!今からなまえちゃんの惚気タイムです!」
「なまえって今付き合ってる公務員と結婚間近なんだっけ?羨ましいわ。一生安泰」
「式には呼んでよね!あわよくば新郎側の招待客との良い出会い見つけちゃる…!」
友人の声掛けにハッ、として現実に引き戻り、引き続き人生を謳歌しては満足し今を生きる。
神秘的な乙女の愛と薬指に光る指輪と自身の手が、月日を重ねた意味を偲ぶ絵画の額縁を指先で辿り添えるのだ。