鉄扇に蜷局を幕、大蛇の自尊心
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納金もこれからは会津藩から支給されることにもなり、今まで懸案だった問題が、これであらかた解決した【新選組】ー…。
門の前に佇み、今日、かけられたばかりの表札に刻まれている【松平肥後守御預新選組宿】の文字を一句一句、 なまえ自身の心にも刻んでいく。
「よっぽど嬉しいんだな。
近藤さん達と作り上げた新選組を評価して貰ったんだもんな。」
なまえの佇む姿を見つけ、駆け寄ってきた井吹は語りかけた。
「…やっと此処まで来た、
これからが、歴史の始まり、」
なまえの表情は、感激や喜びというものとは無縁に見え、低い声で呟く。
ー…ザァァッ…と、一斬の風が吹きなまえの味方をするように歓迎する。
「ようこそ、黎明から歴史の基へ」
大地が、そう囁いてるようにも聞こえた。
もしかすると…
今から百何十年後も、彼ら新選組は語り継がれ、日本の歴史に深く彫刻み込まれるのかもしれない…。
井吹はそんな風に感じながら、柔らかい表情をしなまえの肩に自らの頭をコツンー…と寄せた。
「…俺も、そろそろ歩き始めなきゃな…。」
そう、井吹は新選組では無く…部外者でしかない。
以前、なまえに叩きつけられた言葉を心臓で握り締めながら …深く、深く鼓動に乗せた。
無言で頭を撫でてくれる、なまえの温かさに縋って仕舞いながらー…。
ーーー
その日の夜遅くーー
井戸場からパチャパチャと水音が聞こえた。
「龍、おら顔寄こせ、」
「痛っ…っ!!
なまえ…もうちょい優しく…!」
なまえは深い溜息をつきながら、井吹の腫れ上がったら顔に井戸水で冷やした布を当て、熱を冷ましてやる。
…近頃の芹沢は、本当にどうかしたとしか思えない程に、おかしかった。
朝から晩まで、酒を呑んでない時が無いくらいで、些細な理由をつけては平間を気絶するまで殴りつける。
止めに入った井吹となまえだが…
芹沢の鉄扇を避けれずめちゃくちゃに殴られた井吹は今の現状に至る。
なまえが芹沢を手刀で気絶させてくれなければ…今頃、殺されていたかもしれない。
「前から感じてたが…芹沢さん、どうにかなっちまったかのようにおかしいんだ…。」
井吹が悲しい表情でなまえへ吐くと、なまえは難しそうな、困惑したような表情で返した。
もしかしたら、なまえは何かを知っている?
井吹は、思い切り「…なまえ、あんた…芹沢さんの何か知ってるんじゃないか?」と問いただした同じ瞬間ー…。
近くから何か音がするのが聞こえ、なまえと井吹は音の正体を探りに出ると、辺りを注意深く見ながら歩く新見を見つけた。
「なんだ…?」
井吹が呟くと、なまえは己の唇に人差し指を当て、静かにと井吹に合図を送り、様子が尋常ではない新見を物陰に隠れて見張り、井吹に先に部屋で休んでいるよう指示し、後を追いかけた。
ー…
(…柄の悪い連中と、変若水関係の取引、ってとこか…、)
気配を完璧に断ち尾行を続けると、柄の悪い浪士達との会合場面に出くわした。
このまま彼らを殺すのは簡単であったが、自己判断は避け、まずは直ちに上に報告してから指示を煽る事にし、 なまえはその場を去ったのだった。
ーーー
夜も明けようとする朝方、なまえは近藤、土方に昨晩の新見の事を報告した。
「なまえ…わるいんだが…監察方と共に、新見さんの足取りを探ってくれねえか。」
報告を受けた土方が、眉間に皺を寄せながらなまえに頼むと、なまえは静かに頷く。
「お前にばかり、負担をかけて、すまんな…」
近藤が、なまえに申し訳なさそうに頼むと、「構わねーよ?俺は、貴男の為に居るんだから、」 と直ちに監察方と共に仕事をしに部屋を出た。
「…なまえ…。」
ストンと襖が閉まる音がした後、近藤の複雑そうな声が洩れるのであった。
「みょうじさん…!
やはり、何処にも姿がありません…!」
捜査しやすくなる時間を見計らい、なまえは監察方に新見の足取りを捜すようにと指示を出した。
新見は昨晩を最後に、屯所から忽然と姿を消して仕舞ったのだった。
最悪なタイミングである。
「室内を改めさせて貰ったのですが…新見さんは変若水や、それに関する資料を持って出ていった様です…。」
屯所に来る予定だった綱道との連絡も何故か取れなくなり、放っておけないと呟く山崎。
「屯所にいねーって事は、外か…?
