我、将来武人となりて、名を天下に挙げん
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「何故、俺がなまえの鎖骨上部に【楔】と彫ったと思う?一つに、親しい間柄に邪魔を入れると云う意味合いが含まれる。まぁ、要するに牽制に近い。俺は妖鬼や連結鍵以前に其程、なまえ自身に惹かれた。奴には一度、此の俺が殺されてるのだーー奴は其んな鬼だ。」
「あんた、まさかとは思うがなまえ絡みの事柄含めて土方さんに命を賭けた果し合いを挑む、って訳じゃないよな…?あと最後の自然に俺の真似するのやめないか?」
「ーーーフッ」
激動の幕末期、夙に新選組が瓦解した後も【誠の旗】を掲げ続け居場所を護る為、旧幕府方として戦い続けていたが終に箱館も新政府軍の手に落ちて仕舞い、然しながら土方率いる隊は諦めず奪還しようと一本木関門を出て果敢に切り込む数時間前、風間と井吹は風間の意向に添い、桜吹雪舞う在る一角の木の下で酒を酌み交わしていた。
「如何した?酒が進んでいないが嫌いか?」
「いや、まぁ…嫌いだと邪険にしようが色々な意味を含めて俺の肩にベッタリ伸し掛っていて離れ無いというか…。お、てかこれ上等な酒だな、高いだろ?俺もいつもこの等級の酒買う為に河合さんや平間さんに嫌々ペコペコ頭下げて金調達して、したらしたでなまえには睨まれるし、兎に角、朝っぱらから鉄扇で叩き起こされて買いに走らされたりは辛か…っ、何でもない。」
出始めは和やかな言葉つきの井吹に対して「人間に頭下げる…だと?」と怪訝な表情をしては返答し酒を飲む風間を側から見れば、様々な曲面を繋げ巡り会わせを果たした彼らこその貴重な一枚ではなかろうか。
(しまった!些細な事でも新選組の事柄を口外しては駄目だろ、バカ!俺!ーーえ?でもギリセーフだよな?何より風間さん、新選組の事は俺より知ってそうだし…?)
自身が芹沢の使いで嫌でも頻繁に嗅いでいた酒の匂いを懐かしく振り返りポロリと思い出話を語掛けた井吹だったが、ハッと焦り急いで口を閉じる。
(… 河合…確か新選組の(元)勘定方か)
河合という一言から井吹と新選組との様々な関連性を組み立て、推測通りやはり井吹が新選組と何らか深い関係性があったという事を結論付けたが、然しながら今更それは風間にとっては既に分かりきっていた事であり、井吹と新選組の関連性の概要など最早、如何でも良い事でもあった。
「あのさ、今更なんだけど、こんな何処で酒飲んでて良いのか?もう少し歩かないと土方さん達が居る五稜郭には…」
「俺は五稜郭で無く土方に入用がある。貴様は態々凄惨な激戦地にその軽装備で向かい銃に撃たれて無駄に死ぬ気か?まぁ、先日の様子から感情のみで動いて相手に食って掛かるところを見ると頭は軽いし命が幾つあっても足らぬだろうな。寧ろ、今迄良く生きていたと尊敬すら覚える。…案ずるな、土方には千鶴が共に居るだろう。千鶴の鬼の気を辿れば奴にすぐ辿り着く。」
「なっ!?あんた、性格の悪さは沖田といい勝負だな!」
「ーー沖田、か。」
サラリと悪態をつく風間に対し悔しそうに返す井吹を余所目に、未だ記憶に新しい沖田との遣り取りを振り返れば、自身らを包む桜吹雪を背に風間の持つ紅蓮は哀婉に煌めき、暫くの時間を桜と酒で濁し過ごしていた。
夕陽が徐々に静かに沈み今宵は不穏にも壮麗な花月かと思わせる様な刻、ガウン、ガウンーー!と遠方より激しい銃声が聞こえるのを合図に「…頃合だな」と風間は腰を上げ身支度をし「ついて来い」と一言、井吹に静かに放つ。
「…土方さんは自分が如何なる状況下で在ろうと風間さんの決着を承諾するし、自分の前に立ちはだかる者が誰であろうと容赦なく本物の鬼になる。…本当に西の肩書きを捨てて一匹の鬼に成る選択肢で良いのか?其れがあんたの幸せなのか?最善の選択なのか?」
井吹は目の前の紅蓮の背に現在の自分自身を重ね併せては、此れが最後、と静かに力強く問うと、風間は少し間を開け井吹に静かに振り返った。
井吹かて今の選択は決して人事ではない。
下手すれば戦火や激戦に巻き込まれ命を堕とす可能性すら大いに有る。
其して恐らく今回の土方と風間の最後の果し合いは、井吹にとって為せば成らぬと決意して追風に添い駆けてきた奇譚の終幕になるであろうと確信している。
故にあと一歩、紅蓮の背に踏み込めば、もう後には引き返せないのだから。
ーーー
「姫様、残念ですが風間様や新選組、みょうじ様の事はーー雪村様に於いては未だ土方側に。」
「そうね…解ってる。私たちは私たちでやるべき事をきちんと行わないとね?」
壮麗な花月が漂う京の在る一角で、心残りな表情をする君菊が京を統べる旧き血筋の鬼の姫、千姫に静かに言葉を紡げば、千姫は今にも涙が零れ落ちそうな自身を堪え忍び、無理矢理表情を作り柔らかく微笑んだ。
「どんな事情も立場も、恋の前では無力だもんね?…実はね、何時だったか私が千鶴ちゃんに「いざとなれば、私が代わりに風間の子を産む!」って言っちゃった事あったの。…本当は私も好きな御方と出逢って恋をしてその御方との子を産みたいな。…きっと無理なんだろうけどね!」
「姫様ーー…」
「あーあ、なまえさんの連結鍵、風間が持っていくなら私が御側に大切に置いておきたかったな。なまえさんも結局、連結鍵の音色聴かせてくれなかったし。」
「ーーそれでも、あの彼が特別に、と別の横笛を奏でて貰ったのでしょう?とても羨ましいですわ」
「まぁね。…でも柄にも無く泣いちゃった。…だってなまえさんの笛の音色が、余りにも私の核心を深く抉るんだものーーあっ、変な事言ってごめん!大丈夫、安心して?ちゃんと自分の立ち位置は自分で解ってるから。」
千姫は本来、八瀬の里の八角堂にいるべき存在であり八瀬家と涼森家の頭領も努める等、極めて価値があり重んじなければならない存在である事は千姫はじめ皆が知り得ている事柄、且つ、只でさえ風間らの現在の状況下に於いて鬼一族が頭を抱える最中、况してや己の個を優先させるなど許されぬ事であり、彼女を纏う其の定める運命から逃れる事は決して容易い事では無いのだ。
「さて、帰りますか!」
さようなら、夢見心地、核心の恋慕
ーーー
ーー
ー
「何だ…お前、大人しく鬼の村に帰って隠居したんじゃ無かったのか?」
「ーー只、静かに暮らすのは俺の性に合わなくてな。俺の全てを懸けて貴様との決着をつけに来た。」
五稜郭に伍する如く起立し桜吹雪を奏でる桜樹木は威風であり且つ品品しく別格である。
新選組が掲げてきた史跡、忠義、誠義、信念、志、彼らの生命ーー全てが彩り誠実した集大成に見えた。
「やめてくださいーー!土方さんは深傷を負っています!井吹さんも、如何して黙って風間さんについているのですか!?如何して…無理矢理にでも止めてくれないの…っ?」
「ーー逆に問うがそんな権利が誰にある?漢が誇りのみ抱いて残り全てを捨てて迄、懸ける決心を?」
「…っ…!」
新政府軍による箱館総攻撃に於いて島田らが包囲されたのを知った土方は、彼らを早急に助けに向かおうと自身は馬に跨りながら一本木関門を守備し且つ味方に指揮を行いながらの激しい戦火渦中、敵からの銃弾を受けては深傷を負って仕舞う。其の詳細や情景を誰よりも間近で全てを知り得て尚且つ現在自身が抱き抱え庇う痛々しい土方を見る千鶴は、今生じる状況に必然と悲しみと怒りが込み上がり、自身が持つ本来の鬼の瞳の色にスッと変えては声も口調も鋭くなるのだ。
「ーーアンタも、覚悟を決めて行く末を見守れよ」
風間と共に現れた井吹にも金色の瞳で強く睨みつけ強く言葉を当て付けるが、千鶴の言葉を聞いた井吹の鼈甲色は変化し、純血の鬼に劣らぬ「有志士」の赫きと蛇の鱗の幻影を放つ。
伊達に生死の境をくぐり抜けて来たわけじゃない。
