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『ひょっとして荒船くん?』
呼ばれた男は振り返る。そこに自分の思いもしない人物が立っているとは知らずに。
荒船哲次はその日、思うように調子が上がらず、気分転換にスナイパーの訓練室ではなく、自分の隊の訓練室で自主練をしていた。しかし彼にしては珍しく、気がつくとうっかり帰ろうと思っていた時間をとうに過ぎてしまっていた。慌てて荷物をまとめ、通用口に向けて歩いている途中、聴きなれぬ声に呼び止められた。
「みょうじ、先生っすか?」
『うわー、先生やめて。確かに教員免許取ったけどさ。というより、よくわかったね?』
「確信なかったすけど。」
自分を呼び止めた女性の顔には見覚えがあった。というよりも、面影があると言ったほうが正しかった。自分が高一の時教育実習で己のいたクラスに2週間ほどいた人物の面影が。
荒船が知っているみょうじなまえという人物は、真面目そうで、おとなしそうなタイプ、さらにはそこそこ整った顔。そんな印象だった。だが目の前にいる女性は話し方もよりカラリとしていて、髪色も表情も明るく、垢抜けたとでもいうのか、とにかく持つ印象がだいぶ違った。
『今帰り?任務上がり…にしては遅いよね。訓練してたの?』
「まあ。というか俺は、センセーがここに、しかもこんな時間にいることの方が驚きなんですけど。」
『だから先生は…、まあいいや。最近中途で就職したの。事務的なことやってる。』
「へぇ。」
荒船の相槌は気のないようにも聞こえたが、実際は彼女がボーダーにいることにもその経緯にも興味があった。しかし時刻は遅く、この場で立ち話をするのは得策ではないと判断する。
「そっちの方がこんな遅くに帰るって大丈夫なんすか?」
『大丈夫だよ、私車だもん。あ、荒船くん送ってあげよっか?』
なんなら送りましょうか?そう続けようとした荒船に帰ってきたなまえの言葉は少しだけ予想外で。自分にはない選択肢はよく考えれば分かりそうなものであったとしても、すぐには思い浮かばない。そのことに悔しさを覚えつつ、この状況を好都合だと思う自分もいた。
「オレみたいな野郎、そう易々と乗せていいんすか?」
『後部座席乗ってね。何かしてきたらもれなく荒船くんの命も危ないってことお忘れなく。』
ニヤリと揶揄うようにいった言葉はクスクスという楽しそうな笑いと共に軽く返されてしまう。その様子に本当に数年前に出会ったあのみょうじなまえと目の前の人間が同一人物であるのか荒船は少しだけわからなくなった。と、同時に出会った時以上に、再会した瞬間よりもさらに、彼女に興味だけではない感情を抱いた。
「いつからボーダーに?」
『4ヶ月前か、な?慣れてきたとは言い難い感じ。』
なまえが車を停めている場所の近い通用口は、荒船がいつも使うところとは違っていて、彼女と並び話しながら歩く道のりは無機質で殺風景な通路だったとしても新鮮だと思った。それでも数分で外へと繋がってしまうためあまりのんびりともしていられない。
「事務的な作業って具体的に何するんですか?そんな慣れないことあります?」
『ほんと色々。紙やらパソコンやらと向き合ってる。仕事自体はそうでも無いけど、なんていうのかな、雰囲気?周りに自分より若い子が当たり前のように歩いてる職場ってなかなかないよ。』
「あんた、教員免許取ったんじゃ...?」
『確かに学校とそこは同じだけど、仕事内容は全然違くて。...でも確かにそう言われると、大人と子どもが同じ環境にいて立場とか境遇とかが違うってのはある意味学校と似てるかもだね。』
荒船の指摘に、少し恥ずかしそうに笑うなまえ。ボーダーが特殊な組織で雰囲気が独特だということは彼も認めているところで、彼女を責める気もなかった。けれど、彼女の発言の...というより彼女の言動の所々に違和感を覚えて。その理由を知ろうと言葉を探していれば、パッと振り返ったなまえが言う。
『あ、荒船くんも遠目に何度か見たことあるよ。』
「…マジか。」
そんな不意打ちの言葉に少しだけ動揺しながら荒船は彼女の様子を眺める。すぐになまえは視線を進行方向に戻したためその表情は今横顔しか見えないが、こんなにもなまえが表情豊かだとは知らなかった。しかしこれが彼女の自然体なのかと言われれば、それはやはり違うような気がして。
「ってか、一生徒をそんなに覚えてるもんですか?」
『…まあ、荒船くんは印象強かったし。』
「へえ、どの辺が?」
なんとなしに投げた質問に、なまえの大人の余裕とも取れる飄々とした空気が少しだけ崩れるのを荒船は見逃さなかった。ここぞとばかりに言葉を重ねそれをさらに崩しにかかる。