何かの手がかりくれーは残ってるかも…行ってくる。」
なまえがぐっ…とした視線を放つと、お供させてください!と山崎は付き、駆けだした。
あちこち走り回り、道行く人々に新見に関する情報を求めつづけるがー…新見も、綱道の足取りさえも掴めないままであった。
新見が行方をくらまし、京の市中でとある変化が訪れる。
それは、毎日のように辻斬りが起こり、あちこちで無惨な状態の変死体が発見されるようになったことであったー…。
「俺が最後に見た会合が決定的だし…
新見さんの仕業で当たりって監察方はつけてる、」
なまえの報告を顔色を変えずに聞いていた土方は頷き、大方、変若水や羅刹の力を利用して、どこぞの組織に取り入ろうって話だろう…と零した。
特に長州藩なんかは、八月十八日の戦でずいぶん権勢を失ったようで、変若水に頼りたがる者が居てもおかしくないとのことー…。
「しかし、お前が獲物をそのまま見逃して帰ってくるなんて、初めてじゃねえか。」と頭をこつんと叩かれ、何かお前を冷静にさせた物事でもあるのか?と土方に問われれば、ふと頭に芹沢を思い浮かべ「…わり、」となまえは謝った。
「責めてるんじゃねえよ、誉めてんだ。」
少しは冷静な対応が出来るくらい大人になったな、と微笑みながらなまえの頭を撫でてくる土方を見ると、なまえは少し頬を赤く染め、「あんたが誉めるとか、きもちわり…」と黙って撫でられ、顔をぷいっと背けた。
土方は、ふっと鼻で笑うと、先程の話を戻し、市中で死体が出てる現状は、新見がまだ京を出ていない証だ、引き続き足取りを追ってくれ、と指示を出した。
「…あいよ、」
こうして監察方は総力を挙げ、新見の捜索を行うことになった。
ーーー
その晩、とうとう新選組屯所に、決定的な情報がもたらされた。
「たった今、市中で監察方に回ってくれているみょうじさんより、新見さんと思しき人物を祇園新地で発見したとの知らせが入りました!」
場所は、料亭【山緒】。田中伊織という偽名を使い、現在も潜伏している、と山崎の報告を受け、土方は即座に立ち上がり告げた。
「総司、斎藤、原田。…行けるな?」
静かな視線を受けた面々は、それぞれに頷きを返した。
「随分、豪華な面子で行くんですね」とからかうような言い草の沖田に、土方はやや憮然としたような眼差しを返し、「当然だ。向こうで待機してるなまえも居りゃ、文句無え面子だろ。何せ、事が事だからな…」
一応、新見も新選組の元局長であり、現副長。
幹部隊士以外が捕縛に乗り出すのも、通りがおかしい話だろう。
「…取り逃がせば次は無いだろう。」
斎藤が力を込めれば、土方は俺の考えた最善の策だ。と答え、料亭の案内役として山崎と共に、屯所を出発したのだったー…。
「…来たな?」
料亭に到着した土方達は、先程から待機していたなまえと合流し、料亭に入る。
「俺と山崎は、此処で待機する」
新見が逃げ出した時、すぐ仕留められるように辺りを固めておくのも重要な役割で、それを原田と山崎が行う事にした。
暫くして…
料亭の一室から、不意に激しい戦いの物音が聞こえてきた。
「俺らの役割を、きちんと果たそうぜ?」
己の得物を握りしめる手が震えさせ、今にも料亭に飛び込もうとしている山崎の肩をぽんと叩き、原田は山崎を落ち着かせる。
…大丈夫、此方にはアイツが…なまえがいる…ーー
原田がニッ…と笑いながら彼の名前を出すと、山崎の震えは収まり、静かに頷いた。
(命を駆ける場所で、あの人達と共に戦えたらー…)
監察方という立場を理解してる反面、これから先もそんな気持ちを常に抱いていくことになるんだろうと噛みしめる山崎であった。
…ギイィンー…!
一方、刀のやりとりが続く室内では多くの羅刹化した者と、羅刹化した新見との戦いが、未だ繰り広げられており…。
「死んでからも、冥獄で這い蹲りながら一生を償いな、」
頬から流れた己の血を舐め理性を失った新見が、他の羅刹の死体を啜り始め、更に血を求め凶暴化し暴れ狂う一瞬の隙を読み、なまえが首を斬り落とした。
後に、待機していた山崎と原田を部屋に呼び込むと、新見一人殺したところで、京でゴミのように殺された連中は戻ってこない、己がもっと早く気が付いていれば…と、土方は己を悔い始め、全身に青い炎を纏うように静かな怒りを漲らせていた。
「俺の判断の遅れが、ここまでの事態を招いちまった…。」
どんなに悔やんでも消すことのできない、俺の罪だと呟く土方に、なまえも己の心を痛めたのだったー…。
「俺が、あんとき新見さんを殺しちまえば良かったんだよ、
…あんたは別に悪くねーよ、」
なまえが投げかけると、土方は鋭い眼差しで睨み、「そういう問題じゃねえんだよ!」と怒声を浴びさせた。
全身返り血塗れで、憤怒に顔をゆがめる姿は【修羅】とでも形容するのが似つかわしいほどであり、此処にいる誰か、何かに怒りをぶつけるというよりは、こんな事になるまで新見を放っておいた自分への怒りを抑えられずにいるようだった。
その後、土方達が屯所に戻った後、なまえと原田と山崎は事態の収拾に明け暮れる。
元局長という立場にいた新見が殺され、綱道の行方も解らなくなりーー
新選組は、これからどうなってしまうのか…
今日みたいに、たくさんの人の血が流されるところを目にすることになるのだろうか。
ーー…
秋も少しずつ深まり始めた九月十三日のこと。
井吹が部屋に戻ろうとしたところで、意外な人物を目にする。
「井吹…もう寝るところか?」
彼…土方の姿を目にした瞬間、井吹の心臓は激しく跳ね上がった。
もしかして、最後通告を突きつけにきたのか?と勘ぐり、緊張しきった顔をしてしまう井吹に、土方は平然とした調子で、芹沢は居るか、と言い放つ。
「芹沢さんは…さっき寝たばっかりだから、今起こしたらまた癇癪を起こすと思う。」
用事なら俺が聞くから、と井吹が放てば、土方は井吹を無言のまま睨みつけ溜息をつく。
井吹は少し怯みながらも、今はとにかく土方を芹沢の所へ行かせてはいけないと思い、退かなかった。
「…芹沢さんに伝えておいてくれ。
新見さんが、切腹したってな。」
土方の言葉を聞いた瞬間、井吹は驚きのあまり、周りの音が一瞬聞こえなくなった。
(新見さんが…切腹しただって…?)
