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時をかけるチリちゃん


まさか自分が寝ながら泣いているだなんて気づかなかった。いや、寝ている間の事なのだから気付かなくてもしょうがないのだが、過去のチリの傍で安易に転寝をしてしまった自分の気の緩みを反省する。

「寝ながら泣くって、私結構堪えてるんだな…」

あの後急いで自宅に戻って鏡を確認すると、それはそれは酷い顔をしていた。何よりも過去のチリに気を使わせてしまったのがよろしくない。
うとうととし始めた時は、チリはまだ少し離れた所に座っていた。アオイが寝始めてしまったのに気づいたのだろうチリは、持ち前の自然な仕草でアオイに肩を貸してくれたのだろう。夢うつつにチリの匂いがしたのを覚えている。久々に近くで感じた安心するチリの香りだった。だからだろうか、転寝の間にチリの夢を見てしまった。
チリの記憶が戻らないまま、一年二年と経過し、最終的に周りの全てが諦めてチリをリーグに復帰させる夢。
夢の中でアオイは必死になって周りを説得していた。絶対戻ってくるから、だから本当のチリの居場所を取らないでと。
けれどすでに過去のチリが現在のチリにすげ替わって、周りも皆それを当然のことのように思い始めて、チリの手持ちのポケモン達ですら状況を受け止め始めていて、そんなこと信じたくなくてアオイは自宅の部屋の隅で泣いていた。

「チリちゃん。会いたい…早く帰ってきてよ…」

何度もそう呟くけれど、その声を拾ってくれる相手はいない。空しくて寂しくて、そしてどうしようもなく悲しかった。
スマホロトムの着信音で目覚めて、オモダカからの連絡を受け取って、ようやく全てが夢だったことに安堵した。
チリが過去のチリと入れ替わってもうすぐ一か月になる。一か月も経ってしまうと思う反面、夢のように一年も経過していなくて正直ほっとした。もしかしたら次会いに行く時は戻っているかもしれない。毎回そう思いながら、アオイは日々を過ごしている。早く、早く会いたい。そんな思いは募るばかりで、アオイは首から下げているチリの指輪を眺める。つい二週間前まではチリの指にはめられていた指輪なのに、今は本来の持ち主にはめてもらう事もなくアオイの首からぶら下がっている。
果たしてこの指輪がチリの元に戻る日は来るのだろうか、時間が経過していくにつれて頻繁に考えてしまうようになった。
暗い考えはしたくない。そう思って思考を切り替えるべく、アオイは昼間オモダカから貰った電話について考えることにした。
特に大きな問題があったというわけではない。ただリーグへ挑戦しに来たチャレンジャーから「チリだと思ってじめんタイプ対策をしたのにあくタイプ使いで騙された」と文句を言ってきたというものだ。リーグでは事前にあくタイプとじめんタイプを交互に使用する旨を告知してあり、ジムチャレンジャーに今日のタイプはじめんとあくどちらか、または混合か通知がいくようになっている。それでもたまにそう言った文句をつけてくるチャレンジャーがいるのだ。
そしてその文句を言って来たチャレンジャーが明日、またリーグに挑戦しに来るらしい。
はっきり言ってトレーナー本人の実力不足の否めないチャレンジャーだった。チャレンジャーのジムリーダー評価を見てもどれもぎりぎり合格ライン。ぎりぎりというのは別に悪いことではないが、問題なのは態度が悪いという文句が大体のジムリーダーから挙げられている点だった。
ナンジャモの担当するハッコウジムでは、ナンジャモが動画配信をしながらチャレンジャーを迎え撃つのが定番の流れなのだが、所々でポケモンに暴言を吐いたりして配信が炎上したらしい。ハッコウジムのみならずリーグにまでその炎上の収拾に追われる事態になったのは今から半年ほど前の事だ。その時アオイはオモダカから指令を受けてハッコウジムに出向して事態収拾の手伝いをした。ジムバッジ四つで諦めるトレーナーも多い中、それでも時間をかけて八つ全て揃えて来たという点は評価したいが、その裏でポケモンに暴言を吐いていては評価はダダ下がりだ。
ではなぜ実技試験に到達できたか、それは面接が形式的なものであるというのが関係している。質問に対して決まった答えを述べられればそれが本心であろうがなかろうが合格にしなくてはいけないのだ。アオイも面接官のデスクでチャレンジャーに質問を投げかけながら、その態度の悪さは十二分に実感していた。同じ質問を二度、間隔を開けて問わなければいけないのだが、二度目に質問をした時に「チッ…何度も言わせんなよな」と椅子にふんぞり返って言われた時には殴りかかってやろうかとすら思ったし、今すぐにでも不合格にしたいとすら思った。
けれどこんな苛立ちも、チリは四天王として何度も経験してきたのだろう、模範的なチャレンジャーばかりではなかったはずだ。

