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時をかけるチリちゃん



「あ゛~暇や~」

チリはリビングでドオーをこねくり回しながら声を上げる。丁度今しがたハルコがやってきた所で、現在椅子の上に上着と荷物を置いている最中だ。

「ハルコちゃ~ん、何やチリちゃんが十年前のチリちゃんやから情報統制みたいなんされとるのは薄々気づいとるけど、ごっつ暇なんよ!」

チリがこの家に来てから早二週間が経過していた。相変わらずポケモン達が妨害するのでテレビは見れず、外に出ようとするとドオーがまもるを使って立ちふさがるのだ。だから家の中でできることと言えば、掃除だの洗濯だのポケモン達と遊ぶことだのに限られてくる。
けれど、流石に健康な人間が二週間家の中では体が鈍って仕方がない。
本来であれば四天王としてリーグに出社して、面接資料とにらめっこしたりポピーと遊んだりポケモンバトルをしたりしているのだ。何もしなければほぼハルコ意外と話もしないこの状況は息が詰まるし暇で暇でしょうがない。

「せめてどっかでポケモンバトルとかできたりせぇへん?そろそろチリちゃんのポケモン達もバトルしたなってきとると思うんよ」

そう言ってチリはちらりと横眼でハルコを見た。
ハルコはチリの方をじっと無表情で見つめている。そして暫く思案するように視線を伏せると、荷物を漁ってスマホを取り出した。

「少し電話をかけてきます」

ハルコはそう言うとスマホだけを持って玄関の外へと出ていった。それから五分か十分経った頃、再び玄関の開く音がしてハルコが戻ってくる。

「許可が下りました。急ですがこれから外に出かけましょう…とその前に」

流しへと向かったハルコは手を洗うと冷蔵庫から様々な食材や調味料を出し始める。
パンをいくらか取り出して横に半分に切り、バターを塗り広げていく。もうこの時点で彼女が何をしようとしているのかは分かった。

「サンドウィッチ作るん?」

チリがそう尋ねる。

「はい、お昼用に」

ハルコがいつものぶっきらぼうな口調で言った。
オーソドックスなハムとレタスとマヨネーズのサンドウィッチがあっという間に完成して、今度はトマトとハラペーニョとチーズのサンドウィッチとポテトサラダときゅうりのサンドウィッチも出来上がる。
更にしょっぱい物の次は甘いもの言わんばかりにクリームチーズといちごジャムのサンドウィッチとバナナとホイップとチョコソースのサンドウィッチを作り上げたハルコは、全てを四等分に切り分けて丁寧にクッキングペーパーに包んでいく。それをどこかから取り出したピクニック用のバスケットの中に詰め込むと、今度はケトルに水を入れて沸かし始めた。水を沸かしている間にステンレス製のボトルと袋に入った紙コップを用意する。バスケットの中に紙コップを詰めて、しばらく待っている内にお湯が沸いた。

「チリさん、お茶とコーヒーどちらが良いですか?」

おもむろに尋ねられたチリは反射的にコーヒーと返し、返事を聞いたハルコは戸棚からスティックタイプのインスタントコーヒーを三本ほど取り出すとステンレスのボトルにさっとあけていった。少量お湯を入れてよく溶かし、適量になるまでお湯を注ぐ。湯気に乗ってコーヒーの香ばしい香りがふわふわと広がった。
コーヒーの入ったボトルに蓋をしてきっちりと閉めるとボトルもバスケットの中へ詰め込んだ。
ハルコは手早く後片付けをすると、上着を掛けていた椅子から荷物と上着を取り、身に着ける。

「外、結構寒いですよ」

暗に上着を着ろと言われているという事はチリにでもわかった。そこでチリは思案する。確か二階の奥の部屋のウォークインクローゼットに外出用の服がかけてあったはず。とりあえず二階に上がり、奥の部屋のドアを開けてクローゼットの中を漁る。全体的にブラウン寄りのカーキか濃いめのブラウンの服が多い。その中でアウターになる服を探すと、丁度よさそうな上着があった。いかにも水を弾きそうな素材のブラウンカラーのマウンテンパーカーだ。裏地に保温素材が使われているからナッペ山にでも行かない限り寒すぎるという事はないだろう。ハンガーから上着を外して適当に動きやすそうな服に着替えてクローゼットを閉めると、急ぎ足で階段を降りる。
既にハルコは玄関で靴を履いていて傍らには頭の上にテラスタルジュエルよろしくバスケットを乗せたドオーがスタンバイしていた。やはり二人(一人と一匹)は何気に仲がいい。
チリはモンスターボールを確認して定位置に装着すると上着を羽織った。

