08:神と語る少年
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*ヨル
ヒルとユウが去り、アサも去って数十年が経過した。
鬼隠れの里にはとっくの昔から誰もいない。
オレは独りだ。
「チッ」
深夜、黒い外套を身に纏って狩りに出かけていた時だった。
血がたっぷりつまっていそうな大きなイノシシを発見して追いかけていたのだが、山に入り、ようやく追い詰めたところでさらに大きなイノシシの後ろに隠れた。
さらに大きいイノシシがこちらを睨みつけている。
「うちの子になにか?」と。
「保護者連れてくんなっ!」
親子連れの獲物は苦手だ。
「さっさと失せろ!」
右手の夢魔を投げつけ、イノシシのすぐ目の前に突き刺さる。
それに驚いた親子イノシシはあとずさりし、山の奥へと逃げて行った。
「追いかけるんじゃなかった…」
ブツブツと呟きながら、地面に突き刺さった夢魔を回収して背中に戻し、無駄な体力を使ってしまったことに腹を立てながら、次の獲物を捜した。
“音寄せ”を使って動物を集めればすぐだが、「さあ食べて」という動物を食べる気にはなれない。
大体オレはコウモリやネズミなどの小動物しか操れない。
イノシシを追うに夢中になってしまい、里から少し離れてしまった。
「…なんだあれ?」
山を下りていると、遠くの方に白い建物を見つけた。
森から三角型の屋根が突き出している。
「いつの間に…」
ヒルとユウが去ったあとくらいにこの辺りにきたことがあったが、あんな建物は存在しなかった。
最近建てられたものだろう。
進んでいくと流れゆく水の音が聞こえた。
川があるのか。
山は下りた先は案の定、河原だった。
このまま河原に沿って里に戻ろうとしたとき、
「!」
里へと向かう反対の道から人間の匂いがした。
空腹なうえに、久しぶりの人間の匂いに誘われて反対の道を進む。
しばらく行くと、座ったまま川に向かって石を投げる小さな人影を見つけた。
月明かりに照らされ、近づいて行くたびにその姿がはっきりしていく。
その人間は白い外套を身に纏い、フードを被っていた。
背はオレより少し低く、明らかに子供だった。
親子連れじゃねーよなぁ?
辺りを見回すが、その子供以外の人間の姿は見当たらない。
確認したあと、瞳の色で逃げられないようにとフードを深く被って子供の背後に近づいた。
子供はオレに気付かない。
前を向いたまま横に落ちている石を拾い、遠くへと投げている。
オレはほくそ笑み、子供に手を伸ばした。
「……………」
だが、首根っこに触れる寸前、その手をピタリと止めてしまう。
子供って…、どうやって殺せばいいんだ…?
人間をたくさん殺してきたが、子供を殺すのはこれが初めてだった。
だから、躊躇が生まれた。
アサはわからないが、ヒルとユウは迷うことなく子供を殺すはずだ。
なのに、どうしてオレはすぐにそれが出来ないのか。
迷っていると、子供がこちらに振り返った。
同時に、血の匂いと薬の臭いがした。
「!」
フードの下のその顔を見て、伸ばしていた手を思わず引っ込めた。
右目と口以外、ミイラのように包帯でグルグル巻きにされていたからだ。
「誰だァ?」
声変わりしたばかりの少年はきょとんとした顔でオレに尋ねた。
オレの姿を見て怖がったり怪しんだりしていない様子だ。
なんて警戒心のねえ奴なんだ。
「なァ、誰だよ」
再度質問する少年にオレは戸惑う。
「え…と……」
予定外の展開だ。
こいつが大人だったら躊躇うことなくその首に噛みついて血を啜っているところなのに、完全に襲いかかるタイミングを見失ってしまった。
「オレは……」
変に警戒されてはマズイと思い、正直に名乗ろうとしたとき、少年はそれを手で制した。
「やっぱいい。オレも名乗れないしィ…」
「え?」
赤紫の瞳がオレを見上げる。
「“祝福”を受けるまで顔見せちゃダメだし、名乗ってもダメなんだって」
「“祝福”? 親がそう言ったのか?」
意味がわからず尋ねると、少年は首を横に振った。
「神官が「戒律だ」ってさ」
「神官…、戒律……」
宗教か?
60年くらい前だろうか、始末屋の仕事で、「神が望む平和の為に」とテロばかり起こしている教団を潰したことがある。
始末している最中に、「戒律」だの「宗教」だの「改宗」だの意味不明な言葉をたくさん聞いたので、天空から教えてもらった。
この子供も教団の者だろうか。
それらしい服装をしているのだから、きっとそうなのだろう。
「どこから来た?」
「戒律だから言わない」
ベッと舌を出されたのでムッとしたが、ふとこちらに来る時に見えたあの白い建物を思い出した。
里とは逆方向で、あれ以外に他の建物は見当たらなかった。
「あの白い建物か?」
見えた方向に指さすと、少年はビクッと体を震わせ、首を激しく横に否定する。
「ち…、違ェーよ!」
焦る様子が図星だと教えてくれる。
オレがふっと笑うと、
「ぜ…、絶対にオレが言ったって言うなよォ!?;」
大きな声で念を押された。
カワイイ…。
初めて子供の魅力を知った瞬間だった。
背がもっと小さくもっと幼かったら完全にやられているところだ。
「で、その建物から抜け出してきたのか?」
「…だって、なかなか外に出してくれねーしィ…」
少年は口を尖らせながらそう言った。
そのあと、月を見上げて立ち上がる。
「そろそろ行かねーと…。見張りがうるせーんだよ」
「あ、おい」
オレが声をかける前に駆けだして肩越しのオレに言う。
「またこの時間に会おうぜェ!」
オレは少年の背中が見えなくなるまで、止めようとした手を伸ばしたままにしていた。
そして気付く。
もしかして、さっきのって約束か?
