満月の夜に
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それからしばらくカクズとヒダンの生活は穏やかに続いた。
ヒダンはカクズが眠っている昼の間、広い屋敷の中を掃除したり、庭の手入れをしたり、書斎に入って本を読んだりして過ごした。
たまに、3階にあるカクズの部屋に忍び込み、棺桶で眠っているカクズの傍でなにをすることもなく過ごすこともあった。
カクズがそれに気付いていたが、なにも言わなかった。
カクズは夜に起きると、棺桶から出てエサを狩りにいく。
ヒダンはその間、本を読みながら大人しくカクズの帰りを待った。
町で狩りを終えたカクズは必ず飛段のために夕食の材料を持って帰ってきた。
嬉しそうに食べるヒダンを眺めていると、カクズは己が吸血鬼だということも、ヒダンが贄であることも忘れてしまう。
ある日、カクズは久しぶりに朝に起きた。
眠りが浅かったのだろう。
二度寝を考えたが、朝に活動しているヒダンを見たくなり、棺桶から出てヒダンの部屋へと向かった。
廊下を渡り、2階の奥の部屋の前に立ち、ノックをする。
だが、返事はない。
「ヒダン、入るぞ」
一声かけてから扉を開けて中へと足を踏み入れるが、部屋にヒダンの姿はない。
庭にいるのかと踵を返したとき、部屋の中にある浴室の扉が開いた。
「あ、カクズ」
ヒダンは腰にタオルを巻いたまま出てきた。
カクズを見て驚いている。
「朝風呂中だったか」
「朝に入るとさっぱりするぜェ♪」
ヒダンはもう1枚のタオルで自分の頭をガシガシと拭く。
クローゼットから服を取り出そうとカクズの横を通過したとき、カクズはヒダンの右手首をつかんで顔を近づけた。
「!?」
「おまえ…、血の匂いがするぞ。怪我でもしたのか?」
ヒダンの表情が一瞬強張った。
「ふ…、風呂でこけてさァ、舌切っちまった…」
やっちまった、と舌を出す。
その赤い舌に思わずカクズは喉を鳴らした。
そして、誘われるようにその舌に吸いつく。
「んん!?」
驚いたヒダンの顔が一気に赤く染まる。
構わず、カクズは血の味がする口内を貪った。
ヒダンはその息苦しさに初めは抵抗したが、力が抜けてカクズの体を押し退けることもできない。
「ふ…っ、うぅ…」
その極上の味に、カクズはそのままヒダンをベッドへと押し倒した。
「い…、今…、吸うのか…?」
息も絶え絶えなヒダンは尋ねた。カクズは妖しい笑みを浮かべる。
「オレは気紛れだ。ヒダン、己がエサだということを忘れていたな?」
「ん…っ」
首筋を舐められ、ヒダンは思わず声を漏らした。
カクズの牙が首筋に当てられたとき、カクズはヒダンが微かに震えていることに気付く。
「どうした? 今更怖くなったか?」
やっとそれらしい反応をしてくれたヒダンに、カクズは勝利の笑みを浮かばずにはいられなかった。
しかし、ヒダンは首を横に振る。
「違う…。…熱い…」
「…「熱い」?」
「カクズの手が…、カクズの息が…、カクズの牙が…、熱い…///」
ヒダンの首筋から顔を上げたカクズは後悔した。
ヒダンの表情は紅潮し、本当に穢れがないのかと疑うほどの色のある目でカクズを見つめていたからだ。
別のことに理性が切れそうになったカクズはその体から離れた。
「…カクズ?」
「妙なことを…。熱いわけがないだろう」
吸血鬼の体温は死体よりも冷たいのだから。
「けど…、ホントに…」
「貴様の血を吸うのは、満月の日だ。…変更はない」
「カクズ!」
カクズはそのまま部屋を出て行ってしまう。
扉の閉まる音が、カクズの拒絶の音に聞こえた。
部屋に残されたヒダンは目を伏せ、コブシを握りしめる。
「…時間がねえんだよ…」
その日から、カクズはヒダンを避けるように朝と昼は起きても棺桶で寝たまま夜を待つことが多くなった。
ヒダンは気付いていたが、棺桶の傍で過ごすことをやめなかった。
以前と違ってそちらの方が多くなっていた。
それでも、カクズは夜になると己の部屋にヒダンがいようが話しかけたりせず、棺桶から出て狩りに行き、帰ってヒダンの夕食を作ってさっさと眠りにつくのだった。
ヒダンとこれ以上親しくなってしまえば、取り返しのつかないことをしてしまうのが怖かった。
満月の日までその生活は続けられた。
そして、ついにその日がやってきた。
カクズの部屋の窓から見える満月を見上げながら、ヒダンはカクズが起きるのを待っていた。
ガタリ、と棺桶のふたが外され、カクズが上半身を起こして棺桶から出てくる。
「カクズ…」
ヒダンは声をかけたが、カクズは黙ったまま扉へと向かう。
ヒダンは目を伏せたが、
「今日が約束の日だったな」
久しぶりに聞いたカクズの声にヒダンははっと顔をあげ、慌てて返事を返す。
「お、おう、そうだなっ」
思わず声が裏返ってしまった。
カクズはヒダンに振り返り、薄笑みを見せる。
「さっさと仕事を終わらせて帰ってくる。…待っていろ」
「…ああ、待ってるぜ」
ヒダンも笑みを返した。
「……本当に変わったやつだな、おまえは」
「ん?」
カクズは扉から離れ、ヒダンに近づき、その頭を撫でる。
ヒダンは顔を真っ赤にさせて言う。
「いってらっしゃい」
その言葉を聞いたカクズはふと思った。
人間だった頃、「いってらっしゃい」と言ってくれた人間がいただろうか、と。
ヒダンの表情がどこか寂しげに見え、思わず抱き寄せてしまう。
「カ、カクズ?」
「…行ってくるぞ」
カクズはゆっくりとヒダンから体を離し、窓際へと向かい、窓を開けた。
夜風が部屋に入り込み、髪とマントがなびく。
カクズは窓枠へと飛び乗り、翼を広げた。
ヒダンは、初めてカクズを見た時のことを思い出し、その姿に魅入られる。
カクズが軽く窓枠を蹴ると、翼は大きく羽ばたき、カクズの体は満月へと向かって飛んでいく。
それを見送ったヒダンは、窓を閉め、カーテンも閉めた。
途端に、両膝と両手をついて咳をした。
「げほっ、ごほっ…」
咳とともに唾液と血が床に飛び散った。
ヒダンはその場にうつぶせに倒れ、ひゅーひゅーと苦しそうに呼吸を繰り返す。
「カクズ…」
視線の先には、持ち主の入っていないカラの棺桶があった。
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