土方がそのことを芹沢に伝えに来たってことは、つまりーー
居ても立ってもいられなかった井吹は、芹沢の部屋へと急いだ。
その途中、泣きながら芹沢の部屋から飛び出してきたお梅とぶつかる。
芹沢に何かされたのか?と心配する井吹に首を横に振り、失礼しますとそのまま駆け出して行った。
井吹は、不思議に思いながらも芹沢の部屋へと急ぐのだった。
「芹沢さん!話があるんだが…
っ…なまえ…!?」
部屋に飛び込むや否や叫ぶと、井吹の目の前にはまたしても意外な人物を目の当たりにした。
「…龍…、」
なまえの何処か冷たい眼差しで囁かれれば、敵を睨むように「何で此処に居るんだ」と言い放ってしまった。
(今は、あんた達に芹沢さんを会わせたくはなかった…!)
「何だ、騒々しいぞ。」
寄ってたかって何だ貴様らは、後にしろ、と芹沢の口調はいつもより不機嫌だった。
「お梅さんと何かあったのか?
なまえは何で此処に…?」
井吹が芹沢に問うと、芹沢は酒を煽りながら「あの女は、細かいことをいちいちうるさいのでな、もうここには来るなと言っただけだ」と突き返した。
「…へー、あんたにしては優しいじゃん、己を蝕む痛みより、女を取る、か」
なまえがふっと鼻で笑い意味深な言葉を放てば、芹沢のこめかみに青筋が浮かび、鋭い眼差しでこれ以上は、余計な事言うなと言うように、なまえを睨む。
井吹は、今のやりとりを疑問に思いながらお梅を庇うような発言を放てば、芹沢からは「貴様には何の関わりもないことだ」と返されてしまった。
話はそれだけか?と聞かれれば、井吹は否定し、呼吸を落ち着かせてから、先程の土方からの伝言ーー新見が切腹をしたとの報告をした。
「…ふっ、
先程…この小童に聞いた。
しかし、新見が殺されたか…」
芹沢は、平静な表情のまま顎でなまえをくいっと指し、次は自分の番だという事を何にも抵抗なく受け入れているような声音で放つのだった。
「…それとも、あんたが病気だって説明して命乞いでもするか?」
なまえが零した言葉に、井吹は驚いた表情をし、そうなのか!?と縋りつくように叫ぶ。
「貴様…、余計な事を…。
そんなに殺されたいか…!」
芹沢は、弱々しい体でなまえを掴むと、逆に煽るように「…お好きにどうぞ」と笑うだけだった。
井吹は、最近の芹沢の異常な行動を思いだし…先程のなまえの煽りを聞くと色々と情報が頭の中で繋がり、真実を確信し、弱々しい芹沢の腕を掴み力を込めながら「あの人達に説明してくれ!」と叫び、新見のように殺されてしまうと叫び、芹沢に縋った。
土方達も鬼ではないだろう、病気だって言えば、新選組を抜けさせてくれるはずだー…!
「奴らは鬼ではない、だと?
…馬鹿な事を言うな。
あいつらには、鬼になってもらはなければ困るのだ。
俺が、そう仕向けたのだからな」
井吹に言っているはずの言葉を放ちながら、芹沢は鋭い眼差しで隣にいるなまえを真っ直ぐと射抜くように語り叩いた。
「…やっぱり、あんたってそーいう人だった、
…命乞いする男なら、新見さんついでに殺してあげようと思ったのに、」
なんだ、わざわざ確認しに来た俺って馬鹿だな、なんて己に呆れてるなまえに芹沢はフンと鼻で笑っているだけで、井吹は今まで生きてきて、はじめて味わう無力感に包まれた。
この男は…何を言ってるんだ。
初めてなまえを憎く思い、「昔話は本当なんだな…あんたは、産まれた頃から汚い鬼なんだって事…!」と軽蔑した目でなまえを睨みつけた。
「そりゃ、どーも」
なまえは井吹の軽蔑を冷たい目で見下し、そのまま部屋を去ろうとする。
「…みょうじ!」
芹沢は、部屋中に響く声で背を向けるなまえを呼び止めれば、その背はピタッと止まった。
「…貴様も、まだ鬼には程遠いなー…」
貴様は人に甘すぎて反吐が出る、と芹沢の言葉に井吹は不思議な表情をすると、なまえは顔だけを芹沢に向け、ふわっと優しい表情を向けると何も言わずに今度こそ部屋を去った。
翌日の夕方ー…。
近藤が芹沢の部屋を訪ねて来て、此処ではできない重要な話があると申し、島原で話し合いが行われた。
「俺は、今後も芹沢さんと共に新選組を守り立てていきたいと思っております。」
今後は新選組の事を第一に考えてくれ、と頼む近藤に、芹沢は「二人でだと!?」と目を見張りながら言った後、面白い冗談だと笑い始めた。
「二つもあると、見た目が複雑でいかん。
【真】は、一つでいいのだ」
芹沢が放つと、近藤の瞳は絶望と悔しげな光が宿り、それは今後は、芹沢一人が局長を務めるとの事ですか?百姓上がりの俺とは共にやっていけないという事ですか?と叩きつけるように問えば、芹沢は「つまらん話だ…帰る 」と放ち、席を立ってしまった。
置き去りになった近藤は、「…っ!」と悔しそうに畳を己の拳で殴りつけうなだれるしか出来なかったー…。
「……。」
黙って二人の後をついてきたなまえは、話し合いが行われていた部屋には入らず、扉の外の横にしゃがみこみ、二人の話を聞いていた。
黙っていても、今宵も月は悪戯に微笑み、夜道を照らしていた。
ーーー
そして、九月十六日。
朝から雨が降り続くその日…
しとしとと陰気な音を立てていた。
「犬、これから島原に出かけるらしいぞ。付き合え」
何でも、近藤や土方、沖田や斎藤が歓待してくれるらしいと芹沢が放つ言葉に、井吹は違和感と胸騒ぎを覚え、さっさとしろと芹沢に言われ、井吹は、支度をし付いていく。
ーー…
「芹沢局長、お一つどうぞ。」
