39:故郷へ
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*水波
あたしは朱族のことを知ろうと、好奇心に突き動かされるままに彼らの里である鬼隠れの里に来ていた。
誰も住んでいない小さな廃れた村。
最初はここで合っているのか怪しかったけど、民家をあたっているうちに奥の大きな民家が朱族のアジトだってことがわかった。
土足で入って引き出しやら畳の下やらを探り、研究の資料を見つけようとしたけどどこにもない。
彼らが暮らしていた地下に行っても同じことだった。
研究者が死に、研究資料は燃やされてしまったのか。
ここに来たのは骨折り損だったかと落胆したとき、ヨルが現れた。
朱族の部屋だと思われる檻の部屋の先にあった地下の研究室で本棚を漁っていたあたしは、扉が開けられてすぐに水魔絃で侵入者を縛ろうとした。
「!!」
だけど、すぐに懐に飛びこまれ、剣の刃先を首に突き付けられてしまった。
「な…」
てっきり、あたしの里の追い忍かと思った。
ゆっくりと下を見て、そいつの黒と白の髪を見てすぐに誰だかわかった。
「ヨル…?」
「え? …水波か?」
ヨルも驚いてた。
あたしだってことがわかると、剣を下ろして背中に戻した。
彼女の体は泥だらけで、髪もぼさぼさだった。
気のせいか体も少しやつれたように見えた。
「なんでここに…?」
目を丸くしたままのヨルに問われたあたしは答えた。
「ユウに復讐するためよ。あたしの水魔絃だと朱族を捕まえられないからね、ちょっと、弱点捜しに…」
あんな目を目の当たりにしたのだから、素直に納得してくれるかと思ってた。
でも、ヨルは口の端を吊り上げて笑った。
「うそつけ。真血がほしくて探りに来たんだろ?」
直球だった。
でも正解。
微笑んで見せると、相手は肯定と受け取ったのか、それ以上はなにも言わなかった。
責めもしない。
勝手に調べろ、そういうことか。
「…それにしてもすごく汚れてるけど…、どうしたの?」
あたしが尋ねると、ヨルは体をビクッと震わせ、死んだ目になって言った。
「…ひとりで旅したことなんてなかったからな…。山賊に襲われたり、イノシシの大群に追いまわされたり、遭難したり、サメの大群に追いまわされたり、漂流したり…」
相当苦労したようだ。
「ひとりって…、あの2人は?」
角都と飛段のことを聞いたら、ヨルは目を伏せてここに来た経緯も含めて話しだした。
2人となにがあったのか、アサと離れてどうしたのか。
ヨルは修行していた。
鬼化のコントロールができるようになるために。
一度この里に戻ってあたしと同じく資料集めを始め、研究室から別の研究所を記した書物を見つけ、それを片っ端からあたったそうだ。
海の国の洞窟、火の国の端っこ、風の国の地下などの小さな研究所を。
「収穫はあったの?」
「……いや…、どれもカラッポだった。最悪、誰かに持ち去られたのかもしれない」
ヨルは懐から古びた地図を取り出し、研究室の大きな長方形のテーブルに広げた。
久方ぶりに物が置かれたテーブルからホコリが舞い上がる。
「…その地図はどこで?」
「……天空の墓から掘りだしたんだ。どうしても…、天空が残したものを全部燃やすのは忍びなくてな…」
無意識だったのか、地図を広げていたヨルは地図の端に皺をつけた。
この地図の茶色さは、ずっと地面に埋められて染み込んだ色なのか。
五大国の地図だった。
ところどころに「×」と黒の印がある。
火の国に2つ、風の国に1つ。
海の国にも行ったと聞いたのに、海の国には印がなかった。
どうしてか聞いたら、ヨルは「持ち逃げされた5人目の朱族がここで眠っていた」と答えた。
「これだけなのね…」
向かいからヨルの右隣に移動して再び地図をのぞきこむ。
ヨルはテーブルに頬杖をついて眉間に皺を寄せた。
「ああ。だから頭を悩ませてんだ。…あと水波、できるだけオレに近づかないでくれるか?」
「え?」
「しばらく人間を食ってない」
あたしはすぐにヨルの手が届かない距離に離れた。