「待たせてすまんなぁ」

チリが陽気な声音で声をかけると、ハルコはチリの格好をちらりと見て頷いた。

「海風が強いので薄着だったら言おうと思いましたが、大丈夫だと思います」

ハルコはそう言うと先に玄関を出た。ブーツを履いてチリも後に続く。実に二週間ぶりの外だ。換気の為に窓を開けることはあったが、実際に地面を踏みしめる感覚が久しぶりで足がうずうずしてしまう。
そして玄関に鍵を掛けようと思ったが、さてカギはどこだろうか。チリは二週間この家にいたが、外に出なかった為カギの事はとんと忘れてしまっていた。

「ハルコちゃん、玄関のカギ知らん?」

チリがそう尋ねると、ハルコは無言のままに玄関に入っていき、下駄箱の上に置かれていたカギを取って戻ってきた。初日にハルコが玄関を開けた時のあのドオーのキーホルダーがついたカギだった。どうやら初日にそのままハルコが置いて行ったらしいが、今の今まで全く気が付かなかった。
そうしてハルコは無言のままにチリの手に鍵を握らせるとモンスターボールからモトトカゲを呼び出す。
しっかり施錠されたのを確認してチリはハルコの元へと向かった。

「ハルコちゃんいっつもモトトカゲでここ来とったんやね」

「はい…チリさんこれ着けてください」

そう言ってハルコはチリに向かってヘルメットを差し出した。ドオーを彷彿とさせる茶色いフルフェイスヘルメットだ。ハルコの方を見やればハルコはハルコで赤いフルフェイスヘルメットを装着している。ふと、彼女のイメージにはないカラーリングだと思った。見た目で決めつけるのは良くないが、ハルコならもっと淡い色味のものを着けるのではないかと思っていたからだ。なんとなく、知らない彼女の一面を覗いたような気がして嬉しいのやらもやもやするのやらよくわからない気持ちになる。ヘルメットを持ったままチリが突っ立っているものだから、ハルコが痺れを切らして先にモトトカゲにライドした。

「バスケット、押さえててください。あとしっかり掴まっててくださいね」

ハルコはチリに後ろに乗るように促す。ヘルメットを被ってドオーをモンスターボールに戻すと、バスケットを抱えてハルコの後ろに座った。バスケットが落ちないように両足で挟んで腕はハルコの腰に回す。

ーーー腰ほっそ?!いや細いっちゅうかうっす?!飯食うとるんか?

思わず二度見した。いや、ヘルメットを被っているので見ることはできないが、心の中で二度見したし、どさくさに紛れて腕を回しなおした。やはり薄い。
普段服の下に隠れているから知らなかったが、ハルコは存外華奢だった。それなのにいつもせかせかと雑務をして、重い荷物を持ってチリの元へ通ってくる。

