72:それではおまえらご機嫌よう――。
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『行ってきます』
「……………」
今朝の因幡のことを思い出し、連載中の漫画のネームを描いていたコハルの手が、不意に止まる。
(なにかしら…。このカンジ……)
いつもの日常の言葉だったはずなのに、違和感が湧いてきた。
壁時計を見れば、もうすぐ下校の時間だ。
サタンの一件は終わり、もう何も起こるはずがないと信じていたいが、一度気にすれば指がなかなか動かない。
秒針の音が妙に大きく聞こえ、前髪を掻き上げる。
「……………」
家には自分以外誰もいない。
だから様子を見てきてくれるよう頼むこともできなかった。
「……桃ちゃん」
仕事机の端には、家族5人の写真立てが立てかけられてある。
因幡の魔力が開花する前、キャンプに行った時の写真だ。
日向に抱っこされた笑顔の因幡と春樹。
コハルに寄り掛かる桜。
温かい家族だ。
不安の思いに駆られたコハルは席を立ち、手ぶらで玄関を出て因幡の学校へ向かおうとした。
(桃ちゃん…!)
あの「行ってきます」が、「さよなら」に聞こえたのは、果たして気のせいか。
坂道を駆け下りたところで、その人物は待ち構えたように現れる。
「どこに行くの?」
「!!」
はっと振り返ると、キャンディーを咥えたなごりが電柱から姿を現した。
「あなた…」
正月の時、神社の前で会って以来だ。
「このアメおいしーね。ハニーにもらってからハマッてさー」
そう言いながら、コハルの行く手を塞ぐように移動する。
「…どきなさ」
「だが断る」
遮るように言い返し、キャンディーの棒をつまんで口から取り出したなごりは「べ」と舌を出す。
「もう少し待てよ。もう少しで…ハニーが選択するから」
「あの子はあなた達の元には行かないわ!」
「ずっと娘に隠し事していた母親が何言ってんだ。テラワロス」
「な…」
「アンタの口から言えるわけないか。口を開いた瞬間、危険がぐっと縮まるからね。…よく耐えた方だと思うけど、もう限界だ」
「何を……」
「この数ヶ月でハニーは己を知ったはずだ。いかに自分が無力で、いかに仲間を大切に想っていて、いかに…無知だと。それに…、自分がいなくても仲間には問題ないとも思っただろう。だって、他の仲間には男鹿氏がいるから」
もう一度なごりはキャンディーを口に咥え、ツナギのポケットに手を入れて空を見上げる。
「―――なら、ハニーはどうするか…。自分の立ち位置を理解したうえで神崎氏達といつもの日常を過ごすか。しかし神崎氏達はもうすぐで卒業してしまう。自分はひとりになってしまうかもしれない。それ以前に解決しないといけないこともある。それは…―――、自分自身の秘密」
「…!!」
「いつまでも自分のことを見て見ぬフリするわけにはいかない。アンタとは大違いだよ。アンタは秘密を握っているが、ハニーはそれを知らない。アンタが語らないからだ。だからオレが付け込み、入りやすくドアを開けてやったんだ。ハニーが嫌がってるのは、オレとの婚約、仲間との別離。それだけだ。それがなければもっとスムーズにハニーはこちらに来ただろう。そう、たとえば『夜叉』に裏切られた頃の彼女なら。アンタだって、娘の好奇心の旺盛さは理解してるものだと思ってた」
「……………」
コハルはぎゅっと自身の手を握りしめ、目を背けた。
それでも構わずなごりは肩を竦ませ、言葉を続ける。
「オレも行動が遅れたことは反省しないと。ハニーはこの町に来て大切なものを作りすぎた。知りすぎた。愛しすぎた。…オレだって彼女からそれを取り上げるのは心が痛むよ」
「嘘よ…」
「ああ、嘘だ。愛憎って言えば大袈裟だけど、オレの復讐でもあったんだ。オレの方が先に、取り上げられたものが多すぎる…」
コハルの視線がなごりに移る。
キャンディーを咥え、その瞳に焼き付けるように空を見上げたままだ。
「無理矢理ハニーを連れ帰ったら必ず仲間が助けに来る…。うづきの一族もハニーも、それを望んじゃいない。一族は面倒だと思ってるし、ハニーはどれくらいの危険があるかわからないからヘタに巻き込めないと思ってるからだ」
