リクエスト:落ちこぼれ執事とひねくれ御曹司。
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初めてその執事を見かけたのは、小学時代の真冬だった。
山中にある、財閥の御曹司や令嬢が通う小学校の授業中、窓際に座っていた幼い姫川はあるものを発見した。
「!」
小学校から少し離れた場所には大きな池があった。
姫川の8階の教室からはそれが見える。
その池に、人影が見えたので目を凝らしてみると、ズボンをひざ上までめくりあげ、上半身はシャツ1枚の男がそこにいた。
何かを探しているのか屈んで池の中に手を突っ込んでいる。
(何やってんだあいつ。こんな真冬に頭がおかしいんじゃねーのか?)
そして放課後、気になって池に近づいてみると、男はまだそこにいた。
すっかり凍えてしまったのか鼻や耳を真っ赤にさせ、水中を手探っている。
「なにやって…」
呟いた時だ。
「あった!」
男は声を上げ、犬かも猫かもわからないような手作り感あふれる汚れた人形を取り上げた。
「坊っちゃま、ありました!」
男が声をかけると、姫川の横を「坊っちゃん」と呼ばれた男の子が男に走り寄り、ようやく池から上がった男からその人形を受け取った。
「ありがとう…っ、神崎…!」
坊っちゃんは泣きながら人形を抱きしめ、「神崎」と呼んだ執事に礼を言った。
神崎は片膝をついて自分の主人の頭を撫でる。
「もう2度と、なくしてはいけませんよ」
「うん…っ」
神崎が浮かべたその笑みは、冷めた姫川にも感じ取れるくらい、とても温かいものだった。
話によると、坊っちゃんがヘリで学校へ送迎された時、厳しい父親に、母親に作ってもらった人形をヘリから投げ捨てられてしまったらしい。
「男子が女のように人形を持つな」と。
そこで神崎は人形を拾ってくると坊っちゃんと約束をかわし、登校時間からずっと探していたそうだ。
次の日、神崎は高熱を出して寝込み、主人の父親は呆れ果てて神崎を辞めさせた。
坊っちゃんも、人形のことを父親に話すことができずに去りゆく神崎を涙を浮かべて見送ることしかできなかった。
*****
神崎が姫川に仕えて1週間が過ぎようとしていた。
相変わらず姫川に振り回されていたが、1週間もあれば慣れてはくる。
「神崎様」
「?」
起床時間より早く蓮井に起こされ、神崎は眠そうな顔で燕尾服に着替えながら蓮井の話を聞いた。
「え、旦那様が?」
「はい。過労でお倒れになってしまったらしく…。私もすぐにそちらに向かわなければなりません」
「それなら、竜也様も連れて行っては? 夏休みだし、入院されているのならお見舞いくらい…」
「いえ、病室も仕事部屋となりそうなので私はそのサポートに…」
「休ませろよっ!!」
財閥の社長となれば過労で倒れているヒマもないのか。
「神崎様、私が旦那様のもとへ行っている間、留守はお任せします。くれぐれも、坊っちゃまをよろしくお願いいたします」
「……はい。お任せを」
一礼した神崎は、ヘリに乗って姫川の父親のもとへと向かう蓮井を見送った。
朝食中、神崎は姫川にそのことを伝えた。
「親父は容量が悪いだけだ。オレならもっと上手くこなす。あと、ヒマがないんじゃなくて、親父が仕事好きなだけ。仕事休んだら死ぬな、逆に」
淡々とした口調のうえ、特に心配している様子もない。
けれど、自分の父親をわかっているような口ぶりだ。
(どうしてオレが複雑な気持ちにならねーといけねーんだ)
コーヒーを淹れながら神崎は考える。
「…旦那様にお会いになりたくはないのですか?」
「仕事のジャマになるし、見舞いに来るヒマがあるなら姫川家にふさわしい人間になるよう勉学に励め、とか言いそうだ」
咀嚼しながらさらりと答える姫川に、神崎は肩を落とした。
(どこの御曹司もこうなのか…。…つーか、リーゼントの親父さんが言ってる画が浮かばねえ)
どうしても違和感が働き、想像の妨害をする。
朝食を終え、姫川は自室でいつも通り怪しげな本を読む。
神崎は紅茶を運び、テーブルに置いてその姿を自室の扉の前で眺めていた。
30分が経過した頃、姫川は読みかけの本を閉じ、「神崎」と名を呼んだ。
「はい。いかがなさいましたか?」
「…ティーカップをもうひとつ持ってこい」
「?」
疑問を浮かべたが、言われた通りにキッチンへ向かい、ティーカップを取ってきた。
何事かと思えば、姫川は持ってきたばかりのティーカップにポットの紅茶を注ぎ、神崎に差し出す。
「おまえも座って、飲め」
「え…」
「読書中のオレを見ててもつまんねえだろ。たまには、楽しろよ」
「いえ、それは…」
「主人の命令だぞ」
それを言われてしまえば従うほかない。
神崎は「失礼いたします」と一礼し、姫川の向かい側に座った。
「…オレなりの労いだ。…遠慮するな」
「…ありがたき幸せです」
姫川は再び本を開いて視線を落としたまま「おう」と返す。
主人と紅茶をともにするのは、初めてのことだった。
砂糖もない少し苦めの紅茶の味が、特別に思える。
瞼が重くなるほど。
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