01:闇から醒めて
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鬼は、ゆっくりと近付いてくる足音を聞いていた。
階段を下りる音だ。
それに伴い、匂いもはっきりしてきた。
匂いは情報の塊だ。
男が2人。
他の血の匂いが混じっているということは、人を殺したことがある連中だとわかる。
ひとりは若い男、もうひとりは年寄りにしては特殊だ。
血の匂いからして、親子というわけでもなさそうである。
「檻が4つ…。ここかァ…。けどよ、扉が全部開いてるぜェ」
階段を下りたところなのか、若い男が馬鹿っぽく呟いた。
「逃げ出していた場合、とんだ骨折り損だな」
もうひとりの男は地から響くような低い声だった。
全然年寄り臭さを感じない。
「あ」
手前から右の檻を見た若い男の赤紫の瞳と鬼の瞳がぶつかった。
銀色のオールバック、赤雲のマークがある黒の外套を身に纏い、開けられた胸元には、円のなかに三角が入った変わった形の銀色のペンダントが光っている。
背中には、大きな赤い三連鎌が携えられていた。
本当に存在していると思っていなかった飛段も相手を見つめ返す。
鬼の格好は、サラシがへそから上まで巻かれていて、その上に、腹から上のボロい半袖を着ている。
それと、肩くらいの長さで白のメッシュの入った黒のショートヘアと、瞳の色が印象的だった。
瞳の色は瑠璃色だ。
「飛段、いたか」
飛段ははっとし、角都に振り返って手を振った。
「角都、いたいた! ひとりだけ!」
角都は飛段の隣に並んで鬼を見つめる。
その姿を見た鬼は不覚にもぎょっとしてしまった。
人間の目ではなかったからだ。
黒目の部分が緑色で、白目の部分が赤黒い。
頭に被った白い頭巾と黒い口布のせいで、その目と鼻筋しか見えない。
着ている服装は飛段と同じだ。
飛段と違い、胸元はきっちりと閉められている。
鬼も今までこれほど怪しい人間は見たことがなかった。
「……他の朱族はどうした?」
「!」
存在を知られていることにわずかに驚く鬼。
まともに会話を交わすことも久しぶりだ。
「…出て行った。随分昔にな。この里に残っているのはオレだけだ」
ひとり残って何十年が経ったことか。
「そうか…」
「どこ行っちまったんだァ?」
「知るか」
自分ばかりが質問をうけるのも気に食わない。
鬼は少しイラついてきた。
「何の用だ? 馬鹿に割く時間がもったいねえ。手短に話せ」
「バカ?」
飛段が首を傾げた。
角都はため息とともにツッコむ。
「おまえ以外に誰がいる」
ようやく理解したのか、飛段は鬼を睨みつけて喚き始める。
「誰がバカ…むぐぐぐ!」
角都が手を伸ばし、飛段の口を押さえて黙らせた。
「黙れ飛段、殺すぞ」
飛段は一歩下がり、息を吐き、角都を睨みつける。
「ぷはっ。だから、それをオレに言うかよ、角都!」
仲がいいのか悪いのかわからないやりとりだ。
角都が鬼に向き直り、説明する。
「オレ達は貴様を迎えに来た、“暁”という組織だ。リーダーからの命令で、朱族を仲間に入れろとのことだ」
「“暁”?」
聞いたことのない組織の名前に鬼は片眉を吊り上げる。
「知らねえの? オレらって有名人なのになァ」
馬鹿にしたような言い方に、今度は眉をひそめた。
「……かれこれ50年以上里から出てねえんだ」
ましてや最近設立された組織のことなど知る由もない。
一度間を置いてその言葉を続けようとしたとき、飛段が檻の中に入ってきた。
「いい機会じゃねえか。オレらといればやりたい放題できるぜェ。クソリーダーはうぜェけど、ここにいるよかマシだ」
「……………」
堂々と踏み込んできた飛段に対し、鬼は静かに思案する。
(オレが舐められてるのか、ただ単にこいつがバカなのか。…いや、おそらく、後者の方だろうな…。……だが…)
鼻をひくつかせ、思わず舌なめずりをした。
(こいつ、美味そうな匂いがする…)
胸元を開けてる分、余計に匂いが強い。
そろそろ、鬼の食欲も限界だった。
「なあ、角都からも誘えよォ」
飛段が角都に振り返った瞬間、鬼は文字通り牙を剥いた。
「飛段!」
「!」
鬼が動き出した瞬間、角都は飛段に向かって叫んだ。
飛段ははっと振り返ったと同時に、後ろに飛び退き、柵に背中をぶつける。
「チィッ」
舌打ちする飛段の首筋からは血が流れていた。
鬼がわずかに齧ったからだ。
(思った通り、若い人間特有の甘さだ。いや、それ以上かもしれない。普通の人間とは違う…!)
上唇に付着した血も舌なめずりで舐めとりたくなるほど、それはいやに甘美な味だった。
「特殊な味がするな。おまえはなんだ?」
「テメーこそ、どういうつもりだァ!?」
首筋にかじりつかれたことが腹立たしく、飛段は険しい顔で質問返しをする。
角都も檻の中に入ってきた。
「不用意に近づくからだ、馬鹿が」
「うっせーぞ、角都!」
鬼を睨んだまま、飛段が角都に怒鳴る。
鬼はその様子が少し羨ましいと思った。
数十年以上、言い争う相手さえ、傍にいなかったからだ。
「かじる程度じゃ、欲は満たされない…」
鬼はそう呟き、頭を垂れた。
自分の中で念じ、あの血を啜りたい、この渇きを潤したい、と欲を唱える。
すると、左肩に刻まれたコウモリの刺青と、背中の禁術の刺青が同時に疼いた。
「!!」
鬼の姿を見た角都と飛段は目を見開いて驚いている。
当然だ。化け物を目にしているからだ。
鬼の背中にはコウモリの黒い翼を生えた。
鬼はその状態で両手を背中にまわし、生えたばかりの翼をつかみ、背中から引き剥がした。
その間、痛みはない。
両手には、コウモリの翼形の剣―――“夢魔”を握っている。
それを器用に振り回し、笑みを浮かべたまま、刃先を侵入者に向けた。
「血の夢を見るか?」
(バラバラにして、贅沢な食事時を楽しませてもらう…)
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