人間の子供が、大人より手強い生き物とは知らなかった。
その次の日、オレは昨日と同じ格好であの河原へと向かった。
口約束かと思っていたが、
マジでいるよ、あいつ…。
あの少年はいた。
相変わらず、フードの下は包帯で巻かれている。
昨日と違い、近づいてきたオレにすぐに気付いて振り返り、笑みを向けた。
「よォ、神様」
「神様ァ?;」
いきなり大袈裟な名前で呼ばれ、間抜けな顔をしてしまう。
フードを被っててよかった。
「お互い名前名乗れねーんだからいいだろォ」
オレはケタケタと笑う少年の横に座り、苦笑いを浮かべる。
「そんな大物じゃねえよ、オレは;」
むしろ、その逆だ。
話に聞く「神」とは違うことをたくさんしているのだから。
「だって、オレのイメージしてる神と似てるしィ」
「おまえが入信してる宗教の?」
「そーそー」
こいつの教団は死神でも祀っているのだろうか。
黒の外套を纏う神なんて「平和」とは無縁そうだ。
「どういうとこなんだ? おまえんとこの教団は」
「ん―――…。戒律さえ守ってれば、なんでも許されるとこ」
そう言いながら、丸い石を川に向けて投げた。
水面で跳ねることなく、ポチャンと音を立てる。
「なんでも? ……人殺しもか?」
「そう…」
少年の口元に笑みが浮かんだ。
その、人を殺すのが好きそうな顔に驚かされる。
オレも似たようなものだから、それを知っても軽蔑することはなかった。
少年はもう一度石を川に投げ、言葉を続ける。
「色々あって故郷を抜けて…、あの教団に勧誘されて入信した。ホント、なんでもありなところなんだぜェ…。毎日体をいじられるのはウゼェけど…」
「!」
ふと少年の横顔を見つめた。
鼻を突くような薬の臭いがするのは、毎日得体のしれない薬物を注入されているからなのだと知る。
あまり意識しないようにしていたが、濃い血臭がするのは何度も体の各部分をメスなどの刃物で切り裂かれたからだ。
「おまえの他にも?」
「ああ。信者達は全員オレみたいに体いじられてる。“祝福”を受け入れることができたら、守る戒律が減るうえに自由に動き回れる」
実験体…!
同じような目にあったことがあるオレに、すぐにその言葉が脳裏に浮かび上がった。
“祝福”というのは、“実験成功”という意味なのかもしれない。
この少年はそれをわかっているのだろうか。
「また明日も来るか?」
「あ…、ああ…」
思わず頷いてしまった。
少年は立ち上がり、「また明日ァ」と言って建物へと帰っていく。
その背中が見えなくなったあと、里に帰ろうとしたオレは途中で立ち止まり、急いで少年のあとを追いかけた。
*****
森の入口で少年はすぐに見つかった。
気付かれないように距離を保ちながらあとを尾行する。
歩きにくい草の生い茂った道を進み、少年がその道を抜けたところで動きを止めた。
少年が建物の目前に到着したからだ。
白い建物の正体は教会だった。
1階の窓は全てステンドグラスだ。
少年は懐から銀色の胸飾りを真上にかざしながら教会の建物に近づいて行く。
正面からは入らず、教会の横に立つ大きな木を登って高い位置にある枝を渡り、そこから3階の窓の向こうへと消えてしまった。
河原に行くときもあそこから抜け出したのだろう。
オレもそこから中に入ろうと教会に近づいた。
バチィ!
「っつう!?」
途端に、突然電気の壁のようなものに触れてしまい、尻餅をついてしまった。
「な…、なんだ?」
試しに手を伸ばしてみると、先程と同じ痛みが走った。
「う…!」
触れた右手は痺れ、指が動かせない。
「結界!?」
おそらく部外者が入らないように、教会の周りをぐるっと囲んでいるのかもしれない。
なんであいつは…。
少年は何事もなく教会に入っていった。
そこで思い出したのが、少年がかざした胸飾りだ。
形はよくわからなかったが、あれを持っていれば結界に触れることなく中に入れるのだろう。
教会の中が騒がしくなる。
オレの悲鳴が聞こえたのかもしれない。
左手で痺れた右手の手首をつかんだまま茂みへと飛び込んで身を隠し、そのまま里へと一時退却した。
次の日、やっぱり少年はあの場所にいた。
しかし、周りの空気が少しよどんでいるように見える。
「どうした?」
背後に近づく前にオレは声をかける。
少年はゆっくりとこちらに振り返った。
常にその顔はわかりやすいほど感情が出ていたのに、今は無表情で、思わず昨日の少年かと疑ってしまう。
オレが隣に座ると、少年はなにも言わず前を見た。
「…なにか…あったのか?」
おそるおそる聞くと、少年は前を見たまま話し始める。
「同じ信者で、けっこう仲の良かった奴が…、消えた」
「!? 消えた?」
「昨日まではいたんだ。けど…、朝には消えてた…」
信者ということは、少年と同じ実験体だったのだろう。
突然いなくなったということは、“祝福”とやらを受けて失敗したのかもしれない。
「……神官には聞いたのか?」
「「神に嫌われた」って…」
少年はそう言って目を伏せた。
その姿がオレの中でなにかと重なった。
それはなにかと考えたとき、
ああ、そういえば…。
天空が死んだとき、檻の隅で宙を見つめながら座っていたオレを思い出した。
泣いていいのか、怒っていいのかわからなかったんだ。
今目の前にいる少年と重なったのは、その時のオレだ。
思わず手を動かした。
彷徨うその手を少年の頭に置こうとしたとき、
「次はオレかも」
少年は静かに言った。
手を止めたオレは「え?」と聞き返す。
「先に入信した順に、他の奴らもそうなってる。あいつのあとは、オレだ」
「……抜けろ…」
気付かぬうちに口にしていた。
少年がこちらに顔を向ける。
「教団を抜けろ、死ぬぞ」
「…別にいいぜェ」
「なに…?」
投げやりな言い方じゃなかった。
「“祝福”を受ければ、スゲー肉体が手に入るって聞いた…。オレはノロマだし、弱い方だから、その肉体が欲しい」
「その肉体を手に入れた奴に会ったことあんのかよ?」
低い声で聞くと、少年は「会ったことねえけど…」と口を濁すように言ってから言葉を続ける。
「今までいらないもの扱いされたんだ。誰でもいい、オレの存在を認めさせたい…」
「……………」
わからない気持ちじゃない。
オレも、そう思ったことがあるから。
「……っ」
なにか言おうと口を開いたが、言葉が出てこない。
まるで、自分自身を相手にしているみたいだ。
「見つけたぞ!」
「「!!」」
遠くの方で声が聞こえた。
その方向に顔を向けると、こちらに向かって3・4人の男たちが走ってくる。
服装から見て教団の連中だ。
「ヤベッ! 神様、さっさと逃げろ!」
「けど…っ」
「オレの迎えだから!」
こうしてる間にも教団の連中が接近してくる。
迷った挙句、オレは少年を置いて走りだした。
そのまま手を引っ張って走ればよかったのに、そうしなかったのはオレの中に、ある迷いがあったからだ。
「今のは何者だ!?」
「なんでもねーよ! 追わなくていいから!」
背後で教団の連中と少年が言い争っている。
オレは…、あいつをどうしたいんだ!?
