医龍の勅、虚夢な燭
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その日の屯所は、いつになく騒がしい雰囲気に包まれており、廊下ですれ違う隊士達の数がやけに多く、なんだか盛り上がっている様子だ。
(何かあったのかな…?)
千鶴が不思議に思いながら廊下を渡っていれば、「はあ…はあ…!冗談じゃありませんよ!」と、慌てた息遣いが勢い良く己の方に近寄って来るのに驚き、正体を探る。
「伊東さん?どうしたんですか?」
その息遣いの正体は伊東であり、「どうしたもこうしたもありませんよ!」と怒りを含めた様に千鶴に吐き出せば、彼はとにかく話を聞いてよ!との様な勢いの有る体勢を構え、「私がなんであんな野蛮人どもと同じ部屋で肌を晒さなきゃならないのです?!」と一気に言葉を吐き出した。
(…えーと…?)
怒りに満ちているからなのだろうか…伊東の説明はまったく要領を得ておらず、残念ながら千鶴には全く伝わる事はなく、状況を整理した千鶴は、未だ荒い息を吐く伊東に、屯所内で何かあったのか?と問えば、其処でやっと伊東は気を取り直し一呼吸置き、乱れた前髪を整えながら不機嫌そうに答えるのであった。
「将軍上洛のときに近藤さんと意気投合した、お医者様が屯所に来られているのですよ。」
隊士たちの健康診断を行うとかの名目で、と続ければ、「まったく…!」と呟きながら今来た曲がり角の向こうを睨んだ。
(そういえば…私の事情を知ってる幹部の皆さんが、近寄るなって言ってた…!)
確か今日は健康診断で、隊士達は裸になって身体検査を行っている筈だ、と思い出した千鶴は、ぽんっと手の平を合わせた。
「あのハゲ坊主!皆の前で私に服を脱げと仰るのよ!!
拒んだら無理矢理、脱がそうとするし!
それにあの隊士たちの態度!なんて野蛮なんでしょう!」
また怒りがこみ上げてきたのだろう伊東がムキーッ!と言葉を吐けば、それを千鶴は苦笑いをしつつ、まあまあ…と落ち着かせる様に宥めた。
「まぁ…なまえ猫ちゃんにお願いされれば脱いでも良いけど?なのに彼は何処にも居ないし話にならないわ!!」
ウットリ…とした顔でお気に入りの男の名を呼んだかと思えば、どうやら彼はその場に居なかった様で…伊東のコロコロ変わる表情は端から見ていれば面白い。
(なまえさんが居ない…?)
自分も医者の娘だし、どの様な健康診断をしているか気になるという気持ちと、伊東の言う「なまえが参加していない」との言葉も引っかかり、気になって仕舞った千鶴は「そのお医者様は、なんというお名前の方ですか?」と伊東に問えば「確か…松本良順とか言ったかしら」と答えるのだった。
「えっ!?」
松本と云えば、千鶴が京で最初に頼るつもりだった人物。
京に来たときは行き違いになってしまったが、まさか此処で会うとはー…。
「私も健康診断に行ってきます!」
千鶴は居ても立ってもいられず、健康診断の会場へ走りながら向かうのだった。
(松本先生に、父の事を聞かなくちゃーー…!)
ーーー
鳥の【清命】の主張、
清らかに、涼しげに、鳴く響、
陽射しが癒に心地よい空、
「~…♪」
なまえは、ざわめく屯所から離れた誰も居ない場所で、連結鍵をくわえ、韻を泣かせていた。
"今日も、誓命(いき)て要るー…"
昼間から連結鍵を奏でるとは良い度胸をしていると言いたくも成るだろう。
しかし彼は無論、屯所内に隊士達が集合していると理解し、そして何故集合しているのか其の理由も知る彼は、立派な確信犯で在ってー…
要するに、サボり。
(ありえねー、冗談じゃねー、)
不機嫌に成りながら奏でる音は、いつもの彼の音とはまた違い此も良い味を出してるとは思うが、やはり難痒くなる様な笛の音には間違い無い。
良い味を出しているが乱れる音に、やはりなまえ自身も苦笑いし、連結鍵を奏でるのを止め、カチャカチャ…と鍵を口にくわえたまま遊び始めた。
(土方さんが近藤さんにバラしてはねーって解るけどさ、健康診断とかタイミング良すぎ…)
心の内で文句を言いながら、げぼっ、と痰が絡むような咳を一つ零せば、序でに鈍痛がなまえの心臓に響く。