「……それでも…、行かせない。たとえ桃ちゃんが望んでも、私は…娘相手でも容赦なく止める…!! 母親だもの!!」
魔言の札を取り出したコハルは、なごりに向ける。
すると、そこから火柱が飛び出した。
“クライムカード・アーサン”
「!」
迫りくる火柱に一瞬驚いたなごりだったが、スマホを取り出し、ボタンを操作しただけでそれを宙でかき消した。
「デリート」
「!!」
しかし、コハルは攻撃をやめない。
次の札を取り出し、なごりの足下に投げつけた。
“クライムカード・インプリズン”
札が光った直後、なごりを取り囲むように氷の柵が出現し、檻となってなごりを閉じ込める。
慌てる様子もなく、なごりは冷たい柵に触れた。
「…親父から聞いてる。“クライムカード(罪作りの札)”っていう魔言だろ? シロトがいなくなったのに、これだけの魔力が残ってるとは…。いや…―――」
視線をコハルに向けると、コハルは額には汗を滲ませ、息を弾ませていた。
片膝をつくほど、体力を削られた様子だ。
「これだけで限界と言ったところか…。シロトが他の継承者に譲られると同時に、持ち合わせている魔力の半分以上をシロトに持っていかれるってのはわかってることだろ?」
「はぁ、はぁ…」
「皮肉な魔言だ。アンタの『罪』に因んだカードはないのか?」
「……………おねがい…。あのコのことは諦めて…」
動きを奪ったなごりにそれ以上の攻撃が与えられないコハルは、懇願するように言ったが、なごりは目を細めて即答する。
「ダメだ。アンタはこれまで平和に過ごしてきただろう。…野に放たれたウサギの自由時間はオワッタんだ。アンタが諦めろ」
「嫌よ…!!」
「母親、だもんな。オレには意味不な生きモンだ」
目を閉じたなごりは、ツナギのチャックを腹まで下ろし、上半身だけ脱いでコハルに背を向けた。
「!?」
なごりの背の中心には、結晶が埋め込まれていた。
「母親にもらったものは3つ。産まれたてのオレを育てるための一時的な母乳(愛情)と、『名残』っていう名前。オレの代で最後にして何かを残してほしいってつけられたそうだ。それと…」
言いかけたところでなごりの背にある結晶にヒビが入り、パンッ、と割れた。
「オレ本来の力を使わないと抑えきれないほどの魔力」
瞳が赤く染まった瞬間、なごりの体に目に見えるほどの真っ黒な魔力が纏った。
パァン!
「きゃぁっ!」
その魔力によって檻がはじけ飛び、細かい破片がコハルに降りかかり、尻餅をついてしまう。
体中に漆黒の紋様を浮かばせたなごりはゆっくりとコハルに振り向き、見下ろした。
「あ…、あなた…、悪魔…?」
口からは犬歯よりも鋭い牙と、指には鋭利な爪が見当たった。
「ハニーがクォーターなら、オレはハーフだ。でも、おそらく3分の2が悪魔の血だろうな。普段は弱い人間やってる。クロトがいなかった時は気を抜いて解放しただけでもおおごとになった」
曲がり角の近くにある反射鏡で自身の姿を見、湧き上がる怒りに身を震わせた。
「察しの通り、オレの母親は悪魔だ。……いつまでもアンタに執着してる親父に呆れた挙句、オレごと捨てた母親のな…!! アンタとは大違いだ!! 羨ましいほどに!!」
ギリ…ッ、と憎ましげに奥歯を噛みしめたが、自身の掌に血が出るほど爪を食い込ませて気持ちを落ち着かせ、上着を着直す。
「オレ達卯月は、普通の人間よりも嫉妬深い。だからどいつよりも上であろうとするし、どいつよりも欲しがろうとする。オレもアンタも、散々経験してきたし、見てきたはずだ。よかったよ、オレにもその血が流れてるようで…。これも、オレの嫉妬が引き起こしたことだ。幸せそうなアンタから、因幡桃を奪ってやる」
不気味に笑って手を伸ばしてくるなごりに、コハルはまったく動くことができなかった。
涙を浮かべ、目をぎゅっとつぶる。
(桃ちゃん…)
遠くで、石矢魔高校の下校のチャイムが鳴っているのが聞こえた。
校舎が新しくなっても相変わらず、汚い音色だ。
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