The Unowned Soul
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私は四番隊の隊舎ではなく、瀞霊廷内にある長次郎殿の私邸に預けられることとなった。彼は普段隊舎で寝起きしているため、身の回りの世話は、この私邸の管理を任されている老婆が引き受けてくれた。あたたかい食事、清潔な寝床、決して侵されることのない安全な場所。休日になると彼は私邸に帰り、色々なことを教えてくださった。文字の読み書きから木刀の振るい方まで、その全てが私を夢中にさせた。思いを綴ること、文を交わすこと、新しいことを知るたびに世界は美しくなる。雨が止めば、見上げた空に鮮やかな虹がかかる。
庭の樹々が青々と葉を茂らせると、やがて燃えるような赤に染まり、白銀の雪を纏う。長い冬に枯れた命は、春の訪れとともにまた芽吹く。そうして季節は廻り、稽古はより厳しさを増した。しかし、私の世界がもっとも輝くのは、その時間だった。
「どこからでも来なさい。」
木刀を構える長次郎殿の姿は、いつだって息を呑むほどに眩しかった。一切の隙がない立ち姿、澄み切った霊力、そして風を切るがごとく鋭い太刀筋。陽光に照らされるその姿を見つめるたび、胸が痛いほどに締め付けられる。憧憬とも、崇拝ともとれる感情であった。貴方はあまりにも眩しくて、私はその姿からひとときも目を逸らすことができなかった。
「あの日起きたことは、お前の中に眠る死神の力が暴走した結果だ。正しい力の振るい方を学び、己を律しなさい。」
汗をぬぐう私に、長次郎殿は静かにそう語りかけた。あの恐ろしい出来事は、制御できなかった私自身の力のせい。しかし、その力を正しく制御できれば、それは誰かを守る誇り高き刃となる。そう教えられた私は、正しき死神となるために、鍛錬に励んだ。あの日あの時、私を生かした貴方の選択が正しいものであるように、私は正しくあらねばならない。たとえ何に代えても。
更木の地で私の命を守ろうとした、あの黒い刀。今は一番隊隊舎で厳重に封されているという。ほっとする一方で、時折、一抹の寂しさが胸を掠める。けれど私は、その喪失感から必死に目を背けた。あの刀は災いであり、正しさとはほど遠いところにある。私は死神になり、この光の中に留まらなければならないのだ。この、身を射るような稲光の中に。
何度目かの冬を越し、真央霊術院への入学が決まった。
新たな学びに胸を躍らせたのもつかの間、そこで突きつけられたのは圧倒的な力の差であった。これまでの長次郎殿との稽古とは全く違う、手加減無しの勝負。彼は私を傷つけぬよう、どれほど加減してくれていたのか。ほんの少しでも力を込めれば、私は瞬く間に吹き飛んでいたに違いない。自分の無力さと、慈悲の上に生かされていたことを思い知り、身が震えた。ここでは、打ち合いになれば力負けし、一歩踏み込めば突き飛ばされる。何度も木刀を弾き飛ばされ、稽古場の床に身体を打ちつけた。幼さなど言い訳にならない。護廷十三隊では、年齢性別問わず数多の隊士が刀を振るっている。命のやり取りにおいて、強さ以外の物差しなど無意味だ。だから、絶対に諦めてはいけない。誰よりも弱いならば、誰よりも努力すればよい。それでも足りないなら、何かを犠牲にすればよい。人の形をしている以上、平等なんてことはあり得ない。皆どこかしら欠けている部分があり、それを補うために何かを犠牲にして生きている。睡眠を削り、学友との時間を削った。身の軽さと素早さを武器に相手の懐へ潜り込む術を己に叩き込んだ。相手の力を受け流し、一瞬の隙に刃を滑り込ませる戦術。体力と一太刀の重さで劣る私が戦うための手段。長次郎殿のあの鋭い太刀筋を思い出し、昼も夜も稽古に明け暮れた。