風車と鈴の音、舞妓の演舞
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沖田のあの事件が起こってから数日後の、四月一日。
今日も、近藤や土方達は前川邸に集まり、浪士組の今後について芹沢と新見と話し合っていた。
話の内容は主に、浪士組の資金難を解消する方法についてなのだが…。
「会津から協力を取り付けはしたが…給金の話は、その後どうなっているのだ、土方」
芹沢がふてぶてしい態度で土方に投げると、土方は顔をしかめながら苦い声音で答えた。
「会津藩の公用方に、必要な金をその都度、請求しちゃいるんだが…こっちの要求は、ほとんど通らねぇ」
といった感じで、やはり会津藩がついたとて資金難は変わらない。
其処で芹沢の案として、大阪まで資金調達に参るという話になり、
今までの事があったため、土方、近藤も一緒について行くと名乗り出た。
勝手にしろ、と突っ返した芹沢は、井吹にも付いてこいと命令し、井吹も渋々同行することになった。
「此方の同行者を誰にするかは、また後ほど報告します。」
近藤がそう伝え、話は終わったのだ。
ーー…
翌日の早朝、芹沢達と共に、大阪行きの船に乗る。
同行者は、芹沢、新見。
近藤側の同行者は、土方、永倉、 なまえ、そして沖田。
何でよりによって此の人選なのか…井吹は、さっぱり理解が出来なかった。
殿内の件からまだ十日もたってないし、島原の件も、 まだ新しい方だしー…。
当然、近藤や土方や沖田、芹沢と沖田、近藤達や芹沢、芹沢となまえの間には、それぞれの形としたわだかまりがあるわけで…
お陰で井吹は、船に乗ってる間中、針のむしろに座らされているような錯覚を起こすのだった。
その日の夕方、ようやく大阪へとたどり着く。
「はあ~…ようやく着いたか。」
なんて、背を大きく伸ばす永倉は、もう舟には乗りたくねえなと漏らす。
「…んしょ、」
永倉の後に、ひょいっと降りてきたなまえは、先程まで舟の中で、ウトウトしていた様。
眠いのだろう、目を擦って欠伸を一つ。
井吹は永倉に、船酔いしてたようには見えなかったが、苦手なのかと聞き返すと、苦手ってわけじゃねえけど…と永倉は返し、後ろを歩いてる、自分達以外の者をちらりと見やる。
なるほど…と、納得する井吹。
(同行している俺達としては、気まずいことこのうえなかった。)
なんて思ってると、まだまだぽわーん…としてるなまえが、ふいと呟いた。
「…むー、気まずい。」
いやいや、あんたが言うなよ!
しかも、言ってる言葉と態度が合ってないけど!?
なんて心の中で突っ込んだ井吹だが、井吹は気になってなまえに質問する。
「…あのさ、なまえは…もう平気なのか?」
「ん、へーき。」
さらっと答えるなまえに、永倉もあんぐりしてる。
但し、島原の…俺だけの件はね、って なまえの形の綺麗な唇から漏れる。
「だって、治った。」
ぺらっと自分の前髪をあげて、傷口があったところを見せびらかす。
あんなに深く、パックリいったものの、傷跡が残らない事を不思議に思ったが、何も言わなかった2人。
「 なまえちゃん…!」
自分の事は、もう既に気にしてない なまえに対し、うるうると目を濡らす永倉は、なまえに思い切り抱きついた。
「…むがっ、」
あー、なまえちゃんそういうとこ好きだ、なんて言いながら抱きしめられるなまえは、苦しくて仕方ないので、べちべちと永倉の背中を叩く。
同じ頃、土方が芹沢に、資金調達の方法を聞いていた。
程なくして、近くを調べ回ってた新見が戻って来る。
「平野屋という両替商が妙に金回りが良い」という情報を手に入れて。
そうして、平野屋という商屋に出向くのであった。
ーーー…
「芹沢局長!一体、どういうおつもりですか!」
表情を険しくしながら、一連の出来事を見守っていた近藤は、芹沢に食ってかかり、商屋を脅して金を巻き上げるなど、京で惜し借りを働く不逞浪士と変わりないと主張する。
しかし、芹沢は平然と言説を延べ、黙って聞いていた土方は、人様の商売を邪魔して金巻きあげて、よくそこまで屁理屈をこねられるもんだ、と吐き捨てる。
2人の間に険悪な雰囲気が流れ、やれやれ、といった調子で新見が口を挟み、「芹沢先生は、自ら憎まれ役になってでも、こうして資金集めてらっしゃるというのに…」と芹沢の肩を持ち、土方を黙らせた。
(ちっ、)
なまえは、心の中で舌打ちをし顔を歪ませていたのを、芹沢は見ていて、言葉にする。
「なんだ、 みょうじ。
…何か言いたそうだな。」
空気が凍り、なまえの出方を見ようとする皆に対し、本人は平然と、さらっと答えてしまう。
「…あんたの言うことも、わかんねーわけじゃねーよ。
だけど、さっきのはやり過ぎ。」
頭の良いあんたなら、解ってんだろーけど、なんて続ける。
芹沢の心の奥の奥のほうを触れるように言うなまえに対し、芹沢は笑みを浮かべた。
「言うことを聞かぬ者には、つい手が滑りがちでな」
そう言いながら、手に持っていた鉄扇を、なまえの右瞼へと柔らかく滑らせる。
鉄扇の先端は、ツツ…ッ…となまえの前髪をどかすと、白い肌に、金色がくっきりと見事に映えた。
「躾と同じで、言葉を尽くして説明するより、殴る方が手っ取り早いこともある。」
以前、なまえに付けた、既に消えている傷の形を、忘れてないと言いた気に撫でる。
皆は、僅かな殺意を放ち、 なまえにまた何かするようなら…とギリッと芹沢を睨むが、
「…あいよ、そりゃどーも。」
なまえは、ただただ黙って撫でられ平然と返すと、やがて芹沢は声音に真剣味を込めながら続ける。
「物事を理解させるには、骨の髄まで思い知らせる、ということが重要なのだ。
綺麗事ばかりで世の中は回っておらん。
特に、これから浪士組が為そうとするなら…清濁併せ呑むというのも必要なのだ。」
そう言いながら芹沢は、土方と近藤を横目で見やった。
(…この扇、冷てー)
二人とも、悔しそうに唇を噛んで俯いていた。
ひやり、と少し心地よい感覚を感じながら、芹沢の暴論の中の真実を拾いつつ、彼の言葉を受け取る
なまえであった。
さて、京に戻ることにしますか、という新見の声がけで、芹沢も納得し、そのまま背を向けて、歩いて行ってしまうが、近藤と土方は、暫くその場にうなだれ立ち竦んでいた。
大阪から帰ってきて数日後、井吹は山南に頼まれて、墨屋へ出かける事になった。
(なんっで、俺がっ…)
むくれながら京の街へ降り立つと、丁度よく巡査し終えていたなまえの班に出会う。
「あ、なまえ!」
すぐさま井吹は、なまえの元へ駆けだし、彼を呼び止めた。
(…あれ?)