そんな自分に苛立ち、ギリッと歯軋りした。
次の日、あの少年は来なかった。
遅れているだけだと待ってみたが、やっぱり来ない。
「次はオレかも」
その言葉を思い出すと同時に、オレは教会へと走った。
*****
「く…っ」
左手で確認してみたが、やはり結界で囲まれている。
「……はぁ。貧血起きそう…」
やはりあの手しかないかとため息をついたあと、一度来た道を戻り、途中で振り返って弾かれるように駆けだした。
バチィ!!
「――――っ!!」
悲鳴で気付かれないように声を殺し、ゆっくりと指先から結界の向こう側へ力任せに押し入る。
「ぐっ」
結界を突破すると同時に、その場にうつ伏せに倒れた。
「はぁっ、はぁっ…」
右手で口を覆って息の音を隠そうとする。
見つかる前によろめきながら起き上がり、少年が登った木へと近づいた。
高さを確認してからよじ登っていき、3階の窓へと到達する。
幸いにも、窓の鍵が壊れていた。
窓の向こうはベッドや小さなテーブルがある小部屋となっている。
おそらく、少年の部屋だろう。
枝を渡って窓を開け、その部屋へと足を踏み入れる。
薄暗さと静寂に包まれていた。
「……おい…」
声を潜めて少年を呼ぶが、返事はない。
向かい側に扉を見つけ、そちらに移動した。
鍵を見ると、向こう側からしか鍵がかからないようになっている。
ノブを握って試しにまわしてみると、扉は簡単に開いた。
真っ暗な廊下に続いている。
「!」
しかし、左の廊下から2人組の信者達が火のついたロウソクを片手にこちらにやって来たため、慌てずゆっくりと扉を閉めた。
扉に背をもたせかけ、目を閉じて耳を澄ませる。
廊下から、あの2人組の声が聞こえた。
「やはり、死を知らぬ体など、ただの夢に過ぎないのか…」
「そう悲観的になるな。現に、今回の“祝福”は成功しかけた」
「成功しなければ意味がない」
「まあまあ、実験用の信者たちはいくらでもいるんだ。いつかは成功する」
「また明日も“祝福”の儀式を行うのなら、そろそろ、“洗礼の間”も掃除をしなければ…」
2人の信者が部屋の前を通過し、声が遠のいていく。
……“洗礼の間”か…。
扉を開けて左右を確認したあと、2人組がやってきた左の廊下を渡っていく。
曲がり角を曲がり、その先の階段を下りていくと早くも血臭が匂ってきた。
腐臭も混じっている。
なんだこの血臭…!?
色んな人間の血の臭いが混ざり合って漂っている。
頭がクラクラする。
そのまま1階まで下りたが、匂いが薄くなったことに気付き、急いで2階へと戻った。
赤い絨毯が敷かれてある廊下を渡り、匂いをたどっていく。
「!」
今度は前からロウソクの灯りが見えた。
隠れるところがなくて「やばいやばい」とあたふたしていると、あることを思い出し、親指を噛み切ってコウモリの刺青に塗りつける。
闇染。
姿を消し、信者の横を堂々と通過した。
ずっと使ってなかったから、すっかり忘れてた。
闇染を使うほど隠れる機会がなかった。
ちょうど2階の廊下の真ん中だろうか、大きな扉を見つけた。
そこから強い血臭と死臭がする。
ノックをし、相手が出てこないことを確認したあと、そっと中を窺ってから入った。
大きな広間だ。
壁際には何本ものロウソクがたてられ、その炎は不気味に揺らめいている。
その灯りに照らされ、足下には自分の影がうつっている。
姿だけは見えていないので、他人が見たら驚きそうだ。
闇染を解除し、部屋を見回してみる。
木でできた床には怪しげな文字が描かれていた。
禁術の文字なのだろう。
その真ん中にはまだ新しい血液が付着している。
文字の真ん中で膝をつき、床の渇いた血を爪ではぎ取って嗅いでみる。
「…!」
あの少年の血だ。
舐めたこともないが、匂いでわかる。
目の前を見ると、また扉があった。
さっき入ってきた木製の扉と違い、鉄でできている。
強烈な匂いはそこからしていた。
扉に近づいてノブを握り、おそるおそるそれをまわして重い扉を開ける。
「…!!」
臭いの原因が判明する。
鉄の扉の向こうは、死体の山だった。
壁と天井の窓から差し込む月の光に照らされ、死体と血がはっきりと見える。
バラバラにされた大人の死体もあれば、胸を杭で刺された子供の死体まである。
血や死体に慣れていなければ、吐き気がこみ上げる光景だ。
横の窓を見ると、自分の瞳が朱色に変色しているのが映っている。
こんな時でも“血の欲”が湧き上がるのか。
「………どこだよ……」
名前を知らないから呼びようがない。
混ざりに混ざった血臭のせいで捜しようもない。
「おい……」
あの少年と似たような死体ばかりだ。
白い外套を着たままで顔は包帯でぐるぐる巻きにされている。
「……………」
背中に重いものが圧し掛かってきた。
そのまま崩れかけたとき、
「…か……さま…?」
「!!」
あの少年の声が聞こえ、急いでその方向へと向かった。
部屋の真ん中辺りに、そいつは床に転がっていた。
「おい…」
背中に手を差し入れて抱き起こし、顔を窺った。
「神様……」
オレの姿を瞳に捉えた少年は、嬉しそうな笑みを浮かべた。
こんな状態でよくそんな表情が出せるものだと驚かされる。