鬼道の稽古が始まるとさらに忙しくなった。幸い、私は鬼道に向いていたが、こちらも体力や精神力勝負なところがある。斬拳走鬼、死神としての力を磨き続け、ついに私の浅打が変化を始めた。声が聞こえるようになったのだ。貸与されてからというもの、夜毎話しかけていたから、なんだか無視されているような気がしていた。今は声が聞こえるだけで内容は聞き取れないが、鍛錬を続ければいずれ対話が可能となるだろう。その声を聞くと、胸に閊えた寂寥感がじわりと溶けてゆくような気がした。妙な安堵感が体を満たして、気が付けば声を聞いてから眠りにつくのが日課となっていた。
そして、その日は訪れた。
霊術院の稽古場で、浅打の手入れを教わっていた時のことだ。浅打の柄を握り直したその瞬間、身を裂くような悪寒が背を走った。
思わず身を屈めた私の手元で、鉛色だったはずの浅打の刃先が、じわじわと墨を垂らした水のように黒く染まっていく。
瞬く間に刀身全体を呑み込んだのは、暗く、重く、底知れない暗闇を宿した色。あの刀と、同じ色。
「きゃあああ!」
気が付くと、私は悲鳴を上げて刀を床へ投げ出していた。がしゃんと甲高い音を立てて転がる黒い刃。心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、息が上手く吸えない。あの忌まわしい過去が、災いが、私を追いかけてきたのだと全身の血が引いていく。
「どうした、何を騒いでいる!」
すかさず駆け寄ってきた教官が、床に落ちた黒い刀と、青ざめて震える私を交互に見下ろした。
そして次の瞬間、教官の顔に浮かんだのは感嘆の笑みだった。
「素晴らしい……! 浅打が己の霊圧を受け止め、独自の形へと変容を始めたのだ。声が聞こえ始めていたのだろう? これは始解への着実な一歩、死神への極めて重要な兆候だぞ!」
「……え?」
「己の刀の変化に驚く気持ちは分かるが、何も恐れることはない。お前の積み重ねた鍛錬が、実を結んだ証だ。」
ぽん、と肩を叩かれ、周囲の生徒たちからの羨望と驚きの囁き声が耳に届く。そうか……これは、災いではないのだ、私の中の力が正しく目覚め、形を成そうとしているだけなのだ。これは、正しいことなのだ。そう自分に言い聞かせると不思議と口角が上がるのを感じた。ゆっくりと拾い上げた刀。手に吸い付くような馴染みの良さが、冷たくなった指先に熱を与える。ゆっくりと深呼吸をすると、心臓の音がひどく耳に響いた。
その夜、微睡みの中で『声』を聞いた。
──……あぁ……。
耳元で揺れる、愛おしい響き。どこかで聞いた、優しい声。朧げな意識の中でその声の主に手を伸ばしたけれど、結局すぐに眠ってしまった。しかしその晩は不思議と夢見が良かった。
教官の言葉通り、あの日から私の剣術は目を見張るような上達を見せた。あれだけ重く、扱いにくかった浅打が、まるで自分の身体のように馴染んだ。目で見るよりも、頭で考えるよりも早く、相手の刀を受け流すことが出来る。これが、刀と同調するということなのだ。思い上がるなと言い聞かせつつも、浮足だってしまう気持ちをこらえきれなくて、長次郎殿に手紙を書いた。却って寂しくなるからと何となく避けていたが、今回ばかりは我慢できなかった。きっと喜んでくれるに違いない。あぁ、御返事が待ち遠しいな。
こうして私は、上位の成績で真央霊術院を卒業した。配属先は念願の一番隊。最初は進級すら危ぶまれたが、これで私も死神だ。
