悪党は、黒猫を追います。
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「何もなかったっスねー」
「猫の足跡みたいなのはあったけどね」
屋敷を探索したが、ボスはどこにもいなかった。
数時間かけて念入りに捜索したため、館を出た時刻はすでに夕刻を迎えていたが、空は雲で覆われていた。
無人の住宅街だと不気味に感じられる。
「………姫川は?」
「あれ?」
手分けして捜索していたが、集合時間は告げていたはずだ。
腕時計を見ると、予定時間より30分経過していた。
「―――ったくあいつは…」
話を聞いていなかったのか、と腰に手を当ててため息をつく神崎。
「神崎君」
「あー、いいいい。オレだけであいつ探すから。おまえらは先にアジトに帰ってろ。明日、またこの辺を捜索するぞ」
手のひらをひらひらさせたあと、神崎はひとり館へと踵を返す。
「気を付けて帰ってきてね。雲行きも怪しくなってきたから」
夏目は上空の曇天を指さす。
湿った匂いもして、一雨来そうだ。
「おう」
短く返し、猫探しから姫川探しに切り替える。
*****
「はぁ、はぁ、はぁ…。……動けねぇ」
姫川は2階の廊下にいた。
屋根がわずかに潰れているので、そこから雨漏りして水分を吸った木造の床は酷く脆く、姫川が通過しようとした際に底が抜けてしまったのだ。
右の太ももまで突き抜けてしまった挙句、木片が右脚に刺さってしまったようで、無理に引き抜こうとすれば痛みが走る。
「さて、どうしよ…」
自問自答し、明後日の方向を見据える。
無線機を使えば助けは来るが、この状況を見せたくないというプライドが邪魔をした。
その時、ポタ…、と鼻先に水滴を感じた。
見上げると、天井が雨漏りしている。窓には雨が叩きつけていた。
(降ってきやがった)
狙っているかのように頭上に雨水が落ちてくる。
「……………」
動けない右脚に視線を移した。足枷と同じに思えた。
下りてくる髪とともに、過去がよぎる。
平和で誰もが羨む未来が待っているはずだと信じていた子どもは、魔境の魔の手によって裏切られてしまう。
屋敷に火を放ち、すべてを奪ったのは、魔境の者達だった。
燃え盛る屋敷の中では怯えていることしかできなかった。
両親とはぐれ、ようやく助けが来たかと思えば、惨状を引き起こした張本人たちだった。
『ガキがいたぞ』
『もういいだろ。この領域と金はオレ達の手に入ったんだ』
『こいつの顔、見てみろよ。美術品みてぇだ。競売にかければさらに儲かるぞ。奪えるもんはすべて奪いつくしちまえ』
姫川の目には、全身真っ黒な影の集団にしか見えなかった。
わけのわからないうちに小さな檻の中に放り込まれ、売られてしまう。
その間、食事は十分に与えられず、飢えに耐えながら外に出ることを待ちわびる日々。
『まあ綺麗な子。買うわ』
出てもそこは自由が許されない地獄だ。
ペットのように飼い主に媚を売り続け、生き抜くために、残酷な決断や狡猾な手段を繰り返し、やっとそれなりの金と自由をつかめたと思った時には、全身が汚れていた。
そして、2度と『表』には帰れないほどの数えきれない罪を背負ってしまった。
「あ…、あああ…ッ」
受け入れたつもりだった。
なのに思い出したように心が発作を起こした。
湿った床に額を擦りつけ、剥がれてしまいそうな胸をぎゅうっとつかんだ。
「動くなよ」
「!!」
バキッ!!