ふと、なまえの着物に刺さって、カラカラ…と回る、色鮮やかな風車に目を奪われる。
普段、彼が持っている事は無いので、何処かで買ったのだろう。
風に靡いて回る姿は、どこか舞妓を連想させた。
「…んあ、龍?」
一人でどーしたの、って言いながら、なまえは、井吹の頭をぽんぽんっ、と撫でる。
恐らく彼の癖であろう、このスキンシップは何故か嫌だとは思わなく、寧ろ心地よいと思ってる井吹。
風車から目を外し、なまえの瞳に視線を落として答えた。
「…いやさー、山南さんから墨を買ってくる様に頼まれちまって…」
苦笑いで零す井吹に、なまえはふーん、と返し、ちょっと待ってろ、と一言言って己の率いる隊士達に声を掛けた。
「今日も、皆ありがと
ゆっくり休んでなー」なまえは、隊士達に労りの言葉を掛け、先に屯所に戻っていてほしいと頼む。
「はい!みょうじさんも、お疲れさまでした!
我々を先に戻すようにとの事ですが、何処か用事があるのですか?
良ければ、我々もご一緒致しますが…?」
なまえ一人残して帰るのが心苦しいのだろうか…隊士達は、付き添うと申し出た。
「んーん、龍の用心棒するだけだから、へーき。」
にー、と歯を出して言うなまえに、隊士達はわざわざなまえじゃなくても自分達が…というが、なまえは明日も仕事あるからと隊士達の背中を押す。
「気ーつけてなー」
なまえはふりふりと手を振り隊士達を見送ると、隊士達は「俺らもあるって事は、自分も明日仕事あるでしょうに」と苦笑いしてなまえに敬礼する。
「あーなったら、ほんと聞かないんだから。」
そんな苦笑いを零しながら、なまえの班の隊士達は呟く。
しかし、そんななまえが憧れで仕方ないのだ。
皆、この班でいて良かったと心の底から感じているのである。
そのやりとりを見てた井吹も、肌で感じる事ができ、改めて隊士達の、なまえに寄せる信頼が強く深い物だと気が付かせられた。
「…っし、行くべ」
そんな事を考えてた井吹を余所目に、なまえはすたすたと墨屋へ向かう。
「なっ、ちょっ…待ってくれよ!
つきあわせちまって良いのか!?」
はっと我に返った井吹は、なまえの背中を追いかけた。
市中は相変わらず、緊迫感が張りつめ、不穏な空気に包まれ、いつどこで不逞浪士に襲われるかわからない様子だったが、井吹はなまえが一緒だった為、安心しながら街を歩けた。
「…お、あれか?」
なまえが、それらしい店を見つけた。
なまえは、店の前で立ち止まり、此処で待ってるから行ってこいと井吹を促した。
井吹は早めに済ますと言って、暖簾をくぐったのだが…。
眼鏡をかけた店主は、入ってきた井吹の風体を目にして、露骨に顔をしかめる。
そして挨拶すらせず、手にした本へと視線を落とした…。
(おいおい、随分な対応だな)
井吹は、横柄な店主につかみかかりたくなる衝動を抑え、声をかける。
「墨を買いにきたんだが…どんなのがあるのか、見せてくれないか?」
「ありませんなぁ」
店主は、そっけなく言い放ち、尚且つお引き取り願うとまで言い始めた。
「なっ…?!」
それにはさすがの井吹も、食ってかかるように言い返す。
ーー…
(…まだか、)
店の外で待っていたなまえは、先程から街の人の視線がギチギチに痛く、ひそひそと陰口を叩かれてる中、先程見回り中に、つい買ってしまった風車をカラカラ…と遊びながら待っていた。
風車でカラカラ…と遊んでいるなまえを、遠くから子供がじーっと見ているのになまえは気が付いた。
(勇坊より、ちっこい…)
つい、おいでおいで、と子供を呼んだなまえに、その子供は、ぱあっと表情を明るくして近付いた。
「おにーちゃん、これ、きれーだねぇ!」
なまえが持っている風車をみて、きゃっきゃっ!と喜ぶ子供になまえは、「ふー、って吹いてみ?」と言いながら、子供に風車を手渡した。
なまえから言われた通りに、子供が風車に息を吹きかけると、色鮮やかな風車は、カラカラ…と輝くように風に舞うように回った。
「わぁぁー!きれー!」
子供が物凄く明るい顔で笑うから、なまえも柔らかい表情で、ふわっと笑う。
「…これ、やっから、大事にする?」
なまえはほろっと零すと、とびっきりの眩しい笑顔で「うんっ!大事にする!」と返ってきた。
「…イイコ、はなまるー、」
ぽんぽんっ、と子供の頭を撫でると、子供はがっしりと風車を握りしめ、物凄く嬉しそうにえへへーっと甘えてきた。
「…いやぁっ!千代!」
その子供の母親だろう、一目散に走り駆け出し、なまえから千代を奪い、忌々しそうになまえをギリッと睨んだ。
(…あー、うんざり)
またこの視線か…となまえは思う。
母親は、嫌だ嫌だとぐずる千代を抱き抱え「なにをしてるの!帰るわよ!」と叫びながら、すぐさまなまえから離れる。
「おにーちゃんっ!!おにーちゃん!大事にするからぁっ…!!」
