29:湯煙に包まれ
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*飛段
「死ねコラァ!!」
「おまえが死ね!」
「それをオレに言うかっての!」
野次馬に囲まれながら、オレは男と殴り合っていた。
野次馬の中から「どっちに賭ける?」という言葉が聞こえ、オレはそいつに向かって唾を吐きかけてやりたくなった。
もう何発打ち込まれ、何発打ち込んだだろうか。
たぶん、あいつの方がオレよりけっこう打ち込んでると思う。
三連鎌を放ったのはあくまでハンデってやつだ。
儀式にしてやってもよかったが、角都とヨルがうるさい。
そういえば、ヨルの姿がどこにもない。
「あれ?」
あいつ、どこ行ったんだ。
ゴッ!
「ぐ!」
気を取られてたせいで、重いパンチを一発腹に受けた。
腹の中のものが込み上げ、その場に吐きだす。
とは言っても、胃液しか出てこなかった。
「はんっ、汚ェ。鎌なんか捨てて、カッコつけるからだ。オレ様がただの一般人に見えたか? 忍のクセに、随分と節穴な目を持ってるな。泥団子でも詰めておけばどうだ? 一般人より丈夫だからって粋がるなよ」
オレは口の中に残った胃液とともに、足下に唾を吐き捨てた。
なんでオレが忍だってバレたのかは知らねえが、そんなことはどうでもいい。
「その節穴に、てめーは何発食らった? 一般人より鈍いようだな」
男はサングラスをかけ直し、殺意のこもった眼差しでオレを睨んだ。
「……やっぱり、今殺すか」
「!?」
一気に懐に飛び込まれ、首をつかまれた。
「ぅ…!」
「ジジイになって死ね」
だが、しばらくしてそいつは目を見開いて驚いた。
「…なんだと?」
一瞬手が緩んだ。
「殺せるもんなら…」
オレはその隙にコブシをぎゅっと握りしめ、振りかぶった。
「殺してみやがれェ!」
ゴッ!!
勢いのいいのを一発そいつの右頬に叩きこんでやった。
サングラスは割れ、そいつは地面に転がる。
オレは三連鎌を拾い、野次馬共を掻き分けて走りだす。
そのまま儀式にしてもよかったが、ジャシン様に祈りを捧げる時間を考えると完全に日が暮れちまう。
こっちにはヨルを探す時間もあるってのに。
「ヨル―――!」
たぶん、オレとグラサンヤロウのもめ事に気付かずに先に行ったのかもしれない。
オレは笠を被り、店の奴らにヨルのことを聞きまわった。
会話するのも嫌だったけど。
ヨルは見つけた。
なぜか、路地裏の出入口で三角座りで座っていた。
「ヨル!」
肩を揺らすとヨルはゆっくりとオレの顔を見上げた。
その目はどこか虚ろだ。
「ヨル! どうした!?」
「飛段…」
それからムリヤリ笑みを浮かべてこう言いやがった。
「悪い、立てない」
肩に担がれると誘拐しているように見えるから、背中におぶってもらった。
それでもやはり目立って恥ずかしい。
ガキならともかく、オレは大人でも子供でもない姿だ。
飛段の顔や体には無数の痣があった。
どうしたのかと聞いたところ、喧嘩をしたと口を尖らせて言ったので、オレは呆れた。
抜け忍ということを自覚しているのか。
だが、死人は出ていないようでよかった。
それから飛段は自慢げに「きつい一発食らわして勝ち逃げしてやった」と話し、オレは思わず笑ってしまった。
飛段におぶられて宿へ戻る道を歩きながら、オレは飛段に妙な老婆のことを話した。
「…ああ、千里眼ババアのことか」
明らかに老婆のことを知ってると言った口調だ。
「知ってるのか?」
「この里の都市伝説みたいなもんだ。突然現れてはそいつの未来を勝手に見て勝手に喋って去るらしいぜ。元は忍だったって噂だった。ここがまだ戦を覚えてた頃のな。息子と旦那戦争で亡くして気が狂ってるって聞いてた」
「…未来が…見えるのか…」
「さぁな」
飛段は噂だけで直接会ったことはないらしい。