ジャラッ…と何時もの位置に戻る鍵は、寂しそうに冷たく光り、瓶の中の液体は哀しく揺れる。
「…は…ぁ…」
普段は有り得ない筈の、苦しさが邪魔をする御陰で、うまく出来ない呼吸を不愉快に思い眉間に皺を寄せる。
薬の御陰で最近は調子が良かったのだが、お医者様が来た今日に限って何故かなまえの体調は悪かった。
運が悪い、と言えば其れまでで、
「…っ、げ…っ……!」
拙いと思って口を手の平で庇った瞬間、ぬるっ…とした感覚が襲った。
晴れ晴れの下、屯所内が騒がしい現在に…なまえは朱い現実を虚しく吐き出して仕舞う。
【未だ、誓命てるの?】
鳥の鳴き声が、嘲笑うかの様に聞こえた。
(…っべ…、ちくしょ…、) 「…此処かな?」
隊士達の声がざわざわと騒がしい部屋を覗いた千鶴の目の前は…
「いっちょ頼んます先生!」
どうですか!鍛えた此の体!なんて永倉の声が部屋中に大きく響き渡れば、平助は呆れながら「体は頑丈なんだから、診て貰うのは頭のほうだよなー」なんて他の者達の代弁、突っ込みをすぐさま入れたのだった。
「なんだと平助!」
永倉が納得いかんとムキになりながら食いかかり、ギャーギャーと言い合いをし騒いでるその間に「永倉…よし、問題ない。次」と松本の合図が渡った。
「ちょっ…え!?先生!もう終わり!?」
もっとちゃんと診てくれよー!なんて永倉が騒ぎ松本に体を見せつける様に突き出せば、「はっはっは、申し分ない健康体だ」と松本が返し、それを見ていた原田は笑いながら「新八!後ろがつかえてるんだからさっさと終わらせろ」と投げかけるのだった。
「だってよー!まだ見るとこあるじゃんよー!」
永倉が、自慢の筋肉をムキっと出しながら、歯をキラーンと輝かせて誇らしげな顔をすれば、「診察は診て貰うものであって、見せつけるものじゃない。さっさとどけ。」と斎藤が冷たく放ち、永倉を押し退けた。
「なっ…!こら!斎藤!」
そんな状況を見た千鶴は、伊東が逃げ出したくなるのも解るかも…と苦笑いを浮かべ、松本の診察を眺めつつ、…気になる彼の姿をやはり自然と目を見渡しては探して仕舞う。
(なまえさん…やっぱり居ない…)
何処に行っちゃったんだろう…まさかもう終わったのかな…?なんて思っていたら、隊士に渡すための新しい薬を取りに部屋の外に出てきた松本に気が付き、千鶴は慌てて駆け寄り声を掛けた。
「あの…!」
ーーー
その後に千鶴は、近藤も交えて松本と話をする事が出来た。
どうやら松本が今回屯所に来た理由としては、近藤から綱道の娘【千鶴】が身を寄せていると聞いた松本が、屯所に出向かい千鶴に会いに来るためだった様だ。
「君からの手紙は読んでいたのだが…。」
そして、千鶴が最も気になっている綱道の行方を聞けば、松本も居場所を知らないとの事だったーー
しかし、【変若水】の秘密を聞く事が出来、松本が知る事を千鶴は耳にするので在った。
ーー…
「そいや、なまえちゃんは?」
健康診断の休憩時間。
そういえば俺らの姫が居ない、と気が付いた永倉は、回りを見渡しながら「なまえちゃーん?出ておいでー」なんて声を上げた。
「なまえ、まだ診て貰ってなかったよな?」
原田や平助も心配になり不思議そうに思っていれば、「健康診断をやる時間あたりから姿が見えない」と斎藤が肩を落とし説明をすれば、永倉は「はあ!?何でもっと早く言わねーんだよ!」と斎藤の髪の毛をワシャワシャと掻き乱した。
「なにをする…!」
ムスッとした表情で永倉に文句を言いつつ、なまえを探してくると言い出した斎藤の後に続けて、健康診断が終わった残りの3人もなまえを探しに会場を後にした。
「…ふーっ…」
一方、健康診断から逃げ出していたなまえは、吐血の後を気付かれない様に片付け、井戸に来て手と口を洗い拭っていた。
ぱしゃぱしゃ、と冷たくて透明な液体は心地よく、嫌を流し癒を更に求める。
(そろそろ…終わった頃かなー…)
はぁ…と溜息を吐きながら、少し屯所内の様子を見てくるか、と思ったなまえは、屯所に向かおうと足を運ぼうとした時ー…。
「そういえば、健康診断はどうでしたかな?」
近くから、親愛なる近藤の声が聞こえ、びくっと肩が跳ねたなまえは、気が付かれない様に静かに聞き耳を立てた。
(近藤さんとお嬢…、誰?)