もっとなまえと一緒にいたい、もっとなまえと遊びたいと泣きじゃくる千代は、風車をしっかりと握りしめ、なまえの姿が見えなくなるまで泣き叫びながら、お礼も言う。
(かわい…)
それだけで、心が暖かくなったなまえには、充分だった。
「…あの御方は…」
丁度よくその光景を見ていた街娘は、なまえに、あの…と話しかけようとしたが、墨屋から少し揉めてるような声がしたので、気になって入ってみた。
「いや、だからーー…!」
井吹が、店主に言おうとした時に、後ろで木戸が開き、他の客が店へと入ってくる。
「すんまへん、硯いくつか見せてもらえますやろか」
花街言葉を使う娘が、店主に話しかけ、井吹の顔を目にした瞬間、露骨に眉をひそめた。
どうやらこの娘は、井吹の事を知っているようで、井吹は戸惑い、不思議そうな顔をする。
娘は、店主へと歩み寄りこう囁く。
「…旦那はんも、浪士組の隊士はん方には、気ぃ付けなはれ」
この人たち乱暴者ですよ、と店主に伝えると、店主は態度を変え、井吹に墨を売るのだった。
内心、毒づきながら井吹は、さっさと用事を済ませて店を出る事にした。
娘は、外が気になるのか…不機嫌な表情は壊さないまま、ちらちらと覗いていたようだが…。
買い物を済ませて店を出た後も、不快感は消えなかった。
なまえに、どーした?と聞かれても思い出すのも腹正しく、なんでもない、と言い突っ張る井吹を見て、不思議そうな顔をするなまえだったが、これ以上は何も聞かず、付き添ってくれた。
井吹が用事を済ませる頃には、すっかり日も落ち、夕方になっていた。
「なまえ、付き合わせて悪かったな。」
途中、不機嫌になってしまい悪かったという意味も込め、なまえに話しかける。
「いーって、俺も楽しかった」
なんてなまえは返してくれたから、 少し安心した。
そういえば、先程、着物に刺さってた風車は今は無く、どこにいったんだろうと不意に思った矢先ー…。
「…ん?」
「どうした、なまえ…っあ…!」
なまえが不思議そうな声をあげたから、井吹も不思議そうに道を見やると其処には、先程の街娘がいた。
「あっ…」
なまえには何か言いたげだったが、井吹に気が付いた彼女は、そのまま歩いて行ってしまおうとする。
「おい、ちょっと待てよ」
井吹は、慌ててその娘を呼び止めた。
すると彼女は足をとめ、警戒心を露わにしながら此方を睨みつけてくる。
「…何どすか。」
わけもわからないまま、敵意を向けられるのも気分が良くない、と思った井吹はその娘に尋ねようとした時ー…。
「…あんた、あんときの舞妓…
何処も怪我してねーか、」なまえがふっとその娘に声を掛けた。
井吹は、え…?と表情を堅くした。
「…覚えとっていらっしゃったんですか…あの時は、おおきに…!」
娘は、少し顔を赤く染めなまえを見つめ、お礼をする。
「偉いお侍はんは、お座敷で何したかなんていちいち覚えてへんかと思うとりました。」
そう哀しい表情になり、呟く。
「あっ…!!」
井吹は、やっと思い出した様子で、舞妓の格好じゃなかったから、全然わからなかったとその娘…小鈴に話しかけた。
(それなら、浪士組を嫌ってるのは当たり前か。)
井吹は、先程の態度に納得する。
「何処か、怪我してないか?」
と井吹も訪ねると、小鈴はなまえを見て、「その御方に助けて貰うたから…」と申し訳なさそうに呟き、もう一度お礼を言った。
「治ったから、へーき」
いつもの無表情だが、優しい声で答えたなまえに、小鈴は胸を撫で下ろしてる様だった。
「…しかし、災難だったな。」
井吹は、労うつもりで言ったのだが、小鈴は俯き続けた。
浪士組は、尊壌派の浪士を取り締まる為に、京に来たのではないのか。
京の人間を守りに来た侍が、なぜ弱い人間に酷い事するのかー…
「…っ、」
小鈴から吐き出される言葉が、やはりなまえにとって胸が痛かった。
しかし、そう言われても仕方がない現実に、黙って受け止めるしかなかった。
それ程、芹沢の存在は大きい。
しかし、浪士組全体を悪く言われたように感じ、井吹の口は我知らず…小鈴に反論してしまった。
「京の治安を守るためにわざわざ来てやってるのに、生意気なこと抜かすな!」
「…っ、龍!待て!」
その言葉に、はっとしたなまえは、やめろと言う風に井吹を止めるが…一回出してしまった言葉は、抑えきれなかった。
芹沢が乱暴したのは、お高く止まって偉そうな態度をとっているあんた方が悪い、金さえ貰えれば、誰とでも寝るくせにー…!
そう、小鈴に投げてしまった。
「……っ!」
そう言った瞬間、小鈴となまえは目を見張りそして、その刹那ー…
「ぐっ…!」
少女の手の平が、井吹の頬へ炸裂し…乾いた音がこだまする。
彼女は唇を震わせながら、きつい眼差しで井吹を睨みつけて。
「うちらのこと、何も知らんくせに…!