入隊式の日、一番隊の門をくぐった時の高揚感は今でも覚えている。胃がひっくり返りそうな緊張と、叫びだしそうなほどの嬉しさがごちゃ混ぜになって顔が火照った。一番隊に配属された新入隊士は私を含めてごくわずか。厳格な静寂が場を支配する中、無事に式が終わり、辞令を受け取って退出するその去り際──。ふと、背後から刺すような強い視線を感じて振り返りそうになった。気のせいだったかもしれない。けれど総隊長がほんの一瞬、私の腰にある刀へ、あるいは私自身へ、鋭い眼差しを向けておられたような気がしたのだ。疑問に思ったのもほんの一瞬。護廷十三隊の要である一番隊の一員になれた高揚感で、すぐに忘れた。
庭の樹々が青々と葉を茂らせると、やがて燃えるような赤に染まり、白銀の雪を纏う。長い冬に枯れた命は、春の訪れとともにまた芽吹く。そうして季節は廻り、稽古はより厳しさを増した。しかし、私の世界がもっとも輝くのは、その時間だった。
「どこからでも来なさい。」
木刀を構える長次郎殿の姿は、いつだって息を呑むほどに眩しかった。一切の隙がない立ち姿、澄み切った霊力、そして風を切るがごとく鋭い太刀筋。陽光に照らされるその姿を見つめるたび、胸が痛いほどに締め付けられる。憧憬とも、崇拝ともとれる感情であった。貴方はあまりにも眩しくて、私はその姿からひとときも目を逸らすことができなかった。
「あの日起きたことは、お前の中に眠る死神の力が暴走した結果だ。正しい力の振るい方を学び、己を律しなさい。」
汗をぬぐう私に、長次郎殿は静かにそう語りかけた。あの恐ろしい出来事は、制御できなかった私自身の力のせい。しかし、その力を正しく制御できれば、それは誰かを守る誇り高き刃となる。そう教えられた私は、正しき死神となるために、鍛錬に励んだ。あの日あの時、私を生かした貴方の選択が正しいものであるように、私は正しくあらねばならない。たとえ何に代えても。
更木の地で私の命を守ろうとした、あの黒い刀。今は一番隊隊舎で厳重に封されているという。ほっとする一方で、時折、一抹の寂しさが胸を掠める。けれど私は、その喪失感から必死に目を背けた。あの刀は災いであり、正しさとはほど遠いところにある。私は死神になり、この光の中に留まらなければならないのだ。この、身を射るような稲光の中に。
何度目かの冬を越し、真央霊術院への入学が決まった。
新たな学びに胸を躍らせたのもつかの間、そこで突きつけられたのは圧倒的な力の差であった。これまでの長次郎殿との稽古とは全く違う、手加減無しの勝負。彼は私を傷つけぬよう、どれほど加減してくれていたのか。ほんの少しでも力を込めれば、私は瞬く間に吹き飛んでいたに違いない。自分の無力さと、慈悲の上に生かされていたことを思い知り、身が震えた。ここでは、打ち合いになれば力負けし、一歩踏み込めば突き飛ばされる。何度も木刀を弾き飛ばされ、稽古場の床に身体を打ちつけた。幼さなど言い訳にならない。護廷十三隊では、年齢性別問わず数多の隊士が刀を振るっている。命のやり取りにおいて、強さ以外の物差しなど無意味だ。だから、絶対に諦めてはいけない。誰よりも弱いならば、誰よりも努力すればよい。それでも足りないなら、何かを犠牲にすればよい。人の形をしている以上、平等なんてことはあり得ない。皆どこかしら欠けている部分があり、それを補うために何かを犠牲にして生きている。睡眠を削り、学友との時間を削った。身の軽さと素早さを武器に相手の懐へ潜り込む術を己に叩き込んだ。相手の力を受け流し、一瞬の隙に刃を滑り込ませる戦術。体力と一太刀の重さで劣る私が戦うための手段。長次郎殿のあの鋭い太刀筋を思い出し、昼も夜も稽古に明け暮れた。鬼道の稽古が始まるとさらに忙しくなった。幸い、私は鬼道に向いていたが、こちらも体力や精神力勝負なところがある。斬拳走鬼、死神としての力を磨き続け、ついに私の浅打が変化を始めた。声が聞こえるようになったのだ。貸与されてからというもの、夜毎話しかけていたから、なんだか無視されているような気がしていた。今は声が聞こえるだけで内容は聞き取れないが、鍛錬を続ければいずれ対話が可能となるだろう。その声を聞くと、胸に閊えた寂寥感がじわりと溶けてゆくような気がした。妙な安堵感が体を満たして、気が付けば声を聞いてから眠りにつくのが日課となっていた。
