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「チリさん珍しいですね、お弁当なんて」

「ほんとだ~あ、近くの席失礼します」

休憩室の窓際に面したカウンター席でチリが弁当を広げようとしていると、同じく昼休憩に入ってきたのであろう女性社員たちが近くのテーブル席に座りながら声をかけてきた。
同じフロアで働いている女性社員たちである。こうやって昼休憩が被ることはよくあるので、今日珍しく弁当を持参してきたチリに気付くのもおかしなことではなかった。

「せやねん、どぉーっしても弁当作ってもらいたい子がおってな…念願叶ってこれやねん!」

「え~!恋バナですか?お昼時間余ったら聞かせてくださいよ~」

「余ったとしても話し始めたら昼休憩終わるで~」

「週刊漫画くらいの内容量でお願いします」

「無理やな、ってこんなん話しとったら食いっぱぐれるわ!」

「ですね~!」

そうしてチリは弁当の方へと向き直る。
チリの手元には少し大きめの保温バッグ。薄茶色の側面にはドオーの尻がプリントされているデザインだ。ちなみに反対側の側面に顔がプリントされている。
今朝その保温バッグを手渡された時、チリもそのバッグのデザインに思わず何度も両側面を見てしまった。曰く、チリのドオーに顔が似ていたから選んだらしい。確かに、シュッとしてキリッとした顔立ちはチリのドオーとそっくりだった。
そして弁当の中身である。
一番最初に出てきたのはサラダが入ったタッパーと市販の小分けのフレンチドレッシング。次にフルーツが入った小さなタッパー、カジッチュのピックが刺してあった。
そうしていよいよ一番大きな弁当箱が出てきて、二十蓋を開けると中身はほぼ茶色だった。勿論いい意味でだ。
半分は白米でもう半分がおかずというシンプルな構成なのだが、その中身がまた面白い。
何とおかずにたこ焼きが入っているのだ。ソースはかけられていたが鰹節とマヨネーズは別に小分けパックが用意されていて、好みの量をかけていいという事らしい。配慮である。
更にカップ皿には紅ショウガ、あとは卵焼きに筑前煮という構成に思わず笑みがこぼれてしまう。筑前煮は少し前に恋人に作ってもらって美味しかった料理だ。また食べたいと言ったのを憶えていてくれたのかもしれない。
そしてたこ焼き。生まれ育った土地の影響か、チリは粉物をおかずにご飯が食べられるタイプの人間だ。むしろ当たり前のように白米を準備してしまう。そんな話を以前弁当を作ってくれた恋人に話したことがあった。当時はまだ恋人ではなかったが、その話も憶えていてくれたというのがまた嬉しい。
しかしだ。
付属されていたマヨネーズと鰹節をかけていざ食べ始めようとすると、近くのテーブルに座っているのとはまた別の女性社員が休憩室へやってきたらしく、カツカツとヒールを鳴らす足音が近づいてきたのが分かった。

「チリさんもお昼ですか~って、何その茶色いお弁当、体悪くしちゃいますよ~」

チリも含め、その場にいた全員がその言葉で硬直したに違いない。
まさか開口一番に弁当を馬鹿にされるだなんて一体誰が想像するだろうか。少なくともチリは想像していなかった。
振り返ってみると、あまり見覚えのない女性社員だった。化粧でやたらと涙袋や唇が赤くはれぼったく見えるメイクの女性。リーグの一般社員制服を着ているので社員であることにはまず違いないのだろうが、少なくとも同じフロアで仕事をしている社員ではない気がする。だとするならば、別フロアの休憩室まで何をしに来たのだろうか。自分のフロアの休憩室で昼を摂ってくれればチリとてこんな不快な思いはしなかっただろうに。

「ちょっと…いきなり人のお弁当に文句付けるなんてあんまりですよ…」

近くの席に座っていた女性社員の一人が一番先に我に返って件の女性社員を窘めてくれたが、件の女性社員はむしろなぜ自分が怒られているのかという調子で困ったような今にも泣きだしそうな顔をしている。

「そんなぁ~ワタシそんなつもりじゃないのにヒドイです!チリさんが茶色いお弁当食べてるから…グス…ワタシのお弁当と交換してあげようと思っただけで…」

ヒドイのはどっちだと内心突っ込みを入れつつも、それを口に出さなかっただけチリは偉いと思う。
そうしていると、ぐずぐずと鼻をすすり涙を浮かべながら件の女性社員がチリの座るカウンター席のテーブルの上に保温バッグをドンと置く。

「いや、交換してもらわんくてもええんやけど…」

チリも唖然としながらもそう返したが、件の女性社員は周りの制止も聞かずにバッグを開けて中身を取り出し、チリにぐいぐいと体を寄せてくる。

「ダメですよ~!そんなお弁当じゃ午後持ちませんし体に悪いです!ワタシのお弁当で力付けてくださいね!こっちはワタシが処分しておきますから!」

そう言ってチリの弁当が奪われそうになってカチンときた。

「そもそも自分どこの部署やねん。少なくともこのフロアの部署ちゃうやろ、チリちゃん同じフロアで働いてる子の顔は大体覚えとるし新人が入った~なんて話も聞いとらんよ?」