勝手なことばかり、言わんといてください!」
僅かに涙を含んで言い放ち、やがて、小鈴はそのまま走り去ろうとするが、
「…お嬢さんっ…!」なまえは、小鈴の手をとると、切ない表情で見つめる。
「…っ、はなして…!」
何も悪くないなまえに対し、少し申し訳なさそうに、だけど力強く睨み…黒い瞳と、金と紅は、始めて此処でぶつかり合った。
「何だよ…!本当の事言っただけなのに、どうして殴られなきゃいけないんだ?!」
井吹の態度に、はぁ…とため息をついたなまえは、小鈴にきちんと向き誠心誠意、謝った。
「お嬢さん…、龍も、俺らを庇う為につい出ちまったんだ…許してくれ、」
この通り、謝るから、となまえは続け、それを見た井吹は、胸がグッ…となり、俯くように少しだけ頭を下げる。
だが、小鈴は仏頂面のまま、2人を見下ろしてるだけだった。
本当に悪いと思ってないのに、頭だけ下げられても…と返す。
それを聞いたなまえは、どうして怒ったのか、井吹に説明をしてほしい、と小鈴に頼んだ。
「龍、ちゃんと聞け」
ぐいっと腕を引っ張られ、井吹は、小鈴の目の前に立たされる。
小鈴はしばらくの間、黙り込んでいたが…やがて、静かに口を開く。
京に来てから、朝から晩まで必死に働いていること、三味線や踊りなどの稽古を一度だって休んだことない事…。
血吐く思いで、汗と涙を流してやってきた信念や誇り。
それは自分だけではなく、他の舞妓や芸妓も同じだと、強い眼差しで叩きつけた。
「うちらは娼妓とはちゃいます。
決して身は売りまへん。
売るのは、血ぃ吐くおもいで身につけた、芸だけどす。」
その言葉に、井吹は、はっとする…。
胸の奥を突かれたような、心持ちになった。
なまえは、頷きながら
「どんな人間でも、譲れねえ物って、あると思う。」
そう、グッと言葉を噛みしめた。
井吹は、なまえが芹沢から小鈴を庇った時の、言葉を思い出していた。
『…この人達が、強い信念を持ってあがってるこの土俵の舞台に、こっちが全く違う武器で挑んで、ぐちゃぐちゃにするのは俺、納得いかねー』
ーーー…
「悪かった!許してくれ。」
井吹は誠心誠意、小鈴に謝ると、「…もうええです。お顔あげてください、井吹はん」と優しい声が響き、言われるままに顔をあげると、小鈴は申し訳なさそうに井吹の頬に手をやる。
「うちも、井吹はんの頬叩いてしもて…すんまへんどした。痛うなかったどすか?」
花のような唇が、悲しげに緩みながら言葉を紡ぐ。
「…女に平手打ちされたぐらいで、痛がるはずないだろ」
そっぽを向きながらそう告げるとー…。
「…素直じゃねーなー、」
そう言いながら、なまえはにやーっとしながら、井吹の髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃっとする。
「な、なにすんだよ!はーなーせー!」
いつもは、優しく撫でてくれるのに今だけは激しく撫でるなまえの手に、井吹は変わりなく、やっぱり落ち着く。
本当に、なまえが居てくれて良かった…。
「お嬢さんに、許してもらって、良かった。」
寝らんねー夜を過ごすとこだったー、なんてなまえが言うと、小鈴は少し頬を染めて、口元を手で覆いながら微笑んだ。
「今日は、すんまへんどした。
良ければまた、逢状書いてお座敷に呼んでおくれやす。
仲直りの証に、お酌させてもらいますさかい。」
にこっと花の様に笑うと、また会いたいと告げる。
顔を染めて、困惑している井吹に「良かったなー」と、わしゃわしゃと井吹の頭を撫でながら、なまえは言った。
そんな事をしていると、夕方だった空は、暗みを含み、夜へとなっていくー…。
なまえは、小鈴を一人で返すのは心配だからと、送っていくことにした。
「そんな、すぐ近くやから…」とあたふたと断る小鈴に、不逞浪士がウロウロしてる中、危ないからと続ける。
「龍は、先帰って、伝えといて?」
気をつけて帰ってねと続けるなまえに、井吹は任せろと返し、急いで屯所へ向かった。
「じゃあ、参りましょうか、姫。」
そんな言葉をかけると小鈴は、かあぁっと顔を染めるのだった。
ーーー…
「申し訳ありません!
やはり、我々が行くべきでした…!」
出掛けてから、余りにも時間がたっており、心配で仕方がない屯所組一行。
先に帰ってきたなまえの班の隊士達は、先程からずっと謝ってばかり。
まさか、なまえに限って何か事件でも…なんてことは無いだろうけど、井吹が一緒な為、何か卑怯な手に嵌められたとしたら…。
「僕、探しに行ってきてもいいですか!?」
もう我慢できない、と言った様子で沖田は立ち上がる。
土方が唸り、よしと声を掛けようとした瞬間、
「井吹が戻ってきた!」という声がし、皆はぞろぞろと井吹の元へ行き、なまえはどうした!なんて問い詰められた井吹は、きちんと説明をする。
ーーー…
「また、会いとうおす…」
無事に、小鈴を花街まで送り届け、背を向けた瞬間、なまえの背中に温もりを感じた。
小鈴は、顔を赤く染め、自分を守ってくれた背中に顔を埋めながら「うち…あの時…あんな風に言われたの始めてで…」と途切れ途切れに語る。
なまえは、小鈴に振り返り、柔らかい表情をし、自分の左手の人差し指と中指を、小鈴の可愛い唇に、ちゅっ、と触れー…
「おやすみ」と一言零し、帰って行った。
(っ…!なまえはん…っ〃)
小鈴は、胸がドキドキして、きゅんっとする不思議な感覚に、逆らえないのであった。
ーー…
その後、無事に、屯所に帰宅した なまえは、皆から散々怒られ、泣かれ、熱い抱擁をされ、そして罰として、自分の夕飯を全部食べられてしまうという報いを受けるのであったー…。
(腹減って眠れんオチだと…)
風車と鈴の音、舞妓の演舞
(はじめて、恋の味を知った私。)
ーーーー
出会い頭に、守られて。
そして、なまえ君の考えに…。
なまえ君は、女心も疎い様ー…?