なぜ老婆がそんなことをするのか。
息子と旦那を戦争で失って、この里の誰もがそれを忘れようとしているのが許せないのだろうか。
老婆は大切な2人を失うことが見えていたのではないのか。変えられなかったのか。
どれもオレの勝手な憶測だ。
「なに言われた?」
飛段は横目にオレを見た。
「これから戻れば、金にうるさい守銭奴がおまえと連れを容赦なく殴り飛ばすだろう…ってさ」
オレは老婆のしゃがれ声をマネして嘘を答えた。
飛段は「げっ」と舌を出す。
「そりゃ帰りづれェ…;」
それを聞いたオレは笑った。
今の気持ちが笑い声とともに吹き飛んでくれることを望んで。
「そういや、ここ、リンゴ飴なかったぞ」
「祭りじゃねーんだからよォ。その辺の店の試食品でも食っとけ;」
「リンゴ飴がないなんて…」
「また別の町で買えばいーだろ。味覚音痴のクセに、しかも2年もよく飽きねーな(汗)」
「おまえの奉るジャシンと同じだ。あの見た目と味はもっと尊重されるべきだ」
「同じじゃねえ。ジャシン様は食いモンじゃねーっての」
老婆の気が狂ってるせいで外れてくれればいい。
そう信じたい。
オレはもう孤独(闇)には戻りたくない。
*****
勝手に作った予言通り、オレ達は角都に怒られた、というか殴られた。
父親がいてもこんな激痛のコブシは与えられないだろう。
オレと飛段はコブを作ったまま豪華な夕食を食べた。
里の文句はぶちぶちと言うくせに、飛段の食欲は旺盛だ。
野菜をスルーして遠慮なく肉類を食べている。
所詮は人間の食べ物だから、オレはそんなに食べない。
だから、オレの分の肉は全部飛段に与えた。
増血剤で済まそうと思った時だ。
角都にヒョウタンを渡された。
中身は酒かと思ったが、蓋を開けずとも匂いがわかった。
ウサギだ。
ウサギの血が入ってる。
「女将に頼んでおいた」
「角都、やっぱオレおまえ好きだ」
さぞや女将に驚かれただろう。
ウサギの血をほしがる奴はオレみたいな奴だけだ。
オレはさっそくヒョウタンの蓋を開けて中に入ってる血を飲んだ。
新鮮で、美味い。
保存のよさそうな容れ物だし、このままもらっていいのだろうか。
夕食のあと、寝る前の風呂。
タオルを体に巻いて内の風呂を堪能したあとは外の風呂、露天風呂に向かった。
形のいい三日月が浮かんでいる。
露天風呂は岩でできていて、天然の温泉の香りを漂わせていた。
岩の囲いの先は崖となっていて、その下には里と、その向こうには海が見えた。
中もそうだったが、まるで貸し切り状態だ。
「……………」
露天風呂に浸かったまま岩に背をもたせかけ、月を仰いだ。
「ひとりは心臓をすべて失い、ひとりは闇の底へ。娘はまた…孤独に戻る」
老婆の言葉を思い出してしまい、憂鬱な気分になる。
それごと洗い流したくて湯で顔を洗った時だ。
「そんな辛気クセェ顔してんじゃねーよ。せっかくの温泉だぜ」
いつの間にかいた飛段がオレの右隣に並び、同じように月を見上げている。
「おまえなんて、ここに来るの嫌がってただろ」
「オレが嫌いなのはこのクソ里だ。温泉自体は嫌いじゃねーよ」
「ご満悦のところ悪いけど、なんでおまえが女湯にいるんだよ」
そう言うと飛段は立ち上がり、「知らねーのかァ?」とエラそうに腕を組んでオレを見下ろした。
「ここは混浴だ。男女OK!」
「なら…、下半身を慎んでから入れ!!」
オレは頭にのせていた手ぬぐいを、隠しもしない飛段の下半身にぶつけた。
「いい加減慣れろよなァ;」
飛段は再び露天風呂に浸かり、両手を後頭部に組んで言った。
オレだっていい加減慣れたいさ。
「ったく、もう警戒してねーんだな」
抜け忍が里に帰郷中だってのに。なのに、開き直ってるのか飛段の調子はいつも通りだった。