見知らぬ男を含め3人で話している様子を見つつ話を聞いていれば、なまえは其の男が、今回の健康診断の医者だと気が付く。
其の医者は怪我人や病人の多さ、病室の確保、屯所内を清潔にする事、などの説明を近藤にしていた。(…そっか、戻ったら掃除すんべなー)
己自身病人なのだがやはり彼の性格上、周りの者の体調の方が気掛かりで仕方なく、よし!と気合いを入れ、体の前でグッと拳を作ったその瞬間…。
「あっ!なまえちゃん!見つけた!」
探したぞー!なんて、盛大な声が外でも響き渡りなまえも勿論、近藤ら3人にも声が聞こえ、一斉に声の基へと振り返り「永倉君…なまえ?」と近藤は呟けば、松本は「ああ、さっきの…しかしあのもう一人の彼は…?」と不思議そう且、興味あり気に放つのだった。
「うげっ…、新八!」
「健康診断サボって何やってたんだよー!ほら、さっさと診て貰うぞ!」
「っ…俺はいいって…!」
永倉から呼び掛けられ、肩をビクッと跳ねさせながら珍しく本気で焦るなまえは、「こんな所でどうした?」と声を掛けながら近寄ってくる近藤達に気が回らず、ただ永倉の腕の中でジタバタ暴れるしか出来ずにいた。
(まじかよ…ありえねー…!覗き見なんてしねぇで、さっさと立ち去れば良かった…!)
「…?なまえちゃん?
体を少し見るだけで、痛い事とかしねえって?な?」
明らか何時もと様子が違うなまえに、永倉は不思議に思いながら頭を撫でてやると、近藤と共にいる松本に「先生!こいつも頼むよ!」と声を掛けた。
「だっ…だから!俺は…!」
「なんだって?なまえ…きちんと診てもらわなきゃ駄目じゃないか。」
必死に断ろうとしたなまえの言葉を遮りそして叱責をした近藤は、続けて「うちのやんちゃ坊主も、どうかお願いします」と松本に頭を下げれば、千鶴も「なまえさん、伊東さんも心配してましたよ?診て貰いましょうね?」と笑顔で語りかけて来た。
「…や、やめ…」
なまえの脳内はグルグルと螺旋階段が永遠に続いた様な嫌な感覚に陥り、爆弾を仕込む心臓もバクンバクンと鳴り響く。
ー…滅多に襲われる事の無い感覚に、篤く苦しく、辛かった。
(…触るな…やめろ…!)
医者に診られたら、暴かれたら…今まで隠し通してきた【秘密】が剥がれ【嘘】が証明されて終う。
今までの足掻いて傷、
時間、無に成る、泡に哀、
(冗談、じゃねぇ…!!)
目の前の親愛なる御方に、真実を…総てを叩きつけなくては成らなくなる。
(ざけんじゃねぇよ…、俺は、まだ…!)
今までの想いや思いが、映画のフィルムの様になまえの脳内をカラカラと音を断てながら廻り、何時だって余裕だった筈の紅い月は、【真実】と名の、恐怖を謳うのだった。
「なまえちゃん…?どうしちまったんだ…?」
将に外れ掛けた螺旋、
ガタガタと震える、妖鬼の躯。
医者は病序でに、嘘までも暴く、
「…触んな、」
ギロッ、とたっぷりと血と殺意を含んだ紅い月は、松本の眼を刺し殺す様に威嚇する。
己を「切札」と称し、涎を垂らしながらベラベラと一族の秘密を暴いた…例の医者の面影を松本に重ね、睨み浸けるのだった。
今、此の満月を刀で突き刺せば、溺死を末つ血液と奈落の情景を訪る事に成るのでは亡かろうか。
ふー…っ、ふー…っと猫が怒る様な細い呼吸をしながら意識をどうにかして保つ此が、今のなまえの精一杯の甘くて可愛い抵抗であった。
「何を言っているんだ、なまえ!?」
近藤の焦る声と、永倉や千鶴の驚いた様で悲しい顔を横目でしか見れないなまえには構う余裕は有るはずも無い。
頼む、これ以上は無理だ、
それ以上、俺に触ったらー…
「…ふふっ」
松本は一瞬顔を歪ませながら、なまえの頬に触れるか触れないかの距離まで手を翳し、殺意を含む輝く紅い月を覗けば、「綺麗な眼だ…」と優しい表情で宥める様に語りかけたのだった。
そんな風に己の瞳を褒める初対面の人間が居る事に驚いたなまえは、瞳に含めた邪気を解き、残り僅かな燭を灯す生命を含む、いつもの二色の輝きで松本の眼を真っ直ぐに見つめては、自然と視線を交わえた。
(俺が…初対面の人間と視線を合わせるなんて…、)
なまえは、自然と誘導された様に、しかし嫌な気はせず松本と自然に視線を暫く無言で合わせれば、松本は、その静寂を静かに短い吐息で斬る。「周りの者からそんな不安な表情でジトッと見られてたら、彼も落ち着いて診せてくれんだろ?」
