05:記憶の水滴
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飛段が「出かけてくる」と言って宿を出てから3時間が経過した。
雨雲が空を覆っているため、辺りが急速に薄暗くなり始める。
書き終えた帳簿を閉じた角都は、宿を出て笠を被り、すぐ近くの河原へと向かった。
そこには案の定、飛段がいた。
笠も被らずに河原に座り込み、ひとりで川に向かって小石を投げている。
河原であんな待ち方をすると、傍から見れば寂しいものである。
角都に気付き、飛段はそちらに振り返った。
「角都…」
そう言って笑みを浮かべる。
角都は飛段の背後に近づき、向こうの河原を見据えた。
辺りが薄暗いせいでヨルの姿が確認できない。
「ヨルか?」
角都の問いに飛段は笑いを含めて答える。
「最初はすぐ帰るつもりだったけどよ、落ちては戻り落ちては戻りしてるあいつが面白かったからァ、しばらく見物してた」
それから「もう見えねえなァ」と向こうを見つめて呟いた。
「悪趣味な奴め。ずっと座りっぱなしで見物していたのか?」
「ついさっきまで、河原で会ったガキ共とちょっと遊んでた」
言われて角都は思い浮かべてみる。
雨にも関わらず、20の大人が子供とはしゃいでいるというのに、飛段だとその光景にまったく違和感を感じない。
河原で遊ぶといえば、大方、石投げでもしてどれだけ跳ねるか競い合っていたのかもしれない。
子供に負けてムキになる姿が嫌でも目に浮かぶ。
「角都ゥ、あいつ、ホントに置いて行く気かよ?」
飛段は座ったまま角都を見上げ、眉を八の字にして尋ねた。
「すっかり懐いてるな。それとも、年上好きか?」
角都がそう言うと、飛段の八の字の眉が逆向きになる。
「そういうんじゃねーよ」
不機嫌そうに言ったあと、今はもう見えない向こう側の河原を見つめ、言葉を続ける。
「血ィ吸われんのヤだけど、いねえと落ち着かねえっつーか…」
「貴様が落ち着いているところなど、見たことがないが」
「っせーなァ! んじゃ、今のナシ! オレが言いたいのはァ…」
飛段は後頭部を掻き、どう言っていいのかと困惑している。
いや、最早考えるのを面倒臭がっている。
「とにかく、おまえとかあいつなら、待ってもいーやって思ったわけで…」
(オレとヨルは同等か。)
飛段の後頭部は先程掻いたせいで鳥の頭のようになっていた。
「夜明けまでまだまだ時間がある。戻るぞ」
ヨルの姿が見えなければ見物の意味がない、角都は提案するが、飛段は首を横に振る。
「悪いけど、角都先に戻っててくんね? 祈ってから戻る」
そう言いながら、懐から伸縮式の杭を取り出した。
「ここでか?」
「どこの河原でかは覚えてねえけど、オレ、そこで初めてジャシン様と会ったんだぜェ。ここかもしれないし、祈るべきだろ」
「言ってなかったっけ?」と首を傾げられるが、角都は意味がわからない。
「勝手にしろ」
そう言って飛段に背を向けて宿に戻ろうとしたとき、
「うお!?」
「!」
はっと振り返ると、飛段が水の縄に縛られていた。
「水龍鞭か!」
縄状に変化させて相手を拘束することもできる、水遁の術だ。
飛段はそのまま川の中へと引っ張られた。
「飛段!」
「か…」
大きな水飛沫とともに飛段の姿が消える。
代わりに、5人の忍が川から飛び出した。
水面に立ち、こちらを見据える。
「間違いない。S級犯罪者の角都だ」
同類(賞金稼ぎ)だ。
額当てのマークから、全員霧隠れの忍だと知る。
「仲間を確保したが、気を抜くな」
角都を見据えたまま会話を交わしたあと、一番手前の忍が印を結んだ。
「霧隠れの術」
濃霧が発生し、忍達の姿が見えなくなる。
完全に暗くなった今となっては尚更だ。
町の光も遠い。
「!」
角都は被っていた笠を放って素早く印を結び、土矛で体を硬化させた。
同時に360度から手裏剣やクナイが飛んできた。
だが、体を硬化させたおかげで全て防ぐ。
反応が遅れていれば、串刺しになっているところだ。
「完全に囲まれているな…」
地怨虞で腕を前方に飛ばしてみたが、避けられたのか手応えはない。
腕を戻して様子を窺ってみる。
再び四方八方から手裏剣が飛んできたが、土矛の腕で払った。
(頭刻苦で片をつけるか…)
頭刻苦を解放しようとしたとき、
「!」
背後の水面から一人の忍が飛び出した。
振り向きざまにそいつの首をつかんだが、水に溶けてしまった。
「水分身…!」
そう知ったと同時に再び背後に飛沫が上がる。
「水牢の術」
水分身を使った忍だ。
水牢の術で角都を窒息死させる気だ。
忍が印を結び終える前に始末しようと硬化したコブシを振るったとき、
ドガ!!
