良いこと

医務室で治療を受けたあともイラータが、ずっと、しくしく、しくしく泣いているのだが、それがめんどくさくてしかたがない。

「ひっく・・・・・・、ひどい顔になっちゃったぁ」
「だいじょうぶだよ。ちゃんと治るって。この医者のじーさんにも言われただろーが」
「もう彼氏できないかも」
「できる。できる。ヨユーでできる」
「このまま結婚、できなかったらどうしよう」
「その時は、ここの若社長にでも、もらってもらえ」
「もう、いや・・・・・・」
「・・・・・・だめだ。こいつ」

 ため息をつくと、医者のじーさんが消毒液のついた綿で、私の口元をつついた。

「女の子なんだから、君も気をつけなさいよ」
「お、紳士的~。どーも、どーも。さんきゅ。私まで治療してもらっちゃって、悪いねぇ」
「いやいや、これが仕事だから、悪いもなにもないよ」

 じーさんが遠慮がちに手をふると、医務室のドアが、さらに控えめな音でノックされた。

「おや、トランクスくんかな? 入っておいで」

 じーさんが声をかけると、「失礼します」と礼儀正しい声がして、若社長が入ってきた。
「あの怪我の具合はどうですか?」

 あくまで低姿勢にたずねるトランクス社長に、イラータがあわてて立ち上がった。

「は、はいっ! だいじょうぶです!」

 おいおい。すっげー変わりようだな。

「あんた、さっきまで『お嫁に行けない~!』ってめそめそしてたじゃねーか」
「ル、ルンルンさん! ・・・・・・しゃ、社長! ホントにだいじょうぶです。お医者様にも言われましたから!」

ったく、現金なやつ。
トランクス社長は、はきはきを答えるイラータを見て、心底ほっとしたような表情をすると、私とイラータに深々と頭を下げた。

「すみませんでした。防犯には、じゅうにぶんに気をつけていたつもりだったんですが、こんなことになってしまって」
「ま、しかたねーよな。これだけ会社をバカデカくすれば、気に入らない連中も、うようよいるさ」

人のことは、言えねーけど。
私は医者の事務机に寄りかかり、自分の髪を指でくるくる回しながら、トランクス社長を横目に見た。

「ところで、ずいぶん早かったじゃん。あいつら片づけたの?」
「あ、はい」

 トランクス社長が返事をすると、医務室のドアが開いて、若社長と同じむらさき頭がひょっこり顔をだした。

「ギチギチに〆あげて、追い出してやったわよ。そこのトランクスが」

 ブルマ会長がウインクをしながら、若社長を指さす。

「おー、こわっ」

 あたしがふくみ笑いをしていると、ブルマ会長が「それとルンルンさんこれどーぞ」と、紙袋を押しつけてきた。

「着がえよ。水着か知らないけど、そのままだと男性社員が使い物にならなくなっちゃうでしょ」

 紙袋に手をつっこむとぴっちりとした黒のトップスだった。
 さあ、胸の谷間を見てくれと言わんばかりに、鎖骨の下のぶぶんに大穴が開いている。
 私が反応するより早く、若社長が顔を真っ赤にしながら、母親に食らいついた。

「か、母さん! もっと、ほかになかったんですか?」
「失礼ねぇ! 考えて持ってきたんだから」

 私は「ははは・・・・・・」と渇いた声を出した。

「べつにいいんだけどさぁ。これで問題解消できるかは、謎だよな」

いそいそとその場で着ると、自分の谷間がきれいな曲線を描いている。イラータが「わあ」と頬を赤くした。
ブルマ会長も目を丸くする。

「やだぁ。わたしより、胸あるんじゃない?」
「垂れないように、日々筋トレっすよ」
「ル、ルンルンさん、さ、さわってもいい?」
「と言いつつ、指を差しこもうとするな。指を」

せまりくるイラータの手をひっつかむと、気まづそうな咳払いが聞こえた。
トランクス社長だ。

「あの、すみません。母が・・・・・・」

声がひっくり返ってる。がんばれ若社長。

「ところで、あの、ルンルンさん。あのとき。えっと、広間でお礼をしてもらうと、おっしゃっていたことですが・・・・・・」
「もちろん、ばっちりおぼえてるよ」

トランクス社長が困惑したような顔をする。その顔がおもしろくて、私は「ぷっ」と吹き出した。

「そんなおっかねー要求はしないから、安心しなよ。・・・・・・そうだなぁ。社長の家でホームパーティーなんてどう?ここにいるイラータも殴られ損じゃあ、かわいそうだから、いっしょにね。おいしいものいっぱい喰わせてくれよ。もちろん酒も。あ、赤ワインは絶対だから」

イラータが「ええっ!」と声をあげて、ブルマ会長が「あら、それいいわね!」と目をかがやかせた。

「ずっとパーティーなんてしてないもの! 大歓迎よ! じぁあ、今日の夕がたに家へ着なさい」
「今日!?」
「今日ですかっ!?」

私とトランクス社長が同時にさけぶ。

「自分で言っといて、何ですけど、急ですね」

「思い立ったら吉日が私のポリシーよ! こうしちゃいられないわ!」

クルリと背を向けて医務室を出て行く会長の背中を、トランクス社長が、あわてて追いかける。
「ちょっと、母さん!」とか、「防犯のシステムを早く復旧させないといけないですし、今日は・・・・・」とかごちゃごちゃ聞こえてくるけど、まあ、いいか。

「予定も聞かず去っていったけど、イラータさん今日、だいじょうぶ?」
「え? う、うん。 もちろんだいじょうぶだけど、でも、会社のみんなにバレたら・・・・・・」

私は「やれやれ」と肩をすくめた。

「あんた、ちょっと耳か貸しな」

手招きすると、イラータの耳を手で囲って、ボソボソつぶやく。
イラータがびっくりした顔で、わたしをみる。
わたしがニッと笑うと、今度は希望に満ちた表情に変わった。
「みんながよろこぶだろ? あんたに任すから、しっかりやりなよ。ぬけがけだの、ずるいだの文句言われたら、全部、私に回しな」

イラータは腫れてない方の瞳をうるませて、「はいっ! はい!」と何度も返事をした。

「ありがとう! ルンルンさん!」

目頭をぬぐって、イラータも医務室を出て行く。
ずっと黙っていた医者のじーさんが、不思議そうに首を傾げた。

「なにをするんですかな?」
「なにって、良いことだよ。ちょー良いこと」

良いことすりゃあ、気がゆるむ。

良いことってのは、そのためにするもんさ。

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