ーーーハルコちゃんはほんまに真面目さんなんやなぁ。やってることだけ見れば通い妻やん。

チリがそんなことを考えているだなんて露知らず、ハルコはチリがしっかり腕を回したことを確認すると、上着のポケットから黒のグローブを出して装着する。

「飛ばしますから悪しからず」

ライド用に装着されたハンドルを握ると、ハルコはモトトカゲに合図を送る。
フルフェイスヘルメットでなければ目を開けてはいられなかっただろう。モトトカゲはこんなにスピードの出るポケモンだっただろうかと思うほどに速い速い。ハルコは実はモトトカゲレーサーだと言われても容易に信じてしまいそうなほどだ。
セルクルタウンからプラトタウンを経由して更に南下する。十分かかったのかどうか、南一番エリアの崖の上にあるため池地帯に到着した。近くに遺跡のようなところがある場所だ。東の方を向けばコサジの灯台が見えた。池の方にはコダックやコイキング、ウパーなどがのんびりと水浴びをしている様子がうかがえる。自分達の他に人影はない。
モトトカゲの背から降りると、地面が揺れるような浮遊感があった。運動不足の体にあのスピードはだいぶ堪える。ハルコの方はというと、けろっとした様子でヘルメットを外してモトトカゲの背で軽く背筋を伸ばしている。
ひと伸びしてからモトトカゲの背を降りると、ハルコはモトトカゲにお礼を言い、チリが押さえていたバスケットからサンドウィッチを一つ取り出してモトトカゲに食べさせた。食べ終わった頃にモンスターボールへと戻し、バスケットを木陰へと置いた。

「到着しましたが、バトルしますか?」

ハルコがチリの方を振り返りながら問う。

「よし!ひっさびさのバトルや、気張らなな!」

チリは手持ちのポケモンを確認しながらハルコを見やった。

「つまり、バトルの相手ってハルコちゃんなん?」

今更ながらの質問だった。てっきりこの辺りで人が待っていて、バトルの相手をしてくれるものだと思っていたどうやら違うらしい。というのも、チリはハルコがポケモンを出している所を見たことがない。先ほどモトトカゲを出した時が初めてなのではないだろうか。故に彼女がバトルの相手と言われると、ウォーミングアップになるのかどうかという気がしてしまわなくもなかった。

「はい。今日はあくタイプを連れています、バンギラスとゾロアークとヘルガーとマニューラ、そしてマスカーニャです。テラスタルはバンギラスがあくタイプを使います」

またしても、チリはイメージではないなと感じてしまっていた。流石にフェアリータイプ使いだとは思わないが、まさかあくタイプを使ってくるとは思いもよらなかった。しかし若干引っかかる。ハルコは”今日は”と言っていた。今日じゃなかったら別のタイプを使っていたのだろうか。

「ハルコちゃん、あくタイプゆうイメージないから驚いてもうたわ」

「今日はそういう気分だったので」

ハルコがまたぶっきらぼうな口調で答える。

「いやどんな気分やねん!」

チリが笑って返すが、ハルコはそれをスルーして上着のポケットを漁りだす。そうして取り出したものをチリに渡してきた。
テラスタルオーブだった。

「持ってませんよね、これはチリさんのテラスタルオーブです」

黒い球体を手渡され、いよいよバトルの準備が整った。

「すぐ終わったら承知せんでー!」

チリの声が原っぱに響き渡る。バトルコートはないので池の脇の開けた場所で距離をとって向かい合い、そうしてお互い一体目のポケモンを繰り出した。






「ずるいわぁ~、完全にこっちの技見透かしとったやろ!相性的にもくさタイプ持っとるマスカーニャとこおりタイプ持っとるマニューラがいるハルコちゃんの方が断然有利やった!」

勝敗から言えば、お互い最後の一体でぎりぎりハルコのバンギラスが立っていた。マスカーニャとマニューラをバクーダで倒していなかったら戦況はもっとチリに不利に動いていたことだろう。
キズ薬でお互いのポケモンを回復させ、原っぱで遊ばせながらチリは不貞腐れたようにぼやく。

「ハルコちゃんのゾロアークがドオーのまもるふういんせんかったらチリちゃんの勝ちやったのにな」

ハルコはバンギラスを繰り出す前にゾロアークを出していた。そしてゾロアークはチリのドオーの技構成を見透かしたように”まもる”を”ふういん”した。ふういんという技は、相手が自分と同じ技を持っていた時その技を一方的に使えなくする技だ。つまりハルコのゾロアークはまもるを覚えていたという事になる。まもるを封じられて体力を削られた結果、テラスタル対決でバンギラスに競り負けてしまった。
ハルコの力量は最初の一体目を繰り出した時にすぐに分かった。恐らく自分と同程度の力を持っていると。だからこそ瞬時に判断を切り替えて本気で挑んだのだ。ぎりぎりの攻防だったが故に負けた瞬間はとても悔しかった。精一杯やった結果なので納得せざるを得ないのだが。
ハルコの方も常に冷静にこちらの技に対処してきて、かなり場慣れしているように感じられた。