取られかけた弁当を奪い返して一旦蓋を閉める。何かあってはたまらない。

「フロアとか部署とかどうでもいいじゃないですか!ワタシはチリさんに健康でいてほしいんです!」

件の女性社員はわざとらしくぷっくりと頬を膨らまして見せるが、これが恋人のした仕草であったならば可愛いと思ったのかもしれないが、自身の弁当にケチを付けてきた人間のした仕草を可愛いなどとはヤヤコマの涙ほども思えない。
それにだ、この一見すると茶色しかないような弁当だが、サラダとフルーツが別に付いているし、たこ焼き一つとってもチリの恋人の作るたこ焼きはキャベツがたくさん入っているし、何なら紅ショウガ付き。筑前煮だってこんにゃくに椎茸に人参に蓮根筍、しかも肉として入っているのは鶏肉だ。シンプルな味付けだが程よく確り味がついていてしょっぱすぎるという事もないし脂っこすぎるという事もない。更に卵焼きはしょっぱくも甘くもないプレーンタイプのはずだ。チリの恋人は他の物に確り味がついている場合卵焼きは味付けをしないプレーンを入れているからほぼ間違いないだろう。勿論恋人が作るだし巻き卵も美味しくて大好きである。
まだ保温バッグから出していないが、実はスープボトルも入っている。スープの有り無しを選ばせてくれたので今回は有りでお願いした。中身はほうれん草と豆腐とねぎの味噌汁だと今朝教えてもらった。
これだけ色々なものを用意してくれているチリの恋人が、目の前の自称チリの健康を考えている女よりよっぽど健康を気にしてくれていると思う。
せっかく眺めの良い窓際の席に来たが、チリは急いで弁当をまとめて保温バッグへ詰めなおした。もう自分のデスクで食ってやろうと思う。

「あんな、どこの部署のどなたさんか知らんけど、自分の恋人の弁当にケチ付けてくる人間の作ったもん誰も食べたないで。そんなに健康に気ぃ使いたいんなら自分も恋人に作ってやったらええよ、喜ばれるんちゃうん?知らんけど」

弁当をすっかり仕舞いなおしてチリは席を立った。

「自分らもごめんな?ゆっくりご飯食べて午後も頑張ろな~」

近くの席の女性社員たちに一声かけてチリは自身の持ち場の面接室へと向かう。普段は面接室で昼食を摂るという事はまずないが、午後は外勤で面接の予定も無いので問題ないと判断した。
休憩時間も少しばかり無駄にしてしまったので移動時間をなるべく急ぎ足で短縮し、面接室のデスクに弁当を広げ直す。
今度はスープボトルも開ける。ふわふわと味噌の良い香りがして一口すすると丁度いい温度のスープで胃が温まる。しゃきしゃきのほうれん草に、恐らく入っている豆腐は箸での掴みやすさや見た目から木綿だろう。さっきまでのストレスが解れていくようだ。

「はぁ~やっぱアオイの作る味噌汁うまぁ~一生作ってほしいわ」

そうなのだ、チリの恋人はリーグ内ではその名が知れた超人気者、チャンピオンランクのアオイなのだ。
料理に関しては恥ずかしがりやなアオイは付き合うまで料理ができるという事を教えてはくれなかったし、付き合ってからも他人に料理を振舞うという事にはかなり慎重派だった。友人たちの間では慣れていたのかなかなか評判の良い腕前らしいとネモ伝に聞き、頼み込んで頼み込んでようやく手料理を作ってもらえるに至り、そうしてとうとう昼食の弁当を作ってもらえることになったのだ。実の所、デートでピクニックをした際に何度かアオイが弁当を作ってきてくれたことはあったのだが、あの弁当が仕事の昼休憩に食べられるのが有難くてしょうがない。
アオイもアオイでアカデミーを卒業して半年ほど、そしてチリと付き合いだしたのもアカデミー卒業後で、進路として選んだリーグでの仕事はかなり忙しいはずなのに、こうやってチリの頼みを聞いて弁当を作ってくれた。本人は料理が苦にならないから問題ないと言ってくれたが、あまり料理をしないチリからしてみればわざわざ作ってくれただけでも多大な感謝を示したくなる。勿論材料費は熨斗を付けて渡してはいるのだが、今度アオイが好きなムクロジのお菓子をプレゼントしようと思う。
もう一口味噌汁をすすってからサラダと弁当箱の蓋を開けてようやく昼ご飯にありついた。
鮮度の良いレタスやキュウリにアーリーレッド、人参やコーンの和えてあるサラダにフレンチドレッシングの酸味でサラダがあっという間になくなってしまう。今回は市販のドレッシングだが、アオイが自作するドレッシングも美味なのでそちらもまた食べたいなと考えてしまった。
そしてたこ焼き。予想通り、中はキャベツがどっさり入った少ししっかり目に加熱されているたこ焼きで、中のタコは固すぎず食べやすい。白米が進んでしまう。筑前煮にも醬油ベースの味付けに鶏肉の出汁の味がしみていて美味しいし人参なんかはほろりと崩れてしまった。サイズ感も一口で食べやすく、あっという間になくなってしまう。
卵焼きも予想通りのプレーンタイプで、しっかりした味付けの中のあっさり素材そのままの味で緩急がつき、紅ショウガで更にさっぱりする。
気付けばフルーツまですっかりなくなって綺麗に完食だ。
件の女性社員がどんな料理を作っていたかは知らないが、アオイの料理はチリが好きなものをベースに野菜や肉のバランスを考えてくれている。栄養学的な事はわからないが、アオイなりの気遣いが垣間見える優しいご飯だとチリは思っている。
なので例えどんな栄養バランスが完璧なものだったとしても、チリは当然アオイのご飯を選ぶに決まっているのだ。