旅の途中でも、ヨルは何度か鬼化したらしい。
血を失っていなくてもだ。
前半は目の前が真っ白になり、意識を取り戻した頃には動物を殺したあとだったことが多い。
人気の多い道をあえて避けたのは良かったようだ。
増血剤も持ち合わせているため、まずい場所で鬼化が始まろうとすれば服用して無理矢理止めた。
研究室の本を読み漁りながらヨルが教えてくれた。
「オレの中の鬼が人間の肉を欲してる。…いや、意識は共有してるからオレ自身もどこかで人間を食みたいと欲を持っているのかもしれない。夢魘が目覚める前からも、オレはずっと生物の血を飲んで生きてきたんだ。当然の欲と言えば当然だ…。結局人間なんて、オレのエサの枠から外れてねえんだ。肉好きの人間が一生肉を食わずに生きていけるわけがないのと同じ…」
元々は、人間と戦わせるために生み出されたものだから。
「…ダメだ、どこにものってない」
ため息をついたヨルは読んでいた本を本棚に戻した。
ちゃんと元の位置にあった場所にだ。
あたしも諦めずに本に手を伸ばすが、朱族とは関係ない本を探しても、朱族のことなんて載っているわけがない。
古い小説、図鑑、専門用語集。
そんなものばかりだ。
朱族の生みの親は研究室に関係のない書物まで置いていた。
本棚の空白の部分は、おそらく朱族に関する本ばかりあったスペースなのだろう。
全部は燃やさないくらいなら、せめて重要なものを一冊だけでも地図と一緒に埋めておいてほしかった。
それはヨルも感じていることだろう。
本に目を通すその表情には後悔が浮き出ていた。
本を閉じてまた元の場所へ。
その繰り返し。
半日が経過してついにヨルは席に腰を下ろし、額をテーブルにつけた。
「ない…」
「そうね…」
あたしも向かい側で同じ格好をする。
残った書物といえば、テーブルの中心に置かれたまま、まだ開かれていない分厚い植物図鑑。
表紙は不謹慎なことに菊の花が筆で書かれていた。
朱族の研究になんの植物を使ったっていうの。
「……………」
ヨルは部屋を見回していた。
なにかを捜しているにしては穏やかな表情だ。
「…どうしたの?」
ヨルは部屋を見回しながら答えた。
「この部屋自体に足を踏み込んだのも50年ぶりだ…。懐かしくてな」
なぜ50年も部屋に入らなかったのか。
天空がここで死んだからだろう。
ヨルにとっては父親のような存在だった。
父親が死んだ部屋に入るのは気が引けたはずだ。
ヨルは部屋の奥の隅を見た。
さっきとは反対に悲しげだ。
あそこで天空が死んでいたのだろう。
「……最後の一冊…」
ヨルは気を取り直して目の前の図鑑に手を伸ばした。
開こうとしたとき、ヨルの指が止まった。
「?」
顔をのぞくと、図鑑を見つめたまま停止している。
「……ヨル?」
声をかけると、ヨルははっとあたしに顔を上げた。
それからまた視線を図鑑に落とし、妙なことを聞いてきた。
「…本当にオレが、朱族(オレ達)のことを知っていいのかな…」
「え?」
先程までは微塵も見せなかった、躊躇いだった。
「知らないまま生きていくよりは…」
あたしは戸惑いながらもそう答えた。
のちに、この答えをあたしは後悔してしまうことになる。
「…だよな…」
ヨルはおそるおそる、先程よりもゆっくりとページをめくっていく。
あたしは向かい側から内容を見ていった。
絵も文字も全部筆で書かれていた。
五十音順に並べられている。
めくってもめくっても朱族に関することは書かれていない。
ページは半分以上もめくられた。
骨折り損。
結局そうなってしまうのか。
そして、ら行にきた。
「…!」
ヨルの手が止まった。
あたしの目もそれに釘づけになった。
蓮華。
その花のページに一枚の紙切れが挟まっていた。
あたしとヨルは一度顔を見合わせ、互いに喉を鳴らし、ヨルは震える指で紙切れをつかんで取った。
あたしの中に興奮が湧いてくる。
「……………」
図鑑を閉じたヨルは紙切れを図鑑の上に載せ、あたしに見せた。
書かれていたのは、直筆の地図。
付近の地図だ。
ここから、1日もかからないところに例の「×」の印があった。