心配なのは解るが、と苦笑いを含めながら松本は、己となまえ以外の者に放てば、言われた者はハッ、と我に返り謝る。
「そっか…。俺は見られてぇ方だけど、なまえちゃんは健康診断も嫌がってたもんな。」
そりゃあ…外野に覗かれる、なんてもっと嫌だよな、なんて頭を掻きながら謝る永倉に、近藤も、すまん、と謝るが続けて、ではなまえの診断は…?と質問した。
「なまえの体調も…!」
いくら今回、松本が千鶴に会うために行った健康診断という名目だったとしても、近藤は絶対になまえの健康診断も実施して欲しかった。
なまえの体調が良くない日が続いた事は、未だ記憶に新しい。
「…こんど、さん…。」
近藤の必死な想いに、松本の嫌ではない雰囲気に…僅かに「観念」の文字が揺れ動くなまえは、静かに視線を落としギリッ…と奥歯を噛む。
(だけど、俺…、)
近藤だけには、知られる訳にはいかない。
彼が真実を知り、嘘偽りを暴かれる其の時はーーどうか己の命の燭が、消えゆく瞬にと願いたい。
親愛なる近藤に叩きつける、最初で最期の【嘘】なのだから。
「とにかく、この子…なまえ君、といったか…。」
近藤から視線を外し表情を落とすなまえに合わせると、「君に至っては…今直ぐに、とは言わない…君が落ち着いてる時に、ゆっくりと2人きりの状況で診断する。」と続けた。
「こんな脈も早く感情的に成り、血圧も高い時に診断してもキチンとした結果は出ないからな。
…まあ、私も暫く此処には出向かせて貰うよ。」
松本が静かにはっきりと放てば、近藤達はパアッ、と明るい表情になり、感謝の言葉を松本に放つ。
「…っ…しつけーよ…!やらねーって…」
なまえがムキになりながら松本の眼を見て食いかかれば、松本は己の眼の色を変え、「言っておくが…君が診断を嫌がり、その理由を必死で護るのは勝手だが…私にも医者としての信念があり責任もある。…もう君は…解っているだろう?」と静かに突き刺せば、なまえを問答無用に地に叩き落としたのだった。
最後の言葉を理解したのは無論、なまえだけで他の者は不思議そうな表情をする。
「…ちっ、」
舌打ちと共になまえは観念をする。
おそらく、先程の視線を合わせてる間に、松本はなまえの診断を始めており、…異様に気が付いたのだ。
悔しいが、松本は確実に良い腕を持つ医者であった。
「…今日は、見逃してくれるんだべ?」
もう自然と松本と視線を合わせるなまえは、あんた、おもしれー、と続けると、松本は含み笑いをした後に「ああ、後日覚悟しときなさい。」と意地悪に頭を撫でてやれば、なまえは、むすっと膨れて松本の手をぺいっ、と払いのけたのだった。
「子供扱いすんな、」
なまえは、俺を子供扱いしていーの、近藤さんだけ、と言い捨て、おまけに舌を、んべっ、と悪戯に出せば、そのまま永倉と千鶴の腕を引っ張って逃げるように屯所に戻って行った。
「んなっ、なまえちゃん!ひっぱんなよ!」
「きゃっ…!なまえさん、待ってください!」
ー…
「いやはや…申し訳ない。」
普段はあんな風に言ったりはしないのだが…と、先ほどのなまえの無礼を代わりに近藤が頭を下げ、松本に謝れば、松本は笑いながら「面白く興味深い者が多いな、此処は!」と放った。
「どうか、なまえの健康診断、宜しくお願いします。」
最近まで、あいつの体調が優れない日が続いたのは未だ新しい記憶です、と再度、近藤が頭を深々と下げれば、松本は「近藤君、あの子は…」と近藤に問いかけるが、途中で眼を瞑り言葉を閉ざした。
「なまえが…如何しましたか?」
「いや、なんでもない…、なんでもないよ…。」
閉ざす松本の問いに、不思議な表情をする近藤の横で、松本は哀しそうで複雑な…そして真剣な表情をし、既に姿が見えないなまえを、医を司る龍の如く、彼の背中を貫くかの様に視線を贈るので在った。
(例えば、運命は己で変える事が出来る、なんて間違っても彼に言えば…救う為に差し伸べた其の手は、余りにも残酷すぎるだろう…。)
推測で語り、あの紅い月が背負ってきたモノ、重圧は何かと意識しようとすれば、松本の身体は其れを拒否するかの様に、頭痛を興すのだった。
医龍の勅、虚夢な燭
(医を司る龍)(嘘偽りの真実)
ーーー
龍の光臨、紅い月の抗淋、
信念を賭ける、燭保連鎖
「 NO NAME 」
(何かあったのかな…?)