「…フッ、とか言って風間も俺ら新選組に感化されたのもあるんじゃねェか?あァ、全てを投げうって挑んでくる奴がいるのなら誠の武士として答えるべきだろう。俺は今迄の全てを背負って信じては護りたいモノの為に刀を握り鬼になる。…それに井吹もそう思ってんだろ?ーー俺にァ、今のお前の瞳と背に芹沢さんの眼光と蛇の鱗が見えるぜ。随分と成長しやがったな?」
「土方さん、俺も俺の忠誠の恩返し、誠の信念を最後まで貫かせてもらう。壬生浪士組から随分時間は経っちまったが…これでやっと芹沢さんに向き合えるよ。其れに、あんたは芹沢さんの必要悪も受け継いだんだよな?」
「ーー言うねェ」
さて昔噺はそこまでだ、と注ぐ桜吹雪の中で、風間が刀を静かに抜き構えるのを合図にし土方も桜の花弁を纏いヒラヒラと羅刹に堕ちては、互いの刀同士を激しく叩き重ねつつ互いに互いの関わった過去の出来事を細かに連想させた。
「この間雪溶けしたばかりなのに二人に注がれる五稜郭の桜樹木の花弁は花弁雪に見えるな。見事な桜隠しだ。…二人とも決して只の儚い桜の如く死に急いでる訳じゃ無い。五稜郭の桜樹木の貴の裏の慄然さをも背負ってる。」
目の前の二匹の鬼を眺めながら井吹が静かに千鶴に語掛けると千鶴は初めて京で土方と初めて出逢った寒い日をふと供に振り返った。
「土方さんが懸命に歩んできた史跡には、雪降桜か待雪草の必ず何方かが咲いている様に思います」
希望を纏いし浅葱の羽織を靡かせた土方の背に舞い散る雪に時折、血の色を染め上げ死を象徴する如く夢幻の薄桜にも見えた一枚の場景と、武士である事や鬼に成っても所詮は紛い物と否定され続け尚、己は大丈夫だと慰め貫き通せばいつかは必ず本物に成り、春を告げると信じては雪辱を果たす今の一枚の場景に、刀と刀が重なり烈しく鳴く刀光剣影の渦中、はらり、はらり、と白い花弁が舞い散る。
其れは千鶴と井吹の瞳から零れ落ちる涙雪とも似て非なり
「羅刹という紛い物の名は貴様の生き様に相応しく無い様だな。…貴様は最早、一人の鬼だ。鬼としての名をくれてやろうーー…“薄桜鬼”だ。」
風間の童子切安綱で羅刹の力が無化した土方の傷口から煽れる真っ赤な雪華が五稜郭の染井吉野の純潔を穢し、風間の紅蓮と共鳴する様に互いの純血を無限なる意義を主張させれば、即撃即斬、瞬時且つ同時に互いの刀で互いの心臓へと心置きなく刺突する。
花月を背景に桜の精神美が映し出す、2人の気高き極ーー
” こちらは有限、敵は無限。必ず負けるが「無様」には負けぬ“
土方さん
”男の一生は、美しさを創る為のものだ。俺はそう信じている“
見えますか…?
”鉾(ほこ)とりて 月見るごとに おもふ哉(かな) あすはかばねの 上に照かと“
皆の掲げる
”よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ“
誠の旗が
(土方歳三 句 抜粋)
◇ ◇ ◇
「永倉さん!お陰様でいずれは新選組の回顧録になる資料、順調に進んでます。今回もお時間頂き有難う御座いました。浪士組から始まり、まさか現在の靖共隊までも触れて下さるとは…誠に貴重な資料です!」
「誠、か…最近特に思うよ。俺の進む侍が奴らの目指す侍とは少しばかり違っていて、側から見れば角目立つ様に途中で枝分かれて歩く道は違えど、最終的には新選組の奴ら皆最期辿り着く場所ーー【旗】を掲げて皆が集結した【桜樹木】に俺も俺の誠実をつける事が出来て居たのか?って。
あの頃の俺は色々とカッと熱血でな…自分の最終決断に後悔は勿論無いんだが【旗】の誠実と考えるとな。」
「何を仰いますか!それにそう遠くない未来、松本良順先生と共に素晴らしい活動計画を始めようとされてると聞きました。近藤さんはじめ新選組はきっと永倉さんに対して感謝していますよ。」
「松本先生の中では特になまえちゃんの事は永遠に忘れられないだろうから。ははっ、良く言ってるよ?唯一、自分がなまえちゃんの頬を思い切り引っ叩いたんだ、とか。そんな事言やぁ、俺だってなまえちゃんと衝突したぜ?まぁ俺らはメシと味噌汁の関係でーー…」
(「永倉さん、十一番隊組長の事をなまえちゃんって呼んでたの本当なんだ…そして途中から謎の自慢大会になってる様な…」)
随分後の未来、数少ない新選組の生き残りである永倉新八は、新選組の顕彰に努めては汚名返上に尽力したり、自身の御国の為に尽くした史跡を紙に残し新選組関連の様々な活動に専心したりと、彼の力で「新選組は悪の人斬り集団、悪の使者」という従来の固定観念を大いに覆す事になる。
尚、この遣り取りは永倉と資料記者とのある日の会話である。
「…土方さんの御遺体は何処に埋葬されてるのでしょうか?」
今は公表してないが、永倉さんが土方さんらのお墓を建てる計画を存じ上げてるのに大変失礼なのですが、と記者が一言前置きをし永倉に問えば、永倉は「うーん…それは人伝で聞いて俺自身がこの目で確かに確認した事じゃねぇからな。つまり内緒だ。」と悪戯に微笑むと空かさず記者が「良ければその方にお話しをーー!!」と放つが瞬時に永倉のストップが掛かる。
「おーっと、そりゃいけねぇな?奴らは隊士でも無けりゃ土方さんの親戚や家族でも無い只の一般人だ。…それに静かに過ごさせてやりてぇ。だから、まぁ、そこは頼むよ!」
(「…只の一般人が、あの土方歳三の埋葬の事柄を知り得るのか…?」)
◇ ◇ ◇
「ーー全て終わったよ、芹沢さん。
あんたが作り必要悪で護ってきた浪士組は旋風を巻き起こし何れや必ず時代の寵児となる。」
平間を同伴し、落雷の如く細かい裂け目がある割れた印籠を己の脇に置き、芹沢が特に好んだ上等の酒瓶を手にし芹沢の永眠る墓前にトク、トク、トクと傾け注ぐと、上等で質の良い酒の匂いが地の土の匂いと暫く混ざりあった。
「忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化すという碧血の伝説があるんだって」
自身が黎明より駆け抜けてきた事柄、今後二度と体験する事は無いであろう奇譚を連想する井吹は「内容も濃過ぎて話すと長くなるが何処から聞きたい?」と地べたに胡座をかき芹沢に面する。
「井吹さんが今迄行ってきた事、旦那様が望み井吹さんに託した事を立派にやり遂げた全てを、何より井吹さんが無事に此処へ帰って来てくださった事、旦那様はきちんと見守って、そしてきっと心から喜ばれている筈ですーー…私も同じくそう思っております。」
「ははっ、ありがとな。…俺は芹沢さんに対しての恩返しは済んだと思ってるんだが、芹沢さんから「まだまだ甘いな、犬!」とか言われそうで怖いけどな?あとさ、平間さん…この上等な酒なんだが、もう少し落ちついたら俺が世話になった奴等にも飲ませてやりたいから、悪いんだけどその時はまた暫く畑の方お願いしても良いかな?変わりに今精一杯、気張って動き働きまくるから!」
「ははは、勿論それは構いませんが、あの失礼ですがその方々の居場所は一体何方に?」
「ーー五稜郭付近にある一本木関門に威風する桜樹木」
井吹の鼈甲が平間に向き合って「…おっと、例の人気店の大福も忘れないように用意しないとな?叱られちまう」と優しく赫き微笑むと、平間が「…そうですね、私の分も彼らに宜しくお伝えください。」と更に穏やかな表情で返した瞬間、サァッ…と柔らかな息吹が吹いたのを感じ取れば、井吹のみ自身の頭部を優しく撫でられる様な錯覚を悟った。
ーー「龍之介、よくやった」
鉄扇が開く音と、とても懐かしい貫禄のある声が酒の匂いに混じり聞こえた。
◇ ◇ ◇
「市村さん、体調は如何ですか?」
「ーー井吹さん、今日は落ち着いています。態々遠方より来て下ったのに、こうして身支度をするのが精一杯で申し訳ない…」
「いやいや!俺の方こそ気を遣わせちゃって悪かった。寝間着着て布団に入ったままでも良かったのに。あ、これうちの野菜。栄養価高いし美味いから食べてよ!」
