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当時アオイは悩んでいた。卒業を一年後に控えて、その進路をどうするか真剣に悩んでいた。
トップオモダカからはリーグで働かないかと以前から打診されてはいたし、それはアオイとしてもとても魅力的な提案でほんの少しの下心もあってそちらに気持ちが傾くこともあったが、アオイにはもう一つやりたいことがあった。
ポケモンの生態研究だ。アカデミーに入学して、担任が生物学教師のジニアであったことやクラベルが元々研究職をしていたこと、更にパルデアの大穴でオーリム博士の研究内容を見たこと、それがアオイにポケモンへの生態的な理解への興味へと駆り立てていた。
どちらも同じだけ魅力的で、アオイは他の人の意見も聞きたくて、それを当時片思いしていたチリに相談しようと思っていた。
連絡を取って時間を作ってもらい、アオイはリーグへ顔を出す。しかし、彼女が待つ四天王の控室へ向かう前に一人の女性に話しかけられた。

「アオイさん、チリさんの所へ行くの?」

「はい」

事実だった為素直にアオイは頷いた。すると女性が呆れたような溜息を吐いてアオイの前にしゃがみ込む。

「アオイさん。チリさん今休憩中なのよ、アオイさんはよくチリさんの休憩中に来るけれど、これじゃあチリさんが休めないわ…それに、チリさんにだってプライベートがあるの。お付き合いしている人がいるのに変な誤解をされるようなことをアオイさんがしたら、チリさんが困ると思わない?」

女性がアオイを諭すようにそう語りかける。アオイは衝撃だった。確かにいつも、休憩時間にお邪魔してしまっていて申し訳ないとは思っていた。けれど、チリが指定してくれるのはいつも仕事の休憩時間で、他の時に了承が下りたことはない。それにアオイはチリに片思いをしていたから少しでも多く話したくていろんな理由をこじつけて会いに来てしまっていたが、長く一緒にいたつもりでもチリから恋人の話を聞いたことはなかった。
この女性は、チリがどんな人と付き合っているのか知っているのだろう。アオイはそれすら知らない、教えてもらえない程度の存在だったという事を思い知った。
同時に今まで以上にとても申し訳なく思った。自分のような子供が無遠慮に時間を取ってしまって、大事な人と過ごす機会を奪ってしまって、本当に申し訳なくなった。

「教えていただいて、ありがとうございます…あの、チリさんに伝えていただけますか、もう休憩の邪魔をするようなことはしないです。今日の予定も無かったことにしてくださいと。お姉さんも、すみませんでした」

「分かってもらえて嬉しいわ。チリさんには伝えておくわね」

そうしてアオイは女性にお辞儀をして踵を返した。
リーグに就職したかったのは、確かにポケモンバトルの普及やポケモン達との交流を深める機会をパルデアに広めたいという気持ちもあったからだったが、それと同時にチリと一緒にいられると思ったからだ。不純な気持ちがふんだんにそこにはあった。恥ずかしくて顔から火が出そうな気持だった。
そしてアオイは告白することもできないままに失恋し、進路を研究職へと変更した。下心で進路を悩んでいたような気がしたから、この際チリから離れてしまおうと思ったのだ。そうしてアオイは今まで頻繁に送っていたチリへの連絡も徐々に数を減らしていった。
自分が送らなければチリから送られてくる事など殆どないという事がすぐにわかって、それでまた申し訳なく思った。こんな子供に好かれて、時間を割かせてしまって申し訳ない。
卒業を控えた頃、チリから電話がかかってきた。

『自分、リーグの就職蹴ったらしいやん。いつもなら相談してくれたんに、なんでこないに大事なこと教えてくれんかったん?』

電話口でそうチリが言う。今まで他人が気に掛けるほど色々とチリに相談事を持ち掛けていたのに、急に連絡の数も減らして相談もしなくなった。不自然な行動だっただろう。けれど、迷惑をこれ以上かけたくなかったのだ。

「考えてみれば、私ってチリさんに相談し過ぎてたなって思って…チリさんはリーグ職員であって先生じゃないのに、今までそれに気づけなくてすみません…それに、お付き合いされてる方がいるって聞いて、私って、本当にチリさんに迷惑かけてたんだなってわかったんです。これからは連絡も控えるので、どうか恋人さんとお幸せに」