「警戒もなにも、オレが町で喧嘩してても誰もオレをこの里の奴だって気付かなかったんだ。気付いてても黙視だ。今更面倒だろ。それに今の奴らはオレの始末より金持ってそうな忍や旅人の客引きに忙しそうだし」
「…仲間や家族にも会わなかったのか?」
オレと一度別行動して家族に会いに行くこともできたはずだ。
「仲間なんていねーし、家族ってのは…たぶん……」
そう言って町の方に指を差し、オレは差された方に顔を向けた。
町外れなのか、明かりがない場所だ。
「里抜ける前に散々暴れたからなァ。身内は追放されたと思う。ほら、あの辺り。明かりがねえってことは、そういうことだ」
生かされてるか殺されてるかわからない。
それでも飛段の顔は平然としていた。
「…家に帰りたいとか思わないのか?」
オレの問いに飛段が少し黙った。
それから「別に」と答えた。
どこか思うところがあるのだろう。
オレが黙ると、飛段は言葉を継いだ。
「けどな…、出てったことは後悔してねェ。こうして毎日ジャシン様のご加護を受けながら、楽しくやってるわけだしな」
そう言って笑みを向けた。
その言葉を嬉しいと思っていいのか。
今度は飛段が質問してきた。
「おまえは里に帰りたいとは思わねーのか?」
オレは懐かしいあの里を思い出してみる。
里を出てから2年しか経ってないのに、もうなくなってるんじゃないかと錯覚するほど昔のことのように思える。
オレは誰もいないあの場所で、ずっと独りで過ごしていたわけだ。
角都と飛段に出会うまでは。
「…“家”ってモンがあったら、里帰りしたいとか思ってたかもな。けど、オレには家も家族もねーし…」
その時だ。
目の前の水面にゴポゴポと泡が浮かび大きな影が映った。
ザパァ!
「「わあ!!?;」」
オレと飛段はびっくりして同時に悲鳴を上げた。
鬼鮫が…、いや、角都が出現した。
「角都、ずっと潜ってたのかよ;」と飛段。
「魚かてめーは;」とオレ。
縮む寿命はないが、苦しいほど鼓動する心臓のせいでそんな気にさせられる。
角都はオレの左隣に並んで尋ねた。
「…アサ…とはどうだったんだ?」
本当に心臓に悪い奴だ。
オレは思わず顔を強張らせてしまった。
それでも角都は再度尋ねる。
「貴様の言う家族とやらではなかったのか?」
最初からいたのか、会話は筒抜けのようだ。
オレが躊躇っていると飛段が割り込んできた。
「オイオイ、今こいつナーバスになってんだから…、ていうか、もう遅ェか…。クソ、なんのためにこの里に寄ったと…」
「これ以上溜めこまれると、任務に支障が出る。こいつは貴様と違って不死身ではないんだぞ、飛段」
ああそうか、とオレは納得した。
角都と飛段はオレのためにこの里で休暇をとってくれたんだ。
戦いから断絶されたこの里で。
「…ヨル」
「わかった」
飛段に声をかけられると同時にオレはそう言って頷いた。
「ちょっと…、すっきりさせる」
アサとオレのことを他の奴に話すのは初めてだ。
今まで周りにそんな奴らもいなかったけど。
オレの髪の毛先から水滴が落ち、水面とぶつかって波紋を作った。
それを合図にオレは月を見上げながら語る。
「…朱族として生まれた日から、アサはオレの面倒を見てくれた。天空よりも、付きっきりで。ヒルとユウに悪さをされても、頼んでもないのに粛清してくれた」
「なんだ、いい奴じゃ…」
その飛段の言葉を遮る。
「天空が死んでユウとヒルが出て行ったあと、アサはオレの世話にますます固執した。…たぶん、20年ほど一緒にいたかもしれない。オレはその間のことがよく思い出せねーんだ。…ずっと…」
『ヨル』
あの声と笑顔を思い出すだけで背筋を悪寒が走り、思わずぎゅっと目をつぶった。
温かい湯に浸かっているはずなのに、体が震える。
それでもオレはこの2人にはオレの過去を知ってほしい。
「大丈夫か?」と飛段に心配されながらも、オレは深呼吸してから言葉を続ける。
「ずっと…、監禁されていたから…」
.
