満月の夜に

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漆黒の夜空に、美しい円を描いて金色に輝く月が浮かんでいる。

月に小さな影が通過した。

それは背中に大きなコウモリの翼を上下に羽ばたかせ、眠りに就いた町の上を飛行していると、なにを発見したのか、人気のない町の大通りに舞い降りた。

地上に足をつけば、高価な黒のマントを纏った高貴な貴族の男に見える。


「トリック・オア・トリート」


大通りを歩いていると、肌を大きく露出させた女性が街角から男に声をかけた。

男の容姿をじっくりと眺め、満足そうな笑みを浮かべながら近づいてくる。

男は辺りを見回し、あることを思い出した。


「…そういえば、今日はハロウィンだったな」


町はジャックオーランタンの灯りで彩られていた。

だが、仮装した人間どころか、普通の人間も今は眠りについている。

まだ日付も変わっていないというのに。


「こんな時代に呑気なものだ」

「こんな時代だからこそよ。気分を盛り上げないと、暗さに体が押しつぶされて気が狂ってしまいそうだもの。お菓子がもらえなくても…」


お菓子だけでも、この国では子供の小遣いで簡単に買えるものではない。


「出来ることといえば…、いたずらだけ…」


女は裾をたくし上げ、男の背中に手をまわして絡んできた。


「ねえ、あなたの名前は?」

「…カクズだ」

「じゃあ、いたずらしてもいい? カクズ」

「その前に、菓子をもらおうか」


カクズは女を抱きよせ、囁いた。

女は違う意味でとらえたのか、色のある声で小さく笑う。


「ふふっ、いいわよ」


女の唇が近づいてくる。

カクズはそれを白い手袋をつけた手で塞いだ。


「悪いが、そちらではない」


瞬間、カクズは女の首筋に牙を突き立てた。


眠りに就いた町に、女の悲鳴が轟く。


*****


女の干からびた死体がレンガの地面に横たわる。

それを冷たい目で見下ろしたカクズは口元の血を拭った。

満たされない顔だ。


「やはり娼婦か」


美味いと呼べるものではない。

容姿がいい女を見つけたからとつまみ食いをしなければよかったと後悔した。


「この町も、随分と汚れたものだ」


貧困になってしまったこの町の女性は、ほとんどが娼婦という始末だ。

殺しや略奪も今では珍しいものではない。

カクズは昔の穏やかな町を思い出すことができなかった。


町の中心にある時計台の鐘が鳴る。

時間だ、とカクズの口元が動いた。


翼を広げたカクズは町外れへと飛ぶ。

今はただ静かな町を見下ろしながら。


町外れには、天井が半壊した、古びれた教会がひっそりと建っていた。


教会の前に着地したカクズはその重い扉を開けた。

窓から月明かりが差し込み、教会の中は薄暗い。

血のように赤い絨毯の上を真っ直ぐ歩き、祭壇へと近づく。

そこには、真黒な棺桶がひとつ置かれていた。

その上には封筒に入った手紙が置かれている。


「……………」


カクズは黙ったまま封筒を手に取り、中の手紙を取り出して読んだ。


“お約束通り、生贄をお授けいたします。先日の件、ありがとうございました。次の依頼が最後になります…”


カクズは教団の依頼で、先日異教徒狩りの団体を始末した。

続きを読んでいくと、その首謀者を残った団体ごと始末してほしいと書かれていた。

地図までつけられている。


教団の依頼を受け、成功した報酬に清らかな生贄を与えられる。

このやりとりは数百年前から行われていた。


報酬は生贄5人。

最後の依頼だけのことはある。

今時、清らかな処女は貴重だ。


棺桶から清く美味な匂いがする。

先程の娼婦とは比べ物にならないほどの上物であることがわかる。

カクズは棺桶に触れ、口を開く。


「司教に伝えておけ。決行は次の満月だ。最後の仕事には、準備と、力を溜める必要があるからな」


教会の出入口付近に隠れていた者がビクリと体を震わせた。


カクズが手を上げると、棺桶がふわりと宙に浮かぶ。


「いい贄を貰った」


そう言ってから翼を広げ、棺桶とともに半壊した天井から飛び去った。


*****


町から離れた森に、カクズの屋敷がある。

3階建ての大きな屋敷だ。

外装はまるで小さな古城のようだ。


棺桶とともにカクズは屋敷の柵を越え、ひとりでに開いた扉へと入っていく。


エントランスに入ったカクズは中央に棺桶を下ろした。


「……………」


棺桶を見下ろし、その蓋に手をかける。


(少し気は早いが…)


