小さな話でございます。
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草に覆われた石矢魔平原に、冬が近づいていた。
冬を越すために、アリたちは普段よりもたくさん食べ物を集めようと忙しく働いていた。
「冬は待ってくれねーぞ。どんどん運べー」
アリたちの大将である神崎は、他のアリたちを指揮し、食料集めに専念していた。
着ている黒の作業着の袖で汗を拭う。
残暑の中、自身の休み時間を削って仕事をしているのだ。
そこに、バイオリンの音色が響き渡る。
近くの木の上から聞こえた。
「…またあいつか」
神崎は眉をひそめ、木を見上げた。
「あ、姫ちゃんだ。やってるねー」
「神崎さん、作業のジャマになるから、オレが文句言って来ましょうか?」
「えー、オレ嫌いじゃないけど。姫ちゃんのバイオリン」
一緒に木の実を運んでいた夏目と城山が声をかける。
「……オレが言ってくる。おまえらは引き続き、仕事してろ。サボったら巣から放り出すぞ。他の奴にも伝えとけ」
神崎はため息をつき、忠告をしてから木を登り始めた。
今となっては珍しい光景ではない。
近づくにつれて音量が大きくなる。
案の定、木の枝の上でバイオリンを弾いていたのは、緑のスーツを着た、キリギリスの姫川だ。
神崎が頻繁にクレームをつけても、毎日のようにやってきてはバイオリンを弾き続けている。
「姫川、いい加減にしろよ。大事な時期に何してんだ、てめーは」
姫川は一度手を止めて神崎に視線を上げた。
「また来たのかよ。しばらくは外で演奏できねーからな。ここはオレの特等席で、何をしようがオレの勝手だろ」
「演奏より大事なもんがあるだろ。おまえ、冬を越す準備はできてんのか?」
姫川が食べ物を集めているところなど見たことがない。
姫川はバイオリンの弦を調節しながら呑気に答える。
「このオレが用意を怠るわけがねーだろ。雇った奴らに食いもの集めさせて、オレの家は準備万端だ」
ズルい、と言えばいいのか、神崎は頭を抱えたくなった。
姫川というキリギリスはいつもこうなのだ。
狡猾で、楽をすることを第一にしか考えない。
なのに、いつも一人なので、気に掛けるのさえ馬鹿らしくなってしまう。
「チッ。化石になるまでやってろ」
「神崎、最近働きすぎだし、ちょっと休んでけば?」
そう言ってバイオリンの弓で、空いている隣を叩く。
「バカか。休めるわけねーだろ。特にてめーの騒音を聴きながら」
「ああ? 騒音だと? これだから音楽も理解できねえ脳も小せぇアリは」
「もっぺん言ってみろコラ! ミドリムシ!」
「アリより小せぇのと一緒にすんな!!」
互いの額から生える触角をぶつけ合いながら喧嘩が始まった。
これも珍しい光景ではない。
「死ね姫川ぁ!!」
「あっぶね!! 落とす気かボケアリ崎!!」
「神崎さん…、だから、ああなるから…、オレが行こうって…」
「いやいや、あれはあれで、神崎君の息抜きになってるから」
ドングリを運びながら、神崎と姫川のケンカを見守る城山と夏目だった。
そして、冬がやってきた。
「……マジか」
姫川はショックのあまり、硬直してしまった。
この年最後のアリたちの仕事を見届けた姫川が家に帰ってみると、豪華なキノコの家は、鳥か動物に食べられてなくなっていた。
彼らもまた、冬を越すために食料を腹に蓄えているのだ。
自分の家がやられるとは夢にも思わなかったのだろう。
むしりとられたようになくなった家には、当然、蓄えていた食料もない。
残されたのは、手に持ったバイオリンだけだ。
冷たい風が吹き、ぶるりと身震いした。
(まずい…)
追い打ちをかけるように、雪まではらはらと舞い降りてきた。
時間が経過するたびに、足下が埋もれるほど雪が積もりだす。