「…俺も正装で話し合い、気持ちを引き締め確実に向き合いたかったから。そして立派な野菜ありがとうございます!」
ケホッ、と咳をする市村は青白い表情ながらも精一杯の身支度をして、井吹を現在自身が匿われている日野の土方の親類、佐藤彦五郎の家へ迎え入れる。
井吹は、土方が最後まで市村の事を口にし寵愛し気にしていた事を千鶴から聞いていた為、又、千鶴も市村の実兄よりも土方を選び人生を共にする覚悟がある程、強く敬愛していたのは知っており、然し、あの晩の土方の最終決断により市村と雪村、個々の役割を各々努めなければならなくなった現実、其の結果、土方の最期まで側におり最期を見届けたのは己だったから、総合的に市村の心情を考えれば、訪問は千鶴で無く井吹のみ、と云う形になった。
「訪問までの今迄、幾度の遣り取りも大変感謝します。ははっ、雪村の気遣いもあるのかな?そんな気にしなくても良いのに…なんて、そう自分でも言える様になったのは実は此処最近なんです。それ程、俺にとって佐藤さんの支えは本当に大きかったーー…あの頃の俺は雪村に酷く嫉妬していた。」
井吹は、ポツリ、ポツリと言葉を落としていく市村を静かに見守りながら、優しく言葉を拾い上げ鼓膜に染み込ませ、市村から聞かれた事を丁寧且つ繊細に答え果たしていく。
「俺は、勿論あの選択は新選組策士としての土方さんも有って、でもその裏では個の土方さんとしての最後の我儘でも有ったとも思うんだ。」
話の中で必然的に市村、雪村の枝別れの役割の話に成れば市村はグッ…と苦しそうな表情をし、井吹は「ごめん、俺の勝手な想像なんだけど…」と前置し言葉を繋げる。
「…此れは土方さん本人から聞いた話なんだけど、なまえ曰く雪村の事、自分の休憩所、とか言っていたらしい。」
「ーーっ、みょうじさんからもそんな風に思われていたんだ?何処までも羨ましい奴…!」
「…なまえが土方さんらとの別れ際に、雪村に「今度は新選組…特に土方さんの休憩所になってほしい」って言ったらしくてさ、それもあって土方さんは雪村を最期まで自分の側に置いたんじゃないか?【誠の旗】は武士の道導であり拠り所、且つ雪村はなまえの希う新選組の休憩所と在れば、又、土方さん自身が言伝を護り実現し続ければ、如何なる立場や状況で在ろうと必ずまたなまえと会えると信じたかった。そして市村さんは、新選組の土方さんと故郷を想う土方さんを兼ねる人。必ず生きて、双方の土方歳三が生きた証を次世代に繋げなければ成らなかった。ーー何年、何十年、何百年先か解らないけど、土方歳三はじめとする新選組は、世から重要視され重んずる大きな歴史になって語り継がれるのかもしれない。其れは雪村には不可能で、現に市村さんがこうしてやり遂げたのだから。」
井吹の髄を突く様な不思議と信憑性がある奥深い言葉に、市村は「…ぐすっ……ぅっ…土方さん…っ…!!」と膝の上で拳を作りボロボロボロ…ッと涙を溢れさせて泣いていた。
「ーー井吹さん、今日は会えて良かったです。先程聞いた土方さんの最期、あの人には本当に敵わないなぁ。ほんっと何処までもカッコ良すぎるだろ!」
キラキラとした年相応な少年の顔で笑う市村に井吹は「…俺も、あの新選組鬼の副長と云われた土方歳三が、強く乞い願い生きて欲しかった唯一の人間、市村さんという人物にお逢い出来て本当に良かった。」と返せば、市村は「え?唯一の人間…?」と不思議そうな表情をした。
◇ ◇ ◇
「千鶴ちゃん、此処に来て暫く経ったけど住み心地はどうかな?不便な事があれば気軽に言ってね?」
「お千ちゃん!…とても素敵な場所で私には勿体ないよ。何から何まで十分すぎるお持て成し、色々とお世話になってしまって…ごめんね。」
「何言ってるの?千鶴ちゃんも鬼の姫なんだから手厚いのは当たり前でしょ?あ、でもお願いしたいお仕事はたっぷりあるから宜しくね♫」
「うん!勿論!」
激動の幕末を経て現在、千鶴は、千姫の率いる鬼の村で過ごしていた。
今迄の人生が嘘の様に此の居場所は穏やかであり、又、東の女鬼の生き残りという事もあり村の皆からも大歓迎され、更に千鶴が気兼ねなく日常を過ごせるようにと千姫の気遣いもあり、千鶴のみ出来る重要な仕事や様々な手伝い等、日々こなしては忙しいながらもとても心地良く充実した毎日を過ごしている。
「…やっぱり千鶴ちゃんの心の奥底では忘れられないし寂しいよね?でも時間が解決してくれる事もあるし…其れに忘れて!と言っている訳じゃないの。寧ろその逆で、人間との間に深い確執がある今の鬼達に千鶴ちゃんの経験や考えを伝えていったりして、これからの未来の鬼の事も考えて欲しいのーー…」
自身の身嗜みも美しく施され提供される食事も全て美味しく、兎に角、何から何まで勿体ない程に素晴らしい生活なので無論文句などある筈が無いのだが、千鶴は未だ如何しても過去を忘れる事は出来ずに折、風間が果し合いの際にも肌身離さず持っていた、壊れた連結鍵を服から出し手でキュッと握れば、本来なら重く長かったであろう今は千切れ短くなった鎖をジャラ…と鳴らした。
「千鶴ちゃん…未だに彼の事を?」
「ーーうん、愛してる。」
心内にあれば色外にあらわる。
千鶴が特に忘れられない過去の中核、ある男を想い出しては、男が己のみ呼ぶ際に使用する特別な愛称で、男に呼ばれる事を心内で想念する。
「彼にはずっと心に決めている別の女性がいたのを理解しているのに、いつまでも諦められなくて…恋愛って辛いね」
「うーん、彼が鬼としても異性としても強く魅力的で且つ惹かれるのは、悔しいけど私にも解るからなぁ…でも、辛い恋愛も色彩があって綺麗じゃない?その感情を無理矢理捨てたり諦める事なんてないよ!」
何だか私ってば駄々捏ねてるみたいで恥ずかしい、とそっと微笑む千鶴の目に水膜が張れば、千姫は千鶴を暖かく包み込む様な言葉とつい溢れる本音を掛け優しく肩をそっと撫ぜた。
「ーー私にはそれくらいしか出来ないけど…もし千鶴ちゃんが良ければ、その連結鍵、本来の姿見に復元しようか?」
勿論、なまえさんの妖や鬼の力、瓶の中身、その他機能等の再現は到底無理だけど、と千姫が紡げば、千鶴は意を決して「…いいえ、その変わり、風間さんが土方さんと果し合いの際に使用していた刀ーー童子切安綱と連結鍵を、有りの儘の容で、双方並べて厳重に管理して展示して欲しいの。今を生命る鬼の一族に、我らの同胞に、彼等の生き様に触れて貰って、これからの鬼の未来に繋げていきたい。…なまえさんも風間さんも、きっと許してくれると思います」と力強く放つのであった。
以後、童子切安綱と連結鍵は千鶴の願い通り千姫の指示・責任の基、厳重に管理し展示され、鬼の中でも重要且つ大きな歴史として語り継がれる。
歴史では新選組も組み合わせ触れる為、最初は人間との確執の所為もあり否定的な声も大きかったが、千鶴はその声に屈する事無く自身の体験談などを交えて確実に伝えていけば、京のみならず他方面の鬼達にも徐々に千鶴の熱意が染み渡っていくのだった。
元々は鬼という物は義理堅い性分である故、心配は一切無いだろう。
◇ ◇ ◇
「静さん、最期まで独身を貫かれたのね。才色兼備な方で亡くなられる直前まで近所の子供達や女性達に踊りや三味線をはじめ料理や裁縫、教養などを沢山教えてらしてとても素敵な女性だったわ。」
「ーー風の噂で聞いたのだけれど、静さんが必ず肌身離さず髪の毛に挿していた在の簪が関係あるみたいよ?」
「そうなの…もしかしたら心に決めた殿方が居られたのかもしれないわ…簪は、それはそれは大切にされていたものね。亡くなった際にも髪の毛に挿しておられて、最期までお顔も美しかったわね…」
ーーー
「ーーあれ?此処は…?」
小鈴、もとい静は、今の自身に起きている状況に一体何事か、夢か現実か?と困じており、曾て京で芸妓をしていた時代の少女の久方ぶりの姿で一人でポツン…と歩いていた。
(確か私は、先程まで近所の子供達や女性達といつも通り過ごしてた筈…)