「死ねコラァ!!」
「おまえが死ね!」
「それをオレに言うかっての!」
野次馬に囲まれながら、オレは男と殴り合っていた。
野次馬の中から「どっちに賭ける?」という言葉が聞こえ、オレはそいつに向かって唾を吐きかけてやりたくなった。
もう何発打ち込まれ、何発打ち込んだだろうか。
たぶん、あいつの方がオレよりけっこう打ち込んでると思う。
三連鎌を放ったのはあくまでハンデってやつだ。
儀式にしてやってもよかったが、角都とヨルがうるさい。
そういえば、ヨルの姿がどこにもない。
「あれ?」
あいつ、どこ行ったんだ。
ゴッ!
「ぐ!」
気を取られてたせいで、重いパンチを一発腹に受けた。
腹の中のものが込み上げ、その場に吐きだす。
とは言っても、胃液しか出てこなかった。
「はんっ、汚ェ。鎌なんか捨てて、カッコつけるからだ。オレ様がただの一般人に見えたか? 忍のクセに、随分と節穴な目を持ってるな。泥団子でも詰めておけばどうだ? 一般人より丈夫だからって粋がるなよ」
オレは口の中に残った胃液とともに、足下に唾を吐き捨てた。
なんでオレが忍だってバレたのかは知らねえが、そんなことはどうでもいい。
「その節穴に、てめーは何発食らった? 一般人より鈍いようだな」
男はサングラスをかけ直し、殺意のこもった眼差しでオレを睨んだ。
「……やっぱり、今殺すか」
「!?」
一気に懐に飛び込まれ、首をつかまれた。
「ぅ…!」
「ジジイになって死ね」
だが、しばらくしてそいつは目を見開いて驚いた。
「…なんだと?」
一瞬手が緩んだ。
「殺せるもんなら…」
オレはその隙にコブシをぎゅっと握りしめ、振りかぶった。
「殺してみやがれェ!」
ゴッ!!
勢いのいいのを一発そいつの右頬に叩きこんでやった。
サングラスは割れ、そいつは地面に転がる。
オレは三連鎌を拾い、野次馬共を掻き分けて走りだす。
そのまま儀式にしてもよかったが、ジャシン様に祈りを捧げる時間を考えると完全に日が暮れちまう。
こっちにはヨルを探す時間もあるってのに。
「ヨル―――!」
たぶん、オレとグラサンヤロウのもめ事に気付かずに先に行ったのかもしれない。
オレは笠を被り、店の奴らにヨルのことを聞きまわった。
会話するのも嫌だったけど。
ヨルは見つけた。
なぜか、路地裏の出入口で三角座りで座っていた。
「ヨル!」
肩を揺らすとヨルはゆっくりとオレの顔を見上げた。
その目はどこか虚ろだ。
「ヨル! どうした!?」
「飛段…」
それからムリヤリ笑みを浮かべてこう言いやがった。
「悪い、立てない」
肩に担がれると誘拐しているように見えるから、背中におぶってもらった。
それでもやはり目立って恥ずかしい。
ガキならともかく、オレは大人でも子供でもない姿だ。
飛段の顔や体には無数の痣があった。
どうしたのかと聞いたところ、喧嘩をしたと口を尖らせて言ったので、オレは呆れた。
抜け忍ということを自覚しているのか。
だが、死人は出ていないようでよかった。
それから飛段は自慢げに「きつい一発食らわして勝ち逃げしてやった」と話し、オレは思わず笑ってしまった。
飛段におぶられて宿へ戻る道を歩きながら、オレは飛段に妙な老婆のことを話した。
「…ああ、千里眼ババアのことか」
明らかに老婆のことを知ってると言った口調だ。
「知ってるのか?」
「この里の都市伝説みたいなもんだ。突然現れてはそいつの未来を勝手に見て勝手に喋って去るらしいぜ。元は忍だったって噂だった。ここがまだ戦を覚えてた頃のな。息子と旦那戦争で亡くして気が狂ってるって聞いてた」
「…未来が…見えるのか…」
「さぁな」
飛段は噂だけで直接会ったことはないらしい。
なぜ老婆がそんなことをするのか。
息子と旦那を戦争で失って、この里の誰もがそれを忘れようとしているのが許せないのだろうか。