程なくし島原の座敷に通され、芹沢は、山南から酌をうける。
近藤達が連れてきたのは、沖田、斎藤、永倉、なまえ。
いつも永倉と一緒に行動している、原田や平助が来ていない事に不思議に思う井吹だった。
「どういう風の吹き回しだ?」と芹沢は答えれば、土方は愛想良く「いつまでもいがみ合ったまま…なんて良くねえだろ?」なんて答えて芹沢を、もてなしていた。
「あなたにも、変わっていただけなければ…!どうか、聞き届けてください!」
近藤は、悲壮な表情で芹沢の説得を続けるが…なまえは近藤の肩を掴み、ふるふると首を横に振ると、土方と沖田は近藤に、堅苦しい話は辞めようと遮った。
井吹は、この緊張感を察し、芹沢から目を離すまいと意気込んでいると、斎藤から「料理に手をつけないのか」と声をかけられた。
「…食欲がないんだ。放っておいてくれ」
斎藤の言葉を突っぱねるが、折角来たのに、と何か飲めと進められいつになく絡まれ、苛立っていると…芹沢から、斎藤がせっかく勧めているんだから飲んでやれ、と言われ、井吹は、渋々注がれた茶を義理として飲んだ。
「…ん…っ!?」
すると、不意に視界が揺らぎはじめ…不意に瞼が重くなりーー…
「…何だ…!?おかしいな…」
周囲の音が頭の中で反響する。
まずい、茶に薬を入れられた…と気が付き、最後に目に力を込めて見たのが、なまえの切なそうな表情で…完全に、井吹の意識は闇の中に落ち込んでいった。
ーーー
「ん、う…」
あれから、どのくらいの時間がたったのだろうか…。
井吹は、頭を締め付けられるような痛みをこらえ、畳に手をついて身を起こす。
なんでこんな所に…?と呟いた矢先、先程の出来事を思いだし、辺りを見回すが、座敷に人の姿は無く…
「くそっ、迂闊だった…!」
井吹は、ひどく痛む頭を抱えながら吐き気を堪え立ち上がり、座敷を飛び出し息を切らせながら、屯所への道を走る井吹の前に、見覚えのある二つの影が姿を見せる。
「どうあっても、俺を屯所に帰さねえつもりか、斎藤。」
永倉と斎藤の間には、まるで仇敵同士のような緊張感が立ち込めていた。
土方の命令なら、どんな事にでも従って、自分の目で耳で判断して正しいか間違っているかを決める気はないのか、と永倉が問えば、斎藤はそれが己の決めた道だ、と返した。
「そうかい…」
永倉は、腰の刀を引き抜き、その切っ先を斎藤へと向ける。
「お前を倒して、屯所に戻るしかねえみてえだな!」
すると斎藤も、刀に手を掛け…
刀と刀がぶつかり合う音が闇の中で幾度となくこだまする。
井吹は、やはり何か大変な事が起こっていると察し、二人に背を向け走り出した。
ーー…
…ギィィンー…!
…ガキィィンーっ!
今宵は、紅い月が泣く深い夜、
男達は、芹沢の部屋から刀の鳴く音を奏でる。
「みょうじさん…!」
今まで優しい瞳で包む印象しか無かったお梅の目は、愛しい男を護りたいという信念を灯し、刀を握るなまえに縋る。
なまえは、今だけ優しい雰囲気を纏い、己に縋るお梅の顎をくっ…と指で持ち上げ、彼女の耳元に唇を寄せ、彼女にしか聞こえない声で「最期まで芹沢さんの傍に居てくれて、有難う、」と囁き、瞬時に目の色を換えた。
「…あんた、うっとーしい、」
自分に感謝の気持ちを表すなまえに、涙をツッ…と流すお梅になまえは、女の涙は武器?本当にウンザリだとでも言いたげに、お梅を壁に叩きつけるように払い退け、冷たい視線で見下し、チャキッ…と、お梅に刀向け構えた。
小さな悲鳴をあげるお梅を庇うように、芹沢はなまえをギリ…っと睨みあげる。
「芹沢さんっーー…!」
屯所にたどりつき、部屋に飛び込むや否や、井吹は芹沢の名を叫んだ瞬間、皆が一瞬、井吹を振り向くと芹沢は、己が持つ変若水を飲んだ。
「…龍!何で此処に…!」
刀の切っ先を芹沢に向けた なまえが、激しく井吹を叱責した直後、外はさらに雨は滝のように激しく降り、雷が鳴り始めるー…。
空が、夜が、
怒る、興る、泣く、亡く、
鉄扇に蜷局を幕、大蛇の自尊心
(真は、誠は)(一つで良い)
ーーーー
鋭牙に含む酒を滴らせる大蛇は、
最期に己の自尊心を全て賭け
狼を鬼へと孵るのか、
門の前に佇み、今日、かけられたばかりの表札に刻まれている【松平肥後守御預新選組宿】の文字を一句一句、 なまえ自身の心にも刻んでいく。
「よっぽど嬉しいんだな。
近藤さん達と作り上げた新選組を評価して貰ったんだもんな。」
なまえの佇む姿を見つけ、駆け寄ってきた井吹は語りかけた。
「…やっと此処まで来た、
これからが、歴史の始まり、」
なまえの表情は、感激や喜びというものとは無縁に見え、低い声で呟く。
ー…ザァァッ…と、一斬の風が吹きなまえの味方をするように歓迎する。
「ようこそ、黎明から歴史の基へ」
大地が、そう囁いてるようにも聞こえた。
もしかすると…
今から百何十年後も、彼ら新選組は語り継がれ、日本の歴史に深く彫刻み込まれるのかもしれない…。
井吹はそんな風に感じながら、柔らかい表情をしなまえの肩に自らの頭をコツンー…と寄せた。
「…俺も、そろそろ歩き始めなきゃな…。」
そう、井吹は新選組では無く…部外者でしかない。
以前、なまえに叩きつけられた言葉を心臓で握り締めながら …深く、深く鼓動に乗せた。
無言で頭を撫でてくれる、なまえの温かさに縋って仕舞いながらー…。
ーーー
その日の夜遅くーー
井戸場からパチャパチャと水音が聞こえた。
「龍、おら顔寄こせ、」
「痛っ…っ!!