「…っ、私の簪は!?…よかった…!」
先ずは簪の心配をし己の頭に手を翳し何時もの様に変わりなく然りと整い乱れも見られず、可愛い御花が髪に咲いてるのを触れて確認すれば、其処で漸と胸を撫で下ろすのだ。
自身の記憶に残るのは今の久方ぶりの少女の姿よりは確実に歳をとっていた筈で、自分の意識一般のみ保ったまま、身体だけが何故か淡く甘酸っぱく懐かしい少女の頃の自分に戻って居ることに多少違和感を感じるが、 心身の状態も良好且つ場の雰囲気も穏やかに過ごせて折、静は不思議と徐々に現状を心地よく受け入れては、思い幸せに満ちていた。
「わぁ…凄い…!」
視界に映るのは薄桃と白が漂う見渡す限りの不思議な風景と周り一面に、西洋薄雪草、西洋木蔦(へデラ)、撫子、桔梗、葉牡丹と、咲く季節は異なるが花詞にある共通する想いが込められている花達が、問題無く清浄に咲き誇り満ち溢れていて、静が恐る恐る一歩一歩、ポッ、ポッ、と澄み渡る池の水面に小さな雫が落ちる様に歩くと、ふわり、ふわりと花弁が踊るように舞う幻が降り注ぐ様な光景が拡がっていた。
「ふふっ、少しだけ踊っちゃおうかな…?」
曾ては自身の血潮である踊りも三味線も、時に血反吐を吐き携って来た。
然し今はこの心地よい花弁舞う中で自分が想う儘に自由に踊りをしよう、楽しさだけを追求しようと心の底から感じ触れ、ひらひら、と麗しい蝶に成り華麗に花束の中心として舞い踊る。
ーーパチパチパチ、
静が踊り終え一息ついた瞬間、自身の背後から人の気配と拍手が聞こえ先ずは己以外の気配が存在した不安と安心の双方を思えば「ーー依然として、あんたが一番綺麗だな」と、とても懐かしく、そして何より、何度も何度も夢に見て恋い焦がれた愛しい声と姿を視界に映した。
「!!」
驚きや愛おしさなど様々な感情に襲われ自分が自分で居られなくなる様な感覚と頬を紅に染め大粒の涙を溢れさせながら、強く彼の名を呼び、透かさず強く彼の胸へ抱きついたのだった。
「ーーっ…!ずっと、ずっと…ひっく…あいたかったの…っ!!」
「ん、俺も」
「…ぐすっ…貴男に頂いた簪も…肌身離さず大切にしておりました…!」
「知ってる」
「…もう…私は貴男と二度と離れたく無いです…!御願いします…っ、何処へでも、ひっく、ついて参ります…!…今度こそ私を貴男のお側に「待て」」
全てを言い終える前に静から吐息が洩れたと思えば、愛しい其の彼の片手は可愛い花びらのような唇を塞いだ。
「ふぅぅ…っ…」
過去に経験した事をまた同じ様にされ過去のあの出来事を頭の中でカラカラ、と繰り返せば、静のくりっとした可愛い瞳は忽ち深い悲しみ色に染まり、彼の片手で言葉も口も遮られている為、精一杯を訴える大粒の涙がボロボロッ…と溢れさせた。
「……ひっ…ぐすっ…また…断られ…」
「あ?」
「…っ…ぃ…井吹さんが持ってきたあの紙は嘘だったの…?」
「…!?…恥ずかしいけど本心、」
「じゃあどうして…っ」
「…頼む、今度は俺から言わせて」
「え…?」
「静、俺はあんたの全部に惚れてる。今度こそ俺はこの手を握って、静の全てを掻っ攫う」
静の小さな手を優しくキュッと握り、愛おしさを隠せないと云う様に、其の儘彼女の手の甲を己の唇へ擦り寄せれば、二度と逢うつもりも告げるつもり無いと啖呵きってたがもう良いよな?と真剣な表情で囁き落とし、自身の持つ眩い紅い月を静の水の膜で揺れる瞳に視線を重ね合わせ幻想的な風情を完成させた。
「ーーっ、なまえさんっ!!」
「…あんだよ」
「…ふふっ、小鈴より静の方が少しだけ気が強いですが…変わらず愛してくれますか…?」
「…静の事はずっと見護ってたから知ってる。それに俺以外、あんたに適してる男いんの?」
「いいえ、いません。私は生涯、なまえさんだけですーー」
静のとろりと蕩ける様な表情と甘い言葉を涙と共に受け止めるなまえは、ぞくりと顔を出す愛欲を抱き隠し頬を紅く染めれば「ーーっ、くっそ可愛いな、はなまる」と静の頭から頬にかけ繊細に撫でた後、何方からともなく待ち焦がれていた深く熱い口付を交わす。
「…ぁ…愛してます…っ…なまえさん…出逢ったあの時から…ずっとなまえさんだけ…」
逢いたいが逢えなくて時にははなはだしい寂しさに襲われて、只一人きり声を殺して泣いた夜も数えきれない程あった。
なまえを想いながら眠りにつく夜を幾多も過ごし、夢の中でなまえに逢い、何度想い想われ心の奥底で繋がり交わっただろうか?
「…後で絶対、抱き潰して喰い貪る。覚悟しとけ」
揺るがない情愛、互いの体温
この人と幸せになりたい、それだけ
なまえは、ふわり、と静を大切なお姫様の様に横抱きにし歩いていくと花詞を歌う花束が二人を祝福するかの様に周辺一帯を幻想的に囲み道を作っていく。
少し先に、カラカラカラ…と舞う様に流れる風車を持つ幼い女の子が一輪、陽だまりのように現れれば、宵に主張する昉の月で無く水面に映り反鏡の様に揺れる紅い月の下、嬉しそうに、ふわり、と微笑み、その手に抱かれている風車をなまえと静の側に翳せば、サァァァーー…と流れる息吹と風車の回る音に乗せ、薄桃と白の漂う風景の中に、気位し品品し威風する新選組の集大成【桜樹木】を壮大に映し出した。
「綺麗ですね…。この国各地に起立する桜は、この浅葱の薄桜の誠の様に、この国の人達の強き生き様を表している様に思います。」
発足から六年余り
黎明から刻まれた男太刀の絆は何年時を刻もうが「誠」の旗の基に集いし息吹に桜花を熨せ、新選組の声明を世に舞う叶如く。
男の生命を賭けた誓い計り知れぬ獄である極の縁で、男達はたった二足の両脚で宿命を背負い浮世歴史を相手に人生を駆けて行った。
その裏で、暁を超え奇譚を駆けた鍵を背負う眼光紙背に徹す蒼犬と純血なる東の君の千の鶴
武士の“紛い物”と胸倉掴まれ泥水啜って命刃り根気燃やす陣、誠心を貫く浅葱の蛇の生き様、埃血るの欲の舞台に、凛とし威厳格を誇る誠の山形模様ーー
「桜花の家紋に、王者の貫禄を」
“浅葱の山形を死装束に朽ち堕とすか、日本歴史を轟かす蛇の鱗とするかーー”
桜は儚く美しく、時に戦場に咲き誇り故に残酷であった
日本歴史へ永遠に遺す証明として魂の代価を今此処に
我、将来武人となりて、名を天下に挙げん
(竜騰虎闘)(屋烏之愛)
ーーー
命代はり、命は義によりて軽し
命は風前の灯の如し
此れにて終幕
始め有るものは必ず終わり有り
長い間、有難う御座いました
「あんた、まさかとは思うがなまえ絡みの事柄含めて土方さんに命を賭けた果し合いを挑む、って訳じゃないよな…?あと最後の自然に俺の真似するのやめないか?」
「ーーーフッ」
激動の幕末期、夙に新選組が瓦解した後も【誠の旗】を掲げ続け居場所を護る為、旧幕府方として戦い続けていたが終に箱館も新政府軍の手に落ちて仕舞い、然しながら土方率いる隊は諦めず奪還しようと一本木関門を出て果敢に切り込む数時間前、風間と井吹は風間の意向に添い、桜吹雪舞う在る一角の木の下で酒を酌み交わしていた。
「如何した?酒が進んでいないが嫌いか?」
「いや、まぁ…嫌いだと邪険にしようが色々な意味を含めて俺の肩にベッタリ伸し掛っていて離れ無いというか…。お、てかこれ上等な酒だな、高いだろ?俺もいつもこの等級の酒買う為に河合さんや平間さんに嫌々ペコペコ頭下げて金調達して、したらしたでなまえには睨まれるし、兎に角、朝っぱらから鉄扇で叩き起こされて買いに走らされたりは辛か…っ、何でもない。」
出始めは和やかな言葉つきの井吹に対して「人間に頭下げる…だと?」と怪訝な表情をしては返答し酒を飲む風間を側から見れば、様々な曲面を繋げ巡り会わせを果たした彼らこその貴重な一枚ではなかろうか。
(しまった!些細な事でも新選組の事柄を口外しては駄目だろ、バカ!俺!ーーえ?でもギリセーフだよな?何より風間さん、新選組の事は俺より知ってそうだし…?)
