SS:嫉妬


「――穹には感謝しないとね」

 あの花畑の帰り道。道端に咲く琥珀色の花が、微風に揺らめいているのを見ながら私はそう口ずさむ。
 ファイノンの居ない世界で、一人で暗闇を歩いていた私に光の存在を教えてくれたのは、穹だった。それがどれだけ救いになったか、どれだけ、私に希望を与えてくれたか。もし彼がいなかったら、この穏やかな世界でファイノンと再会を果たすことも難しかったかもしれない。

「……穹?」
「うん、穹。彼が居なかったら、今頃私―――……?ファイノン?」

 話していると、ファイノンが不意に繋いでいた手をするりと解く。不思議に思いながらファイノンを見ると、数歩後ろで立ち止まって私を見ていた。その瞳がどうしてか冷たく感じて、私は思わず己の手をぎゅっと握る。

「ど、どうしたの?」
「……丹恒と三月さん」
「……え?丹恒くんとなのかちゃん?」

 何故か二人の名を口にしたファイノンに疑問を抱きながらも、私は繰り返すように二人の名を言う。するとファイノンはほんの少しその眼差しを鋭く光らせた。そして、ゆっくりと私に近づいてくる。なんだかそれに威圧されて、私はファイノンが一歩進むたびに後退った。どうしたんだろう。何かに、怒っているのだろうか?そう見えてしまった。
 正直、ファイノンの怒った顔は見た事がない。見た覚えが、ない。だから、彼が今怒っているのか、ただ機嫌が悪いだけなのかが分からない。分からないから、ほんの少し、怖いと思ってしまった。
 そうしていると、とんっと背中にひんやりとした何かが当たる。壁だ。冷や汗が背中を伝い、逃げ場がなくなった、なんて考えが脳裏を過る。未だ冷めた瞳で私を見つめるファイノンは私を閉じ込めるように壁に肘をついた。

「随分、穹と仲が良くなったみたいだね」
「…えっと……まあそれなりに……?」
「ふーん、そう……」

 ファイノンはいつもよりも低い声でそう呟いて、そっと私の頬に触れる。そうして、私の目元を親指の腹で撫でたかと思うと、輪郭をなぞるように指を滑らせて顎を掴んだ。ゆっくりと、ファイノンの顔が近づいてきて、鼻が触れる。掠める吐息に小さく肩を跳ねさせた。
 一体どういう意図があるのか分からず、若干の恐怖と混乱で冷や汗を掻きながら私は彼の瞳を見つめる。

「っえ、っと……?」
「君は……」
「…う、うん…………?」
「僕の恋人で……これから僕のお嫁さんになる女性だ」
「……そう、だね…?」
「それなのに、それなのに………僕が居ない間に他の男と親しくなるなんて、どういうつもり?」
「……………………え?」

 表情を険しくさせたファイノンとは対照的に、私は目を丸め口を半開きにして呆けていた。そうして、ファイノンの言葉をじっくりと咀嚼してようやく、私は彼がどういう感情だったのか理解する。

「……もしかして、嫉妬してるの?」
「……………………そうだよ」

 先ほどの表情とは打って変わって、ファイノンは子供のように口を尖らせてむくれてしまった。私の顎を掴んでいた手は脱力させて、背を丸め私の肩口に顔を埋める。
 嬉しさで温かくなった心にゆるゆると口元を緩ませて、私は下に降ろされたファイノンの手を握った。

「ふ、ふふ…」
「……なんで笑うのさ」
「だって、嬉しいんだもん」

 ファイノンも嫉妬をするということを知れたことが、そして、その感情を見せてくれることが、嬉しくて嬉しくて仕方がなくて頬の緩みを隠せない。
 今まで、もしかして嫉妬しているのかな?なんて思うことはあった。けれど、それは片手で数えれるほどしかなく、膨大な記憶の海に沈んでしまって、それを思い出すのは少し難しい。
 だから実質、初めて見たと言っても過言ではないのだ。私はそっと、ファイノンの頭に寄り掛かる様に頭を寄せる。

「今まで……ファイノンが嫉妬してくれたことなんて、片手で数える程度しかなかったでしょう?だから、なんだか嬉しかったの」
「……だって、かっこ悪いだろ。嫉妬なんて……」
「…そう思ってたんだね」
「……うん、あの頃の僕は……なによりも君に嫌われたくなかったんだ。でも――」

