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時をかけるチリちゃん



「は~結構きつい…」

アオイは面接室の机に突っ伏しながらため息を吐いた。
想像以上に仕事がハードなのだ。何しろ半月後にはまたアカデミーの”宝探し”の時期が始まるうえに、アオイは普段やっているジム視察とパルデア内の見回りの仕事も並行していた。バトル視察自体は頻繁に行うものではないが、月に一度施設環境の確認も兼ねてジム職員に聞き取りを行っている。ジムリーダーにリーグへ足を運んでもらうこともあるが、実際に各々のジムの雰囲気を確認することも大事なので一番フットワークの軽いアオイが各事務を回って視察しているのだ。
そして一日に数時間、パルデア各所に点在しているテラスタル洞窟を巡回する。テラスタル洞窟内には通常よりも強いポケモンが潜んでいることもあり、更に迷子になりやすい地形の為、洞窟を巡回しながら迷子がいないかの確認もしている。実の所結構迷子の学生は多かったりするので近くのポケモンセンターに送り届けることも週に何度かあった。
それにプラス、午後からは臨時四天王として面接と、それに合格したチャレンジャーに対する二次実技試験を執り行う。
現在リーグでは緊急措置として面接はジムバッチ八つから、前日までに予約を入れた一日先着十名に限定している。これがなければ早々にパンクしていただろう。あらかじめ相談しておいて良かったと心底思った。
そして実技試験用のタイプと編成。チリがじめんタイプなので同じじめんタイプの編成で臨もうと思っていたが、オモダカから「折角アオイさんが臨時で試験を行うのですから、タイプを変えてみては?」と提案されてしまい、結局月水金をじめんタイプ、火木土をあくタイプ、日曜日をじめんとあく混合タイプで行うことになった。あくタイプなのは他のジムリーダーと四天王の手持ちのタイプを鑑みた結果、一番良さそうなのがあくタイプだったのだ。相棒であるマスカーニャはあくタイプを持っているし、あくタイプには複合タイプが多いので戦略の幅が広いが、勿論弱点もある。後続のポピーの使うはがねタイプにもあくタイプにもかくとうタイプは弱点になるので、それに気づけるトレーナーならしっかりとそれらを考慮してメンバーを選んできてくれるだろうという攻略の流れも考えている。
じめんタイプはチリの手持ちとほぼ同じメンバーでダグトリオがガブリアスになっているくらいの差しかない。あくタイプメンバーには、あくテラスタルバンギラス、マスカーニャ、ゾロアーク、ヘルガー、マニューラの布陣で挑戦者を迎え撃っている。今の所次鋒のポピーが出てくるような事にはなっていないけれど、できればチリの不在を任されている以上、実技の一番槍として防衛していきたいところだった。
面接と実技試験を終えて帰宅する前にはペパーの所へ寄ってコライドンとスキンシップを取る。ボールで遊んであげたり体を洗ってあげたりしてから社宅に戻り入浴を済ませると、おっとびっくりもうすぐ日付を超えてしまう。

「明日の午前中はお買い物して、チリちゃんの所に行ってご飯作って…」

ご飯。そう言えばリーグの社宅で一人で暮らすようになってから忙しさにかまけてろくな食事を摂っていなかったとアオイは思った。チリに作るものであればやる気も起きるし食欲も出るので一緒に食べてきてしまうが、一人だとついついサンドウィッチに牛乳だけ、エネルギーゼリーだけ、最悪サプリメントだけになってしまう。ボタンならきっと握手ができるだろうが、ペパーや自分のパートナーであるチリに知られればげきりんよろしく叱られることが容易に想像できた。
普段一緒にいるマスカーニャはアオイの事を心配して時々サプリメントやゼリーを隠してまともな食事を摂らせようとしてくる程だ。実に申し訳ない。
オモダカからは無理なスケジュール管理はするなと言われていたし、ハッサクやアオキと言った先輩社会人からも適度に手を抜きなさいとアドバイスを受けた。ジムリーダー陣の中だとリップから「しっかり睡眠摂らないとお肌に悪いよー」などとお言葉をいただいたり、専任ジムリーダーのグルーシャからは「うわ…」と何とも言えない声をかけられたので、そこそこ自分が忙しなくしているという自覚はある。
視察自体はある程度力を抜いてしているつもりだし、巡回だってコライドンを預けてからは一日に回る範囲を縮小している。
でもチリに関することだけは手を抜きたくなかった。面接も実技試験も、過去のチリの世話役も、チリに係ることだからこそ適当なことはしたくない。
例え今のチリが自分の事を全く知らなくても、あの愛おしむような声で自分の名前を呼んでくれなくても、隣にいられなくても。側にいることだけはやめられないし誰にも隣は譲れない。