一番驚かされたのが、細長い杭が心臓に刺さっているにも関わらず生きていることだった。
「おまえ…、平気なのか…?」
「…超…痛い…」
生きてはいるものの、痛みが続いているようだ。
これが信者達が言っていた、成功しかけた姿なのか。
「さっき…から…、死んだり…生き返ったりしてるけど…、もう……」
少年が死んだとき、信者達はまた生き返るとは知らずにこの部屋に放り込んだのだろう。
「おまえ…、このまま死ぬのか?」
「…神からも存在否定されるなら、死ぬしかねーだろォ」
「……………」
夢魔を出してその首を刎ねて楽にしてやる、という手が思い浮かばない。
その考えを無意識に拒絶してしまう。
「神様…、最後に……名…前……」
耳を澄ませば、鼓動がだんだん弱まっていくのがわかる。
呼吸も弱い。
「…まだ死ぬな…」
オレは少年の胸に刺さっている杭をゆっくりと引き抜き、少年は小さく「痛って…」と呻いた。
オレは引き抜いた杭の先端で左手の人差し指を切り、赤い血を垂らす。
「オレがおまえの存在を肯定する神になってやる」
赤い血が銀色に変わり、それを少年の口元に垂らした。
“真血”を人間に与えるのはこれで2度目だが、最初の奴は大人だったから、子供である少年の体は何滴で耐えられるのかはわからない。
心臓が止まっても、オレは“真血”を垂らし続けた。
心臓は動かない。
少年は蘇らない。
「失…敗…?」
指の傷を右手で押さえ、少年の顔を覗きこむ。
少年は目を瞑ったままだ。
「起きろ…。起きてくれ…! 頼むから…!」
声は震え、懇願するように言った。
その時、鉄の扉が開かれた。
「なにをしている!?」
「!!」
オレの声を聞きつけてきたのか、信者達が入ってきた。
矢や剣まで構える者もいる。
「貴様、信者ではないな!?」
「ここでなにをしていた!?」
オレは少年を下ろし、一歩あとずさった。
このまま怒りに任せて目の前の信者共を切り捨ててやろうかと思ったが、
トクン…
「!!」
確かに、小さな音を聴いた。
オレはフッと笑って窓へと走る。
「待て!!」
信者が矢を放ち、オレの外套のフードを貫いた。
オレは着ている外套を脱ぎ捨て、窓を割って飛び降りる。
“真血”の力は確かに働いた。
だから、少年は明日もあの河原にくるはずだと思っていた。
しかし、明日になっても明後日になっても少年は来なかった。
幽閉されているのではないかと心配して教会の様子を見に行ったが、教会は跡形もなく、瓦礫の山となっていた。
警戒した信者達が、場所を移したのかもしれない。
教会に近づいてみたが、やはり結界もなくなっていた。
オレはまた独りだ。
光が漏れないようにと、オレはまた自分の中にある扉を閉じた。
もう2度と里からは出ない。
もう2度と他人とは関わらない。
オレはもう、独りでいい。
こんな苦しい思いをするくらいなら、
バケモノらしく、他人を食ってやる。
ひとり、
またひとり、
「バケモノだ」と叫んで死んでいく。
それが本来のオレのあるべき姿だ。
このままでいい。
このまま独りで、
漆黒色の永遠に。
「飛段、いたか」
「角都、いたいた!」
顔を上げると檻の向こうにあの2人がいる。
背後に大嫌いな光を連れて。
手を伸ばすと、温かいものに触れた。
遅ェーよ。
待ちくたびれたぜ…。
*****
ザブーン!
「!!;」
いきなり熱湯に放り込まれ、その上溺れ死にそうになってしまい、急いで熱湯の水面から顔を出した。
「あっちぃ!!;」
「お、生き返った」
目の前には飛段の顔があった。
その背後には角都がこちらを見下ろしている。
「なんだなんだ!?(汗)」
湯船から這い出て流し場でゴロゴロと転がった。
周りを見回すと、浴室であることがわかる。
「さっきまでヨル、死んでたんだぜェ?」
「死んでいたというより、仮死状態になっていた」
体を冷ますオレに2人が教えてくれた。
「けど、なんで仮死状態に?」
飛段の質問に角都が答える。
「コウモリだからな。冬眠したんだろう」
「「冬眠!?;」」
オレと飛段は驚いて声を上げた。
オレが住んでいた里は冬がないから、冬眠なんてしたことがないのだ。
軽くショックを受けてしまう。
ていうか、コウモリが冬眠すること自体知らなかった。
「布団で温めても目が覚めなかったからな。50℃の湯で叩き起こした」
「ゆでる気か!!」
相当熱かった。
角都の起こし方は半端がない。
「……ここまで運んでくれたのか?」
雪山で眠ってしまったことを思い出した。
「おゥ。感謝しろ」
「運賃をよこせ」
「運んだのはオレだァ!!」
「冗談に決まっているだろう」
「おまえが言うと冗談になんねーよォ、角都;」
「文無しから金など出るわけがない」
言い合ってる2人を見てオレは笑った。
「笑いごとじゃねえぞォ、ヨル。ちっとは反省しろ」
「時間をロスしてしまった。早朝、山を降りるぞ」
「はいはい」
オレが言わない限り、2人は思い出さないだろう。
オレだけが覚えている。
今はそれでいい。
この変わらない時間が心地いいんだ…。
余談だが、部屋に戻るとき、はっと気付いたことがあった。
飛段の奴、昔よりだいぶ背ェ伸びたけど、逆に幼児退行してないか!?
