ひとつだけの。
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「神崎と同棲することにしたから」
「…は?」
坊っちゃまのマンションの一室に呼び出され、突然の発言に私の口から間の抜けた言葉が出てしまいました。
坊っちゃまのめちゃくちゃな要求や発言には慣れたものだと思っていましたが、上には上があるものです。
前の「神崎と付き合うことにした」発言以来です。
最初はただのお戯れと思っていました。
今まで付き合ってきた女性と同じように。
なのに、日を重ねるごとにそれが冗談ではなく本気だと実感してしまったのがつい最近のことなのです。
ゆっくりと飲み込んだ不味いものを再び口に突っ込まれたようなもの。
本当はもっと早く止めなければならなかった。
神崎様とお付き合いを始めた坊っちゃまは変わられてしまったのだ。
「…同棲、というと?」
なにかの間違いかもしれない。
そう思いたかったのですが、坊っちゃまは真剣な面持ちでこうおっしゃいました。
「そのままの意味だ、蓮井。オレと神崎はひとつ屋根の下で暮らしていく。この先ずっとだ。…マジな話、結婚も考えてる」
さすがに目眩がしました。
力強く、「オレの人生全部くれてやるつもりだ」とまでおっしゃられた。
貧血を起こしかけている場合ではありません。
「…まさか…、姫川の名をお捨てになるおつもりで?」
その質問に、坊っちゃまは首を横に振られた。
「それについて神崎と話しあったんだ。…やっぱり親に認められて付き合いたいんだと。後味悪くしないために…」
それを聞いてホッとしました。
逆に言うのなら、旦那さまがお2人の関係を認めなければ坊っちゃまが同棲を始めることはない。
「そうだ…。まずは親父の説得だな」
思い出したように坊っちゃまは携帯を取り出し、早速旦那様と連絡をとろうとなさいます。
旦那様は毎日が多忙でございます。
通話ができるお時間があるのでしょうか。
しばらく待っていると、坊っちゃまが驚いた顔をなされた。
運よく繋がった様子です。
「…親父? ……神崎との関係を認めて、同棲させてくれ」
ブツッという音が聞こえました。
坊っちゃまは携帯から耳を放し、画面を睨み、強く握りしめました。
「切りやがった…っ」
危うく、「当然です」と突っ込むところでした。
欲しいものはなんでも手に入れようとする坊っちゃまは、すぐに行動に出ました。
「蓮井、すぐにヘリを出せ。親父のところに乗り込んで直接話す」
「…かしこまりました」
正直反対だったのですが、私は竜也坊っちゃまの執事。
主の要求を無下にはできません。
私と坊っちゃまは一緒にマンションの屋上にあるヘリポートへと向かいます。
「蓮井、現在の親父の場所は?」
「はい。ただいま京都で会議をなさっています」
「京都か…。…途中でジェット機に乗り換えるぞ」
「かしこまりました」
こうなれば、とことんやっていただきましょう。
そうすれば諦めもつくはずです。
「は!? もう行った!?」
京都に到着した頃にその連絡が入り、私は坊っちゃまにご報告しました。
会議は流れるように終わり、我々とすれ違うように東京へお戻りになったそうです。
「蓮井!」
「かしこまりました」
私達も急いで東京に戻りました。
そこでヘリに乗りかえ、急いで会社に向かいました。
