綺麗な薔薇には、棘がある』
n a m e
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
土方の雨で濡れた長い夜は呆気なく明け、望まぬともなまえの命の砂時計を暉す朝は「残り僅かだ」と叩きつける、哀しく清々しい鐘。
サラサラ…と、虚しく翳に撒き散る花弁の砂晶ーー
そんな砂時計に気がつく訳もない新選組の幹部達は、再び広場に集合するのであった。
ーー…
ただ静かに沈黙が続く時間を破ったのは、ストン…と、戸の開く音と共に、井上の登場だった。
「…峠は越えたようだよ」
張り詰めていた場の空気をその言葉が緩め、更に「今は寝てる。静かなもんだ」と続ければ、永倉は山南の気の方を心配し、井上に問いかけた。
「確かなことは起きるまでわからんな。」
山南の見た目は昨日とは変わらないが…と、井上が丁寧に付け加え説明を促した途端、不意に又しても戸が開く音がし、井上の説明は遮られ、皆の視線は戸へと導かれて仕舞った。
「おはようございます、皆さん。」
口角をあげながら現れた伊東が、いつも通りの表情で広場に入り挨拶すれば、うげ、と皆は思いきり嫌そうな顔を揃え、又しても沈黙が訪れた。
(…む、)
伊東の口元を眺めながら、全身の毛を逆立て警戒心を剥き出しにするなまえは、まさに猫の様。
どうしても伊東に対して、身体を強ばらせ身構えて仕舞う。
「ふふっ…そんなに見つめちゃって…今日も可愛いわね、なまえ猫ちゃん?」
後に私のところへいらっしゃい、と続ける 伊東は、己に注ぐなまえの視線を、熱い視線だと取ったようで、ウットリ…としながらなまえに放つのだった。
「…あ!?」
冗談じゃねー、と全身の毛を逆立て伊東から出来るだけ離れたなまえは、他の者と少し距離を置いた場所へ腰掛けるのであった。
「い・け・ず」
そんなところも可愛いから好きだわ、と、なまえに対して零す伊東に、他の連中の沈黙の中に、怒りが含まれるような空気に変化してしまうのであった。
(こんな反応をされないだけ、私は受け入れられている立場なのかも。
でも、伊東さんと比べるのは我ながらいかがなものか…。)
千鶴は皆の雰囲気を体で感じ取り、比べる相手を見ながら小さな溜め息をつけば、伊東はそれに気がつき「顔色が宜しくないみたいですけど…昨晩の騒ぎと何か関係が?」と体調を心配する装いをした後、千鶴に話しかけるような振りをし、全員に問いかけた。
流石に参謀と呼ばれるだけの事はあり、かなり鋭い。
「あー、いや、その…。」
近藤は救援を求め、幹部達に視線を向ければ、「よし!…誤魔化せ、左之!」と永倉は原田に振る。
「あ、実は昨日ー…」
いきなり振られた原田が、俺が?なんて切り出し、たどたどしく発すれば、それを見かねた沖田は「大根役者は出しゃばらないでくれるかな?」なんてバッサリと斬り捨て、説明の上手な人に任せましょうねー、とニッコリ笑いながら2人を引っ込めた。
「…おー、」
んべ、と舌を出しながら、しかし僅かに沖田に対して感心して仕舞うなまえに、沖田は、フィッ…と斎藤へと視線を送りながらなまえの隣に腰をかけ直した。
「…よー、ニャンコ。
相変わらず毒舌だな、」
視線を合わせず、静かに沖田に放ってやれば、沖田はニヤリと笑い「ふふっ…なまえさんこそ、可愛い猫ちゃんですけどね?…まあ、今夜たっぷり躾てくれますか?」と返す。
「伊東参謀がお察しの通り、昨晩、屯所内にて事件が発生しました。」
こんな時に聞こえてきた沖田の冗談を遮るように、斎藤の説明開始の声は大きく響き始まり、そして斎藤の一瞬の睨みは、沖田に冷たく突き刺さった。
全く…相変わらず、この2人のなまえ争奪戦は熱くて仕方が無い。
ーー…
今の状況は良くない、と斎藤は告げ、明かせる範囲の状況だけをすらすらと伊東へ話していく。
「参謀のお心に負荷をかけてしまう結果は、我々も望むところではありません。」
今は詳細に話す事が出来ない、もっと鮮明に詳細を纏めて、解る範囲内で今夜にでもお伝えできれば、と頭を下げる斎藤に、伊東は目を細めた後、広間を見回して柔らかに笑み、事情はわかったと放ち、いそいそと広場から出て行った。
「はじめー、はなまるー、」