鬼隠れの里からをあとにし、深い森を長時間進み、ふと先頭を歩いていたヨルが立ち止まり、あたしは何事かと首を傾げた。
「この匂い…」
あたしも鼻をひくつかせるが、湿った匂いしかしない。
朱族は人より五感が優れているようで、その微かな匂いを嗅ぎとったのだろう。
ヨルは匂いに誘われるままに進んでいく。
あたしは止めもせずにそれを追った。
ようやく森を抜け、印がつけられた場所に到着したのは、昼過ぎだった。
急に吹いた風に反射的に目をつぶり、再び開いて見た先は崖となっていた。
その下には小さな村がある。
崖にぐるりと囲まれた村の中心には大きな湖があった。
ちゃんと下へおりるための道もあったが、近道するためにヨルとあたしはチャクラを足に練って絶壁を下りた。
村の家はほとんどが全壊か半壊していた。
人の気配もないのは鬼隠れの里と同じだ。
「廃村のようね…」
壊れ方からして災害に遭ったとは思えない。
壊れた家はほとんど焼け跡で、地面には突き刺さった錆びついた刀と手裏剣などの武器。
明らかに襲撃に遭ったあとだ。
わずかに原型を留めている木造の家のほとんどが植物に覆われていることから見て、ここが廃村になったのは随分昔のようだ。
「………蓮華草…」
ヨルの視線を追いかけ、足下を見るとそこにはいくつもの蓮華草が風で揺れていた。
もしかして、この匂いに誘われたのだろうか。
「あっちは…」
あたしは湖の方へ顔を向けると、そこでもいくつもの蓮華がぷかぷかと浮かんでいるのが見えた。
湖は太陽の光を反射してキラキラと美しい輝きを放っている。
水も透き通った色をしていて、魚も泳いでいる。
よく見ると、湖の真ん中に中州がある。
そこには古びたお社が建っていた。
「………オレ…、この村知ってる…」
再度ヨルの方へ振り向くと、ヨルはお社を見つめたあと、前に向き直って歩きだした。
辺りを見渡しながら湖の縁をぐるりと歩き続け、ヨルは崖の下にあるものを見つけた。
「!」
墓地だ。
名が刻まれた石が崖下にずらりと横一列に並んでいる。
あたしに声もかけずに勝手にフラリと行ってしまい、あたしは「待って」とあとを追いかけた。
ちゃんとした墓地がなかったのだろうか、数はあれども寂しい場所に置かれたものだ。
周りは雑草が生え、半分に欠けた墓石まであった。
墓石に刻まれた名前はなんとか読めるものもある。
ヨルは墓石をひとつひとつ確認していっている。
「誰か…捜してるの?」
あたしが聞くと、ヨルは墓石を見ながらわずかに頷いた。
「オレの…母親を…」
「! じゃあ、ここって…」
「ああ。オレという人間が…、生まれた場所だ。たぶん…」
ヨルの本当の故郷。
まさか、鬼隠れの里の近くにあったなんて。
「とっくの昔に滅んだものだと思ってた…」
ヨルは独り言のように呟いた。
原型が残らなくなるまで滅んだと思っていたのだろう。
「…?」
右に進みながら歩いていくうちに、あたしは墓石に違和感を感じた。
途中で、墓石に番号が刻まれるようになった。
“三番、ヨハン”、“四番、シンヤ”、“五番、コク”…。
順番に並べられている。
「どうして番号が…」
しばらく立ち止まって考えていると、ヨルは「ああそうか…」と小さく言って目の前の二七番の墓石に触れた。
「みんな、朱族の実験体だ。天空は、ここにみんなの墓をつくったんだ」
ヨルの手は墓石を撫でるような動きを見せた。
朱族の実験体。
成功していたら、ヨル達の仲間になるはずだった子供の墓。
どういうわけか、朱族の生みの親は鬼隠れの里ではなく、ここに実験体の子供達の墓を作った。
どうしてこの地に作ったのか。
右に進みながら番号を数えていく。
番号も名前も刻まれていない墓石は空席のつもりか。
今のところ見て足りない番号は、一番、二番、十八番、二十三番、四十五番。
実験した朱族が成功したのは、5人。
だから、彼らの名前がないのか。
「……ヨル?」
最後の墓石の前でヨルは硬直していた。
怪訝な顔をしながら、あたしはその墓に近づき、名前を見た。
「…!!?」
“五十番、ヨル”