「私にも矜持があるので負けられません」

ハルコは木陰にレジャーシートを敷いてバスケットを置きながら答える。

「こっちにも四天王の矜持っちゅうもんがあるわ!」

文句は言いつつも同じレジャーシートに座り、バスケットの中からコーヒーのボトルを取り出して紙コップに注ぐとハルコに渡す。ハルコは小さな声で「ありがとうございます」と言って受け取った。そしてポケモン達を一時的に呼び集めてお昼ご飯にする。
バスケットの中にぎゅうぎゅうに詰まったサンドウィッチ。四分の一にカットされているので食べやすく、他の味にも手が出しやすい。トマトとハラペーニョのサンドウィッチなんかはさっぱりとしていて美味しかった。
ポケモン達と一緒にきれいに食べきると、コーヒーをすする。ポケモン達は再び原っぱへと散っていった。

「なあハルコちゃん、今日はありがとうな…ってあれ?」

外に連れ出してポケモンバトルもしてもらったのでお礼を言おうと振り返ると、ハルコはコーヒーの紙コップを両手で持ちながら樹の幹に凭れ掛かってうとうととしていた。こぼしてはいけないとチリは慌ててハルコの手の中からコーヒーの紙コップを取って除けておく。
すーすーと寝息が聞こえて、これはいよいよ眠っているなと感じた。

「ハルコちゃんが目ぇ閉じとるの初めて見たわ」

ハルコはいつも午前中に来ては昼過ぎにはいなくなる。だから目を閉じている所なんてまず見ることはできなかったし、昼を過ぎてもハルコがいることも今までなかった。
これは貴重だぞ、とその寝顔を盗み見る。

「近くで見るとあどけない顔しとるなぁ、ハルコちゃんていくつなんやろ」

独り言をつぶやきながら、チリはハルコの顔を見つめた。
自分と同じくらいの年恰好に見えるが、以前年齢を聞いた時は「まだ肩のこらない年齢です」とだけ答えられてはぐらかされてしまった。
そうしてまじまじとハルコの寝顔を見ていると、ゆらりとハルコの体が傾く。
チリは咄嗟にハルコの体を押さえるとその横に座りなおした。南側の気候でそこまで寒くもないので自分の上着をハルコの体にかけてやる。
自分の方にハルコの頭を乗せて、何とはなしに腕をハルコの腰に回す。やっぱりその腰は薄く、チリの手で掴みきれてしまうくらいの厚みしかない。
そうしてまた違った角度からハルコの寝顔をのぞき込んだ。
よく見ると若干目の下に隈がある。忙しい職業なのだろうか、はたまたストレスでもあるのか、化粧で目立たないようにしているようだが近くで見ればなんとなくわかる程度には濃い隈だった。

「大変やのに、なんでウチの世話なんて焼きに来るんやろ、誰かに代わってもろてもええのに…ってハルコちゃんトップの部下の人やったわ」

という事は、ハルコはリーグ職員という事になる。バトルが強いのも凡そ納得がいった。オモダカが直接指示を出す部下なのだからそれなりの実力は持っているのは当然と言えば当然の事だろう。そしてオモダカは割とさらっとハードな仕事を任せてくるところがあるので、彼女も例外なくオモダカのそれに巻き込まれているのだろう。
よくよくハルコを観察していると、首に紐のようなものが見えた。それを辿って行くと、ハルコの服の胸元にたどり着く。
チリはドキッとした。襟元から服の中が見えてしまったからだ。なんだか今日は変だ、普段はハルコに触れることがないからか、腰の薄さや素肌を見て同じ女性ながらドキドキしてしまっている。見てはいけないものだとは分かっていてもつい視線が向いてしまう。
グレーの強いグリーンの下着で守られたふっくらとした胸、その胸の谷間の上にきらりと光るものがあった。紐に通された指輪だった。ハルコも左手の薬指にいつも指輪が光っていた。首にかけている指輪と恐らく揃いの物なのだろうそれ。再びもやりとした感情がチリを襲う。今すぐこの胸元の指輪を取ってしまいたいという衝動に駆られて、慌てて首を振ってその思考をかき消した。そうして大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
不意に肩にもたれていたハルコの頭が動いた。起きたのだろうかと見てみると、ハルコはぐりぐりと顔をチリの方に押し付けてくる。ちょっとハルコの化粧が付いたがそのくらいは洗えば済む。しばらく様子を見ていると、肩が若干冷たくなる。なぜだろうと思って見ると、ハルコは泣いていた。そして微かに口元が動いている。
チリは首を傾けて耳をそばだててみると、断片的に言葉が聞き取れた。

