リクエスト:一杯飲まされ
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オレの名は角都。
職業、バーテンダー。
酒場は駅の裏から10分ほど歩いたところにある。
周りの店もほとんどが夜に営業している店ばかりだ。
オレの店は地下にあり、階段を下りて扉を開けて入るとL字型のカウンター席と、テーブル席が8席ある。
その店の上は、1人で住むには十分な広さのオレの部屋がある。
夜は営業、朝は部屋で寝て、昼に買い出しやら夜までのヒマ潰しをしている。
これがオレにとっての気楽な生活だ。
このまま一生この店でやっていくのも悪くないと思っている。
営業開始の札を店の扉にかけ、カウンターでグラスを拭いているとさっそく客が入ってきた。
最初に女性客が2人、次に男性が1人、また女性客が1人。
どちらかと言えば女性の方が多く入店している。
閉店時間が間近になってくると、たまに誘惑してくる女性もいるが、昔と違って言葉巧みにうまくかわしてきた。
あとで面倒が起きないようにだ。
この仕事をしていると世の中の色んな情報が客同士の会話から耳に入ってくる。
「ねえ、このモデル知ってる?」
「知ってる。最近、雑誌によく出てるわね」
カクテルを入れながら、何気なくオレは4番テーブル席の方に目を向けた。
そこには2人の女性客が一冊の雑誌の表紙を見ている。
男性のファッション雑誌だが、使ってモデルがいいのか、最近では女性の間でも人気で購入数も多い。
「あたし、このモデルのファンなんだけど、最近事務所の社長のモメたらしくて、辞めるかもしれないって噂なの」
「えーっ、このコ、絶対将来売れると思ってたのにー」
「なによ、あなたもファンなの?」
残念そうな声と笑い声。
20を過ぎても1人のモデルにそこまで盛り上がれる若さが羨ましい。
「これも噂で聞いたんだけど…」
急に雑誌を見せていた女性が声を潜めた。
「この店に出入りしているところ、あたしの友達が目撃したらしいのよ」
「ヒダンが? それはないでしょー」
確かに、人気モデルが来るような有名な酒場ではない。
顔の知っている奴かと思い、オレは女性が持っている雑誌を見た。
そして、硬直した。
フラッシュバック!!
「マスター! こぼれてるこぼれてる!」
いつの間にかカクテルをグラスに注いだまま手が止まっていたようだ。
オレは目の前の客に謝り、新しい酒を出そうとした。
手元が震えている。
まだ動揺しているようだ。
せっかくオレと店の紹介で話を終了しようとしていたのに。
先程の雑誌の表紙を思い出してその場で頭を抱えそうになる。
今後流行りそうな服で格好を決めている、あの男の顔を。
(あいつ、モデルだったのか)
人気モデルにオレは手を出してしまったことになる。
とにかく、面倒事にならなければそれでいい。
相手は男だ。
責任をとって嫁に迎えろと言われるわけでもない。
閉店時間も迫り、客がひとりまたひとりと出て行く。
「またお越しくださいませ」
最後の男性客も店を出て行った。
オレもそろそろ片付けるかと思った時だ。
最後の男性客とすれ違うように別の客が入ってきて、オレの目の前のカウンターに座った。
「まだやってる?」
「!!」
塩をまいておけばよかった。
そう後悔しながらも、オレは「あと30分ある」と答えた。
オレは注文されたカクテルを出してやる。
スプモーニというピンク色のカクテルだ。
ヒダンは「サンキュ」と礼を言ってそれを受け取り、喉を鳴らしながら飲む。
「…おまえ、モデルだったのか」
「あ? なに? 知ってたのか?」
もう飲み終えてしまったようだ。
スプモーニはのんびりと時間をかけて飲むロングドリンクだというのに。
「女性客たちが騒いでいたのを耳にしただけだ」
あまり客のプライベートには立ち寄りたくなかったが、こいつは客の一線を越えている。
ヒダンはヘラヘラと笑って言う。
「そうそう。なんか、最近人気出てきたらしいんだよな、オレ。あ、次、カシス・オレンジ」
「辞めるとはモデルの仕事か?」
オレは注文のカクテルをグラスに注ぎながら尋ねた。
ヒダンはカクテルを受け取って答える。
「ああ。よく知ってんなァ。っていうか、目の前でその電話してたんだっけ? ゲハハッ。……嫌なことがあってさァ。もう事務所に戻るのもだるいし、電話も鬱陶しいし、ようやく人気アップしてきたとこだけど、辞め時かなってさ…」
最初は笑っていたヒダンの声がだんだん弱くなってきた。
よほど溜まっていたのだろう。
ヒダンはカクテルを一気飲みし、こちらにニヤけ面を見せ、カウンターに顔を伏せる。
「辞めてどうする気だ? やりたいことは見つかってるのか? …おい、カウンターに顔を伏せるな。寝るなら帰れ」
「……やりたいこと…。なりたいものならあるぜェ?」
顔を伏せたままヒダンは答えた。
「ほう?」
「アンタのヨメ。もらってくれるよな?」
ヒダンは顔を上げ、こちらに人差し指を差して言った。
グラスを拭いていたオレの手がピタリと止まる。
「…………ほう?」
思考を一時停止して発した一言がそれだ。
それから沸々と殺意が湧きあがり、額に青筋を浮かべながら傍にあったアイスピックを手にし、ヒダンの目前に先端を近づける。
「頭でもかち割らんと酔いが醒めないようだな」
柔らかすぎて割れずに破裂するかもしれんが。
「ハァ!? 酔ってねーしオレは真剣だって!」
ヒダンは仰け反り、慌ててブンブンと手を横に振った。
「まさか、男に「嫁にもらえ」と追求されるとは思ってもみなかった。追求自体なかったことにするために、死因は酒の飲み過ぎによる事故死にするか? それとも川に放りこまれての溺死か…。いっそのこと酒を浴びせて焼死に…」
「マスターマスター、完全犯罪計画、口からだだ漏れてるから」
「大体、貴様を嫁にする理由がどこに…」
「いいから、アイスピック放せっての。ヨメにする理由は簡単だ。マスターにオレの貞操奪われたから」
「それだけのことだろう。犬に噛みつかれたと思え」
「それだけのことって…。オレ、ケツ掘られたの初めてだったんだけど?」
朝はあんなに余裕だったのにか。
オレは自分の方が処女だったというようにかなり動揺していたというのに。
容姿もいいし、てっきり慣れているものかと思っていた。
「ガキができたとでも言うのか?」
「実は最近すっぱいものが食べたくて…」
グサッ!!