『ちょっ!アオイ何の話なんそれ!』

チリが電話口で何か言っていたようだが、アオイは気付かないふりをして電話を切った。それからすぐにチリから再び電話がかかってきたが、それからはもうほとんどチリからの電話にはでないことにした。三回に一回電話に出て、五回に一回電話に出て、十回に一回電話に出て。そうしている内にチリから電話がかかってくることも減った。これで良かったんだと思う。
こうしてアオイはアカデミーを卒業して、ペパーからコサジの灯台の研究室を借りそこで研究を始めた。
基本的なことはパルデアの固有種がどの程度繁殖しているのかについて、増えすぎて他のポケモンに影響が出るようであればその原因を探し、数が減る傾向にあれば保護。そしてそのポケモンが持つ特性を調べたり、エリアゼロ内にいるポケモン達からどのような進化を経て現代の姿に落ち着いたのかの研究を行っていた。
たまにペパーやネモ、ボタンやジニア、クラベルなども様子を見に来てくれて、一人で研究していても特に寂しいという事はなかった。
コサジの灯台で研究をし始めてから二年、アオイはチリの噂を耳にしていた。
二~三年ほど前からチリの体調が思わしくないらしいという噂だ。本人はなんでもないようにリーグに出社しているようだけれど、時折難しい顔をして俯いているのを多くの職員が見かけるらしい。ボタンは、以前アオイがチリに片思いしていたことを知っていたので、それとなくそれらの情報をアオイの耳に入れてくれたが、だからと言ってもうアオイにはどうすることもできない。気づいてしまったら図々しくいられない。そんな図太い精神なんてしていない。なのでアオイはボタンに言った。

「チリさんには恋人がいるんだから、その人が傍で支えてくれてるよ」

ボタンは訝しむような顔をして首を振る。

「そんな話聞いたことないけど…まあ、アオイが踏ん切りついたって言うなら、うちもこれ以上なんも言わんよ」

本当はまだチリの事が好きだけれど、けれどこれから少しづつ気持ちを押さえていけばいい。その内もしかしたら新しい恋が見つかるかもしれないし、見つからなくても、それはそれで構わない。
その日の晩も、アオイは研究資料と別の研究室から送られてきたデータを見比べながら深夜になるまで研究に没頭していた。






チリには何故こうなったのか理解できなかった。
チリはアオイが好きだった、年下とは言え恋愛対象としてみていた。アオイがアカデミーを卒業したら告白するつもりでいたし、彼女が他の人間ではなくチリを頼って相談を持ち掛けてくれることに優越感を覚えていた。だからわざと人目に付きやすい自分の仕事場に呼んで相談を受けていた。なのに、卒業を一年後に控えたある時期から、今まで度々あったアオイからの連絡も、尋ねても大丈夫か窺うメールもなくなった。あの日、休憩時間に来るはずのアオイがなかなか来ない為四天王の控室を出てオフィスフロアへ出向くと、同じフロアで仕事をしている女性職員がチリに声をかけてきた。

「チリさん、アオイさん今日からもう来ないそうです。約束されてたんですよね?ドタキャンする子だったんだなって、私少し驚いちゃって…」

女性職員がそんなことを言っていた。つまりアオイはこの女性職員と今日会っているという事ではないだろうか、リーグまで来ていて、それでもチリに会わずに帰っていった理由はなんだ。なぜこの女性がアオイに会えて自分が会えない。なぜ?気づけばアオイからの連絡が殆どない。それで自分がどれだけアオイの好意に胡坐をかいていたかを思い知った。
けれど、今までずっとアオイが話題を提供してくれていて自分からどんな話題を振っていいのか分からない。リーグ内で起こった話などしてもアオイには面白くはないだろうし、かと言って他に話題にできそうなことが自分にはない。その内メールを送るタイミングすらわからなくなって、とことん自分は面白みのない人間だという事を思い知らされた。しかし、まだ希望はあった。アオイはアカデミーの卒業後、リーグに就職することがほぼ決まっていたのだ。だから今連絡が取れなくとも、いずれ会って話す機会は今より断然増えるというもの。そう思っていたのに、アオイはリーグに就職せずに研究者になる道を選んだ。