自身が芹沢の使いで嫌でも頻繁に嗅いでいた酒の匂いを懐かしく振り返りポロリと思い出話を語掛けた井吹だったが、ハッと焦り急いで口を閉じる。
(… 河合…確か新選組の(元)勘定方か)
河合という一言から井吹と新選組との様々な関連性を組み立て、推測通りやはり井吹が新選組と何らか深い関係性があったという事を結論付けたが、然しながら今更それは風間にとっては既に分かりきっていた事であり、井吹と新選組の関連性の概要など最早、如何でも良い事でもあった。
「あのさ、今更なんだけど、こんな何処で酒飲んでて良いのか?もう少し歩かないと土方さん達が居る五稜郭には…」
「俺は五稜郭で無く土方に入用がある。貴様は態々凄惨な激戦地にその軽装備で向かい銃に撃たれて無駄に死ぬ気か?まぁ、先日の様子から感情のみで動いて相手に食って掛かるところを見ると頭は軽いし命が幾つあっても足らぬだろうな。寧ろ、今迄良く生きていたと尊敬すら覚える。…案ずるな、土方には千鶴が共に居るだろう。千鶴の鬼の気を辿れば奴にすぐ辿り着く。」
「なっ!?あんた、性格の悪さは沖田といい勝負だな!」
「ーー沖田、か。」
サラリと悪態をつく風間に対し悔しそうに返す井吹を余所目に、未だ記憶に新しい沖田との遣り取りを振り返れば、自身らを包む桜吹雪を背に風間の持つ紅蓮は哀婉に煌めき、暫くの時間を桜と酒で濁し過ごしていた。
夕陽が徐々に静かに沈み今宵は不穏にも壮麗な花月かと思わせる様な刻、ガウン、ガウンーー!と遠方より激しい銃声が聞こえるのを合図に「…頃合だな」と風間は腰を上げ身支度をし「ついて来い」と一言、井吹に静かに放つ。
「…土方さんは自分が如何なる状況下で在ろうと風間さんの決着を承諾するし、自分の前に立ちはだかる者が誰であろうと容赦なく本物の鬼になる。…本当に西の肩書きを捨てて一匹の鬼に成る選択肢で良いのか?其れがあんたの幸せなのか?最善の選択なのか?」
井吹は目の前の紅蓮の背に現在の自分自身を重ね併せては、此れが最後、と静かに力強く問うと、風間は少し間を開け井吹に静かに振り返った。
井吹かて今の選択は決して人事ではない。
下手すれば戦火や激戦に巻き込まれ命を堕とす可能性すら大いに有る。
其して恐らく今回の土方と風間の最後の果し合いは、井吹にとって為せば成らぬと決意して追風に添い駆けてきた奇譚の終幕になるであろうと確信している。
故にあと一歩、紅蓮の背に踏み込めば、もう後には引き返せないのだから。
ーーー
「姫様、残念ですが風間様や新選組、みょうじ様の事はーー雪村様に於いては未だ土方側に。」
「そうね…解ってる。私たちは私たちでやるべき事をきちんと行わないとね?」
壮麗な花月が漂う京の在る一角で、心残りな表情をする君菊が京を統べる旧き血筋の鬼の姫、千姫に静かに言葉を紡げば、千姫は今にも涙が零れ落ちそうな自身を堪え忍び、無理矢理表情を作り柔らかく微笑んだ。
「どんな事情も立場も、恋の前では無力だもんね?…実はね、何時だったか私が千鶴ちゃんに「いざとなれば、私が代わりに風間の子を産む!」って言っちゃった事あったの。…本当は私も好きな御方と出逢って恋をしてその御方との子を産みたいな。…きっと無理なんだろうけどね!」
「姫様ーー…」
「あーあ、なまえさんの連結鍵、風間が持っていくなら私が御側に大切に置いておきたかったな。なまえさんも結局、連結鍵の音色聴かせてくれなかったし。」
「ーーそれでも、あの彼が特別に、と別の横笛を奏でて貰ったのでしょう?とても羨ましいですわ」
「まぁね。…でも柄にも無く泣いちゃった。…だってなまえさんの笛の音色が、余りにも私の核心を深く抉るんだものーーあっ、変な事言ってごめん!大丈夫、安心して?ちゃんと自分の立ち位置は自分で解ってるから。」
千姫は本来、八瀬の里の八角堂にいるべき存在であり八瀬家と涼森家の頭領も努める等、極めて価値があり重んじなければならない存在である事は千姫はじめ皆が知り得ている事柄、且つ、只でさえ風間らの現在の状況下に於いて鬼一族が頭を抱える最中、况してや己の個を優先させるなど許されぬ事であり、彼女を纏う其の定める運命から逃れる事は決して容易い事では無いのだ。
「さて、帰りますか!」
さようなら、夢見心地、核心の恋慕
ーーー
ーー
ー
「何だ…お前、大人しく鬼の村に帰って隠居したんじゃ無かったのか?」
「ーー只、静かに暮らすのは俺の性に合わなくてな。俺の全てを懸けて貴様との決着をつけに来た。」
五稜郭に伍する如く起立し桜吹雪を奏でる桜樹木は威風であり且つ品品しく別格である。
新選組が掲げてきた史跡、忠義、誠義、信念、志、彼らの生命ーー全てが彩り誠実した集大成に見えた。
「やめてくださいーー!土方さんは深傷を負っています!井吹さんも、如何して黙って風間さんについているのですか!?如何して…無理矢理にでも止めてくれないの…っ?」
「ーー逆に問うがそんな権利が誰にある?漢が誇りのみ抱いて残り全てを捨てて迄、懸ける決心を?」
「…っ…!」
新政府軍による箱館総攻撃に於いて島田らが包囲されたのを知った土方は、彼らを早急に助けに向かおうと自身は馬に跨りながら一本木関門を守備し且つ味方に指揮を行いながらの激しい戦火渦中、敵からの銃弾を受けては深傷を負って仕舞う。其の詳細や情景を誰よりも間近で全てを知り得て尚且つ現在自身が抱き抱え庇う痛々しい土方を見る千鶴は、今生じる状況に必然と悲しみと怒りが込み上がり、自身が持つ本来の鬼の瞳の色にスッと変えては声も口調も鋭くなるのだ。
「ーーアンタも、覚悟を決めて行く末を見守れよ」
風間と共に現れた井吹にも金色の瞳で強く睨みつけ強く言葉を当て付けるが、千鶴の言葉を聞いた井吹の鼈甲色は変化し、純血の鬼に劣らぬ「有志士」の赫きと蛇の鱗の幻影を放つ。
伊達に生死の境をくぐり抜けて来たわけじゃない。
「…フッ、とか言って風間も俺ら新選組に感化されたのもあるんじゃねェか?あァ、全てを投げうって挑んでくる奴がいるのなら誠の武士として答えるべきだろう。俺は今迄の全てを背負って信じては護りたいモノの為に刀を握り鬼になる。…それに井吹もそう思ってんだろ?ーー俺にァ、今のお前の瞳と背に芹沢さんの眼光と蛇の鱗が見えるぜ。随分と成長しやがったな?」
「土方さん、俺も俺の忠誠の恩返し、誠の信念を最後まで貫かせてもらう。壬生浪士組から随分時間は経っちまったが…これでやっと芹沢さんに向き合えるよ。其れに、あんたは芹沢さんの必要悪も受け継いだんだよな?」
「ーー言うねェ」
さて昔噺はそこまでだ、と注ぐ桜吹雪の中で、風間が刀を静かに抜き構えるのを合図にし土方も桜の花弁を纏いヒラヒラと羅刹に堕ちては、互いの刀同士を激しく叩き重ねつつ互いに互いの関わった過去の出来事を細かに連想させた。
「この間雪溶けしたばかりなのに二人に注がれる五稜郭の桜樹木の花弁は花弁雪に見えるな。見事な桜隠しだ。…二人とも決して只の儚い桜の如く死に急いでる訳じゃ無い。五稜郭の桜樹木の貴の裏の慄然さをも背負ってる。」