千鶴が不思議に思いながら廊下を渡っていれば、「はあ…はあ…!冗談じゃありませんよ!」と、慌てた息遣いが勢い良く己の方に近寄って来るのに驚き、正体を探る。
「伊東さん?どうしたんですか?」
その息遣いの正体は伊東であり、「どうしたもこうしたもありませんよ!」と怒りを含めた様に千鶴に吐き出せば、彼はとにかく話を聞いてよ!との様な勢いの有る体勢を構え、「私がなんであんな野蛮人どもと同じ部屋で肌を晒さなきゃならないのです?!」と一気に言葉を吐き出した。
(…えーと…?)
怒りに満ちているからなのだろうか…伊東の説明はまったく要領を得ておらず、残念ながら千鶴には全く伝わる事はなく、状況を整理した千鶴は、未だ荒い息を吐く伊東に、屯所内で何かあったのか?と問えば、其処でやっと伊東は気を取り直し一呼吸置き、乱れた前髪を整えながら不機嫌そうに答えるのであった。
「将軍上洛のときに近藤さんと意気投合した、お医者様が屯所に来られているのですよ。」
隊士たちの健康診断を行うとかの名目で、と続ければ、「まったく…!」と呟きながら今来た曲がり角の向こうを睨んだ。
(そういえば…私の事情を知ってる幹部の皆さんが、近寄るなって言ってた…!)
確か今日は健康診断で、隊士達は裸になって身体検査を行っている筈だ、と思い出した千鶴は、ぽんっと手の平を合わせた。
「あのハゲ坊主!皆の前で私に服を脱げと仰るのよ!!
拒んだら無理矢理、脱がそうとするし!
それにあの隊士たちの態度!なんて野蛮なんでしょう!」
また怒りがこみ上げてきたのだろう伊東がムキーッ!と言葉を吐けば、それを千鶴は苦笑いをしつつ、まあまあ…と落ち着かせる様に宥めた。
「まぁ…なまえ猫ちゃんにお願いされれば脱いでも良いけど?なのに彼は何処にも居ないし話にならないわ!!」
ウットリ…とした顔でお気に入りの男の名を呼んだかと思えば、どうやら彼はその場に居なかった様で…伊東のコロコロ変わる表情は端から見ていれば面白い。
(なまえさんが居ない…?)
自分も医者の娘だし、どの様な健康診断をしているか気になるという気持ちと、伊東の言う「なまえが参加していない」との言葉も引っかかり、気になって仕舞った千鶴は「そのお医者様は、なんというお名前の方ですか?」と伊東に問えば「確か…松本良順とか言ったかしら」と答えるのだった。
「えっ!?」
松本と云えば、千鶴が京で最初に頼るつもりだった人物。
京に来たときは行き違いになってしまったが、まさか此処で会うとはー…。
「私も健康診断に行ってきます!」
千鶴は居ても立ってもいられず、健康診断の会場へ走りながら向かうのだった。
(松本先生に、父の事を聞かなくちゃーー…!)
ーーー
鳥の【清命】の主張、
清らかに、涼しげに、鳴く響、
陽射しが癒に心地よい空、
「~…♪」
なまえは、ざわめく屯所から離れた誰も居ない場所で、連結鍵をくわえ、韻を泣かせていた。
"今日も、誓命(いき)て要るー…"
昼間から連結鍵を奏でるとは良い度胸をしていると言いたくも成るだろう。
しかし彼は無論、屯所内に隊士達が集合していると理解し、そして何故集合しているのか其の理由も知る彼は、立派な確信犯で在ってー…
要するに、サボり。
(ありえねー、冗談じゃねー、)
不機嫌に成りながら奏でる音は、いつもの彼の音とはまた違い此も良い味を出してるとは思うが、やはり難痒くなる様な笛の音には間違い無い。
良い味を出しているが乱れる音に、やはりなまえ自身も苦笑いし、連結鍵を奏でるのを止め、カチャカチャ…と鍵を口にくわえたまま遊び始めた。
(土方さんが近藤さんにバラしてはねーって解るけどさ、健康診断とかタイミング良すぎ…)
心の内で文句を言いながら、げぼっ、と痰が絡むような咳を一つ零せば、序でに鈍痛がなまえの心臓に響く。
ジャラッ…と何時もの位置に戻る鍵は、寂しそうに冷たく光り、瓶の中の液体は哀しく揺れる。
「…は…ぁ…」
普段は有り得ない筈の、苦しさが邪魔をする御陰で、うまく出来ない呼吸を不愉快に思い眉間に皺を寄せる。