老婆は大切な2人を失うことが見えていたのではないのか。変えられなかったのか。
どれもオレの勝手な憶測だ。
「なに言われた?」
飛段は横目にオレを見た。
「これから戻れば、金にうるさい守銭奴がおまえと連れを容赦なく殴り飛ばすだろう…ってさ」
オレは老婆のしゃがれ声をマネして嘘を答えた。
飛段は「げっ」と舌を出す。
「そりゃ帰りづれェ…;」
それを聞いたオレは笑った。
今の気持ちが笑い声とともに吹き飛んでくれることを望んで。
「そういや、ここ、リンゴ飴なかったぞ」
「祭りじゃねーんだからよォ。その辺の店の試食品でも食っとけ;」
「リンゴ飴がないなんて…」
「また別の町で買えばいーだろ。味覚音痴のクセに、しかも2年もよく飽きねーな(汗)」
「おまえの奉るジャシンと同じだ。あの見た目と味はもっと尊重されるべきだ」
「同じじゃねえ。ジャシン様は食いモンじゃねーっての」
老婆の気が狂ってるせいで外れてくれればいい。
そう信じたい。
オレはもう孤独(闇)には戻りたくない。
*****
勝手に作った予言通り、オレ達は角都に怒られた、というか殴られた。
父親がいてもこんな激痛のコブシは与えられないだろう。
オレと飛段はコブを作ったまま豪華な夕食を食べた。
里の文句はぶちぶちと言うくせに、飛段の食欲は旺盛だ。
野菜をスルーして遠慮なく肉類を食べている。
所詮は人間の食べ物だから、オレはそんなに食べない。
だから、オレの分の肉は全部飛段に与えた。
増血剤で済まそうと思った時だ。
角都にヒョウタンを渡された。
中身は酒かと思ったが、蓋を開けずとも匂いがわかった。
ウサギだ。
ウサギの血が入ってる。
「女将に頼んでおいた」
「角都、やっぱオレおまえ好きだ」
さぞや女将に驚かれただろう。
ウサギの血をほしがる奴はオレみたいな奴だけだ。
オレはさっそくヒョウタンの蓋を開けて中に入ってる血を飲んだ。
新鮮で、美味い。
保存のよさそうな容れ物だし、このままもらっていいのだろうか。
夕食のあと、寝る前の風呂。
タオルを体に巻いて内の風呂を堪能したあとは外の風呂、露天風呂に向かった。
形のいい三日月が浮かんでいる。
露天風呂は岩でできていて、天然の温泉の香りを漂わせていた。
岩の囲いの先は崖となっていて、その下には里と、その向こうには海が見えた。
中もそうだったが、まるで貸し切り状態だ。
「……………」
露天風呂に浸かったまま岩に背をもたせかけ、月を仰いだ。
「ひとりは心臓をすべて失い、ひとりは闇の底へ。娘はまた…孤独に戻る」
老婆の言葉を思い出してしまい、憂鬱な気分になる。
それごと洗い流したくて湯で顔を洗った時だ。
「そんな辛気クセェ顔してんじゃねーよ。せっかくの温泉だぜ」
いつの間にかいた飛段がオレの右隣に並び、同じように月を見上げている。
「おまえなんて、ここに来るの嫌がってただろ」
「オレが嫌いなのはこのクソ里だ。温泉自体は嫌いじゃねーよ」
「ご満悦のところ悪いけど、なんでおまえが女湯にいるんだよ」
そう言うと飛段は立ち上がり、「知らねーのかァ?」とエラそうに腕を組んでオレを見下ろした。
「ここは混浴だ。男女OK!」
「なら…、下半身を慎んでから入れ!!」
オレは頭にのせていた手ぬぐいを、隠しもしない飛段の下半身にぶつけた。
「いい加減慣れろよなァ;」
飛段は再び露天風呂に浸かり、両手を後頭部に組んで言った。
オレだっていい加減慣れたいさ。
「ったく、もう警戒してねーんだな」
抜け忍が里に帰郷中だってのに。なのに、開き直ってるのか飛段の調子はいつも通りだった。
「警戒もなにも、オレが町で喧嘩してても誰もオレをこの里の奴だって気付かなかったんだ。気付いてても黙視だ。今更面倒だろ。それに今の奴らはオレの始末より金持ってそうな忍や旅人の客引きに忙しそうだし」