「カワイイ」と思った頃を思い出し、思わず今と比べてみる。
「ゲハハッ☆」
前はこんな笑い方していない。
「どうしてこんなコに…;」
「なんか言ったかァ?」
「いや…;」
新たに罪悪感が増えてしまった。
.To be continued
ヒルとユウが去り、アサも去って数十年が経過した。
鬼隠れの里にはとっくの昔から誰もいない。
オレは独りだ。
「チッ」
深夜、黒い外套を身に纏って狩りに出かけていた時だった。
血がたっぷりつまっていそうな大きなイノシシを発見して追いかけていたのだが、山に入り、ようやく追い詰めたところでさらに大きなイノシシの後ろに隠れた。
さらに大きいイノシシがこちらを睨みつけている。
「うちの子になにか?」と。
「保護者連れてくんなっ!」
親子連れの獲物は苦手だ。
「さっさと失せろ!」
右手の夢魔を投げつけ、イノシシのすぐ目の前に突き刺さる。
それに驚いた親子イノシシはあとずさりし、山の奥へと逃げて行った。
「追いかけるんじゃなかった…」
ブツブツと呟きながら、地面に突き刺さった夢魔を回収して背中に戻し、無駄な体力を使ってしまったことに腹を立てながら、次の獲物を捜した。
“音寄せ”を使って動物を集めればすぐだが、「さあ食べて」という動物を食べる気にはなれない。
大体オレはコウモリやネズミなどの小動物しか操れない。
イノシシを追うに夢中になってしまい、里から少し離れてしまった。
「…なんだあれ?」
山を下りていると、遠くの方に白い建物を見つけた。
森から三角型の屋根が突き出している。
「いつの間に…」
ヒルとユウが去ったあとくらいにこの辺りにきたことがあったが、あんな建物は存在しなかった。
最近建てられたものだろう。
進んでいくと流れゆく水の音が聞こえた。
川があるのか。
山は下りた先は案の定、河原だった。
このまま河原に沿って里に戻ろうとしたとき、
「!」
里へと向かう反対の道から人間の匂いがした。
空腹なうえに、久しぶりの人間の匂いに誘われて反対の道を進む。
しばらく行くと、座ったまま川に向かって石を投げる小さな人影を見つけた。
月明かりに照らされ、近づいて行くたびにその姿がはっきりしていく。
その人間は白い外套を身に纏い、フードを被っていた。
背はオレより少し低く、明らかに子供だった。
親子連れじゃねーよなぁ?
辺りを見回すが、その子供以外の人間の姿は見当たらない。
確認したあと、瞳の色で逃げられないようにとフードを深く被って子供の背後に近づいた。
子供はオレに気付かない。
前を向いたまま横に落ちている石を拾い、遠くへと投げている。
オレはほくそ笑み、子供に手を伸ばした。
「……………」
だが、首根っこに触れる寸前、その手をピタリと止めてしまう。
子供って…、どうやって殺せばいいんだ…?
人間をたくさん殺してきたが、子供を殺すのはこれが初めてだった。
だから、躊躇が生まれた。
アサはわからないが、ヒルとユウは迷うことなく子供を殺すはずだ。
なのに、どうしてオレはすぐにそれが出来ないのか。
迷っていると、子供がこちらに振り返った。
同時に、血の匂いと薬の臭いがした。
「!」
フードの下のその顔を見て、伸ばしていた手を思わず引っ込めた。
右目と口以外、ミイラのように包帯でグルグル巻きにされていたからだ。
「誰だァ?」
声変わりしたばかりの少年はきょとんとした顔でオレに尋ねた。
オレの姿を見て怖がったり怪しんだりしていない様子だ。
なんて警戒心のねえ奴なんだ。
「なァ、誰だよ」
再度質問する少年にオレは戸惑う。
「え…と……」
予定外の展開だ。
こいつが大人だったら躊躇うことなくその首に噛みついて血を啜っているところなのに、完全に襲いかかるタイミングを見失ってしまった。
「オレは……」
変に警戒されてはマズイと思い、正直に名乗ろうとしたとき、少年はそれを手で制した。
「やっぱいい。オレも名乗れないしィ…」
「え?」
赤紫の瞳がオレを見上げる。
「“祝福”を受けるまで顔見せちゃダメだし、名乗ってもダメなんだって」
「“祝福”? 親がそう言ったのか?」
意味がわからず尋ねると、少年は首を横に振った。
「神官が「戒律だ」ってさ」
「神官…、戒律……」
宗教か?
60年くらい前だろうか、始末屋の仕事で、「神が望む平和の為に」とテロばかり起こしている教団を潰したことがある。
始末している最中に、「戒律」だの「宗教」だの「改宗」だの意味不明な言葉をたくさん聞いたので、天空から教えてもらった。
この子供も教団の者だろうか。
それらしい服装をしているのだから、きっとそうなのだろう。
「どこから来た?」
「戒律だから言わない」
ベッと舌を出されたのでムッとしたが、ふとこちらに来る時に見えたあの白い建物を思い出した。
里とは逆方向で、あれ以外に他の建物は見当たらなかった。
「あの白い建物か?」
見えた方向に指さすと、少年はビクッと体を震わせ、首を激しく横に否定する。
「ち…、違ェーよ!」
焦る様子が図星だと教えてくれる。
オレがふっと笑うと、
「ぜ…、絶対にオレが言ったって言うなよォ!?;」
大きな声で念を押された。
カワイイ…。
初めて子供の魅力を知った瞬間だった。
背がもっと小さくもっと幼かったら完全にやられているところだ。
「で、その建物から抜け出してきたのか?」
「…だって、なかなか外に出してくれねーしィ…」
少年は口を尖らせながらそう言った。
そのあと、月を見上げて立ち上がる。
「そろそろ行かねーと…。見張りがうるせーんだよ」
「あ、おい」
オレが声をかける前に駆けだして肩越しのオレに言う。
「またこの時間に会おうぜェ!」
オレは少年の背中が見えなくなるまで、止めようとした手を伸ばしたままにしていた。
そして気付く。
もしかして、さっきのって約束か?