薬の御陰で最近は調子が良かったのだが、お医者様が来た今日に限って何故かなまえの体調は悪かった。
運が悪い、と言えば其れまでで、
「…っ、げ…っ……!」
拙いと思って口を手の平で庇った瞬間、ぬるっ…とした感覚が襲った。
晴れ晴れの下、屯所内が騒がしい現在に…なまえは朱い現実を虚しく吐き出して仕舞う。
【未だ、誓命てるの?】
鳥の鳴き声が、嘲笑うかの様に聞こえた。
(…っべ…、ちくしょ…、) 「…此処かな?」
隊士達の声がざわざわと騒がしい部屋を覗いた千鶴の目の前は…
「いっちょ頼んます先生!」
どうですか!鍛えた此の体!なんて永倉の声が部屋中に大きく響き渡れば、平助は呆れながら「体は頑丈なんだから、診て貰うのは頭のほうだよなー」なんて他の者達の代弁、突っ込みをすぐさま入れたのだった。
「なんだと平助!」
永倉が納得いかんとムキになりながら食いかかり、ギャーギャーと言い合いをし騒いでるその間に「永倉…よし、問題ない。次」と松本の合図が渡った。
「ちょっ…え!?先生!もう終わり!?」
もっとちゃんと診てくれよー!なんて永倉が騒ぎ松本に体を見せつける様に突き出せば、「はっはっは、申し分ない健康体だ」と松本が返し、それを見ていた原田は笑いながら「新八!後ろがつかえてるんだからさっさと終わらせろ」と投げかけるのだった。
「だってよー!まだ見るとこあるじゃんよー!」
永倉が、自慢の筋肉をムキっと出しながら、歯をキラーンと輝かせて誇らしげな顔をすれば、「診察は診て貰うものであって、見せつけるものじゃない。さっさとどけ。」と斎藤が冷たく放ち、永倉を押し退けた。
「なっ…!こら!斎藤!」
そんな状況を見た千鶴は、伊東が逃げ出したくなるのも解るかも…と苦笑いを浮かべ、松本の診察を眺めつつ、…気になる彼の姿をやはり自然と目を見渡しては探して仕舞う。
(なまえさん…やっぱり居ない…)
何処に行っちゃったんだろう…まさかもう終わったのかな…?なんて思っていたら、隊士に渡すための新しい薬を取りに部屋の外に出てきた松本に気が付き、千鶴は慌てて駆け寄り声を掛けた。
「あの…!」
ーーー
その後に千鶴は、近藤も交えて松本と話をする事が出来た。
どうやら松本が今回屯所に来た理由としては、近藤から綱道の娘【千鶴】が身を寄せていると聞いた松本が、屯所に出向かい千鶴に会いに来るためだった様だ。
「君からの手紙は読んでいたのだが…。」
そして、千鶴が最も気になっている綱道の行方を聞けば、松本も居場所を知らないとの事だったーー
しかし、【変若水】の秘密を聞く事が出来、松本が知る事を千鶴は耳にするので在った。
ーー…
「そいや、なまえちゃんは?」
健康診断の休憩時間。
そういえば俺らの姫が居ない、と気が付いた永倉は、回りを見渡しながら「なまえちゃーん?出ておいでー」なんて声を上げた。
「なまえ、まだ診て貰ってなかったよな?」
原田や平助も心配になり不思議そうに思っていれば、「健康診断をやる時間あたりから姿が見えない」と斎藤が肩を落とし説明をすれば、永倉は「はあ!?何でもっと早く言わねーんだよ!」と斎藤の髪の毛をワシャワシャと掻き乱した。
「なにをする…!」
ムスッとした表情で永倉に文句を言いつつ、なまえを探してくると言い出した斎藤の後に続けて、健康診断が終わった残りの3人もなまえを探しに会場を後にした。
「…ふーっ…」
一方、健康診断から逃げ出していたなまえは、吐血の後を気付かれない様に片付け、井戸に来て手と口を洗い拭っていた。
ぱしゃぱしゃ、と冷たくて透明な液体は心地よく、嫌を流し癒を更に求める。
(そろそろ…終わった頃かなー…)
はぁ…と溜息を吐きながら、少し屯所内の様子を見てくるか、と思ったなまえは、屯所に向かおうと足を運ぼうとした時ー…。
「そういえば、健康診断はどうでしたかな?」
近くから、親愛なる近藤の声が聞こえ、びくっと肩が跳ねたなまえは、気が付かれない様に静かに聞き耳を立てた。
(近藤さんとお嬢…、誰?)