『だって荒船くん、その、綺麗な顔してるし。』
「それ、男に言うセリフじゃないだろ…。」
『でも、本当にそういう印象だったんだよね。綺麗な顔で鋭いこと言う子だなっていう。』
「…。」
『そういう荒船くんこそ、よく教育実習生の顔なんて覚えてたよね。』
「まあ。」
彼女の言う鋭いこととは、自分のどの発言かを思い巡らせていればせっかく手に入れた彼女の隙をつくチャンスを逃してしまったことに気がついた荒船。それどころか、指摘されてほしくない部分を突かれ、短い返事をするのがやっとだった。しかし、努めて一息ついてのち、己の発言について辿った記憶にはやはり思い当たるものはなく、代わりになまえの昔の言葉をいくらか思い出した。
「で、今はやりたいことできてるんですか?」
『そんなことまで覚えてるんだ?』
荒船の問いかけ大袈裟に驚いたような声でなまえが返す。その言葉に荒船の方も彼女が自分の言ったことを覚えていることを確信した。
『私は、本気で教師になりたかったわけではないんです。周りからの勧めで。』
学生たちも、他の教師たちも真面目なものが多い進学校の教育実習生が、そんなことを言ってもいいのかと、当時その言葉を聞いた荒船は思っていた。けれど今になって思えばなまえがただただ正直な人間だっただけなのだろうと思える。
『でも、そういう何気ないきっかけって人生の中で案外たくさんあって、そういうところから進んでいく道が見えることもあると思います。それがやりたいことかどうかは別だと思いますが。』
そう話した彼女に、「先生のホントにやりたいことって何ですか?」と尋ねた生徒は誰だったか、そしてそれに対する彼女の答えはなんだったか。その記憶も曖昧だった。けれど荒船がなまえの言うような誰かに決められた道ではなく、自分で決めた道を絶対に歩もうと決意したのはその時だった。入隊したばかりのボーダーで、自分の目指すべき場所、やるべきこと、やりたいこと。その全てを突き詰めてやろうと。
『大人にはね、色々あるんだよ。』
トーンが少しだけ落ちたなまえの声に、思考が現実に引き戻される。その言葉には自分のことを大人と称しながらどこかそうなりきれていないと感じさせる何かを含んでいた。そしてそれは軽い気持ちで会話を流そうという意思ではなく、重苦しく複雑な何かを押し出したようで。
「あんたの今やりたいことってなんですか?」
『うーん、パッと思い浮かばないなぁ。ネガティブなのはあるけど。』
「なんすか、それ。」
『ボーダーやめよっかなって話。』
「はっ?」
今の流れでまさかの発言に思わず尋ね返した荒船になまえは苦笑する。今の仕事が辛すぎて、とかそういう話ではないとなまえ。
「じゃあ、なんで。まだ数ヶ月しかいないんですよね?」
『なんでだろうねぇ。向いてないかなと思ったところで、じゃあ向いてる仕事って何?ってなるし。本当は自分も荒船くんたちみたいにネイバーと戦えたら違ったのかな、と思うこともあるけどその自信がなくて今の仕事してるわけだしね。』
どこか投げやりな言い方は、以前にも聞いたことがあったような気がした。けれどその時と同じように、今の彼女には諦めや自嘲とは違う、もっと激しい感情を持っている。荒船は直感的にそう思った。自分の考え、他人の意見、世間の常識、そうしたものにがんじがらめになって、決めつけられて。それに収まりたくなくてもがいて、足掻いて。しかしそれを表には決してださない、彼女の強くも儚いそんな感情。
『さて。じゃ、あっちね。』
しかし話していたこととは全く違う彼女の唐突な問いに荒船はハッとする。気がつけば扉が目の前にあり、それが開くと彼女が遠目に見える駐車場を指さしていた。外は街灯が立ってはいるものの当然暗く、見たことはあるであろう景色なのに、初めての場所であるような錯覚に陥る。
「いっつもこんなに遅いんですか?」
『え?』
「こんな暗い中、いつも帰ってんのかって話です。」
『ああ、まあ時々ね。ボーダーって夜でも何かしら人が働いてるでしょ。だから変な時間に仕事が来て残業、とかはよくあるよ。単純作業で次の日休みとかだとよく振られる。』
暗闇の中を1人歩く彼女を想像して、純粋に心配になった荒船をよそに、なまえは当然と言わんばかりに答えた。社会人というのはそういうものなのだと頭では理解しているものの、それが嫌だと思う理由には、気付かないふりをして。代わりに自分が今したい、そう思ったことを口にすることにした。
「...俺、近々バイクの免許とるんで、その時までボーダー辞めたりしないでくださいよ。」