「あ」
その途中、同じような大型のヘリとすれ違い、すぐに坊っちゃまが反応なさいました。
「親父のヘリ!!」
「追いかけます!」
すぐに旋回してそのヘリを追いかけます。
坊っちゃまはスピーカーを手にとり、窓から呼びかけました。
「親父!! 話がある!!」
すると、あちらのヘリの窓も開き、旦那様がスピーカーを手に顔をお出しになられました。
「なんだ! 竜也! 私は今忙しい! 来年にしろ!」
「てめぇは年中忙しいじゃねーか! そんなに待てるか! 今、聞け!」
なんとシュールな光景でしょうか。
「まさか、あのふざけた電話のことか!? 突然なにを言いだすかと思えば…」
「そうだ! 神崎との付き合いを認めてくれ!」
「どこの世界に同姓との付き合いを認める父親がいる! 大体おまえは姫川財閥を継ぐ者だぞ!」
「海外じゃ同姓の結婚式だってあるんだぞ! 継いでほしけりゃ神崎との同棲を認めろ!! じゃねえと、このまま一生許してくれるまで付きまとってやる!!」
そろそろ止めるべきでしょうか。
スピーカーで怒鳴り散らしながらそのような会話、町中に聞こえていますよ、御二方。
結局旦那様には逃げられてしまいました。
ですが、さすが坊っちゃま。
めげません。
話せば長くなります。
なにしろ、学校をお休みなられ、2週間も旦那様を追いかけ続けたのですから。
「話を聞けー!!」
財力の続く限り、ヘリ、ジェット機、新幹線など、飽きるほど乗りまわしました。
ヘリの時のように面と向かって話さず、坊っちゃまの一方的な説得。
このまま一生続くのではないかと私も不安に思いましたが、2週間目の終わり、坊っちゃまは唖然となさいました。
「……そんな…」
携帯を手に持った坊っちゃまは銅像のように突っ立っておられました。
ついに旦那様が手をまわされたようです。
坊っちゃまの口座から、すべての財産が引き抜かれてしまったのです。
つまり、今の坊っちゃまは無一文、ということになります。
自転車のように扱っていたヘリですら使用できない状態です。
ヘリポートの上でガクリと膝をつく坊っちゃま。
お労しい。
しかしこれで諦めもつくはず。
高校生活も残りわずか。
このまま同棲が決まらず卒業したあとは、坊っちゃまと神崎様は密会するヒマもございません。
お2人の心の距離が離れるのも時間の問題かと。
「…蓮井」
「はい」
「帰ろう」。
そう言われるのを期待していました。
しかし、サングラス越しの坊っちゃまの目はまだ絶望していないことに気付きました。
「親父の次の予定…わかるか?」
私は正直に申しました。
「…今日の夕方、豪華フェリーで会議をし、そのまま北海道へ…」
それを聞いた坊っちゃまはすぐに踵を返して走りました。
「坊っちゃま!? どちらへ!?」
「手元の残り7万がある。これで親父に追いついてやる…! 蓮井、おまえはここまででいい。あとはオレが…」
そう言い残された坊っちゃまは私を置いてどこかへと走って行かれました。
「坊っちゃま…」
さて、坊っちゃまから離れてしまいましたが、ご安心ください。
まだ私の目には坊っちゃまが映っています。
衛星カメラ越しに。
坊っちゃまはあのあと、街中にあるバイクショップに立ち寄り、中古のバイクをご購入なさいました。
おや、坊っちゃま、いつの間に免許を?