「…仲間や家族にも会わなかったのか?」
オレと一度別行動して家族に会いに行くこともできたはずだ。
「仲間なんていねーし、家族ってのは…たぶん……」
そう言って町の方に指を差し、オレは差された方に顔を向けた。
町外れなのか、明かりがない場所だ。
「里抜ける前に散々暴れたからなァ。身内は追放されたと思う。ほら、あの辺り。明かりがねえってことは、そういうことだ」
生かされてるか殺されてるかわからない。
それでも飛段の顔は平然としていた。
「…家に帰りたいとか思わないのか?」
オレの問いに飛段が少し黙った。
それから「別に」と答えた。
どこか思うところがあるのだろう。
オレが黙ると、飛段は言葉を継いだ。
「けどな…、出てったことは後悔してねェ。こうして毎日ジャシン様のご加護を受けながら、楽しくやってるわけだしな」
そう言って笑みを向けた。
その言葉を嬉しいと思っていいのか。
今度は飛段が質問してきた。
「おまえは里に帰りたいとは思わねーのか?」
オレは懐かしいあの里を思い出してみる。
里を出てから2年しか経ってないのに、もうなくなってるんじゃないかと錯覚するほど昔のことのように思える。
オレは誰もいないあの場所で、ずっと独りで過ごしていたわけだ。
角都と飛段に出会うまでは。
「…“家”ってモンがあったら、里帰りしたいとか思ってたかもな。けど、オレには家も家族もねーし…」
その時だ。
目の前の水面にゴポゴポと泡が浮かび大きな影が映った。
ザパァ!
「「わあ!!?;」」
オレと飛段はびっくりして同時に悲鳴を上げた。
鬼鮫が…、いや、角都が出現した。
「角都、ずっと潜ってたのかよ;」と飛段。
「魚かてめーは;」とオレ。
縮む寿命はないが、苦しいほど鼓動する心臓のせいでそんな気にさせられる。
角都はオレの左隣に並んで尋ねた。
「…アサ…とはどうだったんだ?」
本当に心臓に悪い奴だ。
オレは思わず顔を強張らせてしまった。
それでも角都は再度尋ねる。
「貴様の言う家族とやらではなかったのか?」
最初からいたのか、会話は筒抜けのようだ。
オレが躊躇っていると飛段が割り込んできた。
「オイオイ、今こいつナーバスになってんだから…、ていうか、もう遅ェか…。クソ、なんのためにこの里に寄ったと…」
「これ以上溜めこまれると、任務に支障が出る。こいつは貴様と違って不死身ではないんだぞ、飛段」
ああそうか、とオレは納得した。
角都と飛段はオレのためにこの里で休暇をとってくれたんだ。
戦いから断絶されたこの里で。
「…ヨル」
「わかった」
飛段に声をかけられると同時にオレはそう言って頷いた。
「ちょっと…、すっきりさせる」
アサとオレのことを他の奴に話すのは初めてだ。
今まで周りにそんな奴らもいなかったけど。
オレの髪の毛先から水滴が落ち、水面とぶつかって波紋を作った。
それを合図にオレは月を見上げながら語る。
「…朱族として生まれた日から、アサはオレの面倒を見てくれた。天空よりも、付きっきりで。ヒルとユウに悪さをされても、頼んでもないのに粛清してくれた」
「なんだ、いい奴じゃ…」
その飛段の言葉を遮る。
「天空が死んでユウとヒルが出て行ったあと、アサはオレの世話にますます固執した。…たぶん、20年ほど一緒にいたかもしれない。オレはその間のことがよく思い出せねーんだ。…ずっと…」
『ヨル』
あの声と笑顔を思い出すだけで背筋を悪寒が走り、思わずぎゅっと目をつぶった。
温かい湯に浸かっているはずなのに、体が震える。
それでもオレはこの2人にはオレの過去を知ってほしい。
「大丈夫か?」と飛段に心配されながらも、オレは深呼吸してから言葉を続ける。
「ずっと…、監禁されていたから…」
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