「ウチ、アオイからそんな話聞いてへん」

アオイがリーグへの就職を断ってきたとオモダカが話す中、チリはそう呟いた。すると、オモダカは不思議そうな顔でチリに聞く。

「何故、アオイさんがあなたに話す必要があるんですか?」

その一言は正論だった。チリは、アオイのなんでもない。強いて言うならば友人程度で、けれどチリの休憩時間にたまに会うだけで、休日を一緒に過ごしたこともない。ただ、相談に乗っていただけで。ただ、話をしていただけで。いつでもフェードアウトできてしまえる程度の位置づけだった。
オモダカはぎりぎりまで打診を続けると言っていたが、実際以前のような手ごたえはないらしい。呼べば手伝いをしてくれるが、それ以外はフィールドワークや教員達から話を聞くことで忙しいと聞いた。風向きはもうこちらにはなかった。
アオイに会いたいのに合う理由がない。アオイと話したいのに話す話題がない。アオイに触れたいのに触れる権利が自分にはない。
そう気づいてしまった瞬間から、症状は現れた。
喉がイライラして咳き込む度、口の中から花が湧きだした。一般的にその名が知られている奇病『嘔吐中枢花被性疾患』通称『花吐き病』と呼ばれるそれだった。この疾患はある特定の条件下でのみ発病する。片思いを拗らせた時だ。
ただ花を吐くというだけでも奇病であるというのに、まるで恋の病を具現化したようなそれが、一般人がその病名を広く知るまでに至らせた。
吐く花はその時々で変わる。赤い花を吐いたかと思えば、次は黄色い花。花にも名前があり、そこには何かしら意味があるのだろうが、どうせ碌な意味ではないのでチリは調べたりしない。けれど、いつどのタイミングで花を吐くかが把握できず、ストレスばかりが募っていく。
吐いた花が皮膚に触れただけでこの疾患は感染する。だから無暗に吐き出せない。もしアオイに見られでもしたら、こんな醜態を見せてしまったら、もうチリの事を好いてはくれないかもしれない。そんなのは耐えられない。悪い印象だけは残したくない。
チリが二の足を踏んでいる内に、アオイの卒業はどんどん迫っていた。
アオイは今何をしているだろうか、何を考えているのだろうか。もしかしたらもう、チリ以外の人間の事を考えているのかもしれない。
せめて、せめて、なぜ研究職を選んだのか理由が聞きたくて、チリは連絡先からアオイの番号を呼び出した。アオイに電話をかけることが、こんなにも緊張することだとは思わなかった。
数コールすると、アオイはなんでもない風にいつもお通りの声音で応対する。

『チリさん、お久しぶりです。リーグで何かありましたか?』

そう尋ねられて、自分がアオイに電話をかける時いつもどんな内容の話をしていたのかがなんとなくわかった。きっとリーグの連絡事項程度しかしていなかったのだろう。

「自分、リーグの就職蹴ったらしいやん。いつもなら相談してくれたんに、なんでこないに大事なこと教えてくれんかったん?」

単刀直入にそう尋ねた。できればチリが納得できるような内容であればいいと願う。
アオイは少し考えるように黙り込むと、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。

『考えてみれば、私ってチリさんに相談し過ぎてたなって思って…チリさんはリーグ職員であって先生じゃないのに、今までそれに気づけなくてすみません…それに、お付き合いされてる方がいるって聞いて、私って、本当にチリさんに迷惑かけてたんだなってわかったんです。これからは連絡も控えるので、どうか恋人さんとお幸せに』

「ちょっ!アオイ何の話なんそれ!」

チリが咄嗟にそう返したが、すぐに電話が切れてしまった。再び掛けなおすがアオイは出てくれない。
アオイはなんと言っていた。チリに恋人がいる?どこに?ずっとアオイが好きだったのに、一体誰と付き合うというのか。
誰かからそんなことを吹き込まれた?だから、アオイはチリに会わなくなった。チリから離れていった。そこで思い浮かんだのはアオイが来るはずの日、アオイは来ないと告げに来た女性社員の顔だった。アオイがもう来ないという内容だけが頭に残っていてその顔は朧気だが、あの女性職員はアオイがもう来ないと告げた後に何と言っていたのか今更ながらに思い出された。

ーーードタキャンする子だったんだなって、私少し驚いちゃって…

アオイが予定をキャンセルする時、常にそれなりの理由があり謝罪が伴う。最初にそれに気付けばよかった。きっとあの女性職員がアオイに何かを吹き込んで、アオイはそれを真に受けてしまった。だから遠慮してチリに会う事も、連絡を取ることもしなくなってしまった。
何のつもりかは知らないが、とんでもないことをしてくれたものだとチリは腸が煮えくり返る思いだった。
翌朝、リーグのオフィスフロアでチリはその女性社員を捕まえた。「ちょっと顔貸してぇな」そう言って笑いかけると、女性社員は簡単についてきた。
そうしてオフィスから離れた廊下で立ち止まると、チリは女性職員を睨みつける。

