89:本当の。
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ゴン!!
何回、何十回目かの眠りにつきそうになった瞬間、席から勢いよく立ち上がった因幡は、机に思い切り額を打ち付けた。
神崎達は何事かと目を丸くする。
「因幡!?」
「はぁ…っ。痛い…!!」
顔を上げると、眉間から流血していた。
「いやそりゃそうだろ」
「一体どうした?」
神崎に続き、姫川が尋ねると、因幡は手の甲で拭った血を見下ろして大きく息をついた。
「……ここは…、オレが知ってる場所じゃない…」
「は?」
頭に触れ、神崎に触れられた手の感触を思い出す。
(さっき…、確かに、オレの知ってる神崎の手が、ここにあった…)
色んな想いが流れ込んでくるように。
まるで本能のように、居心地がいいはずのこの空間を否定したのだ。
「……ごめん…。楽しいけど…、ここじゃない」
「何を…」
神崎が言いかけた時、因幡は席を離れ、神崎と姫川の間を通過した。
「帰らないと…」
「因幡!?」
神崎の声に振り返らず、教室を飛び出した。
楽しいひと時を惜しむように目頭が熱くなったが、誤魔化すように首を横に振って、本来の居場所を探す。
どこへ向かえばいいかはわからない。
それでも、駈け出した足は自然と屋上へと向かっていた。
向かう途中、石矢魔の生徒とすれ違う。
「因幡」
「それでいいのか」
「ここは楽園」
「眠って忘れろ」
「みんなといられる」
「ずっといられるんだ」
「自分から捨てるのか」
「あちらは辛い事ばかり」
「ここが居場所」
「おまえは独りだ」
「行くな」
「忘れてしまえ」
引き止めるような言葉ばかりが投げられる。
因幡はぎゅっと目をつぶるが、足は止めない。
「うるせ―――っ!!!」
普段よりも長く感じる階段を駆け上がり、屋上のドアを蹴り破った。
凹んだドアはバウンドしてから欄干の向こうへと飛んでいく。
因幡は息を弾ませ、誰もいない屋上を見回した。
ゆっくりと欄干に近づき、そこから見える景色を眺める。
「…ほら、ここじゃねえんだよ…」
納得するような呟きだ。
我に返ってたどり着いたのはいいが、ここからどうするか。
「桃ちゃん」
「!」
聞き覚えのある声にはっと振り返ると、ペントハウスの前にはコハルが立っていた。
「母さん…」
この世界のコハルだろうか。
怪訝な視線を向ける。
「あなたなら気付いてくれると、ここで待っていたの…」
いや、現実世界のコハルだ。
察した因幡は警戒を緩め、ゆっくりとコハルに近づいた。
「母さん…、どうしてここに…」
「ジジに取りこまれたけれど、シロトが力を貸してくれたの。ジジに見つからないように、私の意識をここに隠してくれた…」
なのに、なぜか悲しそうに目を伏せる。
「…そうか…。やっぱりここは…」
現実世界のコハルと出会ったことで、記憶のモヤが時間をかけて晴れていくのを感じた。
コハルは頷く。
「桃ちゃんの心の内に描かれた理想の世界…。あなたの魔力と体を欲しているジジは、魂と体を剥がすために、本来の自分を見失わせようとしている」
リアルであればあるほど、ジジにとって都合の悪い記憶は改竄しやすい。
因幡は悔しさに奥歯を噛みしめた。
「今までオレは…、大事なことを忘れていたのか…」
神崎達が戦っているというのに。
「でも、こうしてここにやってきた…」
慰めるようにコハルは微笑んだ。
「オレ、行かなきゃ…。みんなを待たせてる」
「ええ。…っ」
「母さん!?」
突然、コハルは苦しげな表情を浮かべ、片膝をついた。
因幡はコハルの両肩を支える。
顔を見ると、口端から血を流していたので思わずぎょっとした。
「桃ちゃん…、大事なことを聞くわよ。本当に現実に戻りたいと思ってる…?」
「あ、当たり前だろ…」
「今の想いを決して忘れないで。ジジは弱みに付け込んでくる…。この世界に一握りの未練を持ってるだけでも、ジジの思うつぼ…」
コハルの体が足先から消え始めた。
「体が…!」
「桃ちゃん…」
コハルは両手で因幡の頬を包み、目を合わせて優しい笑みを浮かべる。
「あなたに全部託すことになる…。どうか…、全部終わらせて……」
コハルの手が消え、もう肩から上までしか残っていない。
コハルは目を伏せて自嘲するように言葉を続けた。
「ごめんなさい…勝手なことを…。母親なのに」
因幡は首を横に振る。
「オレがどんなに勝手をしても、許してくれたのはいつも母さんじゃないか。オレは、もう大丈夫。なんとかできる。だって…、母さんの娘だしな。…行ってくるから、待ってて」
「…いってらっしゃい」
最後に安堵したような微笑みを残し、コハルは完全に消えた。
感触もなくなり、しばらく因幡は空をつかんだまま茫然とする。
ビシ、と亀裂音が鳴り響く。
はっと空を見上げると、空に亀裂が走っていた。
生まれた割れ目はだんだん拡がっていく。
「……いってきます」
目つきを鋭くさせ、すっくと立ち上がった因幡の顔には迷いが見られない。
失敗すれば、ジジの思い通り、体は奪われることになるだろう。
それだけはさせるものかと因幡は助走をつけて走り出す。
「うおりゃあああああ!!!」
欄干を踏み台にし、思い切って屋上から飛び降りた。
自身の想いを信じて。
瞳に赤が纏うと、左足に魔力を集め、宙を蹴る。
パァン!!!
世界がガラスの破片のように砕け散った。
すると、最初の真っ白の空間に戻る。
トン、と低い段差から落ちたような感覚だ。
「!」
そこで一人待っていたのは、女の体の因幡だ。
ジジのように真っ黒な服装をしていたが、こちらに振り返ると安堵の笑みを浮かべた。
「待っておったぞ、桃。まったく、人間というのは面白いのぅ」
口調から察するに、シロトだ。
「待たせたな、シロト…。オレの身体もな…」
今ある現実を受け入れるように、両腕を伸ばした因幡は元の体を抱きしめ、ジジに作られた理想の体から自身の魂を元の器に戻した。
夢の時間は終わりだ。
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