「私ほんとはハルコじゃないもん…アオイだもん…チリちゃんのばかぁ!」

アオイは枕に顔を埋めるとチリへの恨み言を呟いた。全く持って八つ当たりだ。自分で提案したことなのだから文句なんて言える立場じゃない。それでも、早く戻ってこないチリが悪いんだと思わずにはいられない。怒らなければ寂しさに負けてしまうから。

「でもチリちゃん…私の料理美味しいって言ってくれた。過去のチリちゃんも味覚は同じなのかな、それとも体は今のチリちゃんだからそっちが基準…?美味しいって言ってくれたからどっちでもいっか…」

スマホの中に入っているドオーオムライスの画像を開く。オムライスを作る前にされた質問はいただけないが、勘の良いチリなら遅かれ早かれ気づくことだったので想定の範囲内だ。自分の存在を否定することにはなったが、過去のチリには必要のない情報なのだからああいうふうに答えて正解だった。過去のチリの時間軸ではまだ”アオイ”という存在がいないのだから、知らないままでいることがあるべき姿なのだ。
アオイはそう自分を納得させて再びスマホの画面を見る。ご飯の量が結構あってこんもりした立派な金色のドオー、あれも美味しそうに食べてくれた。蕎麦も美味しいと思ってくれただろうか、明日は一体何を作ろうか。そんなことを考えながらアオイはうとうとと舟を漕ぎだした。
ふっと寝落ちると、ゆさゆさと誰かに揺り起こされる。
アオイが枕から顔を上げて振り返ると暗がりの中で心配そうな顔をしたチリの姿があった。寝ぼけていてもアオイとてそこまで耄碌したつもりはない。

「ゾロアーク、心配してくれたんだね。ありがとう」

アオイが話しかけても言葉を返してこないのが何よりの証拠だ。布団を掛けずに寝てしまったから起こしてくれたんだろう。そして最近のアオイの忙しさに何かを感じ取って、自分からは決して人の姿に化けたりはしないゾロアークがチリの姿を模して接してくるのが心に沁みる。
ゾロアークがチリの姿をとったのは実の所これが初めてではなかった。とはいえ、いつもはチリのおふざけに付き合って化けていたのだが。
ゾロアから進化したばかりの頃に、ゾロアークがチリに化けた時にアオイはどちらが本物か当てられるのか、といったことを以前にやった。実際にやる一週間前からゾロアークと一緒に練習したらしい。いざやってみると、随分とあっさりアオイが本物を当ててしまうからチリは面白くなさそうにしていた。
誰しも本人が気づかない癖というものがあるものなのだ。だからこそ小さな仕草一つでどちらが本物かはわかる。

「私はいつものゾロアークが良いな」

アオイがそう声をかけると、ゾロアークは変化を解いていつもの姿に戻った。そしてベッドサイドに座るとアオイの手を取ってすり寄ってくる。
頭を撫でてやると小さく鳴いて喜んでくれた。そして自らボールの中へと戻っていく。
また手間を掛けさせないように、アオイは布団の中へ入ると改めて眼を閉じた。夢にはチリが出てこなければ良いなと思いながら。








「合い挽き肉が安いから…ハンバーグいっぱい作ろうかな。じゃあお昼はロコモコ丼とか?」

アオイは買い物をしながら作り置きのおかずを考える。ハンバーグはたくさん作って焼いたら小分けに冷凍しておけば暫く持つし、ハンバーグを使った丼もののロコモコ丼なら比較的簡単に作れる。付け合わせには何がいいだろう。キャベツは以前ひと玉買ったのでまだ半分以上残っていたはず、トマトとレタスもあったらいいだろうか。
ならば他のおかずには何を作ろうか、キャベツの消費の為にパプリカと一緒にカレーマリネにするのも良いかもしれない。あとは色んな豆をたくさん使ったチリコンカンとかが良いだろうか。