「自分えらいことしてくれよったな、とんだ迷惑被ったわ」

チリが低い声で言うと、さっきまでにこにこと嬉しそうにしていた女性職員の顔から笑顔が消える。

「な、なんのことですか?」

しらばっくれようとしているが、明らかに動揺してチリと目を合わせようとしない。

「アオイにしょうもないホラ吹いたやろ自分、なんやったっけ?ウチに恋人がおる?…………言うてええ嘘の区別もつかんのか!」

怒鳴るようにそう告げれば、女性職員がぼたぼたと泣き始めた。泣きたいのはチリの方なのに、なぜこの女が泣いているのか、余計に腹が立つ。

「しょ、しょうがないじゃないですか!あの子、チリさんにべったりで…チリさんの迷惑も考えずに傍にいて、あの子ばっかりずるいじゃないですか!私だってチリさんのこと好きなのにあの子…!」

「何がしょうがないねん!誰がんなこと頼んだ!それであんなことぬかしたんか?ああ?他人下げて自分を良う見せる女誰が好くか!!!どんなに金積まれてもお断りや!」

チリがそう吐き捨てて女性職員を置いてフロアに戻る。後ろで咽び泣く声が聞こえたが、手を貸してやれるほチリは善人でも聖人でもない。今の女の涙は因果応報なのだから好きなだけそこで泣いていればいい。チリは込み上げてくる花を手の甲で押さえながら、苛立ちを押さえようと必死だった。
原因は分かったが、結局のところ解決に至るものではない。あの女の精神を潰したところでアオイとの間にできた距離は埋まってはくれない。
そんなことをしている間にアオイはアカデミーを卒業して、その住まいをコサジの灯台にある研究室へと移した。
何度かチリも時間を作っては勇気を出してアオイに会いに行ったが、その度に誰かしらの先客がいた。彼女の元同級生でありライバルのネモであったり、ボタンであったり、親友と公言しているとはいえ男であるペパーがいたりする時もあった。稀にクラベルや元担任のジニアがいることもあったが、やはりチリはアオイに会うことなく坂を下った。どうしても会えない。会いたい。話をしたい。そうして二年燻った。
花を吐く量も日に日に増していく。精神的にも限界に近かった。だからチリは、ある晩思い立って家を出た。
疲れていて時間なんて考えていなかった。夜道を歩きながら、灯台の足元に明かりがあれば近づこう、アオイしかいないなら入ってしまおう。そんなことを考えていたと思う。そうして目的のコサジの灯台に辿り着いて、窓から明かりが漏れているのを見てアオイがまだ起きていることを察した。窓から中を覗いて、他に誰もいないことを確認しようかと思ったが、一瞬躊躇ってしまった。もしアオイに恋人がいたら、こんな遅くまで起きていてやることなんて決まってる。
湧きだした花が指の間からこぼれた。けれど、中から人の声はしない。何か機械のモーターのような音が微かにするだけだった。チリは恐る恐る窓の中を覗く。室内にはアオイ一人、パソコンに向かって何かを打ち込んでいた。それがわかって、何も考えずにチリは扉を開けた。
驚いて振り返ったアオイ。

「え、チリさん?なんで…」

アオイが瞠目している。直接言葉を交わすのはどれくらい振りかもうわからない。こんな夜中に先触れもなく尋ねて、勝手に扉を開けて侵入した。かなり無作法なことをしているのは分かっていたが、ストレスでもう頭が正常に回っていなかった。
だから驚いて動けないまま椅子に座っているアオイを無遠慮に抱きしめる。こんなふうに触れたのは初めてかもしれない。アオイの首筋に顔を寄せて思い切りその匂いを吸い込んだ。淡い柔軟剤の香りがする。とてもいい匂いだ。

「チリさん?どうしたんですか?」

混乱するアオイをよそに、チリはその肩を掴んで見下ろす。

「会いに来た。電話にも出てくれへん、メールもできへん、昼間には他に人がおる…夜来るしかなかった」

酷い言訳だ。大人のやることじゃない。そんなのわかっている。分かってて止められなかった。

「アオイ…チリちゃんアオイと出会ってから恋人なんておったことないねん。信じてや、その辺のよう知らん女の言葉やのうてチリちゃんの言葉信じて…ゲッホッゴホッ!!!」

このタイミングで、思い切り咽てアオイの顔面に花を吐いてしまった。きょとんとした花まみれのアオイの顔を見て、チリは一気に血の気が引いた。






まさか、チリがこの研究室にしかも深夜に訪ねてくるだなんてアオイは思いもしなかった。
一瞬呆けている間にチリに抱きしめられて、思い切り匂いを嗅がれている。状況が呑み込めなくて固まっていると、チリに肩を掴まれて見下ろされた。