今日も、近藤や土方達は前川邸に集まり、浪士組の今後について芹沢と新見と話し合っていた。
話の内容は主に、浪士組の資金難を解消する方法についてなのだが…。
「会津から協力を取り付けはしたが…給金の話は、その後どうなっているのだ、土方」
芹沢がふてぶてしい態度で土方に投げると、土方は顔をしかめながら苦い声音で答えた。
「会津藩の公用方に、必要な金をその都度、請求しちゃいるんだが…こっちの要求は、ほとんど通らねぇ」
といった感じで、やはり会津藩がついたとて資金難は変わらない。
其処で芹沢の案として、大阪まで資金調達に参るという話になり、
今までの事があったため、土方、近藤も一緒について行くと名乗り出た。
勝手にしろ、と突っ返した芹沢は、井吹にも付いてこいと命令し、井吹も渋々同行することになった。
「此方の同行者を誰にするかは、また後ほど報告します。」
近藤がそう伝え、話は終わったのだ。
ーー…
翌日の早朝、芹沢達と共に、大阪行きの船に乗る。
同行者は、芹沢、新見。
近藤側の同行者は、土方、永倉、 なまえ、そして沖田。
何でよりによって此の人選なのか…井吹は、さっぱり理解が出来なかった。
殿内の件からまだ十日もたってないし、島原の件も、 まだ新しい方だしー…。
当然、近藤や土方や沖田、芹沢と沖田、近藤達や芹沢、芹沢となまえの間には、それぞれの形としたわだかまりがあるわけで…
お陰で井吹は、船に乗ってる間中、針のむしろに座らされているような錯覚を起こすのだった。
その日の夕方、ようやく大阪へとたどり着く。
「はあ~…ようやく着いたか。」
なんて、背を大きく伸ばす永倉は、もう舟には乗りたくねえなと漏らす。
「…んしょ、」
永倉の後に、ひょいっと降りてきたなまえは、先程まで舟の中で、ウトウトしていた様。
眠いのだろう、目を擦って欠伸を一つ。
井吹は永倉に、船酔いしてたようには見えなかったが、苦手なのかと聞き返すと、苦手ってわけじゃねえけど…と永倉は返し、後ろを歩いてる、自分達以外の者をちらりと見やる。
なるほど…と、納得する井吹。
(同行している俺達としては、気まずいことこのうえなかった。)
なんて思ってると、まだまだぽわーん…としてるなまえが、ふいと呟いた。
「…むー、気まずい。」
いやいや、あんたが言うなよ!
しかも、言ってる言葉と態度が合ってないけど!?
なんて心の中で突っ込んだ井吹だが、井吹は気になってなまえに質問する。
「…あのさ、なまえは…もう平気なのか?」
「ん、へーき。」
さらっと答えるなまえに、永倉もあんぐりしてる。
但し、島原の…俺だけの件はね、って なまえの形の綺麗な唇から漏れる。
「だって、治った。」
ぺらっと自分の前髪をあげて、傷口があったところを見せびらかす。
あんなに深く、パックリいったものの、傷跡が残らない事を不思議に思ったが、何も言わなかった2人。
「 なまえちゃん…!」
自分の事は、もう既に気にしてない なまえに対し、うるうると目を濡らす永倉は、なまえに思い切り抱きついた。
「…むがっ、」
あー、なまえちゃんそういうとこ好きだ、なんて言いながら抱きしめられるなまえは、苦しくて仕方ないので、べちべちと永倉の背中を叩く。
同じ頃、土方が芹沢に、資金調達の方法を聞いていた。
程なくして、近くを調べ回ってた新見が戻って来る。
「平野屋という両替商が妙に金回りが良い」という情報を手に入れて。
そうして、平野屋という商屋に出向くのであった。
ーーー…
「芹沢局長!一体、どういうおつもりですか!」
表情を険しくしながら、一連の出来事を見守っていた近藤は、芹沢に食ってかかり、商屋を脅して金を巻き上げるなど、京で惜し借りを働く不逞浪士と変わりないと主張する。
しかし、芹沢は平然と言説を延べ、黙って聞いていた土方は、人様の商売を邪魔して金巻きあげて、よくそこまで屁理屈をこねられるもんだ、と吐き捨てる。
2人の間に険悪な雰囲気が流れ、やれやれ、といった調子で新見が口を挟み、「芹沢先生は、自ら憎まれ役になってでも、こうして資金集めてらっしゃるというのに…」と芹沢の肩を持ち、土方を黙らせた。
(ちっ、)
なまえは、心の中で舌打ちをし顔を歪ませていたのを、芹沢は見ていて、言葉にする。
「なんだ、 みょうじ。
…何か言いたそうだな。」
空気が凍り、なまえの出方を見ようとする皆に対し、本人は平然と、さらっと答えてしまう。
「…あんたの言うことも、わかんねーわけじゃねーよ。
だけど、さっきのはやり過ぎ。」
頭の良いあんたなら、解ってんだろーけど、なんて続ける。
芹沢の心の奥の奥のほうを触れるように言うなまえに対し、芹沢は笑みを浮かべた。
「言うことを聞かぬ者には、つい手が滑りがちでな」
そう言いながら、手に持っていた鉄扇を、なまえの右瞼へと柔らかく滑らせる。
鉄扇の先端は、ツツ…ッ…となまえの前髪をどかすと、白い肌に、金色がくっきりと見事に映えた。
「躾と同じで、言葉を尽くして説明するより、殴る方が手っ取り早いこともある。」
以前、なまえに付けた、既に消えている傷の形を、忘れてないと言いた気に撫でる。
皆は、僅かな殺意を放ち、 なまえにまた何かするようなら…とギリッと芹沢を睨むが、
「…あいよ、そりゃどーも。」
なまえは、ただただ黙って撫でられ平然と返すと、やがて芹沢は声音に真剣味を込めながら続ける。
「物事を理解させるには、骨の髄まで思い知らせる、ということが重要なのだ。
綺麗事ばかりで世の中は回っておらん。
特に、これから浪士組が為そうとするなら…清濁併せ呑むというのも必要なのだ。」
そう言いながら芹沢は、土方と近藤を横目で見やった。
(…この扇、冷てー)
二人とも、悔しそうに唇を噛んで俯いていた。
ひやり、と少し心地よい感覚を感じながら、芹沢の暴論の中の真実を拾いつつ、彼の言葉を受け取る
なまえであった。
さて、京に戻ることにしますか、という新見の声がけで、芹沢も納得し、そのまま背を向けて、歩いて行ってしまうが、近藤と土方は、暫くその場にうなだれ立ち竦んでいた。
大阪から帰ってきて数日後、井吹は山南に頼まれて、墨屋へ出かける事になった。
(なんっで、俺がっ…)
むくれながら京の街へ降り立つと、丁度よく巡査し終えていたなまえの班に出会う。
「あ、なまえ!」
すぐさま井吹は、なまえの元へ駆けだし、彼を呼び止めた。
(…あれ?)