見知らぬ男を含め3人で話している様子を見つつ話を聞いていれば、なまえは其の男が、今回の健康診断の医者だと気が付く。
其の医者は怪我人や病人の多さ、病室の確保、屯所内を清潔にする事、などの説明を近藤にしていた。(…そっか、戻ったら掃除すんべなー)
己自身病人なのだがやはり彼の性格上、周りの者の体調の方が気掛かりで仕方なく、よし!と気合いを入れ、体の前でグッと拳を作ったその瞬間…。
「あっ!なまえちゃん!見つけた!」
探したぞー!なんて、盛大な声が外でも響き渡りなまえも勿論、近藤ら3人にも声が聞こえ、一斉に声の基へと振り返り「永倉君…なまえ?」と近藤は呟けば、松本は「ああ、さっきの…しかしあのもう一人の彼は…?」と不思議そう且、興味あり気に放つのだった。
「うげっ…、新八!」
「健康診断サボって何やってたんだよー!ほら、さっさと診て貰うぞ!」
「っ…俺はいいって…!」
永倉から呼び掛けられ、肩をビクッと跳ねさせながら珍しく本気で焦るなまえは、「こんな所でどうした?」と声を掛けながら近寄ってくる近藤達に気が回らず、ただ永倉の腕の中でジタバタ暴れるしか出来ずにいた。
(まじかよ…ありえねー…!覗き見なんてしねぇで、さっさと立ち去れば良かった…!)
「…?なまえちゃん?
体を少し見るだけで、痛い事とかしねえって?な?」
明らか何時もと様子が違うなまえに、永倉は不思議に思いながら頭を撫でてやると、近藤と共にいる松本に「先生!こいつも頼むよ!」と声を掛けた。
「だっ…だから!俺は…!」
「なんだって?なまえ…きちんと診てもらわなきゃ駄目じゃないか。」
必死に断ろうとしたなまえの言葉を遮りそして叱責をした近藤は、続けて「うちのやんちゃ坊主も、どうかお願いします」と松本に頭を下げれば、千鶴も「なまえさん、伊東さんも心配してましたよ?診て貰いましょうね?」と笑顔で語りかけて来た。
「…や、やめ…」
なまえの脳内はグルグルと螺旋階段が永遠に続いた様な嫌な感覚に陥り、爆弾を仕込む心臓もバクンバクンと鳴り響く。
ー…滅多に襲われる事の無い感覚に、篤く苦しく、辛かった。
(…触るな…やめろ…!)
医者に診られたら、暴かれたら…今まで隠し通してきた【秘密】が剥がれ【嘘】が証明されて終う。
今までの足掻いて傷、
時間、無に成る、泡に哀、
(冗談、じゃねぇ…!!)
目の前の親愛なる御方に、真実を…総てを叩きつけなくては成らなくなる。
(ざけんじゃねぇよ…、俺は、まだ…!)
今までの想いや思いが、映画のフィルムの様になまえの脳内をカラカラと音を断てながら廻り、何時だって余裕だった筈の紅い月は、【真実】と名の、恐怖を謳うのだった。
「なまえちゃん…?どうしちまったんだ…?」
将に外れ掛けた螺旋、
ガタガタと震える、妖鬼の躯。
医者は病序でに、嘘までも暴く、
「…触んな、」
ギロッ、とたっぷりと血と殺意を含んだ紅い月は、松本の眼を刺し殺す様に威嚇する。
己を「切札」と称し、涎を垂らしながらベラベラと一族の秘密を暴いた…例の医者の面影を松本に重ね、睨み浸けるのだった。
今、此の満月を刀で突き刺せば、溺死を末つ血液と奈落の情景を訪る事に成るのでは亡かろうか。
ふー…っ、ふー…っと猫が怒る様な細い呼吸をしながら意識をどうにかして保つ此が、今のなまえの精一杯の甘くて可愛い抵抗であった。
「何を言っているんだ、なまえ!?」
近藤の焦る声と、永倉や千鶴の驚いた様で悲しい顔を横目でしか見れないなまえには構う余裕は有るはずも無い。
頼む、これ以上は無理だ、
それ以上、俺に触ったらー…
「…ふふっ」
松本は一瞬顔を歪ませながら、なまえの頬に触れるか触れないかの距離まで手を翳し、殺意を含む輝く紅い月を覗けば、「綺麗な眼だ…」と優しい表情で宥める様に語りかけたのだった。
そんな風に己の瞳を褒める初対面の人間が居る事に驚いたなまえは、瞳に含めた邪気を解き、残り僅かな燭を灯す生命を含む、いつもの二色の輝きで松本の眼を真っ直ぐに見つめては、自然と視線を交わえた。
(俺が…初対面の人間と視線を合わせるなんて…、)
なまえは、自然と誘導された様に、しかし嫌な気はせず松本と自然に視線を暫く無言で合わせれば、松本は、その静寂を静かに短い吐息で斬る。「周りの者からそんな不安な表情でジトッと見られてたら、彼も落ち着いて診せてくれんだろ?」