 ファイノンが空いている腕を私の背に回したかと思うと、ぎゅうっと抱きしめられる。

「――今は違う。君は、そんなことで僕のことを嫌いになったりなんかしないって、ちゃんと分かってるよ」
「――…っふふ、よかった」

 その言葉が嬉しくて、幸せで、じんわりと胸の内側から身体が温かくなるのを感じる。ゆっくりと、私も背に空いた腕をファイノンの回した。

「だから、その……」
「うん?」
「…できれば僕以外の人を呼び捨てにしてほしくない……というか、本当は僕以外の人の名前すらも呼んでほしくない…」

 ファイノンの言葉に私は目を丸める。まさか、そこまで思っていたなんて…。ちらりとファイノンの方を見ると、ファイノンのほんのりと空を映した白髪の隙間から、仄かに紅い耳が見えた。

「…うーん、流石にそれはちょっと…」
「……君が僕以外の人と話すのだって嫌だし、僕以外の人と会ってほしくない」
「わぁ…」
「僕の名前だけを呼んで、僕だけと話して、僕だけを見てほしい……」

 これは世間一般的に、”重い”と言われるぐらいなのだろうか。そんなことを思いながら、私はファイノンの背を撫で小さく笑みを零す。
 あぁ、ファイノンはこんなにも私を想って考えてくれている。それがとても嬉しくて、幸せだ。胸の内が焦げるような愛を感じる。だから、少しでもその気持ちに報いたくて私は目を閉じて思考を巡らせる。
 仕事をするからファイノンだけに会うなんてことは難しい。他の人と話すのだって生きていくうえでは必要なことだ。他の人の名前を呼ばないというのも難しい。

「うーん…そうだな………。うん、分かった」
「……え?」
「他のはちょっと難しいけど……一つだけ。これからファイノン以外の人のこと、呼び捨てにしないよ」

 といっても、穹…くんぐらいしかいないんだけれど。と、私は小さく苦笑いをした。ファイノンは私の言葉にばっと顔を上げ、目を丸めて私を見つめる。そして、へにゃと眉が下がった。

「………自分から言っておいてなんだけど、いいの?」
「ふふ。うん、いいよ」

 「むしろ、これぐらいしか出来なくてごめんね」眉を下げて謝れば、ファイノンは首を振って眦と眉を下げて嬉しそうに笑った。充分だと、嬉しいと伝えてくれるファイノンに、私は頬が緩み心が温かくなる。

「……僕のわがままを聞いてくれてありがとう。僕も、君のわがままを聞きたいな」
「え?うーん………」

 そう優しく微笑むファイノンに、私は頭を捻る。
 確かに私もファイノンが知らない女性と話しをしていたら、少しだけ妬いてしまうのだけれど、ファイノンが気を付けてくれているのか、黄金裔の方々以外の女性で親しそうに話しているのは見たことがない。だからそういう点で不満はないし…。
 それに、前にファイノンが穹の話ばかりしていた時に、穹に少し嫉妬をしてしまった事があったけれど、あれも今思えば、穹のことをあまり知らなかったから嫉妬してしまっていたのだと思う。だから、多分、今穹の話ばかりされても、共通の友人であるから特に何も感じないだろう。
 困った。それなら、他に何があるだろうか。

 うーんうーん、と必死に頭を働かせて考えていると、一つだけ頭に浮かぶ。

「……あ」
「?何か思いついた?」

 もう一度、ファイノンの嫉妬した姿を見たい。
 さっきは何が何だか分からなかったから恐怖を感じていたけれど、あれが嫉妬からくる行動で、表情だということを知った今、先ほどのファイノンを思い返すとどうしてか胸が騒がしい。彼の新たな一面を知った喜びと、いつもとは違うあの表情に胸が高鳴っているのだ。もう一度、見たいと思うほどに。
 けれど、流石にそれを言うのは憚られる。なんだかファイノンの嫉妬を面白がっているみたいで。でも、もう一度見てみたい。

 また穹を呼び捨てにしたら嫉妬してくれるだろうか。

「ううん、なんでもない!今は思い浮かばないかな」
「えっ、絶対何か思い浮かんだだろ!」
「ふふっ、思い浮かんでないよ。ほら!早く戻ろう」

 納得していないような顔で私を見るファイノンを引っ張って、私は歩き始める。私に引っ張られながら歩いているファイノンから、小言が飛んでくるが、返事の代わりに声を出して笑っていると心地の良い微風が頬を撫でた。
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