ふと、なまえの着物に刺さって、カラカラ…と回る、色鮮やかな風車に目を奪われる。
普段、彼が持っている事は無いので、何処かで買ったのだろう。
風に靡いて回る姿は、どこか舞妓を連想させた。
「…んあ、龍?」
一人でどーしたの、って言いながら、なまえは、井吹の頭をぽんぽんっ、と撫でる。
恐らく彼の癖であろう、このスキンシップは何故か嫌だとは思わなく、寧ろ心地よいと思ってる井吹。
風車から目を外し、なまえの瞳に視線を落として答えた。
「…いやさー、山南さんから墨を買ってくる様に頼まれちまって…」
苦笑いで零す井吹に、なまえはふーん、と返し、ちょっと待ってろ、と一言言って己の率いる隊士達に声を掛けた。
「今日も、皆ありがと
ゆっくり休んでなー」なまえは、隊士達に労りの言葉を掛け、先に屯所に戻っていてほしいと頼む。
「はい!みょうじさんも、お疲れさまでした!
我々を先に戻すようにとの事ですが、何処か用事があるのですか?
良ければ、我々もご一緒致しますが…?」
なまえ一人残して帰るのが心苦しいのだろうか…隊士達は、付き添うと申し出た。
「んーん、龍の用心棒するだけだから、へーき。」
にー、と歯を出して言うなまえに、隊士達はわざわざなまえじゃなくても自分達が…というが、なまえは明日も仕事あるからと隊士達の背中を押す。
「気ーつけてなー」
なまえはふりふりと手を振り隊士達を見送ると、隊士達は「俺らもあるって事は、自分も明日仕事あるでしょうに」と苦笑いしてなまえに敬礼する。
「あーなったら、ほんと聞かないんだから。」
そんな苦笑いを零しながら、なまえの班の隊士達は呟く。
しかし、そんななまえが憧れで仕方ないのだ。
皆、この班でいて良かったと心の底から感じているのである。
そのやりとりを見てた井吹も、肌で感じる事ができ、改めて隊士達の、なまえに寄せる信頼が強く深い物だと気が付かせられた。
「…っし、行くべ」
そんな事を考えてた井吹を余所目に、なまえはすたすたと墨屋へ向かう。
「なっ、ちょっ…待ってくれよ!
つきあわせちまって良いのか!?」
はっと我に返った井吹は、なまえの背中を追いかけた。
市中は相変わらず、緊迫感が張りつめ、不穏な空気に包まれ、いつどこで不逞浪士に襲われるかわからない様子だったが、井吹はなまえが一緒だった為、安心しながら街を歩けた。
「…お、あれか?」
なまえが、それらしい店を見つけた。
なまえは、店の前で立ち止まり、此処で待ってるから行ってこいと井吹を促した。
井吹は早めに済ますと言って、暖簾をくぐったのだが…。
眼鏡をかけた店主は、入ってきた井吹の風体を目にして、露骨に顔をしかめる。
そして挨拶すらせず、手にした本へと視線を落とした…。
(おいおい、随分な対応だな)
井吹は、横柄な店主につかみかかりたくなる衝動を抑え、声をかける。
「墨を買いにきたんだが…どんなのがあるのか、見せてくれないか?」
「ありませんなぁ」
店主は、そっけなく言い放ち、尚且つお引き取り願うとまで言い始めた。
「なっ…?!」
それにはさすがの井吹も、食ってかかるように言い返す。
ーー…
(…まだか、)
店の外で待っていたなまえは、先程から街の人の視線がギチギチに痛く、ひそひそと陰口を叩かれてる中、先程見回り中に、つい買ってしまった風車をカラカラ…と遊びながら待っていた。
風車でカラカラ…と遊んでいるなまえを、遠くから子供がじーっと見ているのになまえは気が付いた。
(勇坊より、ちっこい…)
つい、おいでおいで、と子供を呼んだなまえに、その子供は、ぱあっと表情を明るくして近付いた。
「おにーちゃん、これ、きれーだねぇ!」
なまえが持っている風車をみて、きゃっきゃっ!と喜ぶ子供になまえは、「ふー、って吹いてみ?」と言いながら、子供に風車を手渡した。
なまえから言われた通りに、子供が風車に息を吹きかけると、色鮮やかな風車は、カラカラ…と輝くように風に舞うように回った。
「わぁぁー!きれー!」
子供が物凄く明るい顔で笑うから、なまえも柔らかい表情で、ふわっと笑う。
「…これ、やっから、大事にする?」
なまえはほろっと零すと、とびっきりの眩しい笑顔で「うんっ!大事にする!」と返ってきた。
「…イイコ、はなまるー、」
ぽんぽんっ、と子供の頭を撫でると、子供はがっしりと風車を握りしめ、物凄く嬉しそうにえへへーっと甘えてきた。
「…いやぁっ!千代!」
その子供の母親だろう、一目散に走り駆け出し、なまえから千代を奪い、忌々しそうになまえをギリッと睨んだ。
(…あー、うんざり)
またこの視線か…となまえは思う。
母親は、嫌だ嫌だとぐずる千代を抱き抱え「なにをしてるの!帰るわよ!」と叫びながら、すぐさまなまえから離れる。
「おにーちゃんっ!!おにーちゃん!大事にするからぁっ…!!」