「アオイ…チリちゃんアオイと出会ってから恋人なんておったことないねん。信じてや、その辺のよう知らん女の言葉やのうてチリちゃんの言葉信じて…ゲッホッゴホッ!!!」

その瞬間、目の前が花で埋まった。色とりどりの花で視界が一瞬覆われて、それが晴れた時。顔面蒼白のチリがそこにいた。

「チリさん、これ花じゃなかったら大惨事でしたよ…」

アオイが何とか言えた言葉がそれだった。アオイがそう言うと、チリの手がバッと肩から離れて一歩下がる。

「アオイ…いや、これは…」

チリが言葉を探すように目を泳がせる。そのあまりの動揺振りが新鮮で、逆にアオイは冷静になった。そうして床に散らばっている花をいくつか拾い上げる。

「ハナビシソウ、サンビタリア…」

そうして髪に引っかかっていた一輪をつまむ。

「パンジーは色とりどり…」

ハナビシソウの花言葉は『私を拒絶しないで』サンビタリアの花言葉は『私を見つめて』パンジーの花言葉は『私を思って』
自惚れてしまいそうなラインナップに、チリの言葉。アオイはチリを見上げた。その赤い瞳を真っすぐ見つめた。以前あった時より肌の色が悪くて、少し瘦せただろうか。こんな深夜に訪ねてきて、そして花を吐きかけるほどチリは酷く病んでいる。

「チリさん。お付き合いしてる人、いなかったんですか?」

アオイがそう尋ねると、チリが一度頷いた。

「ほんまは、アオイの事ずっとずっと好きやった。もっと早く告白しよ思ってた…あの女の所為で、アオイと距離出来てしもうて…アオイになんて話しかけたらええかわからんくて、ほんまかっこ悪…!」

「どこが、どこがかっこ悪いんですか?だって私が勘違いして距離取ったんじゃないですか、チリさんの言葉も聞かずに突っぱねたの私ですよ…見たくなかったんです。チリさんが恋人といるの、だからリーグに就職するのやめたんです、バカですよね」

どんな感情でいればいいかアオイにもわからない。嬉しいのかもしれないし、後悔してるのかもしれない。もっと早く話をしていれば、ここまで拗れたりはしなかったかもしれないのに、もし、チリの罹患の原因がアオイにあるなら、その責任を取って完治を助けるのもアオイの特権ではないだろうか。けれどそれは、チリが望んでくれなければ叶わないことだ。こんなバカなアオイに恋の病も逃げ出してしまったかもしれない。
そう思うと、アオイの喉に込み上げるものがあった。手のひらに吐き出すと、アングレカムの花が一輪。花言葉は『祈り』『いつまでもあなたと一緒』色んな祈りを、今自分はしてしまっているのだから間違いではない。

「アオイ、アオイの花にどんな意味があるか、教えてくれへん?」

手のひらに乗ったその花を見て、アオイは苦笑する。

「祈り、いつまでもあなたと一緒…そんな花言葉がある花です。私だって、ずっとあなたが好きだったんです…今でもずっと」

そう言葉にした途端。ぼたぼたとみっともなく涙が溢れた。忘れたくても忘れられなかった気持ち。堰を切ったように溢れ出す涙と咽込む度に種類を変える花。千日紅、向日葵、赤い薔薇、ブーゲンビリア、黄色いヒヤシンス、どれもこれも愛を訴える花言葉を持つ花達。
手のひらに収まりきるはずもなく、一つ二つと花が零れていく。その中で、チリが向日葵を拾い上げた。

「チリちゃんでも知っとるよ、向日葵は”あなただけを見つめる”って花言葉なんやろ?これ両想いってことでええの?」

アオイが何度も何度も頷いて、大きく一度咳き込むと手の中に白銀の百合の花。そうして見上げれば、チリの手の中にも同じ白銀の百合。

「あはははっ…!アオイ秒で完治してもうたやん!罹患から完治まで最速記録やないの?!」

チリがアオイを抱きしめながらおかしそうに笑う。チリが笑っている。それだけで嬉しい。

「チリさん…また会いに行ってもいいですか?一緒にいてもいいですか?ずっと好きでいてもいいですか…?」

アオイもチリを抱きしめ返しながら、涙の中でそう尋ねる。

「チリちゃんも、もっとおもろい話できるようになるから、アオイともっと話したい。一緒におりたいし、ずっと好きやし愛してる…!」

深夜の研究室で、まさかチリと抱き合う事になるとはアオイは思ってもみなかった。温かくてとっても幸せで、夢心地になってしまいそう。
いや、本当に眠くなってきてる。うっかりすると目を閉じてしまいそうになって、アオイは慌ててチリに背中を軽く叩いた。