贄がどんなものか気になり、好奇心に負けてその蓋を持ちあげて開けた。


贄はシスターの格好していて、その顔には目だけ開いた布が被せられている。

その瞳は閉じられたままだ。

だが、肌は白く、目を閉じているだけでも銀色のまつ毛が美しい贄だ。


「…起きろ」


カクズが声をかけると、贄の瞳がゆっくりと開いた。

ピンクサファイヤのような瞳とぶつかり、カクズはその色に少しの間魅入られる。


贄は上半身を起こし、カクズと向かい合った。

布に隠れたその口元が笑った気がする。


本来なら、この時点で布をしたままその首筋に牙を突き立てて血を貪っているところだ。

贄の生き血にしか興味がないから。


カクズを目にした贄たちは皆、己が贄だとわかっていても、体を震わせ、恐怖で声も出せなくなる。


しかし、この贄は今までのどこか贄とは違う。

なぜ笑っている。


生き血ではなく、ただの人間そのものに興味を持ったのは、酷く久方ぶりな気がした。

おそらく、この体になって以来だ。


「顔を見せろ」

「!」


それを聞いた贄は目を見開いて驚き、黙ったまま首を横に振った。

このオレに逆らうか、と内心で目の前の贄に対する興味はますます深まっていく。


「恥ずかしがるな。本来ならこのまま貴様の首に噛みついているところだ」


それでも贄は首を振る。

カクズは軽く睨みつけた。


「…肌を見せるなという正当な戒律でもないだろう」


贄の布をつかみ、そのまま無理矢理引っ張る。

贄は両手で布をつかんで抵抗したが、


ビイィィィ!


カクズの力が強すぎて布が裂けてしまった。


「うわああ!! やめろォ!!」


ピタリとカクズの動きが止まる。


「あ…」


顔を合わせた贄も動きを止めた。


カクズは久方ぶりに動揺している。

女とはあるまじき野太い声に、改めてよく見るとガタイのいい体、そして、整っているその顔。


しばらく贄と見つめ合ったあと、カクズは口を開く。


「男…だと…?」


思わず間の抜けた声が出てしまった。


カクズの中に教団に対する殺意が芽生える。


「あの教団の奴ら、皆殺しにしてやる。オレもナメられたものだ」


立ち上がって屋敷から出て行こうとしたカクズのマントを、贄の男が慌ててつかんだ。


「お、落ち着けよ!」


カクズは振り返ると同時にマントをつかんだその手を払った。


「貴様も加担者か」


殺意がこちらに向けられ、贄は必死にワケを説明した。


「仕方なかったんだって! うちの教団、アンタが依頼をこなしたあと他の異教徒狩りに遭っちまってさァ、女がほとんど連れてかれちまったんだよ! わずかに残ってるけど、アンタの好きな若い女でも処女でもないし…」

「人聞きの悪い言い方をするな。オレが好物としているのは、穢れのない女の生き血だ」

「……同じようなモンだろ」


小さく呟かれたその言葉を聞き逃さず、カクズは感情のままに贄の胸倉をつかんで持ち上げた。


「貴様…、慎みのないその口、今ここで裂いてやろうか」

「ああもうキレやすい奴だな! 一応紳士だろ!」


絞め上げられても贄は喚いた。

はっとしたカクズは贄を棺桶に落とす。


「痛てっ」

「チッ」


(オレとしたことが、こんな人間ごときに頭に血を昇らせてどうする。こんな奴に一瞬でも魅入っていた己が恥ずかしい)


