始まった日常
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詩音が晴れてボーダーにオペレーターとして正式入隊し、しばらく経った。ただでさえガラリと変わった生活環境に対応しながら、仕事を覚えていくのはなかなかに大変なことで。
今まではただ必死に生きていくためだけに働いていた、働かされていた状態で、周りも同じだったのに。今は辛いこと、難しいことを誰かに手伝ってもらったり、お願いしたりすることが当たり前に行われていて、しかも多くの人が自分だけでなく誰かのために働いているということに、詩音はまだ慣れることができないでいた。
本当に初めの頃は「わからないことがあれば何でも聞いて」という言葉に詩音は少し脅えていたほどだった。仮に自分が何かを聞いたとして、その後何を求められるのだろうと、何を言って罵られるのだろうと。
しかし、やはり新人にできることは限られていて、何もできず何も言えず手を止めていた詩音に周りが気づき、さも当然のように声をかけ、悩みながらも現状を伝えれば、丁寧な説明だけでなく、励ましの言葉や労いの言葉まで返ってくることがある。その事実に気づいてようやく詩音は最低限の質問をしたり、確認を取ったりすることができるようになった。おかげで仕事も少しずつ覚えることができている。
しかし、詩音がまだ子どもであっても、こちらの生活に馴染めなくても、ボーダーで活動するということは、イコール働くということである。そして、仕事には小さなトラブルやすれ違いはつきものである。
「そんなこといちいち確認しなくても大丈夫だから。」
ある日詩音が隣で仕事をしている先輩オペレーターに質問すると、そんな言葉が返ってきた。別に怒っているだとか、意地悪をしているだとか、そういう感じではなかった。ただ本当に大丈夫ということが言いたかったのだろうと、理解することは出来た。
それでも、人生の三分の一を捕虜として、奴隷のようなものとして過ごしていた詩音にとって、自分より立場や地位など、何かしらが上の人間の機嫌を損ねるというのは本能レベルで避けなければならないもので。これ以上この人に何かを聞いてはいけない、頭の中でそんな警報が瞬時に鳴り響いた。
そうして生まれた猜疑心はようやく固まり始めた当たり前をいとも簡単に壊していく。気が付けばできるようになっていたはずのことがうまくできなくなっていた。
『すみません...。』
「大丈夫。ミスは誰にでもあるよ。次にしないように気をつければいいだけだから。」
『はい...。』
「それじゃあ、お疲れ様。」
そう言いながら去っていく先輩に頭を下げて、詩音も帰り支度を始めた。数日前に習ったはずのことがうまくできなくて、ミスをした。それも一つではなく、いくつか。今日犯したミスはそれほど重大なものではなかったが、ボーダーでのそれは時に命に関わる。指摘とともにそう教えられ、詩音の心は重くなって。
「あ、お疲れ〜。」
『...お疲れ様です。』
「詩音ちゃんだっけ。だいじょーぶ?」
だから、中央オペレーター室を出てすぐに声をかけてきた人間が誰かさえも確認せぬまま返事をしてしまった。その相手がまさか自分に声をかけているとも思わずに。
『国近、さん...?』
「お、覚えててくれたんだ。なんだかんだ、あの時以来だねー。」
『そう、ですね。』
向こうの世界からこちらへ戻ってくる遠征艇の中で宇佐美ほどでは無いが、詩音の世話を焼いてくれた国近。こちらに来てからは風間隊と過ごすことが多かったのでなかなか会う機会がなかったのだ。
「オペレーターになったんだよね。どう?慣れた?」
『えっと...。』
「まあ、すぐには慣れないよね〜。」
『すみません...。』
「?」
さも当然のように謝る詩音に国近が首を傾げるのも無理はない。それでも、詩音に何かあったことを彼女が読み取るのには充分だった。
「ねえ、詩音ちゃん。もうご飯食べた?」
『え?まだです、けど...。』
「じゃあ、一緒に食堂行こう?」
時刻は普通の夕食には遅い時間だが、今まで消化吸収のよいトリオン体で過ごしている詩音にはちょうど良い時間で。でもまさか、本部内の食堂とはいえ誰かから食事に誘われるなど想像したことも無く、国近の提案に思わずたじろぐ。
『あの、えっと。』
「あれ?なんか都合悪かった?」
『いや、そうじゃなくて、』
「じゃあ、レッツゴー!」
有無を言わせぬ国近に促されるまま、あれよあれよという間に食堂に到着した。
「さて、何食べる?」
『ん...、昨日、オムライス食べたし、ハンバーグ定食に、します。』
「チョイスがかわいー。」