人間の子供が、大人より手強い生き物とは知らなかった。
その次の日、オレは昨日と同じ格好であの河原へと向かった。
口約束かと思っていたが、
マジでいるよ、あいつ…。
あの少年はいた。
相変わらず、フードの下は包帯で巻かれている。
昨日と違い、近づいてきたオレにすぐに気付いて振り返り、笑みを向けた。
「よォ、神様」
「神様ァ?;」
いきなり大袈裟な名前で呼ばれ、間抜けな顔をしてしまう。
フードを被っててよかった。
「お互い名前名乗れねーんだからいいだろォ」
オレはケタケタと笑う少年の横に座り、苦笑いを浮かべる。
「そんな大物じゃねえよ、オレは;」
むしろ、その逆だ。
話に聞く「神」とは違うことをたくさんしているのだから。
「だって、オレのイメージしてる神と似てるしィ」
「おまえが入信してる宗教の?」
「そーそー」
こいつの教団は死神でも祀っているのだろうか。
黒の外套を纏う神なんて「平和」とは無縁そうだ。
「どういうとこなんだ? おまえんとこの教団は」
「ん―――…。戒律さえ守ってれば、なんでも許されるとこ」
そう言いながら、丸い石を川に向けて投げた。
水面で跳ねることなく、ポチャンと音を立てる。
「なんでも? ……人殺しもか?」
「そう…」
少年の口元に笑みが浮かんだ。
その、人を殺すのが好きそうな顔に驚かされる。
オレも似たようなものだから、それを知っても軽蔑することはなかった。
少年はもう一度石を川に投げ、言葉を続ける。
「色々あって故郷を抜けて…、あの教団に勧誘されて入信した。ホント、なんでもありなところなんだぜェ…。毎日体をいじられるのはウゼェけど…」
「!」
ふと少年の横顔を見つめた。
鼻を突くような薬の臭いがするのは、毎日得体のしれない薬物を注入されているからなのだと知る。
あまり意識しないようにしていたが、濃い血臭がするのは何度も体の各部分をメスなどの刃物で切り裂かれたからだ。
「おまえの他にも?」
「ああ。信者達は全員オレみたいに体いじられてる。“祝福”を受け入れることができたら、守る戒律が減るうえに自由に動き回れる」
実験体…!
同じような目にあったことがあるオレに、すぐにその言葉が脳裏に浮かび上がった。
“祝福”というのは、“実験成功”という意味なのかもしれない。
この少年はそれをわかっているのだろうか。
「また明日も来るか?」
「あ…、ああ…」
思わず頷いてしまった。
少年は立ち上がり、「また明日ァ」と言って建物へと帰っていく。
その背中が見えなくなったあと、里に帰ろうとしたオレは途中で立ち止まり、急いで少年のあとを追いかけた。
*****
森の入口で少年はすぐに見つかった。
気付かれないように距離を保ちながらあとを尾行する。
歩きにくい草の生い茂った道を進み、少年がその道を抜けたところで動きを止めた。
少年が建物の目前に到着したからだ。
白い建物の正体は教会だった。
1階の窓は全てステンドグラスだ。
少年は懐から銀色の胸飾りを真上にかざしながら教会の建物に近づいて行く。
正面からは入らず、教会の横に立つ大きな木を登って高い位置にある枝を渡り、そこから3階の窓の向こうへと消えてしまった。
河原に行くときもあそこから抜け出したのだろう。
オレもそこから中に入ろうと教会に近づいた。
バチィ!
「っつう!?」
途端に、突然電気の壁のようなものに触れてしまい、尻餅をついてしまった。
「な…、なんだ?」
試しに手を伸ばしてみると、先程と同じ痛みが走った。
「う…!」
触れた右手は痺れ、指が動かせない。
「結界!?」
おそらく部外者が入らないように、教会の周りをぐるっと囲んでいるのかもしれない。
なんであいつは…。
少年は何事もなく教会に入っていった。
そこで思い出したのが、少年がかざした胸飾りだ。
形はよくわからなかったが、あれを持っていれば結界に触れることなく中に入れるのだろう。
教会の中が騒がしくなる。
オレの悲鳴が聞こえたのかもしれない。
左手で痺れた右手の手首をつかんだまま茂みへと飛び込んで身を隠し、そのまま里へと一時退却した。
次の日、やっぱり少年はあの場所にいた。
しかし、周りの空気が少しよどんでいるように見える。
「どうした?」
背後に近づく前にオレは声をかける。
少年はゆっくりとこちらに振り返った。
常にその顔はわかりやすいほど感情が出ていたのに、今は無表情で、思わず昨日の少年かと疑ってしまう。
オレが隣に座ると、少年はなにも言わず前を見た。
「…なにか…あったのか?」
おそるおそる聞くと、少年は前を見たまま話し始める。
「同じ信者で、けっこう仲の良かった奴が…、消えた」
「!? 消えた?」
「昨日まではいたんだ。けど…、朝には消えてた…」
信者ということは、少年と同じ実験体だったのだろう。
突然いなくなったということは、“祝福”とやらを受けて失敗したのかもしれない。
「……神官には聞いたのか?」
「「神に嫌われた」って…」
少年はそう言って目を伏せた。
その姿がオレの中でなにかと重なった。
それはなにかと考えたとき、
ああ、そういえば…。
天空が死んだとき、檻の隅で宙を見つめながら座っていたオレを思い出した。
泣いていいのか、怒っていいのかわからなかったんだ。
今目の前にいる少年と重なったのは、その時のオレだ。
思わず手を動かした。
彷徨うその手を少年の頭に置こうとしたとき、
「次はオレかも」
少年は静かに言った。
手を止めたオレは「え?」と聞き返す。
「先に入信した順に、他の奴らもそうなってる。あいつのあとは、オレだ」
「……抜けろ…」
気付かぬうちに口にしていた。
少年がこちらに顔を向ける。
「教団を抜けろ、死ぬぞ」
「…別にいいぜェ」
「なに…?」
投げやりな言い方じゃなかった。
「“祝福”を受ければ、スゲー肉体が手に入るって聞いた…。オレはノロマだし、弱い方だから、その肉体が欲しい」
「その肉体を手に入れた奴に会ったことあんのかよ?」
低い声で聞くと、少年は「会ったことねえけど…」と口を濁すように言ってから言葉を続ける。
「今までいらないもの扱いされたんだ。誰でもいい、オレの存在を認めさせたい…」
「……………」
わからない気持ちじゃない。
オレも、そう思ったことがあるから。
「……っ」
なにか言おうと口を開いたが、言葉が出てこない。
まるで、自分自身を相手にしているみたいだ。
「見つけたぞ!」
「「!!」」
遠くの方で声が聞こえた。
その方向に顔を向けると、こちらに向かって3・4人の男たちが走ってくる。
服装から見て教団の連中だ。
「ヤベッ! 神様、さっさと逃げろ!」
「けど…っ」
「オレの迎えだから!」
こうしてる間にも教団の連中が接近してくる。
迷った挙句、オレは少年を置いて走りだした。
そのまま手を引っ張って走ればよかったのに、そうしなかったのはオレの中に、ある迷いがあったからだ。
「今のは何者だ!?」
「なんでもねーよ! 追わなくていいから!」
背後で教団の連中と少年が言い争っている。
オレは…、あいつをどうしたいんだ!?
