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今、角都の向かいの席には豪快に飯に食らいつく銀髪の男が座っていた。
積み上げられるドンブリはこれで6つめになる。
そろそろ崩れそうだ。
この飯屋にいる店員や客も珍しげにその積まれたドンブリを凝視している。
男の食いっぷりを眺めながら、角都は腕を組んだままため息をついた。
「スリにやられた…か。まだそんな馬鹿がいたとはな」
「モガモガ、モグモグ、ゴキュッ、ンー(こっちは全財産盗まれたんだ。今度そいつにあったらマジ殺す)」
「喋っているのは異国語でもないが、言いたいことはわかった。馬鹿が。正体もバレないように盗むのがスリだ。顔も覚えていないだろう」
「んぶっ」
ようやく男がドンブリから顔を離し、角都を睨みつけた。
顔面米粒だらけの顔で睨まれても、迫力の欠片もない。
「さっきから「馬鹿」「馬鹿」言いやがって…。バカって言った方がバカなんだ、バァーカァ!」
「……………」
憐れむような眼差しを向ける角都。
よく今までこんな時代で生きてこれたものだ。
いや、ただ単に運が良かっただけなのかもしれない。
スリでも場合によっては、集団で身ぐるみをはがされたり、手首ごと持って行かれたり、最悪の場合、命ごと奪われる危険だってある。
今のこの時代、素直に金だけとっていくスリの方が珍しい。
この治安最悪の国で。
それに、見た目だけは小奇麗なこの男。
女でなくとも、夜道を歩いていれば性欲に飢えた男達の的になっていただろう。
「なぁ、アンタは…、えーと…」
箸の先端を向けられた角都は、そういえばまだ己の名を明かしていないことを思い出す。
「角都だ」
「かくず…。角都。変わった名前だな」
変わった名前、というのは自覚しているが、他人に指摘されると「悪いか」と言って眉をひそめてしまう。
角都の苛立ちに構わず、男はヘラヘラと「悪い悪い」と箸を揺らした。
「角都は飯食わないのか?」
角都の目の前には茶の入った湯呑だけしか置かれていない。
「オレはさっき食った。それに、これ以上出費するつもりもない」
「あ―――…、その…、悪ィな。文無しのオレのために…」
角都は少し驚いた。
図々しいだけの男かと思っていたが、ちゃんと「悪い」という気持ちがあったのか。
「…金なら、その刀を売ればよかっただろう」
角都の視線は、男の腰に差さっている赤鞘の長刀に移った。
ドンブリの上に箸を置いた男は「なに言ってんだ」と左手で鞘に触れる。
「手ぶらだったら、スリよりヒデー目に遭っちまうだろォ。最近物騒なんだぜ」
「ほう…、世間知らずかと思っていたが…」
「だから、馬鹿にすんなって。角都なら、刀を手放せるのか? できねーだろ。オレと同じ、侍なんだからよォ」
同じと思われたくはない。
「腹が減っては戦はできん、と言うだろう。刀を売り、その金で飯を食い、そして刀を店から奪い返す」
「……それを強奪っていうんだぜ」
「犯罪じゃねーか」と男は呆れた顔をした。
「珍しいことではないだろう」
まだ実践したことはないが、他の侍だってやっていることだ。
おかげで、侍を門前払いする店も増えた。
「まあ、アンタならやりそうだ。…そんじゃ、馳走になったな」
飛段は両手を合わせ、頭を下げた。
それから席を立ち、そのまま店から出ようとしたところを、
「ふざけているのか」
背後から男の首に右腕をかけ、右手に持った1本の箸を男の喉元にあて、男の右耳に口元を寄せた。
「おまえが言ったこと…、よーく思い出してみろ」
「…おまえ…、渋い良い声してるなぁ…」
「なら、もっと耳の通りをよくしてやろうか?」
喉元の箸が耳元に移動した。
喉を鳴らした男は「今思い出した!」と慌てる。
「「なんでもするからメシを食わせてくれ。その刀以上の金を稼いでやる」って…、死に物狂いで言ったんだっけ…」
その時の言葉を口にすると、角都は男から一歩下がった。
男は両手で耳を塞ぎ、勢いよく角都に振り返る。
「そう怯えるな。なにも、男娼小屋に売り飛ばすわけでも、臓物を売り飛ばすわけでもない。オレの手伝いをするだけでいい」
逆に、手伝わなければ本当にどちらかに売り飛ばす気だ。
男はそう察した。
「口布してっけど、おまえ絶対今笑ってるだろ」
角都は男の横を通過し、店の出入口へと向かおうとしたところで立ち止まる。
「聞くほどでもないが、貴様の名は?」
おそらく金のことしか考えてないだろうその背中に、男は名乗った。
「…飛段」
「フン。人のことが言える名ではないな」
その夜、町の外れにある河原の近くで、飛段はムスッとした顔をしたまま、道の端に立っていた。
機嫌が悪い理由は、今の格好と役割、それと遠くの茂みからかすかに聞こえる男女の喘ぎ声だ。
飛段は今、夜鷹(娼婦)の格好をしていた。