「もし明日の実技試験であのチャレンジャーがやらかしたら、ジムバッジの剝奪とリーグへの挑戦権の無期限剥奪もリーグ内で決まってるし、私は私の仕事をしなくちゃ」

そうやって心を落ち着かせる。
そしてアオイはスマホロトムを起動させると時間を確認した。本当であれば今日は午後からリーグで臨時四天王としての仕事をしなくてはいけなかったが、オモダカにチリの外出についての判断をあおる為に連絡を入れると、今日はチャレンジャーがいないから有給にしていいと言われた。
半休は週に何度かあったが、丸々一日休めるのはいつぶりだろうか。現在の時刻は三時を少し回った頃で、時間に余裕があった。
家にいても悶々と考えてしまいそうなので、トークアプリでペパーに連絡を入れる。

〈久しぶりにコライドンと出かけたいんだけど、連れていっても大丈夫?夜までにはちゃんと連れ帰るから〉

アオイがそう送信すると、数分後に返信が届いた。

〈おつかれちゃんだぜ!了解!コライドンはコサジの灯台の前に待たせておくからすぐに迎えに行ってやってくれ!〉

アオイは再び外出の用意をする。涙で落ちた化粧をメイク落としシートで拭きとって再び隈を隠すように化粧をしていく。そして荷物をリュックに詰めなおして背負うと社宅を出た。
テーブルシティの正門から徒歩で出て、道なりに下っていくとプラトタウンへたどり着く。ポケモンセンターの横を通って南一番エリアに入るとすぐに灯台が見えてきた。小川の上にかかった橋を渡って坂を上るとあっという間に灯台にたどり着く。すでにコライドンがモンスターボールを咥えて到着していた。

「コライドーン!太陽の下で会うのは久しぶりだね!」

「アギャス!」

アオイの呼びかけに元気に声を上げるコライドン。アオイがそのふさふさとした羽のような頭を撫でてやると嬉しそうに鳴き声を上げた。

「さて、今日はどこに行こっか、ナッペ山滑走する?それともロースト砂漠で砂遊びする?」

「アギャ!アギャス!」

コライドンは鳴きながらナッペ山の方に首を向ける。行き先が決まった。

「じゃあナッペ山に出発進行だね!」

アオイはリュックの中からコンパクト化された防寒着を取り出して上着の中に着込む。そうしてコライドンの背に跨ってハンドルのような触角を掴む。
コライドンは意気揚々と加速を始め、近くの崖を駆け上るとテーブルシティに向かって行く。テーブルシティの間横を通り過ぎ、大きな滝を飛び越えてリーグの真上を滑空する。大穴の淵をゼロゲートに向かって器用に崖登りと滑空を使い分けながら最短ルートを突き進む。もうナッペ山の頂が見えた。
アオイはコライドンに特別指示は出さない。コライドンの好きなように移動させてコライドンのストレス発散にもなればいいと考えたからだ。そうしてゼロゲートの上を飛び越して前方を見れば、あっという間にナッペ山に到着だ。この辺りに積雪はなく、はらはらと柔らかい雪が舞っている。ぐんぐん更に近づいていくと大きな谷間があってその谷間より向こうにはしっかりとした積雪があった。ここから一番近いのはナッペ山ジム。すでにちらちらとジムの角が見え隠れしている。
一応山へ入るのでナッペ山ジム前でコライドンに停止の指示を出す。ジムのフロントに山に入る旨を伝えて再び外へと戻った。
コライドンは近くに作られている雪だるまと戯れていて、可愛いので写真を撮る。そうして再びコライドンに跨ると山の更に頂へと向かう。天候は晴れ、のち曇りかもしれない。
もう吐く息は白く、周囲にはこおりタイプのポケモン達が一定の群れを作って戯れていた。
ナッペ山頂上付近の傾斜でコライドンを止めると、今度はその斜面を一気に滑走する。痛いほどに冷たい風が頬を打つが、この疾走感は余計なことを忘れさせてくれる。何度か往復して滑ると次第に雲が多くなり、若干雪が降り始めたのでナッペ山ジムまで下山する。

「はー滑った滑った!」

「アギャス!」

再びフロントに声をかけて、アオイはコライドンと共にフリッジタウンへと向かった。
ゴーストタイプのジムがある場所ではあるが、松明とろうそく、そしてカントリーな建造物が白銀の中に暖かい印象を生む、この景色をアオイは好んでいた。
近くのまいど・さんどでサンドウィッチを買ってコライドンと二人おやつ代わりに食べながら空を見上げる。
思い出さないようにしても結局思い出してしまうが、ここフリッジタウンにもチリとの思い出があった。