なまえは、すぐさま斎藤に近づき彼の頭をぽんぽんと優しく撫でれば、斎藤は頬をうっすらと染め、彼に身体を素直に預けた。
どうやら斎藤の丁寧な対応を、伊東は気に入り見逃した、と幹部達は、解釈をしたのだった。
「ちょっと、一君。」
いい加減どいて、と嫉妬心剥き出しの沖田が、未だ己の頭になまえの手が乗って照れている斎藤に言い掛けた瞬間、戸の開く音が鳴れば、そこには山南が立っていたー…。
「……。」
山南の顔色は少し悪いが、それ以外は普段と変わらない姿だった。
「あんた、起きて大丈夫?…手加減したけど、」
なまえなりに言葉を投げ掛ければ、山南は穏やかな微笑みの中に哀しげなものを含み、静かに返した。
「【薬】の副作用でしょう」
気怠い、と零す山南は、薬の効き目はしっかりと出ていると皆に示し、「私はもう、人間ではありません」と強調し微笑みながら射抜くのであった。
…【人間ではない】との宣言時には、なまえの紅い月を睨むように眺め、沈むように微笑む。
微笑みの中の「助けて」は、紅い月にどう揺らめき写るのであろうか?
「だが、君が生きていてくれて良かった…それで充分だとも…!」
スッ…と流すように、しかし僅かに威嚇する様に山南の目を離さないなまえを余所目に、近藤は目を潤ませ言う中、山南を案じる他の者は素直に喜ぶ事は出来なかった。
「…腕は治ったんですか?」
沖田が山南に問いかけて初めて、山南はなまえから目線を外し、まだ本調子ではないので…と零し、わからないと答えながら左腕を持ち上げ、手のひらを開いたり閉じたりする。
「生活するには支障がないくらいに治ってる様です…。」
ー…
「これから私は【薬】の成功例として、【新撰組】を束ねていきます。」
山南は、私は死んだことにすればいい、と放った後に、薬の存在を幕府から伏せる様に命じられてる事や、【薬】の実験の件を盾にし皆を説得すれば、皆を納得せざる終えない状況に導くー…。
「…それしかない、か」
新選組の頭の許可が下りれば、誰も何も言えるわけが無い。
だだただ、黙って頷き、肯く。
「…人間じゃなくても、」
沈黙を破ったのは、なまえの少し怒りを含む沈んだ声であった。
(なまえさん…)
千鶴が唯一、好きではない彼の声…。
桜が、血を背にして儚く散っていく最期の様でーー
もしかしたらなまえの存在は、蜃気楼なのかもしれない、と勘違いして仕舞う程にーー…
「自分で決めた途は、命賭けてる、」
己の左胸をとんっ…と握り拳で叩き、紅い月を燃えさせるなまえに、山南は微笑を浮かべたまま、「やはり、喧嘩売る相手を間違えました…適いませんね」とぽつりと落とせば、なまえに近付き、彼の瞼付近を親指で、そっと撫でた。
「申し訳なかったです、みょうじ君。
私は君に、少し八つ当たりしてしまった様だ。」
山南は静かに微笑むと、なまえは舌を軽く出し「ちっ…あんたのはもー馴れた。俺にしか出来ねーんなら、たまになら許してやんよ?」と放てば、山南の黒いオーラと共に微笑が返って来たので、慌ててなまえはその場から去った。
(…なまえ…。)
ズキッと痛む己の心を誤魔化す様に、土方は「屯所移転の話、冗談では済まされなくなったな」と零し、屯所移転の件について話し出したのだった。
移転候補地について皆が議論を戦わせ始めれば、千鶴は輪の外になり、自分が新選組にとって、父親の娘だという価値しかない事実が重く圧しかかり、またしても胸を締め付けられて仕舞っていた。
(一年そばにいただけの私なんか…)
そう考えれば当たり前なので、だから仕方ないんだと言い聞かせるが、やはり寂しい気持ちは消えない。
千鶴の幼い横顔は、寂しさと痛覚に犯され、消えそうになる。
「…お嬢、おいで」
そんな事を考え、千鶴が寂しい表情で俯いていたら、向こうから己の愛しの声が響き、千鶴が「…え?」と眉を下げたままの表情で彼を見てみれば、おいでおいで、と手招きをしていた。
いつもは意地悪に「しっ、しっ」と手を払われたりするのに…今日は逆の手の動きに驚かせられる。
「…あの、なまえさん…?大事なお話中では…?」
心では物凄く嬉しい筈なのに、照れ隠しと、先程の寂しさでぶっきらぼうに返してしまった。
(もー…私のばかばかっ…!)
