太陽に花指輪を

 その女性は目覚めてからずっと、足を止めることなく駆けていた。涙を流しながら抱き合いながら再会を喜び合う人々の間を縫って、友人や誰かから声を掛けられても「また後でね!」と言って走り続けた。ただひたすらに全力でずっと、ずっと。大切な人との再会を胸に抱きながら――――。


 ――――彼が何処に居るかなど知らないけれど、私はずっと走り続けていた。何故だか、私の進む先に彼が居るのだと感じているから。一分、一秒でも惜しくて走って、走って、走り続けた。彼に逢えることを考えると、たったそれだけでも嬉しくて心が締め付けられる。だから走らずにはいられなかった。だって、ずっとずっと会いたかったんだ。
 ねえファイノン。君に話したいことが沢山あるんだ。言いたいことも沢山ある。そして――伝えたいことも。

 中央に噴水がある部屋を抜けて、次の場所へと繋がる廊下を走る。桃色の綺麗な花を咲かせている木々も、道の所々に咲いている美しい花にも目もくれず、階段で躓きながらも走る。走って走って、そうして―――。

 廊下の先。桃色に囲まれた開けた庭園の、中央付近に彼は居た。誰かを探しているのかきょろきょろとしていて、ほんのりと空を反射した白い髪を揺らしている。まだ、私には気が付いていない。
 ただ姿を見ただけというのに、嬉しくて嬉しくて心が苦しい程に、痛いほどに締め付けられる。そしてその想いは、涙となって溢れて頬を伝った。

「――っファイノン…!」

 私の声を聴いたファイノンは、外套を靡かせながら振り返り、私を見る。途端、彼は眦と眉を下げて嬉しそうに頬を緩めた。その表情が愛しくて私も同じように頬を緩める。私は急いで階段を駆けてファイノンの元へと走り、彼もまた、私の名を呼びながら同じように走っていた。
 そうして、両手を広げたファイノンに半ば飛びつく様に抱き着いた私を、彼は抱き締めて反動を逃すようにくるりと一回転する。宙に浮いていた足が地面に着く。
 涙はまだ止まらないけれど、私はファイノンの顔を見てとびっきりの笑顔を贈る。

「おかえり、ファイノン!」
「…!うん、ただいま!」

 少しだけ目を見開いたファイノンは、眦と眉を下げて笑顔でそう言った。ちょっとだけ泣きそうな、そんな笑顔。その表情に、私は堪らなくなって、彼の胸に顔を埋めてぎゅうぎゅうともう一度強く抱き着いた。それに呼応するように、ファイノンも同じぐらい――いや、もっと強い力でぎゅうぎゅうと抱き締める。苦しいけれど、それも愛おしくて頬が緩む。

 そうして暫くして、私達はそっと離れる。温もりが名残惜しいけれど、もう、離れ離れになることはないのだと思うと、それすらも愛おしく感じる。次の抱擁は、必ずやってくるのだから。
 ファイノンのその美しい青空の瞳を見つめながら、微笑を贈って贈られて、私は視線を動かす。そこで、ようやく私は気が付いた。この場所にはそれなりの数の人が居たという事に。何人かの人々が生暖かい目で私達を見ている。
 ほんの少しの羞恥と、いたたまれない気持ちに私は小さく咳払いをしてファイノンを見る。

「……ファイノン」
「ん?どうしたの?」
「…ちょっと移動しよう……ここは人が多すぎる……」
「…………確かに。イチャイチャしづらいもんね」

 その言葉に私は「もうっ」と言ってファイノンをじとりと見つめる。彼は悪戯っぽく笑って私の手に指を絡め「ごめんね、僕の可愛い可愛いお姫様」なんて言って私の頬に唇を落とした。そうすれば私が何でも許してくれると思っているから。まぁ、実際そうなのだが…。
 少し不貞腐れながら私が足を動かせば、ファイノンも歩幅を合わせて隣を歩いてくれる。それに嬉しさを感じながら、ぎゅっと手を繋ぐ力を強めた。


 いつもの様に他愛のない話をして、私達は当てもなく歩いていく。知らないようで知っている道を、知っているようで知らない道を。道の所々に咲いている桃色の花々と、嬉しそうに談笑している人々を見ながら。
 何度目かの心地の良い沈黙。私はふと、先程の事を思い出して口を開いた。

「そういえば、ファイノン…さっき誰か探してたの?」

 ファイノンに逢えた時、彼は誰かを探す様に辺りを見渡していた。あの時は逢えたことが嬉しくてそれ以外を考えられなかったけれど、人探しをしていたのならそれを止めて大丈夫なのだろうか、と今になって思う。

「うん、探してたよ。でも……もう大丈夫」
「?」
「だって、見つけたから」

 そう言ってファイノンは覗き込む様に私を見て優しく微笑む。一瞬、意図が分からずに私はぱちぱちと数回瞬きをする。そして、その意図に気が付いて私はゆるゆると口角を上げた。

「……もしかして探してたのは私?」
「うん、君を探してた」
「ふふふ、嬉しい……ファイノンも探してくれてたんだね」
「……”も”?君も…探してくれていたのかい?」