そんな自分に苛立ち、ギリッと歯軋りした。
次の日、あの少年は来なかった。
遅れているだけだと待ってみたが、やっぱり来ない。
「次はオレかも」
その言葉を思い出すと同時に、オレは教会へと走った。
*****
「く…っ」
左手で確認してみたが、やはり結界で囲まれている。
「……はぁ。貧血起きそう…」
やはりあの手しかないかとため息をついたあと、一度来た道を戻り、途中で振り返って弾かれるように駆けだした。
バチィ!!
「――――っ!!」
悲鳴で気付かれないように声を殺し、ゆっくりと指先から結界の向こう側へ力任せに押し入る。
「ぐっ」
結界を突破すると同時に、その場にうつ伏せに倒れた。
「はぁっ、はぁっ…」
右手で口を覆って息の音を隠そうとする。
見つかる前によろめきながら起き上がり、少年が登った木へと近づいた。
高さを確認してからよじ登っていき、3階の窓へと到達する。
幸いにも、窓の鍵が壊れていた。
窓の向こうはベッドや小さなテーブルがある小部屋となっている。
おそらく、少年の部屋だろう。
枝を渡って窓を開け、その部屋へと足を踏み入れる。
薄暗さと静寂に包まれていた。
「……おい…」
声を潜めて少年を呼ぶが、返事はない。
向かい側に扉を見つけ、そちらに移動した。
鍵を見ると、向こう側からしか鍵がかからないようになっている。
ノブを握って試しにまわしてみると、扉は簡単に開いた。
真っ暗な廊下に続いている。
「!」
しかし、左の廊下から2人組の信者達が火のついたロウソクを片手にこちらにやって来たため、慌てずゆっくりと扉を閉めた。
扉に背をもたせかけ、目を閉じて耳を澄ませる。
廊下から、あの2人組の声が聞こえた。
「やはり、死を知らぬ体など、ただの夢に過ぎないのか…」
「そう悲観的になるな。現に、今回の“祝福”は成功しかけた」
「成功しなければ意味がない」
「まあまあ、実験用の信者たちはいくらでもいるんだ。いつかは成功する」
「また明日も“祝福”の儀式を行うのなら、そろそろ、“洗礼の間”も掃除をしなければ…」
2人の信者が部屋の前を通過し、声が遠のいていく。
……“洗礼の間”か…。
扉を開けて左右を確認したあと、2人組がやってきた左の廊下を渡っていく。
曲がり角を曲がり、その先の階段を下りていくと早くも血臭が匂ってきた。
腐臭も混じっている。
なんだこの血臭…!?
色んな人間の血の臭いが混ざり合って漂っている。
頭がクラクラする。
そのまま1階まで下りたが、匂いが薄くなったことに気付き、急いで2階へと戻った。
赤い絨毯が敷かれてある廊下を渡り、匂いをたどっていく。
「!」
今度は前からロウソクの灯りが見えた。
隠れるところがなくて「やばいやばい」とあたふたしていると、あることを思い出し、親指を噛み切ってコウモリの刺青に塗りつける。
闇染。
姿を消し、信者の横を堂々と通過した。
ずっと使ってなかったから、すっかり忘れてた。
闇染を使うほど隠れる機会がなかった。
ちょうど2階の廊下の真ん中だろうか、大きな扉を見つけた。
そこから強い血臭と死臭がする。
ノックをし、相手が出てこないことを確認したあと、そっと中を窺ってから入った。
大きな広間だ。
壁際には何本ものロウソクがたてられ、その炎は不気味に揺らめいている。
その灯りに照らされ、足下には自分の影がうつっている。
姿だけは見えていないので、他人が見たら驚きそうだ。
闇染を解除し、部屋を見回してみる。
木でできた床には怪しげな文字が描かれていた。
禁術の文字なのだろう。
その真ん中にはまだ新しい血液が付着している。
文字の真ん中で膝をつき、床の渇いた血を爪ではぎ取って嗅いでみる。
「…!」
あの少年の血だ。
舐めたこともないが、匂いでわかる。
目の前を見ると、また扉があった。
さっき入ってきた木製の扉と違い、鉄でできている。
強烈な匂いはそこからしていた。
扉に近づいてノブを握り、おそるおそるそれをまわして重い扉を開ける。
「…!!」
臭いの原因が判明する。
鉄の扉の向こうは、死体の山だった。
壁と天井の窓から差し込む月の光に照らされ、死体と血がはっきりと見える。
バラバラにされた大人の死体もあれば、胸を杭で刺された子供の死体まである。
血や死体に慣れていなければ、吐き気がこみ上げる光景だ。
横の窓を見ると、自分の瞳が朱色に変色しているのが映っている。
こんな時でも“血の欲”が湧き上がるのか。
「………どこだよ……」
名前を知らないから呼びようがない。
混ざりに混ざった血臭のせいで捜しようもない。
「おい……」
あの少年と似たような死体ばかりだ。
白い外套を着たままで顔は包帯でぐるぐる巻きにされている。
「……………」
背中に重いものが圧し掛かってきた。
そのまま崩れかけたとき、
「…か……さま…?」
「!!」
あの少年の声が聞こえ、急いでその方向へと向かった。
部屋の真ん中辺りに、そいつは床に転がっていた。
「おい…」
背中に手を差し入れて抱き起こし、顔を窺った。
「神様……」
オレの姿を瞳に捉えた少年は、嬉しそうな笑みを浮かべた。
こんな状態でよくそんな表情が出せるものだと驚かされる。
一番驚かされたのが、細長い杭が心臓に刺さっているにも関わらず生きていることだった。
「おまえ…、平気なのか…?」
「…超…痛い…」