目の前の二匹の鬼を眺めながら井吹が静かに千鶴に語掛けると千鶴は初めて京で土方と初めて出逢った寒い日をふと供に振り返った。
「土方さんが懸命に歩んできた史跡には、雪降桜か待雪草の必ず何方かが咲いている様に思います」
希望を纏いし浅葱の羽織を靡かせた土方の背に舞い散る雪に時折、血の色を染め上げ死を象徴する如く夢幻の薄桜にも見えた一枚の場景と、武士である事や鬼に成っても所詮は紛い物と否定され続け尚、己は大丈夫だと慰め貫き通せばいつかは必ず本物に成り、春を告げると信じては雪辱を果たす今の一枚の場景に、刀と刀が重なり烈しく鳴く刀光剣影の渦中、はらり、はらり、と白い花弁が舞い散る。
其れは千鶴と井吹の瞳から零れ落ちる涙雪とも似て非なり
「羅刹という紛い物の名は貴様の生き様に相応しく無い様だな。…貴様は最早、一人の鬼だ。鬼としての名をくれてやろうーー…“薄桜鬼”だ。」
風間の童子切安綱で羅刹の力が無化した土方の傷口から煽れる真っ赤な雪華が五稜郭の染井吉野の純潔を穢し、風間の紅蓮と共鳴する様に互いの純血を無限なる意義を主張させれば、即撃即斬、瞬時且つ同時に互いの刀で互いの心臓へと心置きなく刺突する。
花月を背景に桜の精神美が映し出す、2人の気高き極ーー
” こちらは有限、敵は無限。必ず負けるが「無様」には負けぬ“
土方さん
”男の一生は、美しさを創る為のものだ。俺はそう信じている“
見えますか…?
”鉾(ほこ)とりて 月見るごとに おもふ哉(かな) あすはかばねの 上に照かと“
皆の掲げる
”よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ“
誠の旗が
(土方歳三 句 抜粋)
◇ ◇ ◇
「永倉さん!お陰様でいずれは新選組の回顧録になる資料、順調に進んでます。今回もお時間頂き有難う御座いました。浪士組から始まり、まさか現在の靖共隊までも触れて下さるとは…誠に貴重な資料です!」
「誠、か…最近特に思うよ。俺の進む侍が奴らの目指す侍とは少しばかり違っていて、側から見れば角目立つ様に途中で枝分かれて歩く道は違えど、最終的には新選組の奴ら皆最期辿り着く場所ーー【旗】を掲げて皆が集結した【桜樹木】に俺も俺の誠実をつける事が出来て居たのか?って。
あの頃の俺は色々とカッと熱血でな…自分の最終決断に後悔は勿論無いんだが【旗】の誠実と考えるとな。」
「何を仰いますか!それにそう遠くない未来、松本良順先生と共に素晴らしい活動計画を始めようとされてると聞きました。近藤さんはじめ新選組はきっと永倉さんに対して感謝していますよ。」
「松本先生の中では特になまえちゃんの事は永遠に忘れられないだろうから。ははっ、良く言ってるよ?唯一、自分がなまえちゃんの頬を思い切り引っ叩いたんだ、とか。そんな事言やぁ、俺だってなまえちゃんと衝突したぜ?まぁ俺らはメシと味噌汁の関係でーー…」
(「永倉さん、十一番隊組長の事をなまえちゃんって呼んでたの本当なんだ…そして途中から謎の自慢大会になってる様な…」)
随分後の未来、数少ない新選組の生き残りである永倉新八は、新選組の顕彰に努めては汚名返上に尽力したり、自身の御国の為に尽くした史跡を紙に残し新選組関連の様々な活動に専心したりと、彼の力で「新選組は悪の人斬り集団、悪の使者」という従来の固定観念を大いに覆す事になる。
尚、この遣り取りは永倉と資料記者とのある日の会話である。
「…土方さんの御遺体は何処に埋葬されてるのでしょうか?」
今は公表してないが、永倉さんが土方さんらのお墓を建てる計画を存じ上げてるのに大変失礼なのですが、と記者が一言前置きをし永倉に問えば、永倉は「うーん…それは人伝で聞いて俺自身がこの目で確かに確認した事じゃねぇからな。つまり内緒だ。」と悪戯に微笑むと空かさず記者が「良ければその方にお話しをーー!!」と放つが瞬時に永倉のストップが掛かる。
「おーっと、そりゃいけねぇな?奴らは隊士でも無けりゃ土方さんの親戚や家族でも無い只の一般人だ。…それに静かに過ごさせてやりてぇ。だから、まぁ、そこは頼むよ!」
(「…只の一般人が、あの土方歳三の埋葬の事柄を知り得るのか…?」)
◇ ◇ ◇
「ーー全て終わったよ、芹沢さん。
あんたが作り必要悪で護ってきた浪士組は旋風を巻き起こし何れや必ず時代の寵児となる。」
平間を同伴し、落雷の如く細かい裂け目がある割れた印籠を己の脇に置き、芹沢が特に好んだ上等の酒瓶を手にし芹沢の永眠る墓前にトク、トク、トクと傾け注ぐと、上等で質の良い酒の匂いが地の土の匂いと暫く混ざりあった。
「忠義を貫いて死んだ者の流した血は、三年経てば地中で宝石の碧玉と化すという碧血の伝説があるんだって」
自身が黎明より駆け抜けてきた事柄、今後二度と体験する事は無いであろう奇譚を連想する井吹は「内容も濃過ぎて話すと長くなるが何処から聞きたい?」と地べたに胡座をかき芹沢に面する。
「井吹さんが今迄行ってきた事、旦那様が望み井吹さんに託した事を立派にやり遂げた全てを、何より井吹さんが無事に此処へ帰って来てくださった事、旦那様はきちんと見守って、そしてきっと心から喜ばれている筈ですーー…私も同じくそう思っております。」
「ははっ、ありがとな。…俺は芹沢さんに対しての恩返しは済んだと思ってるんだが、芹沢さんから「まだまだ甘いな、犬!」とか言われそうで怖いけどな?あとさ、平間さん…この上等な酒なんだが、もう少し落ちついたら俺が世話になった奴等にも飲ませてやりたいから、悪いんだけどその時はまた暫く畑の方お願いしても良いかな?変わりに今精一杯、気張って動き働きまくるから!」
「ははは、勿論それは構いませんが、あの失礼ですがその方々の居場所は一体何方に?」
「ーー五稜郭付近にある一本木関門に威風する桜樹木」
井吹の鼈甲が平間に向き合って「…おっと、例の人気店の大福も忘れないように用意しないとな?叱られちまう」と優しく赫き微笑むと、平間が「…そうですね、私の分も彼らに宜しくお伝えください。」と更に穏やかな表情で返した瞬間、サァッ…と柔らかな息吹が吹いたのを感じ取れば、井吹のみ自身の頭部を優しく撫でられる様な錯覚を悟った。
ーー「龍之介、よくやった」
鉄扇が開く音と、とても懐かしい貫禄のある声が酒の匂いに混じり聞こえた。
◇ ◇ ◇
「市村さん、体調は如何ですか?」
「ーー井吹さん、今日は落ち着いています。態々遠方より来て下ったのに、こうして身支度をするのが精一杯で申し訳ない…」
「いやいや!俺の方こそ気を遣わせちゃって悪かった。寝間着着て布団に入ったままでも良かったのに。あ、これうちの野菜。栄養価高いし美味いから食べてよ!」
「…俺も正装で話し合い、気持ちを引き締め確実に向き合いたかったから。そして立派な野菜ありがとうございます!」
ケホッ、と咳をする市村は青白い表情ながらも精一杯の身支度をして、井吹を現在自身が匿われている日野の土方の親類、佐藤彦五郎の家へ迎え入れる。