「どうして…」
ヨルは明らかな動揺を見せていた。
「どうして…、オレの墓が…!」
あたしは落ち着かせようとヨルの肩に手を伸ばしたが、ヨルはその手を払ってその場に膝をつき、素手で墓石の下を掘りだした。
「なにしてるの!」
耳は人一倍いいくせに聞こえていないようだった。
ただ夢中で墓の下を掘っていく。
己の骨を捜しているようだ。
できれば出てきてほしくないのだろう。
そんな思いが必死な背中から伝わってくる。
「ヨル…」
いつまでも掘り続けるヨルを止めようとした時だ。
「…!」
ヨルの手が止まり、こちらにゆっくりと振り返る。
「おかしいぜ…。オレはここにいるのに…、どうして…こんなものが出てくるんだ…?」
泥で汚れたヨルは、震える右手に握りしめたものを開いてあたしに見せた。
小さくて泥が付着しているが、その白い欠片は骨に見える。
「い…、石に決まってるじゃない…」
「石…」
そう思えばいいものを、そうだと思えない顔をしている。
「……………」
ヨルはゆっくりと立ち上がり、そして弾かれるように走り出した。
「ヨル! どこ行くつもり!?」
あたしは手を伸ばして肩をつかもうとしたが、思わず引っ込めた。
左手が黒く染まり始めていたからだ。
「ヨル!! 行っちゃだめ!!」
それ以上、自分のことを知ってはならない。
止めようとしたが、ヨルは聞く耳を持たずに走り去ってしまう。
水魔絃で縛ろうとしたが、完全に黒に染まった左手に呆気なく払われてしまった。
「ヨル!!」
ヨルの脚は本人でも気付いているのかと思うくらいとんでもなく速く、見失うのも時間の問題だった。
だが、完全に見失う前にヨルは原型を留めた小さな家の中へ入り、乱暴に扉を閉めた。
その家は村から孤立しているかのように離れていた。
家の目の前にたどりついたあたしは、前屈みになって弾む息を整え、小屋に近づく。
「ヨル…、入るわよ…」
自分の墓を見つけてしまったのだから、気が動転するのも無理はない。
あたしはなるべく刺激しないように、できるだけ穏やかな声を出して扉越しにいるだろうヨルに向かって言った。
けれど、返事は返ってこない。
「……入るから…」
苔に覆われたその戸に触れようとした時だ。
「わああああああ!!!」
「!!」
中から、ヨルの絶叫が聞こえた。
「ヨル!?」
あたしは勢いよく扉を開けた。
最初にあたしを襲ったのは、暴風にも似た膨大なチャクラの漏れ。
「く…っ!」
家の中は平凡なつくりをしていたけど、そこには床にのたうちまわるヨルの姿があった。
「うううっ!!」
「ヨル!」
間違いなく、鬼化が始まっていた。
ヨルに近づく前に、あたしはヨルの傍にある、開かれたままの一冊の本を見つけた。
随分と古びた本で、その茶色の表紙にはなにも書かれていない。
ヨルから漏れるチャクラになびかれ、ページが勢いよくめくられている。
まさか、あの本を見て鬼化の引き金になったのだろうか。
あたしはヨルより先に本を取ろうとした。
「見るなあ!!」
しかし、興奮気味のヨルの払われた左手があたしに直撃し、あたしは「きゃああ!!」と悲鳴を上げ、開いたままの扉から家の外へと吹っ飛んだ。
「ぐう…!」
あの一撃であばらが折れてしまった。
素手だけで。
鬼化すると腕力まで上がってしまうのはヨルから聞いていたけど、実際にその力を受けて実感してしまうことになるとは。
ヨルがゆっくりと家から出てくる。
「!!」
陽の下に出たその姿に、ヨルの面影はもうどこにもなかった。
金色と黒の瞳、漆黒の肌、尖った耳、赤い唇から覗かせる鋭さの増した牙、鋭い爪、背中から生えた血肉の翼。
かろうじてヨルだとわかるのが、黒と白の髪に、身に纏った暁の外套。
その姿に戦慄を覚えたあたしは、額から冷えた汗が伝うのを感じ、喉を鳴らした。
これが、完全に鬼化したヨルなのか。
「……ヨル…?」
確かめるように名を呼んでみる。
ヨルは口端を吊り上げた。
それは微笑みではなく、冷笑。
「キキッ」
そして、獣のように唸り、牙を剥いた。