(神崎の巣に…。行けるわけがねぇ…。あんだけ大口叩いときながら…)
空腹を訴える腹が鳴りだし、黙らせるように腹をてのひらで押さえつける。
こんな情けない姿を見せるくらいなら、とあえて神崎の巣から遠ざかった。
進むたびにどんどん体力が奪われ、やがてその場で力尽きて倒れ込んだ。
(来年の春一番に、あいつの顔を見て、春の曲を聴かせてやるつもりが…)
迷惑そうな顔をされるのは目に見えていた。
それでも、それだけが楽しみで春を待つつもりだった。
「神崎…」
こんな自分を、文句を言いつつ日々気に掛けて話しかけてくれたのは、神崎だけだ。
霞む意識の中で考えるのは、やはり、神崎のことばかりで。
最期にバイオリンを弾こうとするが、手がかじかんで上手く弾けない。
(もっと、聴かせたい曲があったのに…)
降り積もる雪が、姫川の体を徐々に覆っていく。
意識も、雪が覆うように真っ白になった。
*****
「…?」
目を覚ますと、ベッドの上で暖かい毛布に包まれていた。
辺りを見渡すと、薪がくべられた暖炉と、木や竹で作られた家具があった。
「ここ…は?」
「起きたか」
部屋に入ってきたのは、ルームウェアを着た神崎だ。
両手にはオニオンスープが入ったマグカップを持っている。
「神崎…」
「ほら」
ベッドの脇に腰掛け、突き付けられたマグカップを受け取り、美味しそうな匂いを嗅いだだけで思い出したかのように腹の虫が鳴った。
姫川は先に口をつける。
温かいスープが体内に入っただけで、目頭も熱くなった。
「オレを拾ってくれたのか?」
「ああ。オレがたまたま散歩に出てたおかげで助かったんだよ」
まさに虫の知らせか、雪が降り始め、一応無事を確認するために外に出てみれば、見つけたのは全壊した姫川の家だ。
そこから先は雪の道を駆け、がむしゃらに姫川を捜した。
諦めかけた時に聴こえたのは、らしくない弱々しい音色だ。
そちらに足を向けると、雪に埋もれる寸前の姫川を見つけた。
「たまたまって…」
姫川も怪訝に思ったが、追究される前に神崎は口を開いた。
「たまたまはたまたまだ。勘違いすんな。見捨てていくほど落ちぶれちゃいねーよ」
「…オレを助けてもなんの得にもなんねーぞ。バイオリンを弾くしか好きなことがねーし…………」
途中で姫川ははっとする。
バイオリンをただ弾くだけが好きだったのだろうか。
神崎の顔をじっと見つめる。
先に真っ赤になって顔を逸らしたのは、姫川の方だ。
「ともかく…、ここにオレがいたら迷惑だろ。…ちょっとしたら出て行く」
「だったら、宿代置いてけ」
「は!?」
神崎がそう言って手を出したので姫川は耳を疑った。
家が全壊したせいで一文無しなのは神崎だって察しているはずだ。
「お、鬼かてめーは。持ってるわけねーだろ…」
「なら、タダ働きしろ」
「皿でも洗ってりゃいいのかよ」
「いや…」
そこで神崎がベッドの下から取り出したのは、姫川のバイオリンだ。
「―――冬の間、演奏してろ。ここは音楽がなくて退屈だし。おまえも慣れない力仕事より、その方がいいだろ。それで冬が越せるんだしよ」
「…神崎、オレの演奏嫌いじゃなかったっけ?」
「オレにとっちゃ…、嫌いじゃねえ騒音だ」
答える神崎の耳は赤い。
忙しい時も、姫川が奏でる音色で気が紛れたのだ。
「……それじゃあ、喜んで働かせてもらうか」
神崎の手を重ねるように、バイオリンを受け取った姫川は小さく笑い、ゆっくりと弾き始める。
まずは、一番に聴かせたかった相手に一足先に春の曲を。
神崎も、一番に聴きたかった音色に耳を傾けた。
静かな雪の石矢魔平原に、いつまでも優しさを覚えた音色が響き渡った。
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