きみは太陽

「ただいま!」

 扉の開く音と共にファイノンの声が聞こえ、夕食を作っていた私は持っていた物を置いて足早に玄関へと向かう。愛しい人の帰りは、いつも心の底にある一抹の不安を消し去ってくれる。今日もちゃんと、帰ってきた。

「おかえりファイノン!」
「ただいま、僕のお姫様」

 目が合った途端に眩い笑顔を向けてくれるファイノンに、私も釣られて頬を緩ます。そして、私が両手を広げるよりも先に彼が私を抱き締めた。いつもする、ただいまの抱擁だ。
 同棲を始めた当初は「汗臭いから」と拒まれていたけれど、根気強く説得して、気が付けば彼からしてくれるようになっていた。それがとても嬉しくて、君からしたらあまり強くないだろうけど、私は精一杯の力を込め強く強く抱き締める。そうすれば、それに呼応するかのように、ファイノンも私を抱き締める力を強くする。まるでお互いの存在を確かめ合うようなその抱擁が私は大好きで、いつも頬が緩みに緩み、幸せを噛み締めている。
 ぎゅうぎゅうとたっぷり抱き締め合っていると、ファイノンに名前を呼ばれて顔を上げれば優しく唇を食まれる。いつまでも慣れないそれに顔が熱を持つのを感じていると、彼は愛おしそうに笑って体を離した。

「ふふ、可愛い。まだ慣れてないんだ」
「うっ…キス、なんてそうそう慣れるもんじゃない……」
「もう数年は付き合ってるのに?」
「うぅ……」

 ファイノンの言う通りだ。私達はもう数年は付き合っているのに私は未だに口づけに慣れない。けれど、仕方がないだろう。大好きな人の顔が近くにあって、触れ合って、幸せに包まれて、内側から沸く熱で己が溶けてしまいそうなほどに嬉しくて、それでいて恥ずかしのだ。こんなの、いつまでも慣れっこない。きっと数万、数億回はしないと私は慣れないだろう、なんて私は思う。

「今日はシチュー?」
「うん!今日はファイノンが好きな、お野菜とお肉が沢山入ったシチューだよ」
「やった!君の作る野菜ゴロゴロ、お肉ゴロゴロのシチュー大好きなんだ」
「ふふ、嬉しい。もうちょっとで出来るから、早く手を洗っておいで」
「うん!」

 嬉しそうに笑って洗面所に向かうファイノンの背を見送って、私も夕食の準備を再開する。少し時間をおいて、手を洗って外套も脱いだ彼が手伝うために私の隣に並ぶ。彼はこのオクヘイマを守る戦士であるから体力を使って疲れているだろうに、料理を作り終わっていない時はいつもこうやって手伝ってくれるのだ。
 随分前に手伝わなくてもいい、と言った事があるのだが「君だって働いて疲れてるだろうに料理をしてくれているんだ。手伝わない訳いかないだろう。それに…君と共同で何かをするのが好きなんだ」なんて言われてしまえば、もう何も言う事は出来ない。正直、私もファイノンと共同作業をするのは好きだ。それに、一度だけ彼が帰ってくる前に全てが終わっていた時に、彼に「帰ってきたら君と一緒に料理をするの楽しみだったのに…」と、とても悲しそうな顔で言われたのだ。だから、それ以降は彼に負担にならない程度に作業を残している。

「これはこっちでいい?」
「うん、そこにお願い…あ、あっちの紙袋にバゲットが入ってるから取ってもらってもいい?」
「分かった。……あれ、この紙袋……」
「あ、気が付いた?前にファイノンが美味しいって言ってたパン屋さん、今日偶然開いてたから買ってきたの」

 私はシチューを味見しながらそう言う。
 前にファイノンとその店の前を通った時「ここのパン、とても美味しくて好きなんだ」と言っていた。けれど、その店の店主さんはご老体で、現在は足腰が悪くなったために時折しか店を開ける事が出来ないというのだ。その話を聞いてから、何度か日を変えて店の前を通ってみたが一度も開いている時を見る事がなく、もう開けないのかな…なんて思っていた。それが、随分と前の事。
 そして今日、ふと開いているだろうかと思って店の前を通って驚いた。まさか開いているなんて思わなかったから。店主さんに話を聞けば、最近は足腰の調子が良くなったので開ける頻度を増やしているそうだ。今度からは、帰る時はこの道を通って帰ろうと思う。
 ファイノンが好きだと言ったパンを食べられるのが嬉しくて、彼にも沢山食べて欲しくてちょっと多く買いすぎたけれど。まあ、明日の朝も食べればいいことだ。なんて思ってふと気が付く。そういえばファイノンが静かだ。それに動く気配もないようだし…。
 どうしたのだろうかと彼の方を見ると、眦と眉を下げて嬉しそうに頬を緩めていた。

「随分前に言った事…憶えててくれてたんだ。嬉しい」
「ふふ、だって私の大好きで大事で大切なファイノンの事だもの。忘れるわけないよ」
「っはぁ、もう、君って僕を喜ばせる天才だね」

 そう言ってファイノンは、熱々のシチューが入ったお玉を持った私に横から抱き着く。私の「危ないよっ」という声も無視して、キスの雨が降ってくる。髪に、耳に、額に、目元に、頬に、鼻に。そして唇――は未遂に終わった。
 唇にされる、と察した私が驚いてお玉を離してしまったのだ。床に落ちる前にファイノンが手早く掴む。

「おっと……」
「も、もう!だから危ないって言ったじゃん!」
「えへへ、ごめん。嬉しくて…つい」

 私から離れたファイノンは頬を掻きながら、お玉を鍋に入れた。内で暴れる熱を何とか落ち着かせた私は、火を止めてシチューを一混ぜし、用意してあった深皿を取る。

「ほら、もう出来るから」
「はーい。じゃあバゲットとコップ、テーブルに持ってくね」
「うん、よろしく」

 そうして今日も愛しい君と食卓を囲む。
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