『それどういう意味?』
「免許とって、あんたをバイクの後ろに載せるって今決めたんで。男が送られる側はカッコつかないからな。」
促されるまま乗り込んだなまえの車の中で家のあるおおよその場所を告げた荒船は、少し間を開けて、ゆっくり息を吸うとそう言った。無理矢理にでも約束をこじつければ彼女はその機会をくれる。確信はなくとも何故かそう思えた。それは自分の自己満足だとしても、言わないという選択肢をこの男は持っていなくて。
『…“やるって決めたことがやりたいこと”か。』
「え。」
『え、って。自分の言ったことは覚えてないの?相変わらずかっこいいこと言うなって思ったのに。』
そこでようやく、己の発言の記憶が蘇る。確かにそんなことを言った気がするという程度だったが、その時の感情は鮮明に思い出された。自分のやりたいことを貫くこと、それは自分の中である意味そうすべきことだと思っていた。だが、それができていないと遠回しに嘆く目の前の彼女を否定したくはなかった。そんな気持ちから発した言葉だった気がする。そこでようやく、あの時からずっと彼女に抱き続けていたらしい淡い自分の気持ちをはっきりと意識する。いや、意識せずとも本当はどこかでわかっていたのかもしれないが。しかしそれを素直にはっきりと口にできるほど、彼はまだ大人でもなく。
「惚れました?」
『惚れてるよ。』
「え。」
『大人を揶揄うから仕返し。...なんてね。』
車はもう、家の近くを走っていた。そんなことに気づかないくらい、なまえの発言は荒船にとって衝撃で。しかし彼女は、さらに彼を驚かせる。
『辞めようと思ったのに、辞められなくなるよ、そんなこと言われたら。』
「な、んで、」
『荒船くんのこと、好きだから。...だから最後に勇気出して、話しかけてみたんだよ。』
「...どういう意味、ですか。」
『そのままの意味。』
普段は多少のことには動じない荒船も、さすがに動揺を隠せず口が上手く回らない。しかし必死に思考を動かして、ようやくずっと引っかかっていた違和感の正体に気づく。なまえが以前と随分印象が違う理由がようやく分かったのだ。彼女に言われた通り後部座席に乗ってしまった今では彼女の後ろ姿しか見えないが視界に入ったその耳は暗がりでも赤くなっているのが見えて彼女の言葉が、偽りないこと物語っていて。
「...からかったつもりないんで。」
『えっ、と?』
「俺も惚れてるんで。というか惚れてた事を自覚したんで。」
彼女にまたも先を越された悔しさから、荒船もどこか吐き捨てるように思いを告げる。しかし相手の返事をゆっくりと待つ余裕はなく、適当な場所に車を止めるよう言葉を付け加えた。そこはもう、彼の自宅のすぐ側だった。
『...ほんと、ずるい。』
バタンと閉められた扉の音に、なまえの声はかき消される。けれども、その後小さく響いたコンコンという窓を叩く小さな音はしっかりと彼女の耳に届いて。
「とりあえず、連絡先教えてください。」
『…へ?』
慌てて窓を開けたなまえは荒船の言葉に固まってしまった。あまりの急展開に頭がついていかなかった。確かに、悶々とした日々を変えたくて彼に勇気を出して話しかけることを決めたのは自分だったが、それでもここまでのことが起こるとは想像もしていなくて。そもそも彼を送るという行為だって、元は彼女の想定したところではなかった。ただ話の成り行きで、彼に自分の感情を悟られまいと振る舞った結果だっただけで。それなのに今、自分は彼に告白までして、しかも相手は自分のことを惚れているとはっきり告げて。キャパオーバーとしか言いようがなかった。
「あんたがボーダー辞めようが辞めまいが、逃がしません。」
けれど恐る恐る見上げた荒船の目は真剣そのもので。交わった視線をはずすことはどうしてもできなかった。ただ真っ直ぐに見つめてくるその目に、なまえの頬はさらに赤く染まる。少ししてようやく動き出した体が、やっとの思いでスマホを取り出し、気がつくとメッセージアプリの連絡先一覧には彼の名前が並んでいた。
「あんたが勇気出して、やりたいと思ったことやったのと同じで、俺もそうします。」
『…荒船くんのやりたいことって?』
「とりあえず目下の目標はバイクの免許とって、彼女を後ろに乗っけて走ることです。」
分かってると思いますけど、センセーのことですからね。とニヤリと笑いお礼の言葉と共に去っていく荒船の姿に、なまえはもう一度ずるいと呟いた。
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22.04.15