「ん、いーから…お嬢は此処にいてくんね?」
その言葉と共に、グッ…!と細い身体が彼に引き寄せられたと思えば、胡座をかくなまえの足の間にストン…と収まり、千鶴は、座りながら後ろから抱き締められてる格好になった。
「ちっせ、やらけー…」
むぎっ、と軽く抱え込む様に抱きしめれば、千鶴は心臓が壊れそうな程鳴り響くが、身体は硬直して仕舞う。
愛しの男性からそんな事をされれば、乙女は誰でもそうなるのではなかろうか。
「…っー…!?〃なっ…!!」
我に返り、全身真っ赤に成りながら声にならない声をあげる千鶴と、大分面白くない声をあげる幹部達に、なまえは「おら、続けんぜー、」と何事も無かった様に話を元に戻し、纏め上げた。
ーー…。
「で、あるからして…」
千鶴の耳には、土方の説明が全く入ってくる訳もなく、ただ自分の鼓動と、なまえの香りと、温もりを味わっていた。
(…あったかい…。)
千鶴は、どきん、どきん、と己の胸で叩く生きている証を感じながら、目の前にある愛しの腕に触れ、ぎゅっ…と己の両手で握りしめる。
自然と己の頬を、静かに彼の腕へとくっつければ、彼の左腕の白い包帯が頬に触れ、くすぐったかったがとても心地がよかった。
ほら、もう寂しくなんてないの。
貴方に触れる、極上の幸せ、
(好き、好き…愛してます、なまえさん…!)
一年、一緒に居たから痛い程、解るの。
なまえさんは、私を妹の様にしか見ていない事くらい…。
ーー…そして時に、誰かを想いながら私に重ねて見てる事。
一緒に、一年しか居ない。
じゃあ、だから?なんなの?
溢れて零れそうな、私のハジメテの気持ちー…
此だけは、絶対に譲らないし、譲れないの。
絶対に、誰にもー…!
ーー…
「…お嬢?」
わり、苦しい?疲れた?と小さな声で千鶴に話しかければ、千鶴は、頬を染めながら、「いえ…私こそ、寄りかかっちゃって…」と返した。
とんとん、と黙ってなまえは己の背の壁を叩けば、「こいつがあるから別に」と言いた気なのが伝わって来た。
一年、一緒に居れば、彼の説明の仕方も解ってくる。
…愛しの彼であれば尚更であろうか。
ほら、見なさい。
一年しか、じゃないの。
「…お嬢はさ、俺の休憩所、」
静かに呟きながら、軽く千鶴に体重をかけるなまえに対し、千鶴は静かに「休憩所…ですか?」と、問い返した。
「んー、お嬢が新選組に居る理由の一つ?」
俺が疲れた時に、あんたはこーして癒してくれりゃいー、なんて我儘に放てば、千鶴はドキッと心臓を鳴らし、目を潤ませた。
「俺だって眠くもなりゃ、疲れる時だってあんの、」
ほら、あんたにぴったりな役…黙って茶煎れたりしてな?それしか出来ねーんだから、なんて意地悪に言いながら、彼女の背中に寄り掛かる。
(もしかしてなまえさん…!