なまえ…もうちょい優しく…!」
なまえは深い溜息をつきながら、井吹の腫れ上がったら顔に井戸水で冷やした布を当て、熱を冷ましてやる。
…近頃の芹沢は、本当にどうかしたとしか思えない程に、おかしかった。
朝から晩まで、酒を呑んでない時が無いくらいで、些細な理由をつけては平間を気絶するまで殴りつける。
止めに入った井吹となまえだが…
芹沢の鉄扇を避けれずめちゃくちゃに殴られた井吹は今の現状に至る。
なまえが芹沢を手刀で気絶させてくれなければ…今頃、殺されていたかもしれない。
「前から感じてたが…芹沢さん、どうにかなっちまったかのようにおかしいんだ…。」
井吹が悲しい表情でなまえへ吐くと、なまえは難しそうな、困惑したような表情で返した。
もしかしたら、なまえは何かを知っている?
井吹は、思い切り「…なまえ、あんた…芹沢さんの何か知ってるんじゃないか?」と問いただした同じ瞬間ー…。
近くから何か音がするのが聞こえ、なまえと井吹は音の正体を探りに出ると、辺りを注意深く見ながら歩く新見を見つけた。
「なんだ…?」
井吹が呟くと、なまえは己の唇に人差し指を当て、静かにと井吹に合図を送り、様子が尋常ではない新見を物陰に隠れて見張り、井吹に先に部屋で休んでいるよう指示し、後を追いかけた。
ー…
(…柄の悪い連中と、変若水関係の取引、ってとこか…、)
気配を完璧に断ち尾行を続けると、柄の悪い浪士達との会合場面に出くわした。
このまま彼らを殺すのは簡単であったが、自己判断は避け、まずは直ちに上に報告してから指示を煽る事にし、 なまえはその場を去ったのだった。
ーーー
夜も明けようとする朝方、なまえは近藤、土方に昨晩の新見の事を報告した。
「なまえ…わるいんだが…監察方と共に、新見さんの足取りを探ってくれねえか。」
報告を受けた土方が、眉間に皺を寄せながらなまえに頼むと、なまえは静かに頷く。
「お前にばかり、負担をかけて、すまんな…」
近藤が、なまえに申し訳なさそうに頼むと、「構わねーよ?俺は、貴男の為に居るんだから、」 と直ちに監察方と共に仕事をしに部屋を出た。
「…なまえ…。」
ストンと襖が閉まる音がした後、近藤の複雑そうな声が洩れるのであった。
「みょうじさん…!
やはり、何処にも姿がありません…!」
捜査しやすくなる時間を見計らい、なまえは監察方に新見の足取りを捜すようにと指示を出した。
新見は昨晩を最後に、屯所から忽然と姿を消して仕舞ったのだった。
最悪なタイミングである。
「室内を改めさせて貰ったのですが…新見さんは変若水や、それに関する資料を持って出ていった様です…。」
屯所に来る予定だった綱道との連絡も何故か取れなくなり、放っておけないと呟く山崎。
「屯所にいねーって事は、外か…?
