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時をかけるチリちゃん


まるでチリが病室で目を覚ました時の様だとアオイは思った。自分はまた逃げ出している。
まさか過去のチリにあんなことを言われるとは思いもしなかった。自分は常に冷たく接していたはずで、好感が持てるところなんてなかったはずだ。それにだ、過去のチリの口からでも未来のチリを否定されたようで、怖くて怖くてしょうがなかった。帰ってくると信じていたいのに、それなのに過去のチリが今までの十年を否定するような事を言ったから、感情が押さえきれなくなってしまった。
走って、走って走って…気づくとアオイはセルクルタウンの南側にある岸壁の滝の傍まで来ていた。草の上にゆるゆるとへたり込み、、零れるままに涙を流した。

「ああ…!!!あああぁ…!」

言葉にならない叫びを滝つぼの水音がかき消していく。

ーーーあんまりだ。こんなことってないでしょ!!!なんで?どうして!

アオイの中にどんどん後悔の念が積み重なっていく。もしかしたら自分はとんでもないことをしてしまったのかもしれないと不安で押しつぶされそうだった。
そんなアオイの心情を悟ったのか、モンスターボールからマスカーニャとゾロアークが飛び出してくる。

「マスカーニャ、ゾロアーク…どうしよう。私、わたし…自分で自分の未来を変えちゃったのかもしれない…!」

ゾロアークがそっとアオイを抱きしめてマスカーニャは宥めるようにアオイの背中をさする。

「私とチリちゃんが初めて会ったのはあの時四番目のジムのはずなのに!最初から欲張らなきゃ良かった…!誰かに任せれば良かった!何もかも変わっちゃう…私とチリちゃんの十年全部、もしかしたら本当になくなっちゃうかもしれない…」

過去のチリが好きだと言ったハルコは架空の人物だ。どこにも戸籍すらない、誰かの喉の中にだけいた白い吐息。アオイが作り出した陽炎。チリは捜すと言った。必ず捜し出すと。じゃあアオイは?過去のチリの時間軸であと一か月後にパルデアに来るはずの過去の自分はどうなる?きっと子供の自分になんて気づかないかもしれない、歯牙にもかけられないかもしれない。そうしてチリは”ハルコ”を捜し続けるのだろうか。見つかるはずのない幻影を。

「そんな、そんなの…いやぁ…!!!」

もしそうなら、きっとこれから自分の中から一つ一つチリとの思い出が消えていくだろう。一つ失うごとに焦りを覚えるのだろう。最後の一つを失った頃には、きっと違う記憶が自分の中に存在していて、こんな苦しい気持ちも後悔も、幸せだった時も何もかもなくなっている。自分の中からすら。一つ残らず違う記憶に上書きされてしまう。どうしたらいい?どうしたら…。

「まだ…まだ間に合うかも…!」

今ならまだ、今はまだチリは過去のチリだ。今すぐ戻って弁明すれば、まだ軌道が戻せるかもしれない。
自分は本当はアオイと言う名前だという事、過去のチリの時間であと一か月後にパルデアに越してくること、四番目のジムで初めて会ったという事。本当はチリの事が好きで好きで、どうしようもなく愛している事。全て伝えれば、もしかしたら…。
アオイは立ち上がろうとしたがうまく立てない。急がなくてはいけないのにと言う苛立ちから自分の膝をひっぱたく。
そんなアオイを見かねたマスカーニャとゾロアークが両脇からアオイの腕を支えて立ち上がらせてくれた。

「二人とも…ありがとう…!急ごう!」

アオイはマスカーニャとゾロアークをモンスターボールに戻すと、荷物を抱えなおして来た道を急ぐ。足はなかなかいう事を聞かず、行きを全力疾走したのもあって思うように足が回らない。もどかしくてしょうがない。そしてきっと後から思うのだ。モトトカゲにライドすればもっと早かったんじゃないかと。けれど今のアオイにそんなことを考える余裕はなくて、ただ必死に足を動かすしかなかった。
自分はあの滝の傍でどれだけの時間を浪費してしまったんだろう。行きと戻りでどれだけ時間を食ってしまうのだろう。どんな風に話せばチリはアオイに幻滅せずに話を受け入れてくれるだろう。そんな事ばかり考えてしまう。
オリーブ畑を突っ切って走って走って、途中で足がもつれそうになるのを柵につかまりながらなんとか耐える。あともう少し,あともうちょっと。もう家の影が見えている。最後の力を振り絞ってアオイは玄関口まで走り切って息を整えないままインターホンを押した。
数秒の間さえ勿体ない。けれどインターホンに応答がなく、アオイの焦りは募るばかり。アオイが玄関の扉に手をかけようとした瞬間に扉が開いた。
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