生きてはいるものの、痛みが続いているようだ。
これが信者達が言っていた、成功しかけた姿なのか。
「さっき…から…、死んだり…生き返ったりしてるけど…、もう……」
少年が死んだとき、信者達はまた生き返るとは知らずにこの部屋に放り込んだのだろう。
「おまえ…、このまま死ぬのか?」
「…神からも存在否定されるなら、死ぬしかねーだろォ」
「……………」
夢魔を出してその首を刎ねて楽にしてやる、という手が思い浮かばない。
その考えを無意識に拒絶してしまう。
「神様…、最後に……名…前……」
耳を澄ませば、鼓動がだんだん弱まっていくのがわかる。
呼吸も弱い。
「…まだ死ぬな…」
オレは少年の胸に刺さっている杭をゆっくりと引き抜き、少年は小さく「痛って…」と呻いた。
オレは引き抜いた杭の先端で左手の人差し指を切り、赤い血を垂らす。
「オレがおまえの存在を肯定する神になってやる」
赤い血が銀色に変わり、それを少年の口元に垂らした。
“真血”を人間に与えるのはこれで2度目だが、最初の奴は大人だったから、子供である少年の体は何滴で耐えられるのかはわからない。
心臓が止まっても、オレは“真血”を垂らし続けた。
心臓は動かない。
少年は蘇らない。
「失…敗…?」
指の傷を右手で押さえ、少年の顔を覗きこむ。
少年は目を瞑ったままだ。
「起きろ…。起きてくれ…! 頼むから…!」
声は震え、懇願するように言った。
その時、鉄の扉が開かれた。
「なにをしている!?」
「!!」
オレの声を聞きつけてきたのか、信者達が入ってきた。
矢や剣まで構える者もいる。
「貴様、信者ではないな!?」
「ここでなにをしていた!?」
オレは少年を下ろし、一歩あとずさった。
このまま怒りに任せて目の前の信者共を切り捨ててやろうかと思ったが、
トクン…
「!!」
確かに、小さな音を聴いた。
オレはフッと笑って窓へと走る。
「待て!!」
信者が矢を放ち、オレの外套のフードを貫いた。
オレは着ている外套を脱ぎ捨て、窓を割って飛び降りる。
“真血”の力は確かに働いた。
だから、少年は明日もあの河原にくるはずだと思っていた。
しかし、明日になっても明後日になっても少年は来なかった。
幽閉されているのではないかと心配して教会の様子を見に行ったが、教会は跡形もなく、瓦礫の山となっていた。
警戒した信者達が、場所を移したのかもしれない。
教会に近づいてみたが、やはり結界もなくなっていた。
オレはまた独りだ。
光が漏れないようにと、オレはまた自分の中にある扉を閉じた。
もう2度と里からは出ない。
もう2度と他人とは関わらない。
オレはもう、独りでいい。
こんな苦しい思いをするくらいなら、
バケモノらしく、他人を食ってやる。
ひとり、
またひとり、
「バケモノだ」と叫んで死んでいく。
それが本来のオレのあるべき姿だ。
このままでいい。
このまま独りで、
漆黒色の永遠に。
「飛段、いたか」
「角都、いたいた!」
顔を上げると檻の向こうにあの2人がいる。
背後に大嫌いな光を連れて。
手を伸ばすと、温かいものに触れた。
遅ェーよ。
待ちくたびれたぜ…。
*****
ザブーン!
「!!;」
いきなり熱湯に放り込まれ、その上溺れ死にそうになってしまい、急いで熱湯の水面から顔を出した。
「あっちぃ!!;」
「お、生き返った」
目の前には飛段の顔があった。
その背後には角都がこちらを見下ろしている。
「なんだなんだ!?(汗)」
湯船から這い出て流し場でゴロゴロと転がった。
周りを見回すと、浴室であることがわかる。
「さっきまでヨル、死んでたんだぜェ?」
「死んでいたというより、仮死状態になっていた」
体を冷ますオレに2人が教えてくれた。
「けど、なんで仮死状態に?」
飛段の質問に角都が答える。
「コウモリだからな。冬眠したんだろう」
「「冬眠!?;」」
オレと飛段は驚いて声を上げた。
オレが住んでいた里は冬がないから、冬眠なんてしたことがないのだ。
軽くショックを受けてしまう。
ていうか、コウモリが冬眠すること自体知らなかった。
「布団で温めても目が覚めなかったからな。50℃の湯で叩き起こした」
「ゆでる気か!!」
相当熱かった。
角都の起こし方は半端がない。
「……ここまで運んでくれたのか?」
雪山で眠ってしまったことを思い出した。
「おゥ。感謝しろ」
「運賃をよこせ」
「運んだのはオレだァ!!」
「冗談に決まっているだろう」
「おまえが言うと冗談になんねーよォ、角都;」
「文無しから金など出るわけがない」
言い合ってる2人を見てオレは笑った。
「笑いごとじゃねえぞォ、ヨル。ちっとは反省しろ」
「時間をロスしてしまった。早朝、山を降りるぞ」
「はいはい」
オレが言わない限り、2人は思い出さないだろう。
オレだけが覚えている。
今はそれでいい。
この変わらない時間が心地いいんだ…。
余談だが、部屋に戻るとき、はっと気付いたことがあった。
飛段の奴、昔よりだいぶ背ェ伸びたけど、逆に幼児退行してないか!?
「カワイイ」と思った頃を思い出し、思わず今と比べてみる。
「ゲハハッ☆」
前はこんな笑い方していない。
「どうしてこんなコに…;」
「なんか言ったかァ?」
「いや…;」
新たに罪悪感が増えてしまった。
.To be continued