もっとなまえと一緒にいたい、もっとなまえと遊びたいと泣きじゃくる千代は、風車をしっかりと握りしめ、なまえの姿が見えなくなるまで泣き叫びながら、お礼も言う。
(かわい…)
それだけで、心が暖かくなったなまえには、充分だった。
「…あの御方は…」
丁度よくその光景を見ていた街娘は、なまえに、あの…と話しかけようとしたが、墨屋から少し揉めてるような声がしたので、気になって入ってみた。
「いや、だからーー…!」
井吹が、店主に言おうとした時に、後ろで木戸が開き、他の客が店へと入ってくる。
「すんまへん、硯いくつか見せてもらえますやろか」
花街言葉を使う娘が、店主に話しかけ、井吹の顔を目にした瞬間、露骨に眉をひそめた。
どうやらこの娘は、井吹の事を知っているようで、井吹は戸惑い、不思議そうな顔をする。
娘は、店主へと歩み寄りこう囁く。
「…旦那はんも、浪士組の隊士はん方には、気ぃ付けなはれ」
この人たち乱暴者ですよ、と店主に伝えると、店主は態度を変え、井吹に墨を売るのだった。
内心、毒づきながら井吹は、さっさと用事を済ませて店を出る事にした。
娘は、外が気になるのか…不機嫌な表情は壊さないまま、ちらちらと覗いていたようだが…。
買い物を済ませて店を出た後も、不快感は消えなかった。
なまえに、どーした?と聞かれても思い出すのも腹正しく、なんでもない、と言い突っ張る井吹を見て、不思議そうな顔をするなまえだったが、これ以上は何も聞かず、付き添ってくれた。
井吹が用事を済ませる頃には、すっかり日も落ち、夕方になっていた。
「なまえ、付き合わせて悪かったな。」
途中、不機嫌になってしまい悪かったという意味も込め、なまえに話しかける。
「いーって、俺も楽しかった」
なんてなまえは返してくれたから、 少し安心した。
そういえば、先程、着物に刺さってた風車は今は無く、どこにいったんだろうと不意に思った矢先ー…。
「…ん?」
「どうした、なまえ…っあ…!」
なまえが不思議そうな声をあげたから、井吹も不思議そうに道を見やると其処には、先程の街娘がいた。
「あっ…」
なまえには何か言いたげだったが、井吹に気が付いた彼女は、そのまま歩いて行ってしまおうとする。
「おい、ちょっと待てよ」
井吹は、慌ててその娘を呼び止めた。
すると彼女は足をとめ、警戒心を露わにしながら此方を睨みつけてくる。
「…何どすか。」
わけもわからないまま、敵意を向けられるのも気分が良くない、と思った井吹はその娘に尋ねようとした時ー…。
「…あんた、あんときの舞妓…
何処も怪我してねーか、」なまえがふっとその娘に声を掛けた。
井吹は、え…?と表情を堅くした。
「…覚えとっていらっしゃったんですか…あの時は、おおきに…!」
娘は、少し顔を赤く染めなまえを見つめ、お礼をする。
「偉いお侍はんは、お座敷で何したかなんていちいち覚えてへんかと思うとりました。」
そう哀しい表情になり、呟く。
「あっ…!!」
井吹は、やっと思い出した様子で、舞妓の格好じゃなかったから、全然わからなかったとその娘…小鈴に話しかけた。
(それなら、浪士組を嫌ってるのは当たり前か。)
井吹は、先程の態度に納得する。
「何処か、怪我してないか?」
と井吹も訪ねると、小鈴はなまえを見て、「その御方に助けて貰うたから…」と申し訳なさそうに呟き、もう一度お礼を言った。
「治ったから、へーき」
いつもの無表情だが、優しい声で答えたなまえに、小鈴は胸を撫で下ろしてる様だった。
「…しかし、災難だったな。」
井吹は、労うつもりで言ったのだが、小鈴は俯き続けた。
浪士組は、尊壌派の浪士を取り締まる為に、京に来たのではないのか。
京の人間を守りに来た侍が、なぜ弱い人間に酷い事するのかー…
「…っ、」
小鈴から吐き出される言葉が、やはりなまえにとって胸が痛かった。
しかし、そう言われても仕方がない現実に、黙って受け止めるしかなかった。
それ程、芹沢の存在は大きい。
しかし、浪士組全体を悪く言われたように感じ、井吹の口は我知らず…小鈴に反論してしまった。
「京の治安を守るためにわざわざ来てやってるのに、生意気なこと抜かすな!」
「…っ、龍!待て!」
その言葉に、はっとしたなまえは、やめろと言う風に井吹を止めるが…一回出してしまった言葉は、抑えきれなかった。
芹沢が乱暴したのは、お高く止まって偉そうな態度をとっているあんた方が悪い、金さえ貰えれば、誰とでも寝るくせにー…!
そう、小鈴に投げてしまった。
「……っ!」
そう言った瞬間、小鈴となまえは目を見張りそして、その刹那ー…
「ぐっ…!」
少女の手の平が、井吹の頬へ炸裂し…乾いた音がこだまする。
彼女は唇を震わせながら、きつい眼差しで井吹を睨みつけて。
「うちらのこと、何も知らんくせに…!