さっきの…輪の外になって落ち込んでた私の事…気がついてくれて…)
千鶴は、溢れそうになる涙や、自分の気持ちを我慢したくて、目の前の腕に縋りつくように額を擦り付ければ、なまえは不思議そうな表情をしながら、千鶴の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。
「甘えんぼー、」
しゃーねーな、どっちが休憩所なんだよ、となまえが放てば、千鶴は溢れそうになる涙を堪えられず、俯いたまま静かにぽろぽろ零した。
「…でもまあ、お嬢も、よく頑張ってるよな、」
なまえは、他の者から彼女の顔を見られぬ様、彼女の顔を隠してやれば、彼女の淡い桃色の涙は、なまえの包帯にふわふわと柔らかく、染み込んだのだったー…。
千鶴の、恋する乙女の
途、満、路、
「…愛…して…ま…」
千鶴以外の、誰にも聞こえない
心臓から溢れる、乙女の薔薇
綺麗な薔薇には、棘がある
(荊の途)(唯薔薇の途)
ーーー
棘の痛覚、罪【ツミ】
情熱の紅い、蜜【ミツ】
サラサラ…と、虚しく翳に撒き散る花弁の砂晶ーー
そんな砂時計に気がつく訳もない新選組の幹部達は、再び広場に集合するのであった。
ーー…
ただ静かに沈黙が続く時間を破ったのは、ストン…と、戸の開く音と共に、井上の登場だった。
「…峠は越えたようだよ」
張り詰めていた場の空気をその言葉が緩め、更に「今は寝てる。静かなもんだ」と続ければ、永倉は山南の気の方を心配し、井上に問いかけた。
「確かなことは起きるまでわからんな。」
山南の見た目は昨日とは変わらないが…と、井上が丁寧に付け加え説明を促した途端、不意に又しても戸が開く音がし、井上の説明は遮られ、皆の視線は戸へと導かれて仕舞った。
「おはようございます、皆さん。」
口角をあげながら現れた伊東が、いつも通りの表情で広場に入り挨拶すれば、うげ、と皆は思いきり嫌そうな顔を揃え、又しても沈黙が訪れた。
(…む、)
伊東の口元を眺めながら、全身の毛を逆立て警戒心を剥き出しにするなまえは、まさに猫の様。
どうしても伊東に対して、身体を強ばらせ身構えて仕舞う。
「ふふっ…そんなに見つめちゃって…今日も可愛いわね、なまえ猫ちゃん?」
後に私のところへいらっしゃい、と続ける 伊東は、己に注ぐなまえの視線を、熱い視線だと取ったようで、ウットリ…としながらなまえに放つのだった。
「…あ!?」
冗談じゃねー、と全身の毛を逆立て伊東から出来るだけ離れたなまえは、他の者と少し距離を置いた場所へ腰掛けるのであった。
「い・け・ず」
そんなところも可愛いから好きだわ、と、なまえに対して零す伊東に、他の連中の沈黙の中に、怒りが含まれるような空気に変化してしまうのであった。
(こんな反応をされないだけ、私は受け入れられている立場なのかも。
でも、伊東さんと比べるのは我ながらいかがなものか…。)
千鶴は皆の雰囲気を体で感じ取り、比べる相手を見ながら小さな溜め息をつけば、伊東はそれに気がつき「顔色が宜しくないみたいですけど…昨晩の騒ぎと何か関係が?」と体調を心配する装いをした後、千鶴に話しかけるような振りをし、全員に問いかけた。
流石に参謀と呼ばれるだけの事はあり、かなり鋭い。
「あー、いや、その…。」
近藤は救援を求め、幹部達に視線を向ければ、「よし!…誤魔化せ、左之!」と永倉は原田に振る。
「あ、実は昨日ー…」
いきなり振られた原田が、俺が?なんて切り出し、たどたどしく発すれば、それを見かねた沖田は「大根役者は出しゃばらないでくれるかな?」なんてバッサリと斬り捨て、説明の上手な人に任せましょうねー、とニッコリ笑いながら2人を引っ込めた。
「…おー、」
んべ、と舌を出しながら、しかし僅かに沖田に対して感心して仕舞うなまえに、沖田は、フィッ…と斎藤へと視線を送りながらなまえの隣に腰をかけ直した。
「…よー、ニャンコ。
相変わらず毒舌だな、」
視線を合わせず、静かに沖田に放ってやれば、沖田はニヤリと笑い「ふふっ…なまえさんこそ、可愛い猫ちゃんですけどね?…まあ、今夜たっぷり躾てくれますか?」と返す。
「伊東参謀がお察しの通り、昨晩、屯所内にて事件が発生しました。」
こんな時に聞こえてきた沖田の冗談を遮るように、斎藤の説明開始の声は大きく響き始まり、そして斎藤の一瞬の睨みは、沖田に冷たく突き刺さった。
全く…相変わらず、この2人のなまえ争奪戦は熱くて仕方が無い。
ーー…
今の状況は良くない、と斎藤は告げ、明かせる範囲の状況だけをすらすらと伊東へ話していく。
「参謀のお心に負荷をかけてしまう結果は、我々も望むところではありません。」
今は詳細に話す事が出来ない、もっと鮮明に詳細を纏めて、解る範囲内で今夜にでもお伝えできれば、と頭を下げる斎藤に、伊東は目を細めた後、広間を見回して柔らかに笑み、事情はわかったと放ち、いそいそと広場から出て行った。
「はじめー、はなまるー、」
なまえは、すぐさま斎藤に近づき彼の頭をぽんぽんと優しく撫でれば、斎藤は頬をうっすらと染め、彼に身体を素直に預けた。
どうやら斎藤の丁寧な対応を、伊東は気に入り見逃した、と幹部達は、解釈をしたのだった。
「ちょっと、一君。」
いい加減どいて、と嫉妬心剥き出しの沖田が、未だ己の頭になまえの手が乗って照れている斎藤に言い掛けた瞬間、戸の開く音が鳴れば、そこには山南が立っていたー…。
「……。」
山南の顔色は少し悪いが、それ以外は普段と変わらない姿だった。
「あんた、起きて大丈夫?…手加減したけど、」
なまえなりに言葉を投げ掛ければ、山南は穏やかな微笑みの中に哀しげなものを含み、静かに返した。
「【薬】の副作用でしょう」
気怠い、と零す山南は、薬の効き目はしっかりと出ていると皆に示し、「私はもう、人間ではありません」と強調し微笑みながら射抜くのであった。
…【人間ではない】との宣言時には、なまえの紅い月を睨むように眺め、沈むように微笑む。
微笑みの中の「助けて」は、紅い月にどう揺らめき写るのであろうか?