心配なのは解るが、と苦笑いを含めながら松本は、己となまえ以外の者に放てば、言われた者はハッ、と我に返り謝る。
「そっか…。俺は見られてぇ方だけど、なまえちゃんは健康診断も嫌がってたもんな。」
そりゃあ…外野に覗かれる、なんてもっと嫌だよな、なんて頭を掻きながら謝る永倉に、近藤も、すまん、と謝るが続けて、ではなまえの診断は…?と質問した。
「なまえの体調も…!」
いくら今回、松本が千鶴に会うために行った健康診断という名目だったとしても、近藤は絶対になまえの健康診断も実施して欲しかった。
なまえの体調が良くない日が続いた事は、未だ記憶に新しい。
「…こんど、さん…。」
近藤の必死な想いに、松本の嫌ではない雰囲気に…僅かに「観念」の文字が揺れ動くなまえは、静かに視線を落としギリッ…と奥歯を噛む。
(だけど、俺…、)
近藤だけには、知られる訳にはいかない。
彼が真実を知り、嘘偽りを暴かれる其の時はーーどうか己の命の燭が、消えゆく瞬にと願いたい。
親愛なる近藤に叩きつける、最初で最期の【嘘】なのだから。
「とにかく、この子…なまえ君、といったか…。」
近藤から視線を外し表情を落とすなまえに合わせると、「君に至っては…今直ぐに、とは言わない…君が落ち着いてる時に、ゆっくりと2人きりの状況で診断する。」と続けた。
「こんな脈も早く感情的に成り、血圧も高い時に診断してもキチンとした結果は出ないからな。
…まあ、私も暫く此処には出向かせて貰うよ。」
松本が静かにはっきりと放てば、近藤達はパアッ、と明るい表情になり、感謝の言葉を松本に放つ。
「…っ…しつけーよ…!やらねーって…」
なまえがムキになりながら松本の眼を見て食いかかれば、松本は己の眼の色を変え、「言っておくが…君が診断を嫌がり、その理由を必死で護るのは勝手だが…私にも医者としての信念があり責任もある。…もう君は…解っているだろう?」と静かに突き刺せば、なまえを問答無用に地に叩き落としたのだった。
最後の言葉を理解したのは無論、なまえだけで他の者は不思議そうな表情をする。
「…ちっ、」
舌打ちと共になまえは観念をする。
おそらく、先程の視線を合わせてる間に、松本はなまえの診断を始めており、…異様に気が付いたのだ。
悔しいが、松本は確実に良い腕を持つ医者であった。
「…今日は、見逃してくれるんだべ?」
もう自然と松本と視線を合わせるなまえは、あんた、おもしれー、と続けると、松本は含み笑いをした後に「ああ、後日覚悟しときなさい。」と意地悪に頭を撫でてやれば、なまえは、むすっと膨れて松本の手をぺいっ、と払いのけたのだった。
「子供扱いすんな、」
なまえは、俺を子供扱いしていーの、近藤さんだけ、と言い捨て、おまけに舌を、んべっ、と悪戯に出せば、そのまま永倉と千鶴の腕を引っ張って逃げるように屯所に戻って行った。
「んなっ、なまえちゃん!ひっぱんなよ!」
「きゃっ…!なまえさん、待ってください!」
ー…
「いやはや…申し訳ない。」
普段はあんな風に言ったりはしないのだが…と、先ほどのなまえの無礼を代わりに近藤が頭を下げ、松本に謝れば、松本は笑いながら「面白く興味深い者が多いな、此処は!」と放った。
「どうか、なまえの健康診断、宜しくお願いします。」
最近まで、あいつの体調が優れない日が続いたのは未だ新しい記憶です、と再度、近藤が頭を深々と下げれば、松本は「近藤君、あの子は…」と近藤に問いかけるが、途中で眼を瞑り言葉を閉ざした。
「なまえが…如何しましたか?」
「いや、なんでもない…、なんでもないよ…。」
閉ざす松本の問いに、不思議な表情をする近藤の横で、松本は哀しそうで複雑な…そして真剣な表情をし、既に姿が見えないなまえを、医を司る龍の如く、彼の背中を貫くかの様に視線を贈るので在った。
(例えば、運命は己で変える事が出来る、なんて間違っても彼に言えば…救う為に差し伸べた其の手は、余りにも残酷すぎるだろう…。)
推測で語り、あの紅い月が背負ってきたモノ、重圧は何かと意識しようとすれば、松本の身体は其れを拒否するかの様に、頭痛を興すのだった。
医龍の勅、虚夢な燭
(医を司る龍)(嘘偽りの真実)
ーーー
龍の光臨、紅い月の抗淋、
信念を賭ける、燭保連鎖
「 NO NAME 」