「今度のお花見ピクニックデートも楽しみやな~アオイどんな服着てくるんやろ、きっと春の妖精さんみたいにかわええよな~」

弁当箱を片付けながらすでに予定を組んでいる次のデートに思いを馳せる。
綺麗な花と、可愛いアオイ、アオイの美味しいご飯のコンボが不味いわけがないのだ。
そうして午後の仕事へ戻る頃にはすっかり件の女性社員のことなど忘れてしまったのであった。













「あら、アオイさんも今お昼休憩?…たこ焼きの入ってるお弁当って珍しいわね」

アオイはリーグの仕事の一環で各ジムで人手が必要な際に手伝いをして回っているのだが、今回はボウルタウンのジムへ手伝いに来ていた。
今話しかけてきたのはボウルジムの職員の一人である女性で、まだまだ新人の部類であるアオイはこの女性社員にかなり色々とサポートをしてもらいながら仕事を憶えている所だ。

「今日は、他の人の分のお弁当を作ったのでそのあまりなんです…美味しくできたので、喜んでもらえるといいんですけど…」

アオイはあまり他人に料理を作らない。自分で食べる分にはいいのだが、他人に食べてもらうとなるとあまり自信がないのだ。なので親友であるペパーは逆に誰かの為に作る料理というものを得意としているので尊敬してしまう。
今日は初めて、恋人であるチリの仕事の日の昼のお弁当を作ることになり、今まで食べてもらった料理の中でチリが美味しいと言ってくれた物やチリが食べ馴染みのあるものを中心に入れてみた。
自分としては美味しくできたわけだが、チリもそう思ってくれていたら嬉しい。

「お弁当ってアオイさんが自発的に渡したものなの?」

女性社員が何気ない口調で尋ねてくる。

「いえ…作ってみてほしいと、言ってもらえたので」

普段からチリはアオイの料理をおいしいと言ってくれる。とりわけ好きなものに関しては何のどこが美味しいのかまで言葉にしてくれるのでアオイは少しづつチリに作る料理に自信がついてきたような気がしていた。

「なら、きっととびきり美味しいって思ってるんじゃないかしら?わざわざ作ってもらいたがったお弁当なんだもの、むしろ文句なんて言わせやしないわよ!」

女性社員もホイルで包んだおにぎりを頬張りながらにっこりと笑った。
アオイもタコ焼きを頬張りながら、チリはもうタコ焼きを食べたのだろうかと想像する。お弁当に入れるにあたってどうしても熱々の出来立てとはいかない。それでも冷めても美味しく感じられる出来栄えにはなったと思う。それにチリのことだから文句はきっと言いっこないが、それでも美味しく食べてくれる事を願うのだ。
黙々とお弁当を食べ進めていると、丁度食べ終わった頃にトークアプリに新着のメッセージが入ってきた。

〈ものごっつ美味かったで!〉

その一文と共に綺麗に空になった弁当箱の写真。

「良い知らせが届いたみたいね」

アオイの表情があからさまににやけていたからか、女性社員が柔らかく微笑んでいた。

「はい、もっとお料理食べてもらいたくなっちゃいました!」

次にチリに弁当を作る機会は次のデートの時。その時に一体何を詰め込もうかとあれこれ考えてしまう。
あれを作ったらきっと喜んでくれるだろう、ああいう料理は好きだろうか、こういうものを作ってみたい。色々なことがぷくぷくと泡のように湧いてくる。

〈うれしいです。ありがとうございます〉

チリにそう返信しながら、チリが送ってくれた画像と一文を何度も見てしまう。
そうしてぽかぽかと気持ちが温かくなり、料理欲がどんどん湧いてきてしまうが今は仕事にやる気を出さねばいけない時間だ。
弁当箱を片付けてアオイはとっても幸せな気分で午後の仕事に意気込んだ。
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