持っているわけがございません。
送り迎えはすべて私がしているのですから必要ないのです。
ポリシーであるはずのリーゼントを崩してヘルメットを被り、無免許に構わず、早速それにまたがって行ってしまわれました。
そんなにスピードを上げては捕まってしまいますよ。
はらはらせずにはいられません。
それでも坊っちゃまの運転さばきは見事なものです。
渋滞の中でもすいすいと泳ぐように走っていかれます。
この道の先から考えて、港へと向かっておられるのでしょう。
同じ頃、旦那様もリムジンで向かわれています。
どちらが先に着くのか、坊っちゃまが間に合わなければ今度こそ諦めざるを得ません。
坊っちゃまも必死です。
私は腕時計を確認しました。
残り1時間。
この調子で行けば、早く到着できることでしょう。
ですが、海沿いの車道でトラブルが発生しました。
バイクの燃料切れです。
最悪の事態に坊っちゃまは焦っています。
「動け」とバイクを蹴って起こそうとしますが、それで燃料が生み出されるなら誰もガソリンなど購入なさいません。
坊っちゃまの手持ちではもう燃料を入れることは不可能です。
坊っちゃまの外見なら女性が運転される車を止めることなど容易ですが、坊っちゃまは無自覚イケメン。
今までそうしてきたように、金がなければ車は乗せてなどくれないだろうと思いこまれているため、ヒッチハイクしようとなさらない。
これで諦めがつくだろうと私は目を伏せましたが、すぐに画面に釘づけになりました。
坊っちゃまがバイクを乗り捨てて走り出したからです。
まさか、港までの道のりをランニングで行かれるおつもりですか。
途中の坂道を歯を食いしばってのぼっていく坊っちゃま。
その勇姿を神崎様がご覧になっているわけでもないというのに。
時間は刻一刻と迫り、そして、ついに時間を迎えてしまいました。
「はぁっ、はぁっ、はぁ…」
遠くで船の汽笛が鳴る頃には、坊っちゃまは港の一歩手前にいました。
車道から、出航してしまった豪華フェリーを見てガードレールを蹴ります。
「クソ…。…っ…クソッ!!」
坊っちゃまに打つ手はもうございません。
そこへ、一台のリムジンがやってきて、坊っちゃまの背後で停車しました。
坊っちゃまがゆっくりと振り返ります。
そして私も画面から顔を上げ、フロントガラス越しに坊っちゃまと目を合わせました。
「蓮井」と驚く坊っちゃま。
私は運転席から下りてそのまま坊っちゃまの傍へは向かわず、一番奥の後部座席の扉を開けました。
そこからお降りになったのは、旦那様です。
坊っちゃまはさらに驚かれているご様子。
「蓮井…、いつから運転手と入れ替わった?」
「私も先回りさせていただき、運転手と話をつけました。…旦那様、坊っちゃまだけでなく、私の口座も押さえるべきだったのです」
「…フ…。悪知恵が働くのは、我が子だけではなかったか…」
旦那様は小さく笑いました。
「旦那様…、衛星カメラの映像はご覧に?」
「ああ。姫川財閥の息子とは思えん姿だった…」
後部座席に設置したモニターからそれをご覧になっていました。
私は旦那様に深く頭を下げます。
「申し訳ございません、旦那様。解雇は覚悟の上です。ただ、ほんの少しでいいのです。坊っちゃまと向き合ってお話しください」
すると、坊っちゃまは旦那様のもとへ駆け寄り、頭を下げられました。
「お願いします。どうか、オレと縁を切らず、神崎との交際を続けることを認めてください」
「…旦那様、私からもお願いします」
「蓮井…」
「お相手は、坊っちゃまを本気で走らせるお方です」
悔しいことに、私も認めざるを得なかったのです。
坊っちゃまの武器である金を失っても、坊っちゃまは無力にならず欲しいもののために全力を出されました。
「…欲しい物は何をしても手に入れる。…血は争えんな」
旦那様はそう呟かれたあと、携帯を取り出された。
「私だ。今すぐヘリを用意してくれ。まだ会議に間に合うはず…」
「親父!」
仕事モードにお戻りになった旦那様に、坊っちゃまは怒鳴りました。
「あちらの両親が許したのならあとは好きにすればいい。…おまえは姫川家の人間だ。その縁を切りたくないのなら、私に追いつく努力もしろ」
携帯の通話を切った旦那様は背を向けたままそうおっしゃいました。
「…やってやるよ…。てめーを黙らせるくらいにな…!」
背を向けてもわかりますよ、旦那様。
笑ってらっしゃいますね?
すぐにヘリは現れました。
垂らされた縄梯子をつかんだ旦那様はそのまま仕事へと向かわれました。
それを見送られたあと、坊っちゃまは携帯を取り出し、口座の金額が元に戻っていることをご確認されました。
「…蓮井、すぐに車を出せ。行き先はわかるな?」
「はい」
「向かってくれ」
「かしこまりました」
私は竜也坊っちゃまの執事。
坊っちゃまのお望みのままに。
.