はっと顔を上げると、オノを持った神崎が床に向けて振り下ろした。
床は木片を散らし、穴が空いて姫川の右脚を解放する。
「なに足止め食らってんだバーカ」
ぽかんと口を開けている姫川を笑い、神崎は腕をつかんで姫川を引き上げる。
「遠慮せずに無線機使えよ。確かに間抜けな姿…」
言いかけたところで、姫川は神崎に抱き着いた。
「!?」
「神崎…っ」
思わず払いのけようとしたが、弱々しい声に手が止まった。
怯えた子どものようだ。
入る前から様子がおかしいことには気づいていた。
迷ったように視線を彷徨わせ、なだめるように頭を撫で、言葉をかける。
「……おまえ…、何抱えてんだよ?」
余計な詮索かと思って踏み止まっていた言葉だった。
右脚の傷口からどくどくと流れ出る血が、床の穴へと落ちていく。
夜を迎えた頃には、一時的な雨はやんでいた。
右脚に刺さった木片をナイフで取り除かれたあと、ハンカチで巻かれ、神崎に肩を貸されながら姫川は共にアジトへと戻っている最中だった。
自分の過去を語りながら。
魔境の領域に呑みこまれてしまった自分の居場所。
家だけでなく、幼い少年までも魔境へと引きずり込まれてしまった。
競売で買い取ったのは、美少年愛好家のマダム。
成長するのは免れないので、飽きて捨てられる前に、他の豊かそうな女性に媚を売って生きてきた。
利益になるなら迷わずそちら側につき、魔境の生き方を学んではまた別の場所へと移る。
自立した年になり、自分の仕事を持った。
金になるためなら、生き残るためなら、なんでもやった。
両親があの後どうなったのかは、今更どうでもよかった。
2度と戻れないと理解していたし、こんな汚れきった自分を受け入れてくれるとは到底思えなかったからだ。
「―――記憶なんて戻らなくていいとさえ思ってる。どうせ、褒められたことをやったわけでもない…。半年で人間は変われねーよ」
自嘲し、空を見上げた。
雲の割れ目から、微かに月明かりが漏れている。
姫川が語っている間、神崎は足を止めることなく黙って耳を傾けていた。
「…引いたか?」
「…いや…」
「うそつけよ」
「本気で引いてねぇよ。そりゃ、性格も歪んじまうよな、って思ってな」
「オレの性格は生まれつきだが? だからめげずに生きてこれたんだ」
「羨ましいぜ、ある意味。…むしろ、歪んでないとおまえらしくねーように思える。無垢で純粋な姫川って、思い描いただけでも気持ち悪いな」
「言いたい放題かよ。喋んなきゃよかったぜ」
「いいや。またおまえのことが知れた」
横目に見ると、神崎は口元を緩ませていた。
安堵しているかのようだ。
「……………」
自分の過去を口にするのは躊躇があった。
特に神崎の前では。
それでも、その反応だけで、傷であるはずの過去が他人事のように思えた。
あれだけ重く冷たく圧し掛かっていたのに。
今では、胸の苦しみも嘘のように取り去られている。
少しも緩まない、しっかりと肩に回され握られた手の力が心地よい。
「…廊下にはまってる間、ボスを見かけたか?」
「いいや。見当たらなかった。部屋中を探し回ったあとにはまっちまったからな」
我ながら間抜けな話だと苦笑いがこぼれる。
「依頼人が急かしてんだよな。ドン引きするくらい可愛がってるから、家で待ってればいいのにうちのアジト来て待ってるらしい;」
「それが嫌で飛び出したんじゃねえのかボス;」
「…言い訳考えねーと」
普段は貫禄ある依頼人だが、愛猫の身に何かあれば我を忘れてしまう。
こうしている間も、残った神崎達に期待を抱いて正座待機しているのだろう。
想像するとうんざりする。
アジトまであと少し。
「お兄さん」
「「!」」
色を含めた声の方向に振り向くと、薄暗い路地に立っていたのは黒のワンピースを着たグラマーな女だ。
露出した肌から目に見えるような色気を醸し出している。
「私を買ってくれない? 安くしちゃう」
「……買ったらどうだ。最近ご無沙汰だろ」
「!」
珍しく神崎がすすめた。
「歩けるか?」
「…ああ」
姫川が頷くと、神崎は肩に回していた手を放す。
「遅れそうなら連絡しろ。ただし、アジトには連れてくるなよ」
指をさして忠告し、姫川に背を向けた。
「神崎…」
神崎の耳には届かない小さな声だ。
気晴らしにと気遣ってくれたのだろう。
だが、そのらしくない優しさが妙に胸を痛めた。
神崎は振り返らず、ポケットに手を突っ込んだままアジトへと向かう。
「お兄さん、いい男ね」
姫川の手を引いた女は路地へと誘った。
それから姫川の頬に両手を添えて際どい手つきで撫でる。
「……………」