あれはアオイがチャンピオンランクに上がってしばらく経った頃、チリと二人でナッペ山のジム視察をするようにオモダカから指令を受けたのだ。その時の移動手段は言わずもがなコライドンで、あの時初めてチリをコライドンに乗せた。四人乗りまでしたコライドンなので人二人を乗せることなど造作もなかった。
チリがアオイを抱えるように背後に座って、あの時のアオイは本当に心臓が口から飛び出すんじゃないかという程ドキドキしていた。そうして比較的低地を疾走しながらナッペ山まで向かっていた時、雪山の姿を見て以前グルーシャに言われたことを思い出した。

「これからあんたもファッションとかでピアス開けたりするかもしれないけど、それでここ来ると大変なことになるから気を付けてね」

グルーシャはそう言っていた。曰く、極寒の雪山にピアスをぶら下げた耳をそのまま出して歩いているとどこかに引っ掛けてケガをしたり、金属が冷えて凍傷の元になるとういことだった。雪山を目前にアオイは慌ててコライドンを停止させると、衝動的に買った茶色のフルフェイスヘルメットの存在を思い出した。

「どないしたん?」

急停止したことを不思議に思ったチリが訊ねてくる。

「チリさん!これ被ってください!!!」

アオイは脈略もなくそう言ってヘルメットを渡した。流石にチリが好きで着けているピアスを今すぐ外せだなどとは言えないので、せめて耳が外気に当たらないようにと思っての事だった。それを説明する前にヘルメットを渡してしまったので、チリはこちらを見下ろしながらぽかんとしていて、アオイはしまった!と心が冷える。

「あ、あの…そらとぶタクシーと違ってコライドンって結構加速するので、耳冷えたら危ないと思って」

焦りながら何とかアオイが言いつくろうと、ようやく急停止とヘルメットの意味を理解したチリがにこりと笑った。

「チリちゃんのピアスの心配してくれとったんやな。チリちゃん自分でも気づいとらんかったんにアオイはよう気が付くわ!ヘルメット借りてええの?ドオーみたいでええなこれ、おおきにな」

正直あの時も、アオイはチリに気を使わせてしまったのではないかと思っていた。自分の不手際をフォローしてもらったかのようなそんな気持ちだった。
けれど、あの時嬉しかったこともある。実はアオイもヘルメットを見た時”これドオーに似てるな”と思って衝動買いしてしまったのだ。なのでチリが自分と同じようにヘルメットのデザインをドオーに似てると感じていることに、秘かに喜びを感じていた。
そうしてジム視察を終えて、帰り際にチリがヘルメットを返却しようとしたところでアオイが止めた。

「良かったらヘルメット、貰ってください。私も、そのヘルメットドオーに似てると思ってて、チリさんが気に入ってくれてたらでいいんですけど、貰っていただけたらなと…」

我ながら思い切ったことを言ったと思う。その時すでに何度か一緒に出掛けたことがあって、ある程度仲良くなれたんじゃないかと調子に乗っていたのかもしれない。でなければあんなに図々しく貰ってほしいとは言えなかったんじゃないだろうかと今のアオイは思う。そうしてチリの返事はというと。

「せやったら”交換”にせんとフェアやないな。今度カラフシティ行こな。色違いでお揃いにしたるわ!」

そう言ってヘルメットを肩に引っ掛けながら颯爽と去って行くチリの背中を見て、当然ながら惚れ直した。贈り物ができただけでなく、まさか一緒にお出かけができてしかもヘルメットをお揃いにしてもいいという事ではないか。どこまで優しい人なんだと悲しくなるほどだった。
そうして後日日にちを決めて、カラフシティにあるセグーロでアオイは赤いエクスレッグヘルメットを買ってもらった。コライドンのカラーでもあるが、赤と言えばチリの瞳の虹彩もそうだった。だから秘かにヘルメットを見てはチリの瞳の色を思い出していた。これに関しては後日談がある。
アオイがアカデミーを卒業してある程度大人の年齢に近くなった時、思い切ってチリに告白したのだ。勿論玉砕覚悟で。
フラれた時のイメージトレーニングは何度もシミュレーションしていたのでチリから。