そして、その日は訪れた。
霊術院の稽古場で、浅打の手入れを教わっていた時のことだ。浅打の柄を握り直したその瞬間、身を裂くような悪寒が背を走った。
思わず身を屈めた私の手元で、鉛色だったはずの浅打の刃先が、じわじわと墨を垂らした水のように黒く染まっていく。
瞬く間に刀身全体を呑み込んだのは、暗く、重く、底知れない暗闇を宿した色。あの刀と、同じ色。
「きゃあああ!」
気が付くと、私は悲鳴を上げて刀を床へ投げ出していた。がしゃんと甲高い音を立てて転がる黒い刃。心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、息が上手く吸えない。あの忌まわしい過去が、災いが、私を追いかけてきたのだと全身の血が引いていく。
「どうした、何を騒いでいる!」
すかさず駆け寄ってきた教官が、床に落ちた黒い刀と、青ざめて震える私を交互に見下ろした。
そして次の瞬間、教官の顔に浮かんだのは感嘆の笑みだった。
「素晴らしい……! 浅打が己の霊圧を受け止め、独自の形へと変容を始めたのだ。声が聞こえ始めていたのだろう? これは始解への着実な一歩、死神への極めて重要な兆候だぞ!」
「……え?」
「己の刀の変化に驚く気持ちは分かるが、何も恐れることはない。お前の積み重ねた鍛錬が、実を結んだ証だ。」
ぽん、と肩を叩かれ、周囲の生徒たちからの羨望と驚きの囁き声が耳に届く。そうか……これは、災いではないのだ、私の中の力が正しく目覚め、形を成そうとしているだけなのだ。これは、正しいことなのだ。そう自分に言い聞かせると不思議と口角が上がるのを感じた。ゆっくりと拾い上げた刀。手に吸い付くような馴染みの良さが、冷たくなった指先に熱を与える。ゆっくりと深呼吸をすると、心臓の音がひどく耳に響いた。
その夜、微睡みの中で『声』を聞いた。
──……あぁ……。
耳元で揺れる、愛おしい響き。どこかで聞いた、優しい声。朧げな意識の中でその声の主に手を伸ばしたけれど、結局すぐに眠ってしまった。しかしその晩は不思議と夢見が良かった。
教官の言葉通り、あの日から私の剣術は目を見張るような上達を見せた。あれだけ重く、扱いにくかった浅打が、まるで自分の身体のように馴染んだ。目で見るよりも、頭で考えるよりも早く、相手の刀を受け流すことが出来る。これが、刀と同調するということなのだ。思い上がるなと言い聞かせつつも、浮足だってしまう気持ちをこらえきれなくて、長次郎殿に手紙を書いた。却って寂しくなるからと何となく避けていたが、今回ばかりは我慢できなかった。きっと喜んでくれるに違いない。あぁ、御返事が待ち遠しいな。
こうして私は、上位の成績で真央霊術院を卒業した。配属先は念願の一番隊。最初は進級すら危ぶまれたが、これで私も死神だ。
入隊式の日、一番隊の門をくぐった時の高揚感は今でも覚えている。胃がひっくり返りそうな緊張と、叫びだしそうなほどの嬉しさがごちゃ混ぜになって顔が火照った。一番隊に配属された新入隊士は私を含めてごくわずか。厳格な静寂が場を支配する中、無事に式が終わり、辞令を受け取って退出するその去り際──。ふと、背後から刺すような強い視線を感じて振り返りそうになった。気のせいだったかもしれない。けれど総隊長がほんの一瞬、私の腰にある刀へ、あるいは私自身へ、鋭い眼差しを向けておられたような気がしたのだ。疑問に思ったのもほんの一瞬。護廷十三隊の要である一番隊の一員になれた高揚感で、すぐに忘れた。
