堕天使からの贈り物
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いい匂いがした。
ほのかに甘い、ミルクの匂いだ。
あとからコーヒーの匂いもしてきた。
目を開けると、最初に白いシーツと毛布が目に入った。
飛段はゆっくりと体を起こし、部屋の中を見回す。
見たところ、寝室のようだ。
体を見て、外套と大鎌がないことに気付く。
靴も脱がされていた。
「どこだ? ここ」
ベッドからおりてフローリングの床に足をつき、ベッドの向かい側の窓に近づいて外の景色を眺めた。
朝で明るかったが、並び立つ建物は昨夜見たものとあまり変わりはない。
見下ろすと、5階の部屋にいることがわかった。
「夢じゃない…」
当然、傍に角都はいない。
飛段は脱力して崩れかけそうになったが、窓枠に手をかけて己の体を支え、どうにかして元の世界に戻れないかと考えた。
先に場所と状況を理解しなければならない。
昨夜は確か外で力尽きて倒れたはずだ。
倒れた先から記憶がない。
誰かに拾われたのではないかと推測した。
寝室の出入り口の扉を開け、右の廊下を進む。
ミルクとコーヒーの匂いがだんだん濃くなっていく。
美味しそうな肉の匂いまでしてきた。
扉の奥からその匂いと人の気配がする。
おそるおそる開けた扉の向こうは、ダイニングルームだった。
「!」
扉が開き、顔を出した飛段に気付いた男はガスの火をとめて飛段に声をかけた。
「起きたか」
「!?」
その顔を見た飛段は驚愕の表情を浮かべる。
「驚かせたか」
男はフライパンの目玉焼きを焼き立ての食パンの上に載せ、2人分のそれをキッチンからテーブルへと持って行った。
テーブルの上には無糖のコーヒーが入ったカップとホットミルクが入ったカップが置かれてある。
「腹が減っただろう。朝食でも摂りながら話をするぞ」
テーブルの椅子に腰かけた男はコーヒーの入ったカップを手に取り、一口飲んだ。
飛段はその男の顔を茫然と見つめたまま、扉の前で突っ立っていた。
(か…、角都…!?)
男の顔や体格は、角都そのものだ。
「どうした? メシが冷める。早く座れ」
口調も。
促されるままに、飛段は向かい側の椅子を引いて座った。
(角都だけど…、なんか…、違う…)
ずっと傍にいたのに、まるで初めて会った感覚だ。
「オレは角都。おまえは?」
「……飛段」
角都、という名前で飛段の心臓がドクンと大きく跳ねたが、角都に問われ、少し遅れて名を名乗った。
角都は「そうか」と言って飛段の顔を見つめる。
思わず目を逸らした飛段は、気を落ち着かせるためにホットミルクを手に取り、口に含んだ。
「覚えていないか?」
「ん?」
カップに口をつけたまま、飛段は聞き返す。
「前に酔っ払いに絡まれていただろう?」
「…………?」
それはこちらの飛段のことだ。
あちら側である飛段がそんなことを知るはずもなく、ただ首を傾げるだけだった。
「覚えてないならいい」
角都は一度目を伏せ、再び飛段の顔を見つめた。
目の前の角都がなにを考えているのか飛段にはわからない。
角都はここに飛段を連れてきた経緯を話した。
仕事の帰りに偶然倒れているところを見つけ、目立つことこの上ない格好をしていたため、わざわざタクシーを拾い、自分が住んでいるこのマンションへと連れてきたのだそうだ。
ところどころに血が付着していたため、病院に連れていこうかと考えたが、服を脱がせてみたところ、傷一つなかったため、濡れたタオルで体を拭きとったあと寝室のベッドで寝かせたらしい。
飛段は話を聞きながら、空腹に任せて食パンを食べ、美味しそうに咀嚼して飲み込んだ。
あちら側の角都はこういったものは金がかかるからあまり作らない。
だから違うの意味で新鮮な味がした。
角都が先に食べ始めたが、飛段は角都より先にペロリとたいらげた。
残りのホットミルクを飲み、角都に尋ねる。
「オレのコートと鎌はァ?」
角都はカップから口を離して答える。
「コートは血で汚れていたから洗濯した。黒だから目立たんだろう。ベランダに干した」
角都はダイニングルームの大きな窓に指をさし、飛段は指された方向に顔を向けた。
窓の向こうのベランダには、物干しざおに干された外套があった。
外の風になびいている。
「鎌は…、キッチンだ」
「キッチン!?」
なぜそんなところに、と椅子から立ち上がり、キッチンの方向に顔を向けた。
そこには確かに己の鎌が立てかけられてある。
「本物かどうか試した」
「切れ味も良かったため、サラダの野菜切りに使わせてもらった」と角都は続ける。
逆に使いにくくなかったのだろうか。
「包丁じゃねーよ」
あんな使い方をされたのは初めてだ。
まさか角都がやるとは。
違う角都だとわかっていても、飛段はショックを受けた。
角都は呆れるように言う。
「ハロウィンでもあるまいし、あんなものを堂々と持ち歩いていると職質されてしょっぴかれるぞ」
飛段は「ショクシツってなんだ?」と首を傾げたが聞かなかった。
「家はどこだ?」
「…ねーよ」
「家出か?」
「家出っつーか…」
こちらでもあちらでも、飛段に家と呼べるような場所はない。
家はなくても帰る場所を聞かれれば、「角都のところ」と即答するだろう。
目の前の角都に言えるはずがないが。
「……まあいい。オレはこれから仕事だ。一日中ここにいるのなら、掃除くらいはしておけ」
角都は飛段の皿もまとめて洗い場へと持っていき、こちらに戻ってきて椅子にかけたスーツの上着を手にとって着た。
そのまま2人掛け用のソファーの下に置いたカバンを手に取り、部屋を出て行こうとする。
「角都…」
行ってしまう角都の背中に、飛段は思わず手を伸ばして声をかけた。
角都は立ち止まり、振り返る。
「なんだ?」
なにを言うのかは考えていなかった。
「置いてくな」なんて、目の前の角都に言うべきことではない。
飛段は笑みを浮かべ、伸ばした手を振った。
「…行ってらっしゃい…」
「…ああ」
角都は前に向き直り、部屋から出て行く。
それから少しの間が空き、扉の奥から玄関の扉が閉まる音と続けて鍵をかける音が聞こえた。
「…ハァ…」
飛段は椅子から立ち上がり、テレビの前の2人掛け用のソファーに倒れる。
「角都…」
己が来てしまったこの世界には、もう一人の角都がいる。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。
あちらの角都とは、性格が似ているようで似ていない。
角都のスーツを見た時もそうだった。
あの神経質な角都が、ボタンをひとつ取れたまま放置しているはずがない。
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