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あたしは朱族のことを知ろうと、好奇心に突き動かされるままに彼らの里である鬼隠れの里に来ていた。
誰も住んでいない小さな廃れた村。
最初はここで合っているのか怪しかったけど、民家をあたっているうちに奥の大きな民家が朱族のアジトだってことがわかった。
土足で入って引き出しやら畳の下やらを探り、研究の資料を見つけようとしたけどどこにもない。
彼らが暮らしていた地下に行っても同じことだった。
研究者が死に、研究資料は燃やされてしまったのか。
ここに来たのは骨折り損だったかと落胆したとき、ヨルが現れた。
朱族の部屋だと思われる檻の部屋の先にあった地下の研究室で本棚を漁っていたあたしは、扉が開けられてすぐに水魔絃で侵入者を縛ろうとした。
「!!」
だけど、すぐに懐に飛びこまれ、剣の刃先を首に突き付けられてしまった。
「な…」
てっきり、あたしの里の追い忍かと思った。
ゆっくりと下を見て、そいつの黒と白の髪を見てすぐに誰だかわかった。
「ヨル…?」
「え? …水波か?」
ヨルも驚いてた。
あたしだってことがわかると、剣を下ろして背中に戻した。
彼女の体は泥だらけで、髪もぼさぼさだった。
気のせいか体も少しやつれたように見えた。
「なんでここに…?」
目を丸くしたままのヨルに問われたあたしは答えた。
「ユウに復讐するためよ。あたしの水魔絃だと朱族を捕まえられないからね、ちょっと、弱点捜しに…」
あんな目を目の当たりにしたのだから、素直に納得してくれるかと思ってた。
でも、ヨルは口の端を吊り上げて笑った。
「うそつけ。真血がほしくて探りに来たんだろ?」
直球だった。
でも正解。
微笑んで見せると、相手は肯定と受け取ったのか、それ以上はなにも言わなかった。
責めもしない。
勝手に調べろ、そういうことか。
「…それにしてもすごく汚れてるけど…、どうしたの?」
あたしが尋ねると、ヨルは体をビクッと震わせ、死んだ目になって言った。
「…ひとりで旅したことなんてなかったからな…。山賊に襲われたり、イノシシの大群に追いまわされたり、遭難したり、サメの大群に追いまわされたり、漂流したり…」
相当苦労したようだ。
「ひとりって…、あの2人は?」
角都と飛段のことを聞いたら、ヨルは目を伏せてここに来た経緯も含めて話しだした。
2人となにがあったのか、アサと離れてどうしたのか。
ヨルは修行していた。
鬼化のコントロールができるようになるために。
一度この里に戻ってあたしと同じく資料集めを始め、研究室から別の研究所を記した書物を見つけ、それを片っ端からあたったそうだ。
海の国の洞窟、火の国の端っこ、風の国の地下などの小さな研究所を。
「収穫はあったの?」
「……いや…、どれもカラッポだった。最悪、誰かに持ち去られたのかもしれない」
ヨルは懐から古びた地図を取り出し、研究室の大きな長方形のテーブルに広げた。
久方ぶりに物が置かれたテーブルからホコリが舞い上がる。
「…その地図はどこで?」
「……天空の墓から掘りだしたんだ。どうしても…、天空が残したものを全部燃やすのは忍びなくてな…」
無意識だったのか、地図を広げていたヨルは地図の端に皺をつけた。
この地図の茶色さは、ずっと地面に埋められて染み込んだ色なのか。
五大国の地図だった。
ところどころに「×」と黒の印がある。
火の国に2つ、風の国に1つ。
海の国にも行ったと聞いたのに、海の国には印がなかった。
どうしてか聞いたら、ヨルは「持ち逃げされた5人目の朱族がここで眠っていた」と答えた。
「これだけなのね…」
向かいからヨルの右隣に移動して再び地図をのぞきこむ。
ヨルはテーブルに頬杖をついて眉間に皺を寄せた。
「ああ。だから頭を悩ませてんだ。…あと水波、できるだけオレに近づかないでくれるか?」
「え?」
「しばらく人間を食ってない」
あたしはすぐにヨルの手が届かない距離に離れた。
旅の途中でも、ヨルは何度か鬼化したらしい。
血を失っていなくてもだ。