「!!」
後ろから、その忍の後頭部に何者かの回し蹴りが直撃した。
忍が倒れると同時に、その背後にいた者の正体を知る。
「やっと追い付いたぜ、角都コラァ!!」
加勢に入ったのは、ヨルだった。
しかも、ちゃんと水の上に立っている。
「どうだ! オレだってこれぐらい朝飯前なんだよ!!」
不機嫌さを露わにしている顔を見て、置いて行かれたことを根に持っているのが伝わってくる。
「馬鹿が」
予想外の乱入に戸惑っているのか、忍達の攻撃が止まった。
「濃霧の中、よくオレの姿を見つけられたものだな」
「それって褒めてる?」
「調子に乗るな、殺すぞ」
「褒めろよ! 水面だってちゃんと歩けるようになったんだぞ!」
飛段の次にうるさい奴だ、と毒づく角都。
状況に関係なく今殺したくなるのをぐっと堪える。
「あと4人いる。貴様も…」
「手伝え」と言葉を続けようとしたとき、ヨルは「いや、あと5人だ」ときっぱりと断言した。
霧と暗闇に包まれているにも関わらず、一点一点に鋭い眼差しを向ける。
「わかるのか?」
「目を頼りにしない。布と肌が擦れる音、水音、呼吸、心音…。オレには全部聞こえる…」
不敵な笑みを浮かべてそう言いながら、自分の右耳を人差し指の先で軽く叩いた。
試しに角都も目を閉じて耳を澄ませるが、わずかな呼吸や水音を聞きとるのが限界だ。
行動を共にする前は、夜に起床し、日が出ているうちは眠っていると話していたことを思い出す。本来暗闇には強いのだ。
「1人は水底で飛段を捕まえてる。残りの4人はオレ達の様子を窺ってる…」
「水の中までわかるのか」
「……で、角都、血を分けてくれ。貧血でヘトヘトなんだ…;」
「なに?」
角都が睨むと、ヨルはこちらに鋭い眼差しを向けた。
ヨルの顔には疲れが見え隠れしている。
「ほんの少しだけでいいんだ。うまく集中できない今の状態でバラバラに動かれると位置がわかりづらい。それに…、2人の方が片つけるの早いだろ?」
確かに、探知機の役割をしてくれた方が好都合だ。
常に自分の身を省みず、一直線に突っ込む飛段にはできない芸当だ。
「……そうだな。余計にチャクラを使わなくて済みそうだ」
ここはヨルの言うとおりにし、ヨルの顔の前に右腕を突き付けた。
そういえば、と角都はヨルに自分の血を与えるのは初めてだと気付く。
「早くしろ。あまり吸いすぎるなよ」
「オレも殺されたかないんでな」
ヨルは角都の右腕を両手でつかんで一気に歯を立てて噛みついた。
血を啜られるのが痛みを伴って腕から伝わってくる。
「!!」
一度喉を鳴らしたヨルが、驚きで目を見開いた。
「どうした?」
「あ…、い…、いや……」
明らかに動揺していた。
しかし、理由を聞いている暇はない。
ヨルは角都の腕から口を離し、声を張り上げる。
「角都! 真下だ!」
同時に角都は後ろに飛び、水面から伸ばされた忍の手を避けた。
「闇で醒めなァ!」
水面から現れた忍に突進したヨルは、背中から抜き取った2つの夢魔で、その背中を斜めに切り裂く。
忍は悲鳴を上げて倒れ、水に沈んだ。
「角都! 前方から2時の方向に一人! 4時の方向に一人!」
言われるままに、角都は地怨虞を使って2時の方向に右手を、4時の方向に左手を飛ばした。
右手が首をつかみ、左手が服をつかむ。
硬化した右手に力を込めて忍の首の骨を折ったが、左手につかんだ忍は自分の服を破って逃げた。
「上に飛んだ!」
ヨルに言われてすぐに左手を上に飛ばす。
頭をつかんだのがわかった。
「ぐ…!」
左腕を飛ばした霧の向こうから呻き声が聞こえ、暴れる前にその頭を潰した。
「逃がすか!!」
ヨルは振り返って大きく振り被り、右手の夢魔を投げ飛ばした。
夢魔は宙で弧を描きながら霧の向こうへと消える。
「ぎゃあ!!」
そして、悲鳴が聞こえた。
投げられた夢魔が忍を見事に仕留めたからだ。
霧が晴れたということは、先程ヨルが仕留めたのが霧隠れの術の使い手だったようだ。
残りは水底の忍だけだ。
「あ…、終わった…」
ヨルがそう呟いたとき、目の前の水面からブクブクと空気の泡が浮かび、飛段が顔を出した。
「ぶはっ! ゲホッ、ゲホッ、クッソがァ! 余計な手間取らせやがってェ!」
水面から顔を出すと同時に怒りを撒き散らす。
水底で己を捕まえていた忍を逆に始末した様子だ。
水面に立ち、「次はどいつだァ!! アァ!?」と鎌を振り回した。
「飛段、もう終わったぞ」
ヨルが声をかけると、キレている飛段は「そこかァ!!」と#ヨルに向かって鎌を振り上げる。
しかも、夜の暗闇のせいで気付かないのだろう。
「わっ、やめろコラ! オレだオレ!!」
飛段の鎌を避けながら、ヨルは「オレだ」「オレだ」と訴える。
「はぁ…。殺されていればいいものを…」
肩を落とす角都の呟きは、目の前で追いかけっこをしている2人の騒音にかき消された。
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