リクエスト:偽りの恋唄
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寝静まった町の中心で、飛段は川沿いを目的もなく歩いていた。
角都につけられた痣や傷は徐々に回復し、完治していく。
途中で立ち止まり、顔や体に付着した血を洗い流した。
「痛てて…」
殴られた頬にはまだ痛みが残っている。
月明かりに照らされた川を見下ろし、痛みで顔をしかめている飛段は舌打ちした。
「チッ。あのクソジジイ…」
それでも、殺したいと願うほど憎いわけでもない。
思い返せば角都の言っていたことはすべて正論だった。
今回のバイトで、飛段は自分自身にも怒りを感じていた。
(確かに他の奴に気をとられたのはオレが悪ィさ。角都がいなかったらターゲットにやられそうになってたかもしれないし、そのまま逃げられていたかもしれない)
だが、今回の角都のやり方はどうしても許せなかった。
「コンビ解消の話にならねえのは、オレが甘いからかァ?」
冗談でもその話を持ち出さないのは、角都に首を縦に振られるのが怖いからだ。
そのことはわかっていても口には出さない。
「さて、いつ戻ろうか」と考えた時だ。
ベベンッ、と絃を弾いた音がこの先の川を渡る小さい橋の方から聴こえた。
その後も弾かれる絃の音とそれに合わせて唄う男の声に、飛段は誘われるようにその方向へと歩き出す。
歩を進めるにつれて音に近づいていく。
橋の中心には、編み笠を被った着物姿の男が座り込み、楽器を弾いて唄っていた。
静かな夜に男の声が町や空に響き渡る。
唄の言葉は飛段には理解できないものだが、唄の内容がそのまま頭の中に流れ込んできた。
身分の違いで周囲から反対される男女。
女には婚約者がいた。
夜な夜な密かに会う男女だったが、女が別の男と結ばれる日は近づく。
そこで女は男に心中を申し出た。
男は躊躇なく頷き、女の手をとって走り出す。
だが、一足早くに気付かれてしまい、追手に追われ、男は腹を刺されてしまう。
それでも男女は逃げて逃げて、男女は橋まで逃げると互いを抱きしめて橋から飛び降りた。
しかし、女だけが助かってしまった。
助けられた女には障害が残ってしまう。
自力で体を動かすことができなくなり、人形のようになってしまった。
男のあとを追いたくても座敷牢に監禁され、自ら命を断つこともできず、婚約の式の時も舌を噛むことさえできない。
ああ、死ねない。
あの人のあとを追えない。
女は声も出すことができずに泣いている。
女が死んだのは、果たして男が死んで何十年のことか。
死ぬことができない苦しみは飛段が一番理解できる。
角都だけが死んでしまったら、という想いが爆発的に涙となって溢れ出た。
音が止まり、男は顔を上げる。
「おっと、失敬」
笑いかける男の顔は、中年にしては整った顔立ちをしている。
しかし、その両目は閉じられ、目蓋には横一線の傷痕があった。
はっとした飛段は慌てて外套の袖で涙を拭う。
「それ、変わった三味線だな」
「いや、これは琵琶という楽器だ」
「びわ…」
飛段は男が手にしている琵琶をじっくりと眺めた。
そして先程の唄を思い出し、目を伏せる。
「なにか悲しいことでもあったのか? オレでよければ愚痴の相手になろう。オレはカタリ。おまえは?」
カタリは再び琵琶を奏で始める。
先程よりはゆっくりとして控えめな独奏だ。
「…飛段」
飛段は名を名乗り、角都と先程悶着を起こしたことをゆっくりとした口調で話した。
カタリは苦笑し、呆れたように首を横に振る。
「酷い男だな。よく傍にいれるものだ」
気にしていることを言われ、飛段はムッとした表情になる。
まるでそれが見えたかのようにカタリは「失敬」と謝った。
「そりゃ、すぐにキレるし、殴るし、守銭奴だけどよォ…」
外套を投げ渡した角都を思い出す。
「たまに…、優しい時あるし…」
「優しい?」
カタリは鼻で笑った。
「甘いな、飛段」
「あ?」
眉間に皺を寄せる飛段に構わず、カタリは琵琶を奏でながら言う。
「それではこの先も同じ繰り返しだ。飛段はまたウロウロと彷徨うことになる。その男はどうだ? その繰り返しに耐えられるのか?」
「それは…」と飛段はうつむいた。
角都が言わないだけで、ワガママな飛段に呆れ果て、いずれは面倒が見きれないと捨てられてしまうのかもしれない。
そんな不安は確かにある。
今回のことで角都がそう思っていないとも限らない。
「……だったら、オレ…、どうしたら…」
飛段の弱い声にカタリは口端をわずかに吊り上げる。
「簡単だ。飛段から、その男を捨ててしまえばいい」
「は?」
飛段は間の抜けた顔でそう言った。
「失敬。だが、そうすれば、もう飛段が苦しむ必要はない」
「ちょっと待てよ。それは…」
「それは?」
琵琶の旋律が速まる。
「その男などやめてオレに乗り換えてはどうだ?」
「な、なんでそういう話になるんだ!?」
「その男より飛段を大事にする自信はある」
「ふざけ…」
遮られるように、ベンッ、と絃が大きく弾かれる。
「ならば、飛段はその男をどう思っている?」
「そりゃあ…」
「大事な相棒だ」と答えるつもりだった。
「ブッ殺してやりてェ」
(え?)
しかし、飛段の口から発せられた答えは、本人の意思とは反する言葉だった。
口元に手を当てると自分が笑っていることが判明する。
「殺したい?」
「ああ。殺して、ジャシン様の贄に捧げてやる」
(違う!)
「そこまで憎いか?」
「ああ」
(違う!!)
「違う」「違う」と心中で抵抗しても、口が勝手に角都を罵ってしまう。
やがて、カタリの質問に答えるたびに角都に対する怒りが殺意へと黒く染められていく。
そして、角都に対するもう1つの感情がカタリへと移行した。
「憎むは?」
「角都」
カタリは立ち上がり、ほくそ笑む。
飛段の目はすでに虚ろだ。
「愛すは?」
「カタリだ」
独奏が止まり、カタリは両腕を広げて飛段を抱きしめる。
飛段もカタリの背中に手を回し、抱きしめた。
「さあ、2人で、序曲を奏でよう」
「カタリ…」
飛段の中にひとつの疑問が芽生える。
どうして今まで角都を愛していたのだろう、と。
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