マンダリンオレンジの宝石言葉
その日の夜のこと。
「川端さん、この後…準備ができたら僕の部屋に来てもらってもいいかな?」
そう徳田に言われた川端の心中は穏やかなものとは程遠く、緊張、不安、期待で入り乱れていた。
(夜で2人で会うこと事態は初めてではない。何度もお互いの部屋でお茶を飲みながらたわいない話をしてきた。だから…)
(しかし、準備ができたら、とは…そういうことで…)
(私は…どちらの準備をすれば…………?)
(いえ、心の準備ということも…でも…)
(…そもそも、徳田さんは私に情欲をお持ちになるのだろうか…?……正直、この関係が自分の独り善がりではないかと時々不安に思ってしまう…だから、もし、そうなら…)
川端はぐるぐると纏まらない思考のまま、覚束ない足取りで自室に向かうのだった。
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コンコン
ノックの音と共に、恋人が来た合図に徳田は座敷の腰掛けから立ち上がり、扉へ向う。
「遅かったね」
「いえ…その、準備もありましたので…」
「…?」
珍しくまごついたような口調の川端に少し違和感を持ちつつ、徳田はいつもの様に部屋へと招く。
部屋へ入ってすぐに川端の頭の上には疑問符が降り注いだ。それは、徳田の態度や部屋の様子がいつもと変わらないことからだ。
(てっきり布団が敷かれているのかと…。それに徳田さんの様子…いつもとお変わりない…?)
そう思いながら、徳田をじっと見つめる。
落ち着いていると、そう思っていた徳田の様子をいつものようにじっとよく見てみれば、耳元や首筋がやや赤み掛かっており、少しソワついているのがわかった。
(?…緊張していらっしゃる?)
川端がそう思い見つめていると、横に座る徳田がこちらにまっすぐ向きなおり、目と目が合う。
「川端さん…!」
「!…は、い」
ドドドドドドドと二人のどちらのものともわからない心臓の音が部屋中を包む。
身構える川端に向かって、サッと伸びた徳田の手には赤色の細長いリボンに包まれた真っ白い小箱が握られていた。
「今日はこれを渡したくて…」
「…これは?」
「えーーっと、開けてみて?」
徳田にそう促されるがまま、川端は受け取った小箱にラッピングされたリボンの結び目をシュルシュルと解いていく。
すると箱の中から、また箱…。その箱を見て、川端は目を丸くする。
「徳田さん…これは………」
「ははっ、うん」
川端の反応に徳田は満足そうに笑うと、川端の手からそれを持ち上げ、パカリとその小さなケースを開いてみせた。
中には、ピンクゴールドの輪に橙色の輝きが二つ。
並んだ二つの雪の結晶に付いて光っていた。
川端は何か言おうとしたが、何を、何から言えばいいのかわからず、言葉が詰まってしまい上手く出てこなかった。
徳田はケースからそっと指輪を外し、右手の親指と人差し指で持ち上げ、空いている左の掌を川端に向ける。
「貸して?」
川端は何も言わずに、おそるおそる左手の甲を向けて差し出した。
「うん。思った通り…君にピッタリだ。」
はにかみながら微笑む徳田。
川端はその様子を呆然と眺め、そしてゆっくりと左手の薬指を見つめる。
赤みを帯びた透明な輝きを放つオレンジ。それが川端の瞳に反射する。
「…ガーネット」
「そう。すごいね!さすが、川端さん…ちなみにそれは、スペサルティンガーネットで石言葉が…」
「秘めた情熱、無限の想像力、不言実行…」
(それと……)
すらすらと宝石言葉を口にする川端に、徳田は先ほどまでと打って変わり、顔を真っ赤にさせ、余裕のない表情をありありとさせ始めた。
「もしかして、全部知ってるの……!!!?」
川端はそんな徳田に向かって、遠慮がちに肯定の頷きをしてみせた。
そう、オレンジのスペサルティンガーネットには、もう一つ「深い愛情に恵まれる」という意味が込められている。
羞恥心に悶える徳田。
本当はその宝石言葉だけは秘密にしておくつもりでいたのだ。
そんな徳田の横で川端は、いつもの真っ白な肌を実り溢れた果実の様に、どうしようもないほど紅くさせていた。
(ああ…、そうか。)
(私は、私だけかもとどこか思っていたけれど…こうもこの人に思われていたのか…)
(それが、こんなにうれしいなんて…)
「(そうだ…)…徳田さん」
「ん?」
「私も…私にも、指輪を贈らせて下さい」
「!…うん。楽しみにしているね」
そんな暖かく、とても幸せな時間が二人を包み込む。
そして、ハッとあることを思い出した川端は、覚悟を決めて真っ直ぐ徳田の手を取り見つめて言う。
「不束者ですが、よろしくお願い致しますね」
「ああ…うん!こちらこそ、よろしくね」
川端は知らない。
徳田が冒頭で言った"準備"という言葉。
あれが…。
「川端さん、この後…(明日の)準備ができたら僕の部屋に来てもらってもいいかな?」
本当はこうだったということを。
その後、徳田の様子を疑問に思った川端が、さり気なく答え合わせをし、一人静かに羞恥に苛まれる数分先の未来も。
川端が後日、買いに行った宝石店。そこで川端の薬指を見て、微笑む店員がいることも。
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