井吹は、土方が最後まで市村の事を口にし寵愛し気にしていた事を千鶴から聞いていた為、又、千鶴も市村の実兄よりも土方を選び人生を共にする覚悟がある程、強く敬愛していたのは知っており、然し、あの晩の土方の最終決断により市村と雪村、個々の役割を各々努めなければならなくなった現実、其の結果、土方の最期まで側におり最期を見届けたのは己だったから、総合的に市村の心情を考えれば、訪問は千鶴で無く井吹のみ、と云う形になった。
「訪問までの今迄、幾度の遣り取りも大変感謝します。ははっ、雪村の気遣いもあるのかな?そんな気にしなくても良いのに…なんて、そう自分でも言える様になったのは実は此処最近なんです。それ程、俺にとって佐藤さんの支えは本当に大きかったーー…あの頃の俺は雪村に酷く嫉妬していた。」
井吹は、ポツリ、ポツリと言葉を落としていく市村を静かに見守りながら、優しく言葉を拾い上げ鼓膜に染み込ませ、市村から聞かれた事を丁寧且つ繊細に答え果たしていく。
「俺は、勿論あの選択は新選組策士としての土方さんも有って、でもその裏では個の土方さんとしての最後の我儘でも有ったとも思うんだ。」
話の中で必然的に市村、雪村の枝別れの役割の話に成れば市村はグッ…と苦しそうな表情をし、井吹は「ごめん、俺の勝手な想像なんだけど…」と前置し言葉を繋げる。
「…此れは土方さん本人から聞いた話なんだけど、なまえ曰く雪村の事、自分の休憩所、とか言っていたらしい。」
「ーーっ、みょうじさんからもそんな風に思われていたんだ?何処までも羨ましい奴…!」
「…なまえが土方さんらとの別れ際に、雪村に「今度は新選組…特に土方さんの休憩所になってほしい」って言ったらしくてさ、それもあって土方さんは雪村を最期まで自分の側に置いたんじゃないか?【誠の旗】は武士の道導であり拠り所、且つ雪村はなまえの希う新選組の休憩所と在れば、又、土方さん自身が言伝を護り実現し続ければ、如何なる立場や状況で在ろうと必ずまたなまえと会えると信じたかった。そして市村さんは、新選組の土方さんと故郷を想う土方さんを兼ねる人。必ず生きて、双方の土方歳三が生きた証を次世代に繋げなければ成らなかった。ーー何年、何十年、何百年先か解らないけど、土方歳三はじめとする新選組は、世から重要視され重んずる大きな歴史になって語り継がれるのかもしれない。其れは雪村には不可能で、現に市村さんがこうしてやり遂げたのだから。」
井吹の髄を突く様な不思議と信憑性がある奥深い言葉に、市村は「…ぐすっ……ぅっ…土方さん…っ…!!」と膝の上で拳を作りボロボロボロ…ッと涙を溢れさせて泣いていた。
「ーー井吹さん、今日は会えて良かったです。先程聞いた土方さんの最期、あの人には本当に敵わないなぁ。ほんっと何処までもカッコ良すぎるだろ!」
キラキラとした年相応な少年の顔で笑う市村に井吹は「…俺も、あの新選組鬼の副長と云われた土方歳三が、強く乞い願い生きて欲しかった唯一の人間、市村さんという人物にお逢い出来て本当に良かった。」と返せば、市村は「え?唯一の人間…?」と不思議そうな表情をした。
◇ ◇ ◇
「千鶴ちゃん、此処に来て暫く経ったけど住み心地はどうかな?不便な事があれば気軽に言ってね?」
「お千ちゃん!…とても素敵な場所で私には勿体ないよ。何から何まで十分すぎるお持て成し、色々とお世話になってしまって…ごめんね。」
「何言ってるの?千鶴ちゃんも鬼の姫なんだから手厚いのは当たり前でしょ?あ、でもお願いしたいお仕事はたっぷりあるから宜しくね♫」
「うん!勿論!」
激動の幕末を経て現在、千鶴は、千姫の率いる鬼の村で過ごしていた。
今迄の人生が嘘の様に此の居場所は穏やかであり、又、東の女鬼の生き残りという事もあり村の皆からも大歓迎され、更に千鶴が気兼ねなく日常を過ごせるようにと千姫の気遣いもあり、千鶴のみ出来る重要な仕事や様々な手伝い等、日々こなしては忙しいながらもとても心地良く充実した毎日を過ごしている。
「…やっぱり千鶴ちゃんの心の奥底では忘れられないし寂しいよね?でも時間が解決してくれる事もあるし…其れに忘れて!と言っている訳じゃないの。寧ろその逆で、人間との間に深い確執がある今の鬼達に千鶴ちゃんの経験や考えを伝えていったりして、これからの未来の鬼の事も考えて欲しいのーー…」
自身の身嗜みも美しく施され提供される食事も全て美味しく、兎に角、何から何まで勿体ない程に素晴らしい生活なので無論文句などある筈が無いのだが、千鶴は未だ如何しても過去を忘れる事は出来ずに折、風間が果し合いの際にも肌身離さず持っていた、壊れた連結鍵を服から出し手でキュッと握れば、本来なら重く長かったであろう今は千切れ短くなった鎖をジャラ…と鳴らした。
「千鶴ちゃん…未だに彼の事を?」
「ーーうん、愛してる。」
心内にあれば色外にあらわる。
千鶴が特に忘れられない過去の中核、ある男を想い出しては、男が己のみ呼ぶ際に使用する特別な愛称で、男に呼ばれる事を心内で想念する。
「彼にはずっと心に決めている別の女性がいたのを理解しているのに、いつまでも諦められなくて…恋愛って辛いね」
「うーん、彼が鬼としても異性としても強く魅力的で且つ惹かれるのは、悔しいけど私にも解るからなぁ…でも、辛い恋愛も色彩があって綺麗じゃない?その感情を無理矢理捨てたり諦める事なんてないよ!」
何だか私ってば駄々捏ねてるみたいで恥ずかしい、とそっと微笑む千鶴の目に水膜が張れば、千姫は千鶴を暖かく包み込む様な言葉とつい溢れる本音を掛け優しく肩をそっと撫ぜた。
「ーー私にはそれくらいしか出来ないけど…もし千鶴ちゃんが良ければ、その連結鍵、本来の姿見に復元しようか?」
勿論、なまえさんの妖や鬼の力、瓶の中身、その他機能等の再現は到底無理だけど、と千姫が紡げば、千鶴は意を決して「…いいえ、その変わり、風間さんが土方さんと果し合いの際に使用していた刀ーー童子切安綱と連結鍵を、有りの儘の容で、双方並べて厳重に管理して展示して欲しいの。今を生命る鬼の一族に、我らの同胞に、彼等の生き様に触れて貰って、これからの鬼の未来に繋げていきたい。…なまえさんも風間さんも、きっと許してくれると思います」と力強く放つのであった。
以後、童子切安綱と連結鍵は千鶴の願い通り千姫の指示・責任の基、厳重に管理し展示され、鬼の中でも重要且つ大きな歴史として語り継がれる。
歴史では新選組も組み合わせ触れる為、最初は人間との確執の所為もあり否定的な声も大きかったが、千鶴はその声に屈する事無く自身の体験談などを交えて確実に伝えていけば、京のみならず他方面の鬼達にも徐々に千鶴の熱意が染み渡っていくのだった。
元々は鬼という物は義理堅い性分である故、心配は一切無いだろう。
◇ ◇ ◇
「静さん、最期まで独身を貫かれたのね。才色兼備な方で亡くなられる直前まで近所の子供達や女性達に踊りや三味線をはじめ料理や裁縫、教養などを沢山教えてらしてとても素敵な女性だったわ。」
「ーー風の噂で聞いたのだけれど、静さんが必ず肌身離さず髪の毛に挿していた在の簪が関係あるみたいよ?」