「チリ繋がりだから共食いやんって前に言ってたな…結局食べてくれたけど」

ミックスビーンズの缶を手に取りながら、しみじみとアオイは思い出してしまう。

「いやいや、寂しくなっちゃダメ!本人が死んだわけでもないのに!」

思い出してはマイナスな気持ちを吹き飛ばすように自分に喝を入れる。そうだ、別に死んだわけではない。ただ自分と過ごした十年が丸々なかったことになっているだけで、本人はピンピン生きている。チリの意識が戻らなかった三日間の不安に比べれば、まだ耐えられていいはずだ。
気を取り直して買い物をする。アオイがこれだけ料理ができるようになったのはチリと出会って親しくなってからだ。
それまでのアオイと言えば、自分で作れるのはサンドウィッチくらいで、偶然ピクニックをしている所にチリが現れ、当時片思いだったアオイは緊張してサンドウィッチを大爆発させてしまった。あれが凄まじく恥ずかしくて、以後挽回する術を必死に模索し料理の道に片足を突っ込むことになった。まだ学生だったので家庭科教師のサワロに指導してもらったり、ペパーに監督してもらったり、果ては実家に戻って母に料理を片っ端から教えてもらった。
そして何とか様々な条件をこなしてオモダカに機会を作ってもらい、チリにサンドウィッチをプレゼントしたのだ。今思えばかなり突飛なことをしたと思う。そこまで親しくもない少女から突然サンドウィッチをプレゼントされたのだから、受け取ってくれたのは大人の対応というやつなのだろうと今ならわかる。逆に恥ずかしい。
だがそれがただの恥ずかしい思い出で済んでいるのもチリのおかげだった。

「そういえばあの時も、自分の分は?って訊かれたっけ」

受け取ったら後で適当に処分することもできただろうに、優しいチリはアオイにそう尋ねてくれたのだ。そしてアオイが”ない”と答えると「せやったら半分こやなぁ」と言って二つに割るとアオイに片割れを渡してきたのだ。
サンドウィッチを食べながら色々と話して、その時初めて連絡先を交換した。仕事用ではなく個人用にだ。
嬉しくて嬉しくてその晩寮にも帰らずにひたすらテラスタル洞窟を巡ってバトルしてしまった。付き合ってくれたポケモン達には感謝しかない。
月に数回しかないやり取りに一喜一憂したり、心臓を吐き出しそうになりながらお出かけに誘ったり。何度目かのお出かけ(デートではない)でハッコウシティを訪れた際、人混みが激しくて気付いたらチリの方から手を握ってくれた時には奇跡だとすら思った程だ。人混みも捨てたもんじゃないとあの時は思った。人混みを抜けて歩きやすくなったからとアオイから手を放そうとすると「チリちゃんと手ぇ繋ぐの嫌?」なんて言われて、嫌だなんて言えるわけもなくそれからは一緒に出かける度チリが手を差し出してくれるようになった。まるでチリの彼女になった気分でとても嬉しかった。もしかしたら迷子にならないようにという大人の配慮だったのかもしれないけれど、真実は分からない。

「チリちゃんが戻ってきたら、あの時の事聞きたいな…あの時どういうつもりで手を繋いでくれたのって」

不覚にもまた一つ、チリに早く会いたくなる要素が増えてしまった。
これからアオイを知らない過去のチリの所へ行くというのに、変にふわふわした感情で会えばボロが出てしまうかもしれない。気を引き締めなくてはいけない。自分は監視役で、監視役は必要以上に対象と会話をしない。会話から現在の状況を知られないようにする為だ。
既に過去のチリにとって十年後であることは認知されてしまっているから、できるだけそれ以上の情報を与えないようにしなくてはいけない。あるべきものはあるべき場所へあるべき状態で戻った方が後々お互い弊害が少ないはずだからだ。
時間が時間になってきたので手早く買い物をしてレジを通り、店の外へ出てライドポケモン停止場へと向かう。コライドンの代わりにモトトカゲに乗るようになってから、コライドンがこちらをジト目で見てくることがある。恐らく違うライドポケモンの匂いがするのがわかるのだろう。その目がどういう意味を持っているのかは察せるので本当に申し訳ないとは思う。
また一つ、早くチリに戻ってきてほしい要素が増えてしまって、アオイは空を見上げた。ココガラが青い空にパタパタと羽ばたいていた。

「よし、気合い入れるぞ!気張りやハルコ!」

自分の両頬をパチンとはたくと、アオイは荷物かごに買い物袋を積み、コライドンのカラーに似た赤いエクスレッグヘルメットを被ってセルクルタウンへと出発した。


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