前半は目の前が真っ白になり、意識を取り戻した頃には動物を殺したあとだったことが多い。
人気の多い道をあえて避けたのは良かったようだ。
増血剤も持ち合わせているため、まずい場所で鬼化が始まろうとすれば服用して無理矢理止めた。
研究室の本を読み漁りながらヨルが教えてくれた。
「オレの中の鬼が人間の肉を欲してる。…いや、意識は共有してるからオレ自身もどこかで人間を食みたいと欲を持っているのかもしれない。夢魘が目覚める前からも、オレはずっと生物の血を飲んで生きてきたんだ。当然の欲と言えば当然だ…。結局人間なんて、オレのエサの枠から外れてねえんだ。肉好きの人間が一生肉を食わずに生きていけるわけがないのと同じ…」
元々は、人間と戦わせるために生み出されたものだから。
「…ダメだ、どこにものってない」
ため息をついたヨルは読んでいた本を本棚に戻した。
ちゃんと元の位置にあった場所にだ。
あたしも諦めずに本に手を伸ばすが、朱族とは関係ない本を探しても、朱族のことなんて載っているわけがない。
古い小説、図鑑、専門用語集。
そんなものばかりだ。
朱族の生みの親は研究室に関係のない書物まで置いていた。
本棚の空白の部分は、おそらく朱族に関する本ばかりあったスペースなのだろう。
全部は燃やさないくらいなら、せめて重要なものを一冊だけでも地図と一緒に埋めておいてほしかった。
それはヨルも感じていることだろう。
本に目を通すその表情には後悔が浮き出ていた。
本を閉じてまた元の場所へ。
その繰り返し。
半日が経過してついにヨルは席に腰を下ろし、額をテーブルにつけた。
「ない…」
「そうね…」
あたしも向かい側で同じ格好をする。
残った書物といえば、テーブルの中心に置かれたまま、まだ開かれていない分厚い植物図鑑。
表紙は不謹慎なことに菊の花が筆で書かれていた。
朱族の研究になんの植物を使ったっていうの。
「……………」
ヨルは部屋を見回していた。
なにかを捜しているにしては穏やかな表情だ。
「…どうしたの?」
ヨルは部屋を見回しながら答えた。
「この部屋自体に足を踏み込んだのも50年ぶりだ…。懐かしくてな」
なぜ50年も部屋に入らなかったのか。
天空がここで死んだからだろう。
ヨルにとっては父親のような存在だった。
父親が死んだ部屋に入るのは気が引けたはずだ。
ヨルは部屋の奥の隅を見た。
さっきとは反対に悲しげだ。
あそこで天空が死んでいたのだろう。
「……最後の一冊…」
ヨルは気を取り直して目の前の図鑑に手を伸ばした。
開こうとしたとき、ヨルの指が止まった。
「?」
顔をのぞくと、図鑑を見つめたまま停止している。
「……ヨル?」
声をかけると、ヨルははっとあたしに顔を上げた。
それからまた視線を図鑑に落とし、妙なことを聞いてきた。
「…本当にオレが、朱族(オレ達)のことを知っていいのかな…」
「え?」
先程までは微塵も見せなかった、躊躇いだった。
「知らないまま生きていくよりは…」
あたしは戸惑いながらもそう答えた。
のちに、この答えをあたしは後悔してしまうことになる。
「…だよな…」
ヨルはおそるおそる、先程よりもゆっくりとページをめくっていく。
あたしは向かい側から内容を見ていった。
絵も文字も全部筆で書かれていた。
五十音順に並べられている。
めくってもめくっても朱族に関することは書かれていない。
ページは半分以上もめくられた。
骨折り損。
結局そうなってしまうのか。
そして、ら行にきた。
「…!」
ヨルの手が止まった。
あたしの目もそれに釘づけになった。
蓮華。
その花のページに一枚の紙切れが挟まっていた。
あたしとヨルは一度顔を見合わせ、互いに喉を鳴らし、ヨルは震える指で紙切れをつかんで取った。
あたしの中に興奮が湧いてくる。
「……………」
図鑑を閉じたヨルは紙切れを図鑑の上に載せ、あたしに見せた。
書かれていたのは、直筆の地図。
付近の地図だ。
ここから、1日もかからないところに例の「×」の印があった。