「だが、君が生きていてくれて良かった…それで充分だとも…!」
スッ…と流すように、しかし僅かに威嚇する様に山南の目を離さないなまえを余所目に、近藤は目を潤ませ言う中、山南を案じる他の者は素直に喜ぶ事は出来なかった。
「…腕は治ったんですか?」
沖田が山南に問いかけて初めて、山南はなまえから目線を外し、まだ本調子ではないので…と零し、わからないと答えながら左腕を持ち上げ、手のひらを開いたり閉じたりする。
「生活するには支障がないくらいに治ってる様です…。」
ー…
「これから私は【薬】の成功例として、【新撰組】を束ねていきます。」
山南は、私は死んだことにすればいい、と放った後に、薬の存在を幕府から伏せる様に命じられてる事や、【薬】の実験の件を盾にし皆を説得すれば、皆を納得せざる終えない状況に導くー…。
「…それしかない、か」
新選組の頭の許可が下りれば、誰も何も言えるわけが無い。
だだただ、黙って頷き、肯く。
「…人間じゃなくても、」
沈黙を破ったのは、なまえの少し怒りを含む沈んだ声であった。
(なまえさん…)
千鶴が唯一、好きではない彼の声…。
桜が、血を背にして儚く散っていく最期の様でーー
もしかしたらなまえの存在は、蜃気楼なのかもしれない、と勘違いして仕舞う程にーー…
「自分で決めた途は、命賭けてる、」
己の左胸をとんっ…と握り拳で叩き、紅い月を燃えさせるなまえに、山南は微笑を浮かべたまま、「やはり、喧嘩売る相手を間違えました…適いませんね」とぽつりと落とせば、なまえに近付き、彼の瞼付近を親指で、そっと撫でた。
「申し訳なかったです、みょうじ君。
私は君に、少し八つ当たりしてしまった様だ。」
山南は静かに微笑むと、なまえは舌を軽く出し「ちっ…あんたのはもー馴れた。俺にしか出来ねーんなら、たまになら許してやんよ?」と放てば、山南の黒いオーラと共に微笑が返って来たので、慌ててなまえはその場から去った。
(…なまえ…。)
ズキッと痛む己の心を誤魔化す様に、土方は「屯所移転の話、冗談では済まされなくなったな」と零し、屯所移転の件について話し出したのだった。
移転候補地について皆が議論を戦わせ始めれば、千鶴は輪の外になり、自分が新選組にとって、父親の娘だという価値しかない事実が重く圧しかかり、またしても胸を締め付けられて仕舞っていた。
(一年そばにいただけの私なんか…)
そう考えれば当たり前なので、だから仕方ないんだと言い聞かせるが、やはり寂しい気持ちは消えない。
千鶴の幼い横顔は、寂しさと痛覚に犯され、消えそうになる。
「…お嬢、おいで」
そんな事を考え、千鶴が寂しい表情で俯いていたら、向こうから己の愛しの声が響き、千鶴が「…え?」と眉を下げたままの表情で彼を見てみれば、おいでおいで、と手招きをしていた。
いつもは意地悪に「しっ、しっ」と手を払われたりするのに…今日は逆の手の動きに驚かせられる。
「…あの、なまえさん…?大事なお話中では…?」
心では物凄く嬉しい筈なのに、照れ隠しと、先程の寂しさでぶっきらぼうに返してしまった。
(もー…私のばかばかっ…!)