何かの手がかりくれーは残ってるかも…行ってくる。」
なまえがぐっ…とした視線を放つと、お供させてください!と山崎は付き、駆けだした。
あちこち走り回り、道行く人々に新見に関する情報を求めつづけるがー…新見も、綱道の足取りさえも掴めないままであった。
新見が行方をくらまし、京の市中でとある変化が訪れる。
それは、毎日のように辻斬りが起こり、あちこちで無惨な状態の変死体が発見されるようになったことであったー…。
「俺が最後に見た会合が決定的だし…
新見さんの仕業で当たりって監察方はつけてる、」
なまえの報告を顔色を変えずに聞いていた土方は頷き、大方、変若水や羅刹の力を利用して、どこぞの組織に取り入ろうって話だろう…と零した。
特に長州藩なんかは、八月十八日の戦でずいぶん権勢を失ったようで、変若水に頼りたがる者が居てもおかしくないとのことー…。
「しかし、お前が獲物をそのまま見逃して帰ってくるなんて、初めてじゃねえか。」と頭をこつんと叩かれ、何かお前を冷静にさせた物事でもあるのか?と土方に問われれば、ふと頭に芹沢を思い浮かべ「…わり、」となまえは謝った。
「責めてるんじゃねえよ、誉めてんだ。」
少しは冷静な対応が出来るくらい大人になったな、と微笑みながらなまえの頭を撫でてくる土方を見ると、なまえは少し頬を赤く染め、「あんたが誉めるとか、きもちわり…」と黙って撫でられ、顔をぷいっと背けた。
土方は、ふっと鼻で笑うと、先程の話を戻し、市中で死体が出てる現状は、新見がまだ京を出ていない証だ、引き続き足取りを追ってくれ、と指示を出した。
「…あいよ、」
こうして監察方は総力を挙げ、新見の捜索を行うことになった。
ーーー
その晩、とうとう新選組屯所に、決定的な情報がもたらされた。
「たった今、市中で監察方に回ってくれているみょうじさんより、新見さんと思しき人物を祇園新地で発見したとの知らせが入りました!」
場所は、料亭【山緒】。田中伊織という偽名を使い、現在も潜伏している、と山崎の報告を受け、土方は即座に立ち上がり告げた。
「総司、斎藤、原田。…行けるな?」
静かな視線を受けた面々は、それぞれに頷きを返した。
「随分、豪華な面子で行くんですね」とからかうような言い草の沖田に、土方はやや憮然としたような眼差しを返し、「当然だ。向こうで待機してるなまえも居りゃ、文句無え面子だろ。何せ、事が事だからな…」
一応、新見も新選組の元局長であり、現副長。
幹部隊士以外が捕縛に乗り出すのも、通りがおかしい話だろう。
「…取り逃がせば次は無いだろう。」
斎藤が力を込めれば、土方は俺の考えた最善の策だ。と答え、料亭の案内役として山崎と共に、屯所を出発したのだったー…。
「…来たな?」
料亭に到着した土方達は、先程から待機していたなまえと合流し、料亭に入る。
「俺と山崎は、此処で待機する」
新見が逃げ出した時、すぐ仕留められるように辺りを固めておくのも重要な役割で、それを原田と山崎が行う事にした。
暫くして…
料亭の一室から、不意に激しい戦いの物音が聞こえてきた。
「俺らの役割を、きちんと果たそうぜ?」
己の得物を握りしめる手が震えさせ、今にも料亭に飛び込もうとしている山崎の肩をぽんと叩き、原田は山崎を落ち着かせる。
…大丈夫、此方にはアイツが…なまえがいる…ーー
原田がニッ…と笑いながら彼の名前を出すと、山崎の震えは収まり、静かに頷いた。
(命を駆ける場所で、あの人達と共に戦えたらー…)
監察方という立場を理解してる反面、これから先もそんな気持ちを常に抱いていくことになるんだろうと噛みしめる山崎であった。
…ギイィンー…!
一方、刀のやりとりが続く室内では多くの羅刹化した者と、羅刹化した新見との戦いが、未だ繰り広げられており…。
「死んでからも、冥獄で這い蹲りながら一生を償いな、」
頬から流れた己の血を舐め理性を失った新見が、他の羅刹の死体を啜り始め、更に血を求め凶暴化し暴れ狂う一瞬の隙を読み、なまえが首を斬り落とした。
後に、待機していた山崎と原田を部屋に呼び込むと、新見一人殺したところで、京でゴミのように殺された連中は戻ってこない、己がもっと早く気が付いていれば…と、土方は己を悔い始め、全身に青い炎を纏うように静かな怒りを漲らせていた。
「俺の判断の遅れが、ここまでの事態を招いちまった…。」
どんなに悔やんでも消すことのできない、俺の罪だと呟く土方に、なまえも己の心を痛めたのだったー…。
「俺が、あんとき新見さんを殺しちまえば良かったんだよ、
…あんたは別に悪くねーよ、」
なまえが投げかけると、土方は鋭い眼差しで睨み、「そういう問題じゃねえんだよ!」と怒声を浴びさせた。
全身返り血塗れで、憤怒に顔をゆがめる姿は【修羅】とでも形容するのが似つかわしいほどであり、此処にいる誰か、何かに怒りをぶつけるというよりは、こんな事になるまで新見を放っておいた自分への怒りを抑えられずにいるようだった。
その後、土方達が屯所に戻った後、なまえと原田と山崎は事態の収拾に明け暮れる。
元局長という立場にいた新見が殺され、綱道の行方も解らなくなりーー
新選組は、これからどうなってしまうのか…
今日みたいに、たくさんの人の血が流されるところを目にすることになるのだろうか。
ーー…
秋も少しずつ深まり始めた九月十三日のこと。
井吹が部屋に戻ろうとしたところで、意外な人物を目にする。
「井吹…もう寝るところか?」
彼…土方の姿を目にした瞬間、井吹の心臓は激しく跳ね上がった。
もしかして、最後通告を突きつけにきたのか?と勘ぐり、緊張しきった顔をしてしまう井吹に、土方は平然とした調子で、芹沢は居るか、と言い放つ。
「芹沢さんは…さっき寝たばっかりだから、今起こしたらまた癇癪を起こすと思う。」
用事なら俺が聞くから、と井吹が放てば、土方は井吹を無言のまま睨みつけ溜息をつく。
井吹は少し怯みながらも、今はとにかく土方を芹沢の所へ行かせてはいけないと思い、退かなかった。
「…芹沢さんに伝えておいてくれ。
新見さんが、切腹したってな。」
土方の言葉を聞いた瞬間、井吹は驚きのあまり、周りの音が一瞬聞こえなくなった。
(新見さんが…切腹しただって…?)