鬼隠れの里からをあとにし、深い森を長時間進み、ふと先頭を歩いていたヨルが立ち止まり、あたしは何事かと首を傾げた。
「この匂い…」
あたしも鼻をひくつかせるが、湿った匂いしかしない。
朱族は人より五感が優れているようで、その微かな匂いを嗅ぎとったのだろう。
ヨルは匂いに誘われるままに進んでいく。
あたしは止めもせずにそれを追った。
ようやく森を抜け、印がつけられた場所に到着したのは、昼過ぎだった。
急に吹いた風に反射的に目をつぶり、再び開いて見た先は崖となっていた。
その下には小さな村がある。
崖にぐるりと囲まれた村の中心には大きな湖があった。
ちゃんと下へおりるための道もあったが、近道するためにヨルとあたしはチャクラを足に練って絶壁を下りた。
村の家はほとんどが全壊か半壊していた。
人の気配もないのは鬼隠れの里と同じだ。
「廃村のようね…」
壊れ方からして災害に遭ったとは思えない。
壊れた家はほとんど焼け跡で、地面には突き刺さった錆びついた刀と手裏剣などの武器。
明らかに襲撃に遭ったあとだ。
わずかに原型を留めている木造の家のほとんどが植物に覆われていることから見て、ここが廃村になったのは随分昔のようだ。
「………蓮華草…」
ヨルの視線を追いかけ、足下を見るとそこにはいくつもの蓮華草が風で揺れていた。
もしかして、この匂いに誘われたのだろうか。
「あっちは…」
あたしは湖の方へ顔を向けると、そこでもいくつもの蓮華がぷかぷかと浮かんでいるのが見えた。
湖は太陽の光を反射してキラキラと美しい輝きを放っている。
水も透き通った色をしていて、魚も泳いでいる。
よく見ると、湖の真ん中に中州がある。
そこには古びたお社が建っていた。
「………オレ…、この村知ってる…」
再度ヨルの方へ振り向くと、ヨルはお社を見つめたあと、前に向き直って歩きだした。
辺りを見渡しながら湖の縁をぐるりと歩き続け、ヨルは崖の下にあるものを見つけた。
「!」
墓地だ。
名が刻まれた石が崖下にずらりと横一列に並んでいる。
あたしに声もかけずに勝手にフラリと行ってしまい、あたしは「待って」とあとを追いかけた。
ちゃんとした墓地がなかったのだろうか、数はあれども寂しい場所に置かれたものだ。
周りは雑草が生え、半分に欠けた墓石まであった。
墓石に刻まれた名前はなんとか読めるものもある。
ヨルは墓石をひとつひとつ確認していっている。
「誰か…捜してるの?」
あたしが聞くと、ヨルは墓石を見ながらわずかに頷いた。
「オレの…母親を…」
「! じゃあ、ここって…」
「ああ。オレという人間が…、生まれた場所だ。たぶん…」
ヨルの本当の故郷。
まさか、鬼隠れの里の近くにあったなんて。
「とっくの昔に滅んだものだと思ってた…」
ヨルは独り言のように呟いた。
原型が残らなくなるまで滅んだと思っていたのだろう。
「…?」
右に進みながら歩いていくうちに、あたしは墓石に違和感を感じた。
途中で、墓石に番号が刻まれるようになった。
“三番、ヨハン”、“四番、シンヤ”、“五番、コク”…。
順番に並べられている。
「どうして番号が…」
しばらく立ち止まって考えていると、ヨルは「ああそうか…」と小さく言って目の前の二七番の墓石に触れた。
「みんな、朱族の実験体だ。天空は、ここにみんなの墓をつくったんだ」
ヨルの手は墓石を撫でるような動きを見せた。
朱族の実験体。
成功していたら、ヨル達の仲間になるはずだった子供の墓。
どういうわけか、朱族の生みの親は鬼隠れの里ではなく、ここに実験体の子供達の墓を作った。
どうしてこの地に作ったのか。
右に進みながら番号を数えていく。
番号も名前も刻まれていない墓石は空席のつもりか。
今のところ見て足りない番号は、一番、二番、十八番、二十三番、四十五番。
実験した朱族が成功したのは、5人。
だから、彼らの名前がないのか。
「……ヨル?」
最後の墓石の前でヨルは硬直していた。
怪訝な顔をしながら、あたしはその墓に近づき、名前を見た。
「…!!?」
“五十番、ヨル”
「どうして…」
ヨルは明らかな動揺を見せていた。