慣れない女物の着物に着替えさせられ、頭には布を被り、左脇にはゴザを抱えている。
「今すぐあいつら黙らせてこようかな…」
憂さ晴らしに刀を振り回したい気分でもあったが、勝手な行動をすればどこかでこちらを窺っている角都が許さないだろう。
飛段の少し大きめの呟きが聞こえたのか、殺気を感じた。
飛段は内心で「わかってる。しっかりやるって」と舌を打つ。
頭に被せた布の端を口にくわえ、客引きする夜鷹を演じながら、角都が狙っている男を捜す。
「…あ」
間もなく、獲物は現れた。
提灯を片手に、ガラの悪そうな顔でフラフラと客引きする夜鷹を物色している。
常連なのか、声をかける夜鷹に「よかったぜ」や「おまえは今度だ」などと返事を返している。
タイミングを見計らって飛段は男に近づいた。
「!」
男はすぐに近づく飛段に気付き、自分より背は低いがどの夜鷹よりも大きな体に目を丸くする。
「こりゃまたデケー女だな。見かけない顔だし、ここで商売するのは初めてか?」
喋ると野太い声でバレるかもしれないので、飛段は黙ったまま小さく頷いた。
「ふーん…」
男は右手で飛段のアゴをつかみ、しげしげとその整った顔を見つめた。
飛段は露骨に嫌な顔をしないように耐えている。
男は納得したのか、「よし」と口端を吊り上げた。
「今夜はおまえにしてやる。じっくり奉仕してもらおうか」
「っ!」
それからゴザを奪われて右手首をつかまれ、痛いくらいに引っ張られて近くの茂みへと連れて行かれる。
(早く来い!)
飛段は角都がいるであろう場所に振り返って目配せするが、まだ出てこない。
茂みにつれていかれた飛段は、力任せに敷かれたゴザの上に押し倒される。
「ちょ…!」
思わず声を出してしまい、慌てて両手で押さえたが、男はさほど気にしていない様子だ。
すぐそこに男の顔が迫り、臭い息がかかる。
(早く来い!!)
飛段は臭いに耐えながらも角都を待つが、一向に現れない。
そこであることを思い出した。
男の傷跡の確認だ。
飛段は右手で男の胸倉をつかみ、力任せに引っ張り、傷跡を確認する。
男の胸の中心に大きな刀傷。
本人に間違いない。
「慌てるなって。まずは楽しませてやるよ」
飛段がその気だと思った男はいやらしい手つきで飛段の左脚を撫で始める。
それがどんどん上へのぼり、ついに飛段は行動に出た。
「気持ち悪い手で触んじゃねェェェェ!!」
左手のコブシが男の横っ面に直撃した。
思ったより、派手に飛んだ。
突然のことに、男は言葉が出なかった。
「いい加減にしろや角都ゥ!! さっさと来いっつってんだろうがァ!!」
立ち上がった飛段はまずキレた。
それでも角都は現れない。
「おまえ…、男…」
ようやく言葉を発したの男だったが、それが運の尽きだ。
飛段はすぐ傍の茂みから、隠していた自分の刀を拾い、柄をつかんだ。
「結局あのジジイはオレひとりにやらせる気かよ…」
「ひっ!」
殺気を感じた男はすぐに腰から刀を抜いたが、飛段はそれよりも早く鞘から刀を抜いて振るい、男の刀は川へと弾き飛ばされ、続いて男の首がとんだ。
頭部を失った切断口から噴水のように鮮血が噴き出し、まともに浴びた飛段は舌打ちし、服を脱ぎ捨てて川へと飛び込み体を洗いだした。
「チッ、クソヤローのクソの血がついちまった」
「意外と清潔な奴だな」
「!」
乱暴に素手で体をこする飛段の前に、ようやく角都が姿を見せた。
角都は平然とした様子で、足下に転がった男の首を拾い、懐から出した布に巻いた。
「てめー! なんですぐ出てこなかったんだ! 話違うぞ!」
素っ裸のまま、飛段は歯を剥きながら真っ直ぐ角都に近づいた。
「相手が最も油断しているのは、情交の時だ」
「ふっざけんな! あのままヤられとけばよかったってか!? あったまおかしーんじゃねーの!? 割りに合うか!! つーか、ヤる前に、タマついてんだからバレるに決まってんだろ!!」
そんなことを言い合っているうちに、こんな幼稚で下品な会話を今までしたことがなかったな、と角都は思った。
続けて文句を上げようとした飛段に、角都は預かった着物を飛段の胸元に押し付けた。
「とにかく着替えろ。今のこの状況、周りからどんなふうに見えるか…」
飛段の顔は怒りから羞恥へと切り替わった。
辺りに誰もいないか確認したあと、いそいそと着替え始める。
それを見つめながら、角都は脇に抱えた布にくるまれた首に視線を落とし、先程の飛段の動きを思い返した。
反射神経や、刀の太刀筋から見て、ただ刀を振り回すだけの素人とは違うようだ。
断面も綺麗に切断されていた。
飛段が着替え終わり、角都は頭部を失った胴体を川へと捨て、「行くぞ」と声をかけた。
(ただの生意気なガキだと仕置きしてやろうかと思ったが、こいつは、使えるかもしれない)
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