舌打ちとともに反省したカクズは、表には出さないが若干落ち込んだ。


「大体、そんなことがあったなら、なぜ貴様が贄に選ばれた?」

「司教様が決めたことだ。教団の中で一番若いのオレだそうだし、女装させとけば大丈夫かもしれないってさ。アンタ、生き血以外に興味ないんだろ? それに…、一応オレ…、ヤりもヤられもしたことないし…」


最後は顔を赤らめ、言いづらそうに言った。


「もっといい言い方はできないのか」


それでも、言っていることは事実だろう。

実際、男だと気付けないほど純な香りがしているのだ。

おそらく、普通の処女よりも純潔だ。

女装も似合わないこともない。


「…怖くはないのか?」

「は?」


贄は首を傾げた。

呑気な贄に若干苛立ちながらもカクズはそれを抑えて言う。


「どちらにしろ、貴様がオレの贄なのに変わりはない。女でないとわかった今、八つ裂きにされて殺されようと文句は言えない状況だぞ」


なのに、贄は男だとバレてもやはり怯えもしない。


「だってよォ、このオレがジャシン様に選ばれたってことだぜ。こんな名誉なことはねえ…。ジャシン様のためなら喜んで贄になってやるぜ」

「ジャシン…」


カクズは教団が崇めている神の名だと思い出した。

それから満足そうな笑みを浮かべている贄を見て納得する。


(そうか、こいつが処女より純潔なのは、誰よりも己の神を信仰しているからか。…こんな時代で…)


殺戮と略奪ばかりの時代で、神を信じる者がいたとは。


(…ただの馬鹿だからか?)


「おい、なにじっと見てんだよ。つうか、早く食ってくれよ。そんで、オレらが一番邪魔だと思ってる奴らをとっとと殺してきてくれ。…それとも、やっぱオレじゃ…」


贄の顔が不安になる。

「早く食ってくれ」とせがまれたのも初めてのことで、カクズは右手で目を覆った。

この贄と会話していると調子が狂う。

いや、もう充分狂わされている。


「…おまえ、名は?」

「? …ヒダン」

「ヒダン、こっちへ来い」


逃げることはないだろうと確信したカクズは、ヒダンに背を向けてエントランスの壁側にある、2階へ続く階段を上がっていった。

ヒダンは慌ててそのあとを追いかける。


2階の長い廊下を渡り、奥の部屋へと招かれた。

連れてこられた部屋にはベッドとクローゼットと小さな丸いテーブルしかない。


ヒダンは部屋を見回したあと、カクズに振り返って尋ねる。


「…おまえの部屋か? ここで吸ってくれるのか?」


(だから言い方…)


どこか卑猥に聞こえてしまう。


「おまえの部屋だ」

「へ?」


思った通りの反応にカクズは説明する。


「数百年生きてきて男を食うのは、実は初めてだ。殺すことはあってもな。貴様と違ってこちらにも躊躇というものがある。…最後の依頼決行の日まで、貴様はここで過ごしてもらう」

「え、ちょ…」

「心配するな。オレは気紛れだ。ひょっとすれば、その日が来る前に、貴様の首筋に牙を突き立てるかもしれん…。今の貴様は保存食と同じだ」


顔を近づけてその瞳を覗きこんでふっと笑みを浮かべると、ヒダンの顔がボッと赤くなった。

青くなることを期待していたカクズだったが、予想に反するリアクションに自分から仕掛けておいて内心困ってしまう。


(本当に調子が狂う奴だ)


カクズは背を向け、部屋を出て行こうとする前にヒダンに一声かける。


「ないとは思うが、ここから逃げ出せば血を飲むことなく殺す。当然、最後の依頼も無効だ。それだけは心に留めておけ。それと…、クローゼットに着替えがあるからそれに着替えておけ」


いつまでも女装というわけにはいかない。


「カクズ、どこ行くんだ?」

「寝る。起こすな」


それだけ言ってカクズは扉を閉めた。


小さく欠伸をして廊下を渡っている途中でカクズは「ん?」と気付く。


(オレは、あいつに名を名乗ったか?)