(神崎とヤッて以来か…。女とヤるのは……)
薬品のせいとはいえ、あんなにがむしゃらに人を犯したのは初めての事だった。
久しぶりの女相手に抵抗が生まれ、不思議と気分も上がらない。
先程神崎になだめるように撫でられたせいか、女の手つきが心地悪くさえ思う。
(どうしちまったんだ…、オレ……)
夢のように、女と神崎を重ねようとする。
「躊躇わなくていいのよ。ここで抱いて…」
女が豊かな胸を押し付け、姫川の背中に手を回した。
(神崎…)
「さあ、早く…」
促す女の手元には、小型のナイフが光っている。
「フシャーッ!!」
「きゃあ!!」
「!?」
突然、威嚇の声とともにボスが女の顔に飛びかかった。
顔を乱れ引っ掻きされた女はたまらず姫川から離れ、手に隠し持っていたナイフを落とした。
「痛い!! なんなのこのクソ猫!! いたたた!!」
「このナイフ…」
「!!」
ナイフに気付かれ、女は顔からボスを引き剥がして姫川に投げつける。
姫川は反射的にボスを両手で受け止めた。
「チッ! もう少しだったのに!」
命を狙われたことを察した姫川は、女が拾い上げようとするナイフを蹴飛ばし、額に拳銃を向けた。
「う…」
身動きを奪われた女は、姫川を睨んで唸ることしかできない。
ボスは「にゃぁ」と鳴いて姫川の肩に飛び乗った。
「何でオレを襲う?」
「……あ…、アンタが…、おたずねモンだからよ…」
「御尋ね者?」
女は丸めた手配書を投げつけた。
姫川は女から視線を逸らさず、それを拾い上げる。
「…そう。賞金がかけられてんだってさ。10億も。私はそれを手に入れて魔境からおさらばして人生楽しく過ごすんだよ! 娼婦なんて一生続けてたって手に入らない金額だからねっ!」
まくし立てる女の目は血走っている。
姫川は哀れに思った。
「どんな莫大な大金を手にしても、魔境の沼からは抜け出せねえよ」
「…っっ!!」
「魔境は麻薬だ。長くいればいるほど、ここの刺激はクセになる。断言してやるよ。てめぇも『表』で生きるのはムリだ」
冷笑を浮かべる姫川に、背筋が凍りつく。
粘り気のある恐怖が全身を包み込み、冷や汗が噴き出た。
すがりついていたはずの一抹の希望さえ、無下に潰されたようだ。
「うぅ…っ」
恐怖と絶望で涙を流す女。
姫川は面倒くさそうに頭を掻き、銃を下ろして路地から出ようとした。
「アンタなんか、魔境で死んじまえばいいんだ…っ。仲間に裏切られて…っ」
恨み言のために足を止めて再び歩き出し、手配書を広げた。
確かにリーゼントを下ろした自分の姿がそこにある。
この姿で出歩いていたのがまずかったのだろう。
(お尋ね者…って言ってたな…。オレが小遣い稼ぎで関わってたアレか? 誰がオレを? なんでリーゼント下ろしてんだ? いつ撮られた?)
浮かび上がるのは疑問ばかりだ。
「にゃあ」
ボスは喉を鳴らしながら姫川の頬にすり寄った。
「……オレが記憶をなくしてることと関係あるのかね」
「にゃ?」
姫川とボスは気付いていない。
今まさに、命が狙われていることを。
近くの建物の窓から、ライフルを構え、スコープ越しに姫川の姿をとらえる。
引き金にかけた指が微かに震える。
「……………」
いつでも頭を狙えた。
なのに、罪悪感が引き止める。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、神経を集中させた。
早くしなければ射程距離から離れてしまう。
焦りに突き動かされそうになった途端、姫川に神崎が近づくのが見えた。
男鹿から手配書のことを聞いたのだろう。
酷く慌てていた。
それから辺りを警戒し始めたので、ライフルとともに建物の中に身を隠す。
「…………はぁ…」
どっと汗が流れる。
命を奪う引き金が、これほど重いとは。
ケータイが着信を告げる。
億劫げに手に取り、耳に当てた。
「……仲間が近づいて失敗した」
“見ていた”
「!!」
はっとして辺りを見回すが、電話の相手は見つからない。
“キミにあるものを手渡そう。それであの男を始末しろ”
「…簡単に言う…」
“簡単だろう? 貴様の、イシヤマファミリーの一員なのだから”
「……………」
胸をえぐられるような気分だ。
それでも電話の相手は皮肉をこめてこう言った。
“健闘を祈っている”
「……………」
電話は切れた。
壁に背をもたせ掛け、ため息をつく。
失敗したことに安堵しているとは。
先が思いやられる。
「次こそは…―――」
.To be continued
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