「チリさん、パソコン落としたいので放してもらっていいですか?」

「しゃあないから許したる」

チリから許可が出たのでアオイは急いでデータを保存して電源を落とした。
そうして椅子から立ち上がって、上に着ていた白衣を椅子の背もたれに掛けた。パソコンの対面に簡易的に置いたベッドへと歩み寄ると布団を開けて中に潜り込む。

「チリさんもどうぞ」

アオイが壁側に詰めてスペースを作る。あの温かい感覚が心地よくて、アオイはチリが早く来ないかと眠気で朦朧とする頭でチリを呼んだ。

「チリさん、はやくきて」

「アオイ急に甘えんぼさんになってしもうたな…ぎゅうぎゅう詰めで寝るん?」

チリはそう言いながらもアオイが望むようにベットに上がってくれる。そうしてアオイを抱き込むようにして横になった。
他の誰でもないチリの温度と、部屋に漂う花の香り。うとうととしながらアオイがスマホを操作して室内のライトをオフにした。

「お休みアオイ、チリちゃんも久々にぐっすり寝れそうやわ」

そんな声が上から聞こえてくる。

「明日も明後日も、ずっと先まで一緒にいようなアオイ。ほんまに愛しとるで」

心地いい声に微睡が深くなるけれど、アオイはその声に応えたい。

「わたしも、ずっとあいしてます」

その言葉を最後に、アオイの意識は深い眠りの泉へと落ちた。







翌朝、目を覚まして驚いた。自分が誰かに抱きしめられながら寝ている。何事だと思って昨夜の記憶を漁って、アオイは赤面した。
昨晩チリと両思いになったのだ。脈なしと思っていたチリに告白されて、自分も告白して、そして何故か一緒に寝ようと誘った。チリの体温が心地よ過ぎて眠気に抗えなかったのだ。子供のようで恥ずかしい気持ちがどっと溢れる。けれど、そっとチリの胸に頬を寄せるとその心音が聴こえてくる。ドッドッドッドッドッ…少し早い心音が聴こえてきて、アオイは顔を上げた。

「朝からかわええことするやん。チリちゃん驚いてもうたわ」

「え…チリさんいつから起きて、噓…やだ私…!」

恥ずかしくて距離を取ろうにも、自分は壁側に寝ていて後ろに引けず、かと言って前にはチリがいて起き上がろうにもチリの腕があって叶わない。

「温かくてええなこれ、週七ぐらいでうちで寝えへん?」

チリがくすくすと笑いながらアオイの髪を撫でる。

「からかってます…?私は、嬉しいんですけど…」

アオイの髪を優しく撫でる手つきを感じながら、アオイは少しだけ俯く。

「アオイは素直な子やから真に受けてくれるんやろ?せやな…アオイがここ拠点にしてるんなら、プラトかコサジ辺りで家借りるんもありかもな。今すぐはアオイも無理やと思うから、今んとこは時々ここ通わしてもらうわ、また添い寝してな」

そう言ってチリがアオイの前髪をかき上げるとあらわになった額に口づける。

「でも、それじゃあチリさんが大変ですよ!私よりチリさんの方が重要な仕事してるんですから、私がチリさんの所に通います!」

アオイが首を上げると、かちりとチリと目が合った。目が合った瞬間、チリの赤い目が緩やかに細められる。

「ほんなら、アオイがチリちゃんちに添い寝しに来てくれるん?」

「はい!」

「ならいっぺん連れてかんとな。知らんとこれへんやろ、今から行こ」

そう言ってチリがベッドから起き上がる。アオイもそれを追いかけるように体を起こした。
そうしてベッドから降りると、アオイのお腹がぐうぅっと音を立てる。健康的に空腹を感じてしまってアオイは再び恥ずかしくなった。チリがくすくすと笑ってアオイを見やる。

「ちょっと延期、まずはアオイのお腹の虫黙らしてからやな」

「は、はい…」

アオイは恥ずかしくなりながら、二人分の朝食を用意するべく冷蔵庫へ走った。
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