土方がそのことを芹沢に伝えに来たってことは、つまりーー
居ても立ってもいられなかった井吹は、芹沢の部屋へと急いだ。
その途中、泣きながら芹沢の部屋から飛び出してきたお梅とぶつかる。
芹沢に何かされたのか?と心配する井吹に首を横に振り、失礼しますとそのまま駆け出して行った。
井吹は、不思議に思いながらも芹沢の部屋へと急ぐのだった。
「芹沢さん!話があるんだが…
っ…なまえ…!?」
部屋に飛び込むや否や叫ぶと、井吹の目の前にはまたしても意外な人物を目の当たりにした。
「…龍…、」
なまえの何処か冷たい眼差しで囁かれれば、敵を睨むように「何で此処に居るんだ」と言い放ってしまった。
(今は、あんた達に芹沢さんを会わせたくはなかった…!)
「何だ、騒々しいぞ。」
寄ってたかって何だ貴様らは、後にしろ、と芹沢の口調はいつもより不機嫌だった。
「お梅さんと何かあったのか?
なまえは何で此処に…?」
井吹が芹沢に問うと、芹沢は酒を煽りながら「あの女は、細かいことをいちいちうるさいのでな、もうここには来るなと言っただけだ」と突き返した。
「…へー、あんたにしては優しいじゃん、己を蝕む痛みより、女を取る、か」
なまえがふっと鼻で笑い意味深な言葉を放てば、芹沢のこめかみに青筋が浮かび、鋭い眼差しでこれ以上は、余計な事言うなと言うように、なまえを睨む。
井吹は、今のやりとりを疑問に思いながらお梅を庇うような発言を放てば、芹沢からは「貴様には何の関わりもないことだ」と返されてしまった。
話はそれだけか?と聞かれれば、井吹は否定し、呼吸を落ち着かせてから、先程の土方からの伝言ーー新見が切腹をしたとの報告をした。
「…ふっ、
先程…この小童に聞いた。
しかし、新見が殺されたか…」
芹沢は、平静な表情のまま顎でなまえをくいっと指し、次は自分の番だという事を何にも抵抗なく受け入れているような声音で放つのだった。
「…それとも、あんたが病気だって説明して命乞いでもするか?」
なまえが零した言葉に、井吹は驚いた表情をし、そうなのか!?と縋りつくように叫ぶ。
「貴様…、余計な事を…。
そんなに殺されたいか…!」
芹沢は、弱々しい体でなまえを掴むと、逆に煽るように「…お好きにどうぞ」と笑うだけだった。
井吹は、最近の芹沢の異常な行動を思いだし…先程のなまえの煽りを聞くと色々と情報が頭の中で繋がり、真実を確信し、弱々しい芹沢の腕を掴み力を込めながら「あの人達に説明してくれ!」と叫び、新見のように殺されてしまうと叫び、芹沢に縋った。
土方達も鬼ではないだろう、病気だって言えば、新選組を抜けさせてくれるはずだー…!
「奴らは鬼ではない、だと?
…馬鹿な事を言うな。
あいつらには、鬼になってもらはなければ困るのだ。
俺が、そう仕向けたのだからな」
井吹に言っているはずの言葉を放ちながら、芹沢は鋭い眼差しで隣にいるなまえを真っ直ぐと射抜くように語り叩いた。
「…やっぱり、あんたってそーいう人だった、
…命乞いする男なら、新見さんついでに殺してあげようと思ったのに、」
なんだ、わざわざ確認しに来た俺って馬鹿だな、なんて己に呆れてるなまえに芹沢はフンと鼻で笑っているだけで、井吹は今まで生きてきて、はじめて味わう無力感に包まれた。
この男は…何を言ってるんだ。
初めてなまえを憎く思い、「昔話は本当なんだな…あんたは、産まれた頃から汚い鬼なんだって事…!」と軽蔑した目でなまえを睨みつけた。
「そりゃ、どーも」
なまえは井吹の軽蔑を冷たい目で見下し、そのまま部屋を去ろうとする。
「…みょうじ!」
芹沢は、部屋中に響く声で背を向けるなまえを呼び止めれば、その背はピタッと止まった。
「…貴様も、まだ鬼には程遠いなー…」
貴様は人に甘すぎて反吐が出る、と芹沢の言葉に井吹は不思議な表情をすると、なまえは顔だけを芹沢に向け、ふわっと優しい表情を向けると何も言わずに今度こそ部屋を去った。
翌日の夕方ー…。
近藤が芹沢の部屋を訪ねて来て、此処ではできない重要な話があると申し、島原で話し合いが行われた。
「俺は、今後も芹沢さんと共に新選組を守り立てていきたいと思っております。」
今後は新選組の事を第一に考えてくれ、と頼む近藤に、芹沢は「二人でだと!?」と目を見張りながら言った後、面白い冗談だと笑い始めた。
「二つもあると、見た目が複雑でいかん。
【真】は、一つでいいのだ」
芹沢が放つと、近藤の瞳は絶望と悔しげな光が宿り、それは今後は、芹沢一人が局長を務めるとの事ですか?百姓上がりの俺とは共にやっていけないという事ですか?と叩きつけるように問えば、芹沢は「つまらん話だ…帰る 」と放ち、席を立ってしまった。
置き去りになった近藤は、「…っ!」と悔しそうに畳を己の拳で殴りつけうなだれるしか出来なかったー…。