国近に茶化されることに戸惑いながらもスムーズに食券を買い、目的のハンバーグ定食を手に入れた詩音は、空いている席に腰を下ろす。国近も自然と彼女の前の席にトレイをおきながらそこに腰掛けた。
『うどんとコロッケ...。』
「あれ、食堂よく来るんじゃないの?A級セット食べたことない?」
『まだない、です。...でも、私が食堂よく来るってなんで知って、』
「だって寮住んでるんでしょ?食券買ったりするのもスムーズだったし。」
国近の言った通り、こちらに来た時に宛てがわれた、寮の役割も果たしている宿泊棟の一室で暮らしている詩音。保証金という名目でボーダーから受け取ったお金を少しずつ使い、生活している。
少し前に編入手続きを終えて通い始めた学校の帰り道、仕事が休みの日は時折街を散策しては、生活に必要そうなものに加え、興味をそそられた食べ物を買うこともあるが、こちらでの生活の記憶は5年前、10歳頃で止まっている彼女のそれは、おつかい中に目的以外のものに目移りする子どもの買い物だった。
元々お金の管理自体は幼い頃からきちんと教えられていたので、無駄遣いをすることもなかったが、自炊という発想には至らないようで、彼女は確かに毎日のように食堂を利用していた。
『あの、国近さん。聞いてもいいでしょうか?』
「そんなに改まってなーに?固くなりすぎだよー。」
『す、すみません...。』
「謝んなくても大丈夫だよ。それで?」
『あ、その、国近さん、なんで私に声をかけてくれたんですか?』
既に食事を始めていた国近に恐る恐る尋ねる詩音。それだけのことだが、国近の雰囲気に少しだけ詩音が気を許し始めた証拠でもあった。
「んー?まあ、気にかけるようにって言われてるのもあるけど、単純に悩んでる後輩に先輩が相談に乗ってあげよっかなーって思っただけだよ?」
『...。』
「とりあえず温かいうちに食べちゃおー。」
国近の答えに少し驚いて次の言葉が紡げない詩音は促されるまま箸を手に取る。食事をとる前に生身に戻った体はエネルギーを欲していて、どれだけ戸惑っていようと、心が重くなっていようと、その手がしばらく止まることはなかった。
「そういえばさ、詩音ちゃんは謝るの癖になってる?」
半分ほど食べ進めた頃、唐突に国近がそう問いかける。
『え、』
「無意識かな?謝る必要ないとこで、よく謝ってるなーって思うけど。」
『す、すみません!...あ。』
「ほらね?」
指摘され、俯く詩音。その様子に眉根を下げた国近だったが、それ以上は言わず代わりに別の話題をなげかける。
「そういえば、今オペレーターとして習ってるとこどこ?」
『えっ、と。』
「レーダーはもうばっちり??」
『...レーダーは一通りならって、今は視覚支援とか味方への支援をいろいろ習ってるんですけど、でも、まだレーダーの扱いも焦ると上手く出来なくて、こんがらがって。』
国近に促されぽつりぽつりと己の現状を話す詩音。今日のミスや、それに至る人間関係の難しさなどをまとまらないながらに話せば、国近はいくつか相槌を打ちながらも無駄な言葉を挟むことなく耳を傾けてくれて。
「詩音ちゃんはさー、ゲームしたことある?」
『え、ゲームですか?』
「うん、マ○オパーティとか、ス○ブラとかわかる?」
『あ、はい。わかります、けど...?』
一通り話し終えた詩音に、突然脈絡のない話を始める国近。問いの意味が分からず戸惑う詩音に「私ゲーム好きなんだけどねー、」と国近が続ける。
「そういうゲームってさ、使いやすいキャラとか好きなキャラとかそれぞれにあるじゃん?かわいいからーとか、強いからーとか理由も色々で。」
『そう、ですね。』
「だからね、別にみんな好きになる必要ないと思うんだー。でも、ちょっと試してみると、色々発見もあるかも。」
『??』
今までの詩音の話から国近の話にどうしても繋がらず、頭の上に疑問符が見えそうな顔の詩音を国近がくすくす笑う。
「この人好きだなーとか、この人苦手だなーっていうのがあって当たり前ってこと。それは、誰も怒ったりしないから大丈夫だよ。」
『...でも、』
「うん、あからさまな態度とかは良くないけどね。でも、たぶん詩音ちゃんが思ってるほど、みんな怖くないから色々聞いてもいいと思うよー。」
国近に言われ、詩音は直ぐに納得できる訳では無いが、それでも少しだけ心が軽くなるのを感じる。それが伝わった国近もうんうんと頷き、さ、残りも食べちゃおーと話を切り上げたのだった。
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風間隊以外出そうと思ったら話が間延びし始めた。