ヒダンが手を口に当てた瞬間、オレは躊躇わずヒダンの目の前のカウンターにアイスピックを突き立てた。
「ふ…っ、ふざけてすみませんでしたっ」
顔を青くしながら謝るヒダン。
オレは黙ったままアイスピックを引き抜く。
「もう時間だ。帰れ」
オレはヒダンのグラスを下げる。
「ま、待ってくれって。ふざけて悪かったよォ」
「帰れ」
オレは背を向け、片付けの用意を始める。
あまりしつこければ、襟首をつかんででもこいつを店から叩きだそう。
「……わかった」
急に素直になったヒダンに安堵し、オレは振り返った。
「またのお越しを」といつものセリフを言う前に、ヒダンが先回る。
「……てやる」
「?」
「この店のマスターがオレと寝たって世間にバラまいてやる!」
そう言って携帯の画面を突きつけられる。
「!!?」
それを見たオレは顔を青くした。
全裸で眠るオレと全裸でオレにひっついてピースしているヒダンだ。
世間に言い訳ができないツーショット。
「タイトルは、“人気上昇中のヒダンはバーテンダーとデキてる!? 嘆く女性ファン達”」
ガシャッ、とオレは持っていたグラスを思わず握りつぶしてしまう。
(このクソガキ…!!!)
平和な暮らし30余年。
ここまでねじ曲げてくれるヤロウをオレは知らない。
やはり実行すべきか、完全犯罪計画!!
奴の携帯にはロックがかかっていた。
CMで宣言しているほどの丈夫なもので床に叩きつけても水に放りこんでも壊れもしない。
一時的に本気の殺意を覚えたオレだが、未来ある若造を屠るほどの犯罪者になりきれはしない。
奴が出した条件は、「嫁にしてくれなくても、ここで働かせてほしい」とのことだ。
孤独主義者のオレはアルバイトの応募はしていない。
ひとりでもなんとかなっているからだ。
だが、あの待受を世間に漏洩させないためには仕方がない。
オレはわざと嫌な顔を露骨に表してから首を縦に振ってやった。
あとから聞いたことだが、カタカナの「ヒダン」芸名で、本名は飛ぶ段と書いて飛段と呼ぶそうだ。
オレも人のことは言えないが、珍しい名前だ。
「お待たせしましたァー。え…と…、アップダウンのお客様は…」
そう言うと、客が小さく笑ったのが見えた。
オレはため息をつき、飛段に聞こえるように訂正する。
「アップタウンだ」
上下してどうする。
「し…、失礼しました」
飛段がオレのところで働き始めて1週間が経過したが、いつまで経ってもカクテルの名前を間違える。
ここに来た当初はグラスや瓶を割ったり、掃除の最中に床をびしょびしょに濡らしたり、氷の割り方が下手すぎてカウンターや床に氷が飛んだり散々だった。
思い出すと腹が立ってくる。
「な…、なに睨んでんだよ」
無意識におしぼりを畳んでいた飛段を睨みつけていたようだ。
役に立っているいえば、客引きだ。
最近は若い女性も飛段目的でよく来るようになった。
ちなみに、マスコミやファンの殺到を防ぐために、飛段の名前は極力呼ばず、髪型はオールバックにさせ、珍しい瞳の色も黒のカラコンで誤魔化させている。
たまに「ヒダン!?」と気づいて指さす女性客もいたが、そっくりさんと言えばどうとでもなった。
「なぁ、マスター、今日…、お泊まりしても…」
「お断りだ」
「ゲハー」
店が終わるとこいつは誘惑を試みるがもう騙されない。
女にも、特にこいつにいつまでも振り回されてたまるか。
携帯の待受もパスワードがわかり次第削除してさっさと店から追い出してやる。
「マスター、企み笑いが露わになってるけどわざとやってんのかァ? なァ?」
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