 ファイノンの言葉に私は頷き、目覚めたばかりの自分を思い出しながら前を向く。
 目覚めた時、私は何が何だか分からなかった。気が付いたら随分と様変わりしたオクヘイマに居て、周りには再会を喜ぶ人々で溢れかえっていた。そしてぼんやりと、全ての徒労が報われて、これからは誰かが心身を疲弊させる事も無い、穏やかな日々が続くのだと感じていた。
 だからか、この世界の何処かにファイノンが居て、ようやく私達は再会を果たすことが出来るのだと、私は信じて疑わなかった。

「……この世界で目が覚めてからずっと、ファイノンを探してたの……。まぁ、探してたって言うかただ只管に走ってただけなんだけどね」
「…………」
「当てもなく走って。でも……私の進む先に必ずファイノンが居るって、確信があった。なんでか分からないけど」

 私はそっと目を瞑る。瞼の裏に、君を失った日々の事が流れていく。色が無くて、息がし辛くて、生きる意味を失ってしまったあの日々を。思い出すだけでも手の先が震え、冷たくなって、心が水底に沈むような感覚に陥ってしまう。繋いだ手にぎゅっと力を込める。

「……私、本当にファイノンに会いたかったんだ。君の居ない日々は……辛かった。だから―――」

 私は立ち止まってファイノンの方を見ると、彼は眉を下げてほんの少し瞳を潤ませていた。そして、幸せを噛み締める様に小さく頬を緩ませる。
 その表情が、今目の前にファイノンが居るという現実が、再び私の心根へと染み渡る。もう、無事に帰ってくるか不安になることも、目が覚めて隣に居ることに安心することも、誰かの訃報を聞いて君ではないと安堵してしまうことも、無いのだ。
 嬉しさにまた泣きそうになりながらも、潤んだその瞳を見て私も頬を緩ませた。穏やかな微風が頬を掠める。

「戻って来てくれてありがとう、ファイノン。また君に会えて、一緒に居ることが出来て――本当に本当に嬉しい…!」
「―――っうん、僕も嬉しいよ。また君と会えて、共に居ることが出来て……本当に幸せだ」

 ファイノンが空いている方の手を、私の頬に添える。その手に触れて、そうしてそっと、私達は顔を近づけて唇を合わせた。触れるだけの、優しい口づけ。身も心も愛に包まれて、幸せに包まれて思わず笑みが零れる。ファイノンも笑みを浮かべて、ほんの少し隙間を作って鼻をくっ付けながら私達は幸せで笑い合った。どこかで鳴いてる鳥の声が心地の良い風と共に頬を掠めていく。

 ゆっくりと離れて、石畳を踏む。


「……それにしても、嬉しいな。目が覚めて、真っ先に僕を探して会いに来てくれるなんて」
「ふふ、それぐらい会いたかったんだよ」
「…本当に嬉しいよ」

 嬉しそうに眦を下げて頬を緩めるファイノンは、歩いていると云うのに覗き込む様に私を見る。私が「危ないよ」と言ってもにこにことこちらを見ているので、無理矢理 前に向かせようと空いた手を彼の顔に近づけようとして――。

「わっ」
「おっと」

 二人して段差に躓いてしまった。
 なんとか転ばずに済んだ私達は、ぱちぱちと瞬きながら互いの顔を見合う。そうして、その状況がなんだか可笑しく感じて、私達はゆるゆると頬を緩めて吹き出し、笑い合った。幸せで、穏やかな時間に――日常が帰って来たと実感する時間に心が温かくなる。
 一頻り笑い合った後、私達はまた当てもなく歩き始める。

「……そういえば…」
「?どうしたのファイノン?」
「今気が付いたんだけど…もしかして君はまだ、家族に会ってないの?」
「……うん。まだ会ってない」
「………いいの?会いに行かなくて」

 その言葉に私は「いいの」と微笑み、目を伏せる。
 私はどの人生でも、多かれ少なかれ家族と明一杯充実した日々を過ごせていた。それは、私が前回の記憶を持っていたから出来たことだ。それに、全ての人生の記憶を朧気ながらに持っているとしても、今の私が一番会いたかったのは、一緒に居たいのは、君なんだよ。ファイノン。
 その事をファイノンに伝えれば、嬉しそうに「そっか」と微笑んでいた。そんなファイノン見て、私も嬉しくなって頬を緩ませる。

「……ファイノンは家族と会えた?」
「うん、会えたよ…エリュシオンの皆にも会えた」
「そっか、良かった……。ファイノンこそ、家族と過ごさなくて大丈夫?」
「…うん、大丈夫。今は、君と一緒に居たいんだ」
「……!」

 その言葉に、心が温かくなって嬉しさで満たされる。優しく微笑むファイノンに「そっかぁ」なんて緩み切った声が出た。さっきのファイノンは、こんな気持ちだったのかな。
 じんわりと温かくなった心を感じながら、暫く微風が運んでくる葉擦れの音や川のせせらぎに耳を澄ませて、また他愛のない話をし始める。私のこと、ファイノンのこと、一緒に居られなかったあの日々の埋め合わせをするかのように、たくさん話をした。笑って驚いて一緒に悩んで、また笑って。
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