「あいたい…」

ハルコはそう呟いていた。一体誰に会いたいというのだろうか、もしかしたら首にかけている指輪の持ち主か。チリは空いている方の手でハルコの涙を拭った。
たった二週間の内の数日を一緒に過ごしただけの仲だが、それでもこんなに苦しそうに泣いてほしくない。もし最初からぶっきらぼうな態度しか見たことがなければ違っていたかもしれないが、病室で一番最初に見たハルコはチリの意識が戻ったことに安堵の表情を浮かべていた。
ハルコはぶっきらぼうな話し方をするが、その本性はとても優しい人間だという事をチリは知っている。ポケモン達への接し方を見てもそれは明らかで、帰り際によくドオーと内緒話をしては微笑んでいるのも知っている。けれどチリの前ではいつも感情を押し殺すように無表情を張り付けて何にも感じていないかのように振舞っている。それもこれも、この指輪の持ち主の所為なのだろうか。
だとしたならばずるいと思ってしまうチリがいる。いなくなってなお、ハルコの心を感情を掴んで離さない人物。

「顔も知らん相手に嫉妬しとるんやろか………ハルコちゃんに惚れてしもうたんかなウチ…」

返事なんてあるわけもない。自分の方に凭れて眠りながらさめざめと泣くハルコを見つめながら、自分の感情と向き合ってみる。
ハルコにこんな涙を流させるような奴に出会う前に、自分が攫ってしまえたらいいのに。ほの暗い感情が湧くのを察知して後頭部を樹の幹に押し付けた。考えた所でしょうもないのだ。未亡人に恋などしてもいいことなどない、諦めろと自分に言い聞かせる。気づかなければ良かったのかもしれない。暇だと言わなければ気づくことはなかったのだろうか。そうしてチリは大きくため息を吐くと、突然ハルコの荷物の中からスマホが飛び出してきた。

「ロトロトロト…ロトロトロト…オモダカさんから着信です」

スマホロトムが呼びかけると、ハルコはビクッと体を揺らして文字通り飛び起きた。そして慌てた様子でスマホを掴むと通話ボタンを押す。

「はい、もしもし!」

電話に対応するハルコの声はいつになく感情が含まれている。彼女が自分以外の誰かと話しているのを見るのは病室以来初めてだという事に気づいた。

「えっ?!はい、はいわかりました…連絡いただいてありがとうございます。明日対応します」

何度か頭を下げて通話を切るハルコ。そうして冷静になった時、初めて自分が寝ながら泣いていたという事に気づいたのだろう。ごしごしと頬を拭う仕草をしていた。そして傍にチリがいたことに気づいて眉間にしわを寄せる。この仕草も、もうなんとなくわかる。彼女が表情を堪えようとするときの仕草だ。
そうしてハルコはチリの肩に自分の化粧と涙が付いているのに気づいて、ハンカチを荷物から取り出すとポンポンと叩くように拭った。

「起こしていただいてよかったんですよ」

ハルコが俯きながらつぶやく。

「目の下に隈作ってる子、無理やり起こせへんよ」

チリがそう言うと、それ以上ハルコは何も言わず押し黙ってしまった。
オモダカと話しているハルコは自分に対する様子と驚くほど違っていて、やはり自分はハルコのことを何も知らないのだと実感した。
この日はそれ以上二人の間に会話はなかった。日が真上から若干西に傾いた頃に荷物をまとめ、モトトカゲに乗ってセルクルタウンまで戻った。
ハルコは使ったボトルやごみを処理するとあっという間に去って行ってしまった。
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