「ん、いーから…お嬢は此処にいてくんね?」
その言葉と共に、グッ…!と細い身体が彼に引き寄せられたと思えば、胡座をかくなまえの足の間にストン…と収まり、千鶴は、座りながら後ろから抱き締められてる格好になった。
「ちっせ、やらけー…」
むぎっ、と軽く抱え込む様に抱きしめれば、千鶴は心臓が壊れそうな程鳴り響くが、身体は硬直して仕舞う。
愛しの男性からそんな事をされれば、乙女は誰でもそうなるのではなかろうか。
「…っー…!?〃なっ…!!」
我に返り、全身真っ赤に成りながら声にならない声をあげる千鶴と、大分面白くない声をあげる幹部達に、なまえは「おら、続けんぜー、」と何事も無かった様に話を元に戻し、纏め上げた。
ーー…。
「で、あるからして…」
千鶴の耳には、土方の説明が全く入ってくる訳もなく、ただ自分の鼓動と、なまえの香りと、温もりを味わっていた。
(…あったかい…。)
千鶴は、どきん、どきん、と己の胸で叩く生きている証を感じながら、目の前にある愛しの腕に触れ、ぎゅっ…と己の両手で握りしめる。
自然と己の頬を、静かに彼の腕へとくっつければ、彼の左腕の白い包帯が頬に触れ、くすぐったかったがとても心地がよかった。
ほら、もう寂しくなんてないの。
貴方に触れる、極上の幸せ、
(好き、好き…愛してます、なまえさん…!)
一年、一緒に居たから痛い程、解るの。
なまえさんは、私を妹の様にしか見ていない事くらい…。
ーー…そして時に、誰かを想いながら私に重ねて見てる事。
一緒に、一年しか居ない。
じゃあ、だから?なんなの?
溢れて零れそうな、私のハジメテの気持ちー…
此だけは、絶対に譲らないし、譲れないの。
絶対に、誰にもー…!
ーー…
「…お嬢?」
わり、苦しい?疲れた?と小さな声で千鶴に話しかければ、千鶴は、頬を染めながら、「いえ…私こそ、寄りかかっちゃって…」と返した。
とんとん、と黙ってなまえは己の背の壁を叩けば、「こいつがあるから別に」と言いた気なのが伝わって来た。
一年、一緒に居れば、彼の説明の仕方も解ってくる。
…愛しの彼であれば尚更であろうか。
ほら、見なさい。
一年しか、じゃないの。
「…お嬢はさ、俺の休憩所、」
静かに呟きながら、軽く千鶴に体重をかけるなまえに対し、千鶴は静かに「休憩所…ですか?」と、問い返した。
「んー、お嬢が新選組に居る理由の一つ?」
俺が疲れた時に、あんたはこーして癒してくれりゃいー、なんて我儘に放てば、千鶴はドキッと心臓を鳴らし、目を潤ませた。
「俺だって眠くもなりゃ、疲れる時だってあんの、」
ほら、あんたにぴったりな役…黙って茶煎れたりしてな?それしか出来ねーんだから、なんて意地悪に言いながら、彼女の背中に寄り掛かる。
(もしかしてなまえさん…!
さっきの…輪の外になって落ち込んでた私の事…気がついてくれて…)
千鶴は、溢れそうになる涙や、自分の気持ちを我慢したくて、目の前の腕に縋りつくように額を擦り付ければ、なまえは不思議そうな表情をしながら、千鶴の頭をぽんぽん、と優しく撫でた。
「甘えんぼー、」
しゃーねーな、どっちが休憩所なんだよ、となまえが放てば、千鶴は溢れそうになる涙を堪えられず、俯いたまま静かにぽろぽろ零した。
「…でもまあ、お嬢も、よく頑張ってるよな、」
なまえは、他の者から彼女の顔を見られぬ様、彼女の顔を隠してやれば、彼女の淡い桃色の涙は、なまえの包帯にふわふわと柔らかく、染み込んだのだったー…。
千鶴の、恋する乙女の
途、満、路、
「…愛…して…ま…」
千鶴以外の、誰にも聞こえない
心臓から溢れる、乙女の薔薇
綺麗な薔薇には、棘がある
(荊の途)(唯薔薇の途)
ーーー
棘の痛覚、罪【ツミ】
情熱の紅い、蜜【ミツ】