「どうして…、オレの墓が…!」
あたしは落ち着かせようとヨルの肩に手を伸ばしたが、ヨルはその手を払ってその場に膝をつき、素手で墓石の下を掘りだした。
「なにしてるの!」
耳は人一倍いいくせに聞こえていないようだった。
ただ夢中で墓の下を掘っていく。
己の骨を捜しているようだ。
できれば出てきてほしくないのだろう。
そんな思いが必死な背中から伝わってくる。
「ヨル…」
いつまでも掘り続けるヨルを止めようとした時だ。
「…!」
ヨルの手が止まり、こちらにゆっくりと振り返る。
「おかしいぜ…。オレはここにいるのに…、どうして…こんなものが出てくるんだ…?」
泥で汚れたヨルは、震える右手に握りしめたものを開いてあたしに見せた。
小さくて泥が付着しているが、その白い欠片は骨に見える。
「い…、石に決まってるじゃない…」
「石…」
そう思えばいいものを、そうだと思えない顔をしている。
「……………」
ヨルはゆっくりと立ち上がり、そして弾かれるように走り出した。
「ヨル! どこ行くつもり!?」
あたしは手を伸ばして肩をつかもうとしたが、思わず引っ込めた。
左手が黒く染まり始めていたからだ。
「ヨル!! 行っちゃだめ!!」
それ以上、自分のことを知ってはならない。
止めようとしたが、ヨルは聞く耳を持たずに走り去ってしまう。
水魔絃で縛ろうとしたが、完全に黒に染まった左手に呆気なく払われてしまった。
「ヨル!!」
ヨルの脚は本人でも気付いているのかと思うくらいとんでもなく速く、見失うのも時間の問題だった。
だが、完全に見失う前にヨルは原型を留めた小さな家の中へ入り、乱暴に扉を閉めた。
その家は村から孤立しているかのように離れていた。
家の目の前にたどりついたあたしは、前屈みになって弾む息を整え、小屋に近づく。
「ヨル…、入るわよ…」
自分の墓を見つけてしまったのだから、気が動転するのも無理はない。
あたしはなるべく刺激しないように、できるだけ穏やかな声を出して扉越しにいるだろうヨルに向かって言った。
けれど、返事は返ってこない。
「……入るから…」
苔に覆われたその戸に触れようとした時だ。
「わああああああ!!!」
「!!」
中から、ヨルの絶叫が聞こえた。
「ヨル!?」
あたしは勢いよく扉を開けた。
最初にあたしを襲ったのは、暴風にも似た膨大なチャクラの漏れ。
「く…っ!」
家の中は平凡なつくりをしていたけど、そこには床にのたうちまわるヨルの姿があった。
「うううっ!!」
「ヨル!」
間違いなく、鬼化が始まっていた。
ヨルに近づく前に、あたしはヨルの傍にある、開かれたままの一冊の本を見つけた。
随分と古びた本で、その茶色の表紙にはなにも書かれていない。
ヨルから漏れるチャクラになびかれ、ページが勢いよくめくられている。
まさか、あの本を見て鬼化の引き金になったのだろうか。
あたしはヨルより先に本を取ろうとした。
「見るなあ!!」
しかし、興奮気味のヨルの払われた左手があたしに直撃し、あたしは「きゃああ!!」と悲鳴を上げ、開いたままの扉から家の外へと吹っ飛んだ。
「ぐう…!」
あの一撃であばらが折れてしまった。
素手だけで。
鬼化すると腕力まで上がってしまうのはヨルから聞いていたけど、実際にその力を受けて実感してしまうことになるとは。
ヨルがゆっくりと家から出てくる。
「!!」
陽の下に出たその姿に、ヨルの面影はもうどこにもなかった。
金色と黒の瞳、漆黒の肌、尖った耳、赤い唇から覗かせる鋭さの増した牙、鋭い爪、背中から生えた血肉の翼。
かろうじてヨルだとわかるのが、黒と白の髪に、身に纏った暁の外套。
その姿に戦慄を覚えたあたしは、額から冷えた汗が伝うのを感じ、喉を鳴らした。
これが、完全に鬼化したヨルなのか。
「……ヨル…?」
確かめるように名を呼んでみる。
ヨルは口端を吊り上げた。
それは微笑みではなく、冷笑。
「キキッ」
そして、獣のように唸り、牙を剥いた。
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