不思議の国の。
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因幡はひたすら薄暗い森の中を歩き続けた。
時間の感覚がまったくつかめない。
たまに巨大な大木の上を登って出口を見つけようとしたが、富士の樹海より広大な森に目眩を覚える。
「どこ行っても、森、森、森…」
「そこのおじょーさん、どこ行くの?」
「!」
突然声をかけられ、足を止める。
辺りを見回すが、誰もいない。
「…誰だ?」
「さあ。誰だろうね」
視界の端に長細いしましまの尾が動くの見え、そちらに振り返った。
一瞬見えた人影がフッと煙のように消える。
くすくすと人をからかうような小さな笑い声は背後から聞こえた。
「!」
振り返っても声の主はいない。
「……おちょくるだけなら無視するぞ。いいのか?」
「あはは、ごめんごめん。こっちだよ」
声の方向を見上げると、木の枝の上に夏目そっくりのネコが座っていた。
両手を頭の後ろに組み、楽しげに因幡を見下ろしている。
その首には、門番の2人がつけていたものと同じ首輪があったが、鎖の先が千切れている。
「もう一度聞くけど、誰なんだよてめーは」
「チェシャネコ」
頭の耳がピクリと動き、笑みを浮かべた。
「ネコがニヤニヤするなんてちっとも知らなかったわ」
「そういうキミこそ誰なの? 花? トカゲ? 門番? それとも芋虫?」
「オレは人間だ」
「へーっ、ニンゲンっ」
初めて聞いたというように夏目ネコは声を上げた。
「…この森から出るにはどうすればいい?」
「ここから出たいの?」
「そりゃあ…」
「だったら、この先を真っ直ぐ歩くといいよ。茶会が開かれてるから」
夏目ネコはその方向に指をさした。
「あのさ、べつにお茶飲みたいわけじゃなくて…」
「いいからいいから。行ってみるといいよ」
夏目ネコは木の枝から飛び下り、因幡とぶつかる前に光る塵となって消えた。
因幡は夏目ネコが指さした方向を見て、とりあえずその方向へと足を向けた。
ほのかに甘い香りが因幡の鼻を通り抜けた。
「う…っ」
紅茶の香りではない濃厚な香りに、因幡は噎せた。それよりも甘ったるい香り。
それでも匂いに誘われるままに歩いていくと、小さな家を見つけた。
家のドアには“マッドハッター”と書かれた掛札がある。
匂いは店内からではなく、外で行われているようだ。
店の後ろにまわってみると、小さな庭に長いテーブルが置かれてある。
茶会はそこで行われていた。
窺うと、これまた見慣れた顔があった。
値札付きのシルクハットを被った帽子屋・姫川。
頭にウサギ耳を生やした三月兎・神崎。
向かい合わせに座り、呑気に茶を楽しんでいる様子だ。
2人の中心になにかが光ったかと思えば、あの首輪と鎖だ。
気のせいか、あの門番の2人より短い。
因幡はゆっくりと席に近づいた。
「…誰か来たみたいだぞ」
最初に気付いた帽子屋姫川は因幡に視線を向けながら、カップの中を啜った。
「誰だてめー。言っとくが席はねーぞ」
神崎ウサギは冷たく言ってポットをつかみ、自分のカップに注いだ。
「こんなに席があるのに?」
「招待もしてねーのに座ろうとするのは失礼だと思わねーか?」
もっともなことを言い返す神崎ウサギ。
「そういうこと」
「おまえらに言われると腑に落ちねーな」
「かんざ…、三月兎、もうちょっと席に近づいてくれねーか? 飲みにくくてしかたねー」
(今、名前言いかけたな)
「この座り方自体が飲みにくい」
神崎ウサギは鬱陶しそうに首の鎖をつかんだ。
「その鎖ってなんなんだ?」
「ああ? 女王が決めたことだ。オレ達なんにも悪さしてねーのに、こんなモンで繋がれてよー…。って勝手に座るな」
因幡は話を聞こうと神崎ウサギの隣に座った。
「とりあえずあっちの隣に座ったら?」
その方が落ち着いて話ができるだろう、と因幡はすすめた。
帽子屋の隣に座った神崎ウサギは、仕方なく因幡のカップを用意して目の前に置いた。
因幡は外の世界から来たことと、チェシャネコに案内されてきたことを話した。
それを聞いた帽子屋姫川は「またあいつか…」と呆れた顔をする。
「で、帰り方を聞きたくてこっちに立ち寄ったんだけど…。あれ? このポット中身入ってねーのか?」
因幡はカラのカップに茶を注ごうとしたが、手にとったポットから茶が出てこない。
重みはあるのに、と蓋を開けて中を見ると、
「Zz…」
小さな、眠りネズミの城山が入っていた。
「……………」
眠りの邪魔をしないように蓋をする。
「帰り方なら、たぶん女王が知ってるかもな」
神崎ウサギは不機嫌な顔で、因幡のカップに別のポットの中身を注いだ。
「その女王って…、どこにいるんだ?」
「さあな。昔は出入りなんて簡単にできたのに、理由はわからねーけど隠しやがった。オレ達にこんなモンつけてから。“罪の証”だとよ。なんでああなっちまったのか…」
「簡単な答えだ。イカれちまったんだ、女王は」
(目覚めたの間違いじゃねーか)
因幡はひとり思う。
不便に見えるが、命にかかわることではなさそうだ。
カップに口をつけようとして、止まる。
「…これ、ミルクティーか? かなり白いんだけど」
「ヨーグルッチだ」
「げ!!」
因幡の天敵である。
ソーサーに戻した因幡は、帽子屋姫川のカップにヨーグルッチのおかわりを注いでいる神崎ウサギを見る。
「…ここじゃちょっと仲がいいんだな」
「「なにが?」」
ハモった。
「三月兎って発情期のウサギのことらしいけど、あれって本当なのか?」
そういえば、と因幡はふと思った疑問を冗談半分で口にする。
するとその問いには、帽子屋姫川が答えた。
「……今年の春だったか…。特に耳が…」
ゴッ!!
突然、顔面真っ赤になった神崎は姫川の後頭部をつかみ、そのままカップごと机に叩きつけた。
「耳ってなんだ!!?」
話を戻そう。
「おまえらってこの世界ではデキてんのか?」
帽子屋は顔をハンカチで拭きながら答える。
「こんな鎖されてんだ。成り行きで…」
「そっちに話を戻すな!! 女王のことだろが!!」
「ああ、そうそう。…けど、困ったな。その女王の居場所がわからないと帰りようがねーんだろ?」
これでは話が違う。
チェシャネコが茶会に行けと言いだしたからここにいるわけだ。
帽子屋姫川はカップをソーサーに置き、口を開いた。
「……なら、あいつに聞きにいくか。芋虫」
「けどよ、あいつもう繭じゃねーか?」
「まだ間に合うだろ」
話し合う2人に、因幡は首を傾げた。
「…芋虫?」
案内するため、茶会はお開きになった。
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