部屋を出たヒダンは、朝から屋敷の中を探検していた。

どうやら、この大きな屋敷にはカクズひとりしか住んでいないようだ。


(ずっとひとりで住んでんだなァ…)


庭に出たヒダンは茫然とそう思った。


こんな大きな屋敷で、気の遠くなるような年月を、自分ならどう過ごすのだろうか。


庭も雑草だらけで寂しいものだ。

あまり手入れされていない。


「うーん…」


何気なくその場に座りこみ、ブチリと雑草を抜いた。

することもないのでブチブチと抜いていく。


半分終わった頃には昼となっていた。

それに気付いたのは空腹の合図がなってからだ。


「ヤベ…、腹減った」


手が止まると疲れも実感してきてその場に仰向けに倒れた。

緑ばかり見ていたので、真上の青が眩しい。


「草むしりしていたのか」

「!」

「誰かと思ったぞ。まともな格好をすれば、まともに見えるな」


視線を屋敷に向けると、2階の廊下の窓からカクズがこちらを見下ろしていた。


「メシだ」


それだけ言ってカクズは窓を閉めた。


*****


ダイニングに行くと、美味しそうな匂いが充満していた。

テーブルには皿に盛られたパスタが置かれていた。


「スッゲー、美味そう!」


口の中は唾液で満たされている。

向かい側に座るカクズは赤ワインを飲んでいた。


「久しぶりに作ったからな。味は保証しない」

「ゼッテー美味いって!」


椅子を引いて席に着いた飛段は早速フォークを手にとってパスタを口にした。


「美味ェ!!」

「大袈裟な…」


それを見たカクズはふっと笑った。


「…カクズって、日光平気なんだな」


先程窓から顔を出していたとき、思いっきり日の光に当たっていた。


「ああ。長く当たり続けていると具合が悪くなるがな」


だから、昼は大体機嫌が悪い。


「血以外も飲めるのか?」


フォークでカクズの手に持っているワインを指す。


「味は薄いが、飲めないことはない。気が向けば、普通の料理も口にする」

「ふぅん。思ってた吸血鬼とはちょっと違うんだな」

「それは下級の奴らだ」

「…カクズは、上級な吸血鬼なのか?」

「……大昔、吸血鬼に襲われ、今のオレがある。正統ではないからな。上級と呼んでいいのか…」


己と同じようなことを生業としていた吸血鬼に襲われた夜を思い出す。

首筋に噛みつかれ、目覚めた時には人間ではなくなっていた。


(…世に恨まれることをするべきではなかったな…)


自嘲の笑みを浮かべたとき、ヒダンが「カクズ?」と声をかけたので顔を上げる。


「おまえはどうしてオレの名を知っている?」


昨夜から気になっていたことだ。

突然の質問にヒダンは動きを止めたが、薄笑みを浮かべて話しだす。


「カクズは知らねえだろうけど、オレ、ガキの頃にカクズと会ってんだぜ。教団に入って間もないころ、教会の椅子の下に隠れてたらカクズが入ってくるのが見えたんだ。

デケー翼をバサッと広げて、一目見た時はジャシン様だと思った。オレのイメージ通りだったんだ。声かけようとしたら司教様と話しだしたからよ。隠れて過ごしたけど、司教様が「カクズ様」って言ってたから、アンタの名前覚えてた」


ヒダンはどこか恥ずかしげだ。

カクズはその時のことを思い出そうとしたが、司教と話したことは幾度かあるのでヒダンがどの時のことを言っているのかわからない。

ヒダンが子供の頃と言うのだから、10年くらい前のことなのだろう。

カクズにとっては一瞬の時間だ。


「ジャシンじゃなくて悪かったな」

「けど、カクズはオレをジャシン様の元へ連れてってくれる、使い魔みたいなものだろ?」

「勝手に設定づけるな。誰が使い魔だ」


機嫌を損ねたカクズは席を立ち、出入口へと向かった。


「おい怒るなよォ」


ヒダンの間の抜けた声は扉が閉められたことで遮断された。

カクズはため息をつく。


「なんなんだ、あいつは」


やはり調子が狂ってしまう。


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