勝手なことばかり、言わんといてください!」
僅かに涙を含んで言い放ち、やがて、小鈴はそのまま走り去ろうとするが、
「…お嬢さんっ…!」なまえは、小鈴の手をとると、切ない表情で見つめる。
「…っ、はなして…!」
何も悪くないなまえに対し、少し申し訳なさそうに、だけど力強く睨み…黒い瞳と、金と紅は、始めて此処でぶつかり合った。
「何だよ…!本当の事言っただけなのに、どうして殴られなきゃいけないんだ?!」
井吹の態度に、はぁ…とため息をついたなまえは、小鈴にきちんと向き誠心誠意、謝った。
「お嬢さん…、龍も、俺らを庇う為につい出ちまったんだ…許してくれ、」
この通り、謝るから、となまえは続け、それを見た井吹は、胸がグッ…となり、俯くように少しだけ頭を下げる。
だが、小鈴は仏頂面のまま、2人を見下ろしてるだけだった。
本当に悪いと思ってないのに、頭だけ下げられても…と返す。
それを聞いたなまえは、どうして怒ったのか、井吹に説明をしてほしい、と小鈴に頼んだ。
「龍、ちゃんと聞け」
ぐいっと腕を引っ張られ、井吹は、小鈴の目の前に立たされる。
小鈴はしばらくの間、黙り込んでいたが…やがて、静かに口を開く。
京に来てから、朝から晩まで必死に働いていること、三味線や踊りなどの稽古を一度だって休んだことない事…。
血吐く思いで、汗と涙を流してやってきた信念や誇り。
それは自分だけではなく、他の舞妓や芸妓も同じだと、強い眼差しで叩きつけた。
「うちらは娼妓とはちゃいます。
決して身は売りまへん。
売るのは、血ぃ吐くおもいで身につけた、芸だけどす。」
その言葉に、井吹は、はっとする…。
胸の奥を突かれたような、心持ちになった。
なまえは、頷きながら
「どんな人間でも、譲れねえ物って、あると思う。」
そう、グッと言葉を噛みしめた。
井吹は、なまえが芹沢から小鈴を庇った時の、言葉を思い出していた。
『…この人達が、強い信念を持ってあがってるこの土俵の舞台に、こっちが全く違う武器で挑んで、ぐちゃぐちゃにするのは俺、納得いかねー』
ーーー…
「悪かった!許してくれ。」
井吹は誠心誠意、小鈴に謝ると、「…もうええです。お顔あげてください、井吹はん」と優しい声が響き、言われるままに顔をあげると、小鈴は申し訳なさそうに井吹の頬に手をやる。
「うちも、井吹はんの頬叩いてしもて…すんまへんどした。痛うなかったどすか?」
花のような唇が、悲しげに緩みながら言葉を紡ぐ。
「…女に平手打ちされたぐらいで、痛がるはずないだろ」
そっぽを向きながらそう告げるとー…。
「…素直じゃねーなー、」
そう言いながら、なまえはにやーっとしながら、井吹の髪の毛を掴んでぐしゃぐしゃっとする。
「な、なにすんだよ!はーなーせー!」
いつもは、優しく撫でてくれるのに今だけは激しく撫でるなまえの手に、井吹は変わりなく、やっぱり落ち着く。
本当に、なまえが居てくれて良かった…。
「お嬢さんに、許してもらって、良かった。」
寝らんねー夜を過ごすとこだったー、なんてなまえが言うと、小鈴は少し頬を染めて、口元を手で覆いながら微笑んだ。
「今日は、すんまへんどした。
良ければまた、逢状書いてお座敷に呼んでおくれやす。
仲直りの証に、お酌させてもらいますさかい。」
にこっと花の様に笑うと、また会いたいと告げる。
顔を染めて、困惑している井吹に「良かったなー」と、わしゃわしゃと井吹の頭を撫でながら、なまえは言った。
そんな事をしていると、夕方だった空は、暗みを含み、夜へとなっていくー…。
なまえは、小鈴を一人で返すのは心配だからと、送っていくことにした。
「そんな、すぐ近くやから…」とあたふたと断る小鈴に、不逞浪士がウロウロしてる中、危ないからと続ける。
「龍は、先帰って、伝えといて?」
気をつけて帰ってねと続けるなまえに、井吹は任せろと返し、急いで屯所へ向かった。
「じゃあ、参りましょうか、姫。」
そんな言葉をかけると小鈴は、かあぁっと顔を染めるのだった。
ーーー…
「申し訳ありません!
やはり、我々が行くべきでした…!」
出掛けてから、余りにも時間がたっており、心配で仕方がない屯所組一行。
先に帰ってきたなまえの班の隊士達は、先程からずっと謝ってばかり。
まさか、なまえに限って何か事件でも…なんてことは無いだろうけど、井吹が一緒な為、何か卑怯な手に嵌められたとしたら…。
「僕、探しに行ってきてもいいですか!?」
もう我慢できない、と言った様子で沖田は立ち上がる。
土方が唸り、よしと声を掛けようとした瞬間、
「井吹が戻ってきた!」という声がし、皆はぞろぞろと井吹の元へ行き、なまえはどうした!なんて問い詰められた井吹は、きちんと説明をする。
ーーー…
「また、会いとうおす…」
無事に、小鈴を花街まで送り届け、背を向けた瞬間、なまえの背中に温もりを感じた。
小鈴は、顔を赤く染め、自分を守ってくれた背中に顔を埋めながら「うち…あの時…あんな風に言われたの始めてで…」と途切れ途切れに語る。
なまえは、小鈴に振り返り、柔らかい表情をし、自分の左手の人差し指と中指を、小鈴の可愛い唇に、ちゅっ、と触れー…
「おやすみ」と一言零し、帰って行った。
(っ…!なまえはん…っ〃)
小鈴は、胸がドキドキして、きゅんっとする不思議な感覚に、逆らえないのであった。
ーー…
その後、無事に、屯所に帰宅した なまえは、皆から散々怒られ、泣かれ、熱い抱擁をされ、そして罰として、自分の夕飯を全部食べられてしまうという報いを受けるのであったー…。
(腹減って眠れんオチだと…)
風車と鈴の音、舞妓の演舞
(はじめて、恋の味を知った私。)
ーーーー
出会い頭に、守られて。
そして、なまえ君の考えに…。
なまえ君は、女心も疎い様ー…?