「……。」
黙って二人の後をついてきたなまえは、話し合いが行われていた部屋には入らず、扉の外の横にしゃがみこみ、二人の話を聞いていた。
黙っていても、今宵も月は悪戯に微笑み、夜道を照らしていた。
ーーー
そして、九月十六日。
朝から雨が降り続くその日…
しとしとと陰気な音を立てていた。
「犬、これから島原に出かけるらしいぞ。付き合え」
何でも、近藤や土方、沖田や斎藤が歓待してくれるらしいと芹沢が放つ言葉に、井吹は違和感と胸騒ぎを覚え、さっさとしろと芹沢に言われ、井吹は、支度をし付いていく。
ーー…
「芹沢局長、お一つどうぞ。」
程なくし島原の座敷に通され、芹沢は、山南から酌をうける。
近藤達が連れてきたのは、沖田、斎藤、永倉、なまえ。
いつも永倉と一緒に行動している、原田や平助が来ていない事に不思議に思う井吹だった。
「どういう風の吹き回しだ?」と芹沢は答えれば、土方は愛想良く「いつまでもいがみ合ったまま…なんて良くねえだろ?」なんて答えて芹沢を、もてなしていた。
「あなたにも、変わっていただけなければ…!どうか、聞き届けてください!」
近藤は、悲壮な表情で芹沢の説得を続けるが…なまえは近藤の肩を掴み、ふるふると首を横に振ると、土方と沖田は近藤に、堅苦しい話は辞めようと遮った。
井吹は、この緊張感を察し、芹沢から目を離すまいと意気込んでいると、斎藤から「料理に手をつけないのか」と声をかけられた。
「…食欲がないんだ。放っておいてくれ」
斎藤の言葉を突っぱねるが、折角来たのに、と何か飲めと進められいつになく絡まれ、苛立っていると…芹沢から、斎藤がせっかく勧めているんだから飲んでやれ、と言われ、井吹は、渋々注がれた茶を義理として飲んだ。
「…ん…っ!?」
すると、不意に視界が揺らぎはじめ…不意に瞼が重くなりーー…
「…何だ…!?おかしいな…」
周囲の音が頭の中で反響する。
まずい、茶に薬を入れられた…と気が付き、最後に目に力を込めて見たのが、なまえの切なそうな表情で…完全に、井吹の意識は闇の中に落ち込んでいった。
ーーー
「ん、う…」
あれから、どのくらいの時間がたったのだろうか…。
井吹は、頭を締め付けられるような痛みをこらえ、畳に手をついて身を起こす。
なんでこんな所に…?と呟いた矢先、先程の出来事を思いだし、辺りを見回すが、座敷に人の姿は無く…
「くそっ、迂闊だった…!」
井吹は、ひどく痛む頭を抱えながら吐き気を堪え立ち上がり、座敷を飛び出し息を切らせながら、屯所への道を走る井吹の前に、見覚えのある二つの影が姿を見せる。
「どうあっても、俺を屯所に帰さねえつもりか、斎藤。」
永倉と斎藤の間には、まるで仇敵同士のような緊張感が立ち込めていた。
土方の命令なら、どんな事にでも従って、自分の目で耳で判断して正しいか間違っているかを決める気はないのか、と永倉が問えば、斎藤はそれが己の決めた道だ、と返した。
「そうかい…」
永倉は、腰の刀を引き抜き、その切っ先を斎藤へと向ける。
「お前を倒して、屯所に戻るしかねえみてえだな!」
すると斎藤も、刀に手を掛け…
刀と刀がぶつかり合う音が闇の中で幾度となくこだまする。
井吹は、やはり何か大変な事が起こっていると察し、二人に背を向け走り出した。
ーー…
…ギィィンー…!
…ガキィィンーっ!
今宵は、紅い月が泣く深い夜、
男達は、芹沢の部屋から刀の鳴く音を奏でる。
「みょうじさん…!」
今まで優しい瞳で包む印象しか無かったお梅の目は、愛しい男を護りたいという信念を灯し、刀を握るなまえに縋る。
なまえは、今だけ優しい雰囲気を纏い、己に縋るお梅の顎をくっ…と指で持ち上げ、彼女の耳元に唇を寄せ、彼女にしか聞こえない声で「最期まで芹沢さんの傍に居てくれて、有難う、」と囁き、瞬時に目の色を換えた。
「…あんた、うっとーしい、」
自分に感謝の気持ちを表すなまえに、涙をツッ…と流すお梅になまえは、女の涙は武器?本当にウンザリだとでも言いたげに、お梅を壁に叩きつけるように払い退け、冷たい視線で見下し、チャキッ…と、お梅に刀向け構えた。
小さな悲鳴をあげるお梅を庇うように、芹沢はなまえをギリ…っと睨みあげる。
「芹沢さんっーー…!」
屯所にたどりつき、部屋に飛び込むや否や、井吹は芹沢の名を叫んだ瞬間、皆が一瞬、井吹を振り向くと芹沢は、己が持つ変若水を飲んだ。
「…龍!何で此処に…!」
刀の切っ先を芹沢に向けた なまえが、激しく井吹を叱責した直後、外はさらに雨は滝のように激しく降り、雷が鳴り始めるー…。
空が、夜が、
怒る、興る、泣く、亡く、
鉄扇に蜷局を幕、大蛇の自尊心
(真は、誠は)(一つで良い)
ーーーー
鋭牙に含む酒を滴らせる大蛇は、
最期に己の自尊心を全て賭け
狼を鬼へと孵るのか、