「嬉しいわ、おおきにな」

と言われた時は失恋したと思った。しかしここで泣いてはいけないと踏ん張って、何とか笑顔を取り繕う。

「これからも、お友達でいてくださったら嬉しいです!」

何度も練習した言葉を叫ぶように口にしたアオイだったが、見れないでいたチリの方から声が上がる。

「ちょい待ちアオイ!チリちゃんアオイの告白断ってへんよ!嬉しい言うたやん!」

零れかけていたアオイの涙が引っ込んだ。どういうことだと一瞬混乱して頭の周りにヒヨコが回っているのかとすら思った。

「え…気持ちは嬉しいけど付き合えないって意味の言葉じゃないんですか…?」

アオイが恐る恐るそう訊くと、チリは至って真剣そのものな表情で言葉を返した。

「アオイは全然気づいとらんみたいやけど、だーいぶ前からチリちゃんアオイのこと好きやで?けどな、大人のしがらみっちゅうのがあってチリちゃんからは告白したらあかんと思うとった。それにもしかしたら別の人と付き合うてしまうかもしれんとも思うとった。内心戦々恐々やったで、でもアオイから好きって言うてもらったからにはもう我慢せんでもええっちゅうことになるねん!」

チリの言っている事の八割ほどは頭に入ってこなかった。つまり、どのくらい前からかは不明だがずっと両思いだったという事になる。お互い手をこまねいていただけだったという事だ。

「なあアオイ、チリちゃんが今までアオイにプレゼントしたもんの色覚えとる?」

そうチリに問われて、アオイは改めて今までチリから貰ったことのあるものについて思い返す。初めて貰ったものはハンカチだった。

「赤いハンカチです。カジッチュの刺繍がしてある…」

「ガラルの方ではカジッチュを片思いの相手にプレゼントすると恋が実るっちゅう噂があるらしいなぁ」

次に貰ったものは深いグリーンの落ち着いたデザインのワンピースだった。

「ワンピースのふかーいグリーンと言えばなんやろな?」

「チリちゃんの、髪の色に似てるなとは思ってました」

アオイが素直に思ったことを口にすると、チリが嬉しそうににやりと笑う。

「大正解やでアオイ。次はアオイがピアス開けた時、いっちゃん最初にチリちゃんがあげたピアスの色は?」

「赤…三角形の石のシンプルなピアスです」

「偶然やなぁ、チリちゃんの目ぇも赤やねん」

今度は違う意味の涙が出そうになる。一つ一つ思い出すとチリからアオイに贈られた物は赤や深いグリーンの物ばかりだ。

「お揃いにしよって言うてアオイに買うたヘルメット、コライドンカラーと見せかけて実はチリちゃんカラーでもあるねんなぁ」

最初にハンカチを貰ったのなんて何年も前だ。そんな頃からチリは自分の事を好きでいてくれたというのだろうか。もしかしたら夢なのかもしれないと、アオイは自分の頬を抓る。痛い、という事は夢ではない。だとすればチリの冗談か、しかしアオイの知るチリはこんな人の気持ちを弄ぶような質の悪い冗談をいう人間ではない。ならば全て現実という事なのだろうか。そんなことをしていると、チリの方から歩み寄ってくる。そうしてぎゅっと優しく抱きしめられた。

「好きやって言えへんけど、でも他のもんに取られんのも嫌やった。色んなもん贈ってアオイをチリちゃんカラーに染め上げて、ついでに周りも牽制できて一石二鳥やって思うてたんよ、実際アオイに近寄ってきよる輩はみーんな追っ払えたしな」

アオイの頭の上でチリがくつくつと笑う。もうアオイはあふれる涙が止まらなかった。今日流す涙は失恋の涙だとばかり思っていたのに、嬉し涙になるだなんて思いもしなかった。

「アオイ、チリちゃんからも改めて言わせてな。ずぅっと前から好きでした、チリちゃんと付き合うてください」

「…はい!」

そうして二人の交際がスタートした。我慢しないといったチリの言葉通り、今まで以上にスキンシップが多くなった。手を繋いで歩くことは以前からあったが、それに加えて腰を抱かれて歩くことが増えた。目があった時、ひと気がなければチリの方から頬や唇にキスをしてくることもあった。
自分の方が相手の事を好きだと思っていたアオイは、ぐいぐいとチリに攻められてたっぷりと愛情をかけられてたまごパワーがレベル百くらいになってしまっているんじゃないかとすら思う程だった。チリに愛されることを知ってしまった心と体は、今寂しさですっかり冷たくなっていた。
アオイは思い出の中から意識を戻すと、コライドンに跨ってナッペ山の頂上へと向かった。そうしてその頂にたどり着いた時、丁度雲間から光が差し込む。
冷たい刺すような痛みを伴う空気を肺いっぱいに吸い込んで、アオイは叫ぶ。

「早く逢いたい!チリちゃん!愛してる!!!!!」

ナッペ山の頂にアオイの叫びがこだました。

「アンギャ―――――――!!!」

コライドンがアオイの真似をして一緒に叫ぶ。二人で叫んだら、この願いは叶うのだろうか。
愛しさが雪のように降り積もっていく。チリを想って融けることなく嵩ばかりが増していく。この心が雪崩れて圧し潰されてしまう前に、早く、早く。この冷えた心を、融かして、温めてほしかった。

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