「そうなの…もしかしたら心に決めた殿方が居られたのかもしれないわ…簪は、それはそれは大切にされていたものね。亡くなった際にも髪の毛に挿しておられて、最期までお顔も美しかったわね…」
ーーー
「ーーあれ?此処は…?」
小鈴、もとい静は、今の自身に起きている状況に一体何事か、夢か現実か?と困じており、曾て京で芸妓をしていた時代の少女の久方ぶりの姿で一人でポツン…と歩いていた。
(確か私は、先程まで近所の子供達や女性達といつも通り過ごしてた筈…)
「…っ、私の簪は!?…よかった…!」
先ずは簪の心配をし己の頭に手を翳し何時もの様に変わりなく然りと整い乱れも見られず、可愛い御花が髪に咲いてるのを触れて確認すれば、其処で漸と胸を撫で下ろすのだ。
自身の記憶に残るのは今の久方ぶりの少女の姿よりは確実に歳をとっていた筈で、自分の意識一般のみ保ったまま、身体だけが何故か淡く甘酸っぱく懐かしい少女の頃の自分に戻って居ることに多少違和感を感じるが、 心身の状態も良好且つ場の雰囲気も穏やかに過ごせて折、静は不思議と徐々に現状を心地よく受け入れては、思い幸せに満ちていた。
「わぁ…凄い…!」
視界に映るのは薄桃と白が漂う見渡す限りの不思議な風景と周り一面に、西洋薄雪草、西洋木蔦(へデラ)、撫子、桔梗、葉牡丹と、咲く季節は異なるが花詞にある共通する想いが込められている花達が、問題無く清浄に咲き誇り満ち溢れていて、静が恐る恐る一歩一歩、ポッ、ポッ、と澄み渡る池の水面に小さな雫が落ちる様に歩くと、ふわり、ふわりと花弁が踊るように舞う幻が降り注ぐ様な光景が拡がっていた。
「ふふっ、少しだけ踊っちゃおうかな…?」
曾ては自身の血潮である踊りも三味線も、時に血反吐を吐き携って来た。
然し今はこの心地よい花弁舞う中で自分が想う儘に自由に踊りをしよう、楽しさだけを追求しようと心の底から感じ触れ、ひらひら、と麗しい蝶に成り華麗に花束の中心として舞い踊る。
ーーパチパチパチ、
静が踊り終え一息ついた瞬間、自身の背後から人の気配と拍手が聞こえ先ずは己以外の気配が存在した不安と安心の双方を思えば「ーー依然として、あんたが一番綺麗だな」と、とても懐かしく、そして何より、何度も何度も夢に見て恋い焦がれた愛しい声と姿を視界に映した。
「!!」
驚きや愛おしさなど様々な感情に襲われ自分が自分で居られなくなる様な感覚と頬を紅に染め大粒の涙を溢れさせながら、強く彼の名を呼び、透かさず強く彼の胸へ抱きついたのだった。
「ーーっ…!ずっと、ずっと…ひっく…あいたかったの…っ!!」
「ん、俺も」
「…ぐすっ…貴男に頂いた簪も…肌身離さず大切にしておりました…!」
「知ってる」
「…もう…私は貴男と二度と離れたく無いです…!御願いします…っ、何処へでも、ひっく、ついて参ります…!…今度こそ私を貴男のお側に「待て」」
全てを言い終える前に静から吐息が洩れたと思えば、愛しい其の彼の片手は可愛い花びらのような唇を塞いだ。
「ふぅぅ…っ…」
過去に経験した事をまた同じ様にされ過去のあの出来事を頭の中でカラカラ、と繰り返せば、静のくりっとした可愛い瞳は忽ち深い悲しみ色に染まり、彼の片手で言葉も口も遮られている為、精一杯を訴える大粒の涙がボロボロッ…と溢れさせた。
「……ひっ…ぐすっ…また…断られ…」
「あ?」
「…っ…ぃ…井吹さんが持ってきたあの紙は嘘だったの…?」
「…!?…恥ずかしいけど本心、」
「じゃあどうして…っ」
「…頼む、今度は俺から言わせて」
「え…?」
「静、俺はあんたの全部に惚れてる。今度こそ俺はこの手を握って、静の全てを掻っ攫う」
静の小さな手を優しくキュッと握り、愛おしさを隠せないと云う様に、其の儘彼女の手の甲を己の唇へ擦り寄せれば、二度と逢うつもりも告げるつもり無いと啖呵きってたがもう良いよな?と真剣な表情で囁き落とし、自身の持つ眩い紅い月を静の水の膜で揺れる瞳に視線を重ね合わせ幻想的な風情を完成させた。
「ーーっ、なまえさんっ!!」
「…あんだよ」
「…ふふっ、小鈴より静の方が少しだけ気が強いですが…変わらず愛してくれますか…?」
「…静の事はずっと見護ってたから知ってる。それに俺以外、あんたに適してる男いんの?」
「いいえ、いません。私は生涯、なまえさんだけですーー」
静のとろりと蕩ける様な表情と甘い言葉を涙と共に受け止めるなまえは、ぞくりと顔を出す愛欲を抱き隠し頬を紅く染めれば「ーーっ、くっそ可愛いな、はなまる」と静の頭から頬にかけ繊細に撫でた後、何方からともなく待ち焦がれていた深く熱い口付を交わす。
「…ぁ…愛してます…っ…なまえさん…出逢ったあの時から…ずっとなまえさんだけ…」
逢いたいが逢えなくて時にははなはだしい寂しさに襲われて、只一人きり声を殺して泣いた夜も数えきれない程あった。
なまえを想いながら眠りにつく夜を幾多も過ごし、夢の中でなまえに逢い、何度想い想われ心の奥底で繋がり交わっただろうか?
「…後で絶対、抱き潰して喰い貪る。覚悟しとけ」
揺るがない情愛、互いの体温
この人と幸せになりたい、それだけ
なまえは、ふわり、と静を大切なお姫様の様に横抱きにし歩いていくと花詞を歌う花束が二人を祝福するかの様に周辺一帯を幻想的に囲み道を作っていく。
少し先に、カラカラカラ…と舞う様に流れる風車を持つ幼い女の子が一輪、陽だまりのように現れれば、宵に主張する昉の月で無く水面に映り反鏡の様に揺れる紅い月の下、嬉しそうに、ふわり、と微笑み、その手に抱かれている風車をなまえと静の側に翳せば、サァァァーー…と流れる息吹と風車の回る音に乗せ、薄桃と白の漂う風景の中に、気位し品品し威風する新選組の集大成【桜樹木】を壮大に映し出した。
「綺麗ですね…。この国各地に起立する桜は、この浅葱の薄桜の誠の様に、この国の人達の強き生き様を表している様に思います。」
発足から六年余り
黎明から刻まれた男太刀の絆は何年時を刻もうが「誠」の旗の基に集いし息吹に桜花を熨せ、新選組の声明を世に舞う叶如く。
男の生命を賭けた誓い計り知れぬ獄である極の縁で、男達はたった二足の両脚で宿命を背負い浮世歴史を相手に人生を駆けて行った。
その裏で、暁を超え奇譚を駆けた鍵を背負う眼光紙背に徹す蒼犬と純血なる東の君の千の鶴
武士の“紛い物”と胸倉掴まれ泥水啜って命刃り根気燃やす陣、誠心を貫く浅葱の蛇の生き様、埃血るの欲の舞台に、凛とし威厳格を誇る誠の山形模様ーー
「桜花の家紋に、王者の貫禄を」
“浅葱の山形を死装束に朽ち堕とすか、日本歴史を轟かす蛇の鱗とするかーー”
桜は儚く美しく、時に戦場に咲き誇り故に残酷であった
日本歴史へ永遠に遺す証明として魂の代価を今此処に
我、将来武人となりて、名を天下に挙げん
(竜騰虎闘)(屋烏之愛)
ーーー
命代はり、命は義によりて軽し
命は風前の灯の如し
此れにて終幕
始め有るものは必ず終わり有り
長い間、有難う御座いました
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